英雄 織田信長を記録した男
『信長公記』の作者 太田牛一の生涯
戦国最大の英雄、織田信長…その激動の人生のクライマックスが本能寺の変です。
家臣・明智光秀の襲撃を受けた信長は一言 ”是非に及ばず” …槍で応戦するも肘を負傷、燃えさかる炎の中に消えて行きました。
この信長最後の様子を誰がこのように詳しく見ていたのでしょうか?
信長最後の言葉、 ”是非に及ばず” を初め、英雄信長の全てを知る手掛かりは、 『信長公記』 …信長の側近だった一人の侍が自らの日記を基に書いた、全15巻に及ぶ英雄の一大記です。
作者は、太田牛一…戦国一のメモ魔だった牛一は、愛する信長のあらゆる事を日記に書きとめて行くのです。
episode1
英雄とメモ魔 運命の出会い
かつての尾張の国、愛知県名古屋市、織田信長はこの尾張の国の一部を支配するにすぎない小さな大名でした。
天文23(1554)年7月、信長は尾張の中心地である清州城を手に入れる為、出陣、乱世に名乗りを上げようとしていました。
この戦いの記録の中に信長軍の足軽衆・太田又助という名前が出てきます…これが太田牛一が歴史に登場する最初の記録です。この時、牛一は28歳、当時としては遅い初陣でした。
この戦いで信長軍はみごと勝利、清州を支配下に置き、戦国の覇者への道を歩き始めた信長の姿を牛一は間近で目撃します。
名古屋市北区の成願寺、実はこの戦いに参加する直前まで牛一はこの寺の僧侶でした。…戦には縁のない生活を送っていた牛一でしたが…ある日、旅の僧がある武将の噂話を始めたのです。
織田家の新しい当主の信長は、
周りからウツケ、常識のない愚か者
だと言われているが、さにあらず
あの者こそ必ずや大出世するだろう
(愚か者だと言われているのに将来大出世、…信長とはいったいどんな男なのか)
好奇心に突き動かされ、牛一は寺を出て信長のもとへ向かったのです。
こうして信長の家臣となった牛一は、戦いの中で次第に頭角を現して行きます…特に注目を集めたのは弓の腕前…。
ある合戦で押し寄せる敵軍を前に牛一は敵から狙われるのを覚悟で一人民家の屋根の上に陣取ります。そして文字通り、矢継ぎ早に矢を放ち、次々と敵を倒しました。
その姿を見た信長は、牛一の腕と度胸を絶賛、その場で褒美として領地を与えたのです。織田家で三本の指に入る弓の達人として信長の信頼を受けた牛一は、足軽から抜擢され、信長のそば近くに仕えるようになります。
そんな牛一のもつある性分、それはメモ魔、なんでも思いついたことを自分の日記に書きとめずにいられなかったのです。牛一は早速、間近で見聞きした信長の姿を書き記すようになります。
信長さまはいつも着物の袖を外し
短い袴を穿いた恰好をしている
腰には火打石などを入れた袋を
ぶら下げ、髪は派手な赤や
萌黄色の糸で巻き立て
茶筅のような形にしている
盆踊りの時、信長さまは
なんと女踊りをなされた
(『信長公記』より)
やることなす事、とにかく風変わりな主君・織田信長…その何気ない日常を牛一は記録して行きます。
東京大学史料編纂所 金子拓 准教授
「牛一は主君の身の回りに仕えて、戦の時は主君の行動を助けたり、日常の信長の人となりは、よく見えていた。それに信長の話した事も耳にはいるのだと考えられます」
牛一が見た VS.今川義元
知られざる信長の素顔
強敵・今川義元との合戦のときの事、今川軍は手ごわく、信長軍は次々と討ち取られていった…信長軍は全滅の危機に瀕します。
見かねた信長は、自ら鉄砲を手に戦いの最前線に出て反撃、苦闘の末なんとか勝利を収めた信長軍、そこで牛一はそれまで見た事のない信長の姿を記しています。
本陣にいらっしゃった信長さまは
あいつが討ち死にしたのか、
あいつもか…と死んだ家臣の事を
仰せられては感極まって涙を流された
(『信長公記』より)
人目をはばかることなく、共に戦った仲間のために涙を流す信長の姿、この主君なら一生ついてゆける…牛一は生涯信長に仕える事を誓ったのです。
episode2
英雄・信長15年間の記録
永禄11(1568)年10月 牛一42歳、信長は日本の政治の中心地・京へ上洛…都の人々の熱狂的な歓迎を受けます。
信長様にお会いしたいと
都の人々が大勢集まり
信長さまが滞在する屋敷の前は
市場ができたようであった
(『信長公記』より)
この上洛により、信長天下統一への歩みは大きく前進することになります。
それに伴って牛一の立場も一変、京で新しい仕事を任されました…年貢の督促、土地問題の仲裁など京の寺社との交渉という重要な役目、文書を書くのが得意な牛一を知る信長による抜擢でした。
その他、各地で戦う信長に呼ばれ、従軍記者さながらの記録を残しています。
天正3(1575)年5月、信長は最大のライバル武田氏との決戦に挑みます…長篠の合戦です。
この戦いは信長の天下取りのまさに正念場、実は長篠の合戦はその合戦を詳細に描いた屏風絵が残されている事でも知られています。
そこに描かれているのは、実際の布陣に基づいて忠実に描かれた両軍の部隊、更に騎馬武者の突撃を防ぐ柵や千丁を超える鉄砲隊の存在など細かな情報が書き込まれています。
(長篠合戦屏風)
どうしてここまで正確に戦場を再現する事が出来たのか…実は牛一が残した詳細な合戦の記録が基になっているのです。
この度、武田の者どもと戦するは
まさに天の与えたもうた好機である
一人残らず討ち取るのだ
(『信長公記』より)
そして戦いが始まります…
敵の一番手は山県昌景
陣太鼓を打ち鳴らしながら
攻めかかって来た
しかし鉄砲をさんざんに
打ち込まれると引き退いた
すると二番手の敵勢がやってきて
しつこく攻めてくる
柵の中の見方はそれを
十分引くつけると鉄砲を放つ
武田方は馬に乗った戦にたけていた
この時も騎馬で押し寄せてきたが
見方は多数の兵を揃え
身を隠して敵を待ち受け
鉄砲を打つのみであった
牛一は戦いの様子を臨場感あふれる筆致で描き続けます。そして…
戦いは八時間続いた
武田方は次第に人がいなくなり
落ち延びていった
(『信長公記』より)
信長軍の鉄砲の前に武田軍は壊滅、それは信長にとって天下を大きく引き寄せる歴史的な勝利でした。
牛一が主君信長の天下統一を記す日は、すぐそこまで迫っていました。
しかし、天正10年6月2日…家臣の明智光秀が謀反、京の本能寺に僅かな側近と泊っていた織田信長に襲いかかったのです。本能寺の変です…天下統一を目前にして信長は突如この世を去るのです。
あまりに突然の事で
私にはどうしようもなかった
(『牛一の手紙』より)
英雄、織田信長と歩み続けてきた男のそれからの20年、一人のメモ魔の日記はやがて歴史へと変わって行くのです。
episode3
その時、日記が 『歴史』 になった
信長の突然の死から数年、牛一は信長の後継者となった秀吉の下で仕事を続けていました。そんな中、牛一は本能寺の真実を調べ始めます。
(『信長公記 第15巻』池田本家)
赤い線は、この時討ち死にした人物の名前です…信長の側近たちは命を落としていました。
あの日、本能寺で何が起きたのか?
生き延びた人は?
そしてついに真相を知る人物にたどり着きます…それは信長の侍女たち、…信長が死ぬ直前まで側にいた数少ない生存者です。侍女たちは語り始めます…
上様は 「是非に及ばず」
とのみ仰せになり
敵に向かわれました
しかしながら多勢に無勢
肘に手傷を負われました
そして私たち女どもに
わしに構わず逃げよ
お声をかけ下さり
奥の部屋に入っていかれました。
(『侍女たちの証言』より)
危機が迫る中、信長が最後に見せたのは、侍女たちを思う優しさでした。
”是非に及ばず” 天が下した運命の前ではしかたがないという意味だと言われています。
その後、牛一は明智光秀の最期、農民の落ち武者狩りによって討ちとられたことを突きとめます…これは、牛一のスクープでした。
知られざる信長の素顔
記せ!英雄の歴史
そして牛一は、主君織田信長の生涯をこれまで着けた日記を基に書き始めるのです…『信長公記』 です。
私の書くものに
作り話は一切ない
もし一つでも偽りを書けば
天の怒りを買うであろう
(『信長公記 序文』より)
第1巻の書き出しは永禄11年、信長が天下統一を目指して上洛した年です。
信長様が滞在する屋敷の前は
市場が出来たかのようであった
(『信長公記』より)
牛一は主君・信長の晴れ姿を初め、この年の出来事を一冊にまとめ、巻末を 「珍重 珍重」(めでたし めでたし) とまとめました。
1年ごとに一冊づつ15巻、それぞれを ”めでたし めでたし” と結ぶ信長15年間の天下取りのです。
信長様は奇想天外な発想で
人々を驚かせた…
”めでたし めでたし”
信長様はいつも好奇心に溢れ
茶の湯、南蛮渡来の新しい文化を
いち早く世に広めた…
”めでたし めでたし”
苦しい合戦の時、信長様はいつも先頭に立ち
家臣を大事にして下さった…
”めでたし めでたし”
牛一が取材と執筆に費やした時間は、20年以上に及びました。そして牛一は70代半ばに最終巻を書き始めます。
しかしそこには難問が待っていました…それは最後のまとめ方、この15巻だけはハッピーエンドにはなりません。
謀反人が明智光秀と
聞かれた信長様は
”是非に及ばず”
とのことであった
(『信長公記』より)
牛一は侍女に取材した本能寺の変の詳しい様子を書き記しました。次に書いたのは大混乱に陥る安土の人々の様子…
信長様ご切腹と聞くや
皆、家を捨て妻子だけを連れて
めいめい勝手に
安土から逃れていった
(『信長公記』より)
そしてこの次のページは、白紙…
信長公記はこれで終わり、”めでたし めでたし” もありません。
牛一は突然訪れた主君の死をありのままに書き、そこで筆をおくことを選んだのです。