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豊臣秀吉 必勝!手紙・メール術

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NHK 歴史秘話ヒストリアより
出した手紙は、代筆込みで一万通!・・戦国時代きっての筆まめ男、豊臣秀吉・・達人秀吉は、どのような手紙を書いたのか・・達人の手紙必勝術!

秀吉が手紙で成功を収めたヒケツ・・それは人を口説いて味方にしてしまう説得力にありました・・その力は敵方の武将まで口説き落としてしまうほど・・”あわただしくて口説く暇がない” そんな時、チョットずるい禁断の裏技を発揮・・そして読む方が唖然とするような手紙で全国の武将まで従わせてしまいます。

episode1 秀吉流”人の口説き方” 教えます
天正5(1577年)41歳 秀吉は織田信長から中国地方攻略の司令官に任命される・・強敵毛利氏が君臨する中国地方を手に入れる事は信長軍団の命運がかかった重大な任務です。

秀吉は播磨(兵庫県)を出来るだけ戦わず手に入れようとします・・秀吉が目を付けたのが播磨の武将、黒田官兵衛・・まず官兵衛を味方につけ播磨を説得させようと手紙を書きます。

ポイントは、相手が自分にとってどれほど大事な存在か言葉を尽くし励ましている点です。
「この国の運命は貴方の奔走に掛かっています」
「困難に挫けず、しっかり心がけて尽力してください」
「あなたの事は我が弟、小一郎 同然に心から信頼しています」
家族の名を挙げて具体的に信頼感を伝える殺し文句です・・誠実に言葉を重ね 信頼を具体的に示す・・これが秀吉流手紙術の基本です。

必殺の高等テクニック!
大きな字の本文の行間に追伸を書き込む・・
「この手紙は字が汚く読みにくいと思いますが推測しながら読んでください」
つまり直筆をアピールしたのです。

戦国時代に秀吉のような武将が手紙を出すときは、綺麗な書記(右筆)に書かせるのが普通・・わざわざ直筆で書くのは相手を特別扱いしていることを意味しています。

■大事な人の心を掴むには、誠意と信頼を直筆で示す事なんですね。

■この手紙に黒田官兵衛は感激・・播磨を秀吉の味方にする為に命がけで奔走し中国地方攻略に貢献します。

■そのご官兵衛は秀吉の軍師となって天下取りに大きく貢献する事になるのは皆さんもご存じのとおりです。

 

 

 

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NHK 歴史秘話ヒストリアより 私はこれで天下のハートをつかみました ~豊臣秀吉 必勝!手紙・メール術~ 2

Lesson2 禁断の裏技 「ウソも方便」

天正10(1582)年6月2日 明智光秀の謀反で織田信長死亡(本能寺の変)・・秀吉はただちに光秀攻撃に向かいます・・秀吉軍1万に対し光秀軍1万3千と秀吉がやや不利・・この時、どちらにつくべきか決めかねている1万の兵力があったんですね。

秀吉は、態度を決めかねている武将たちを光秀より早く味方につけなければいけません・・ここで禁断の裏技 「ウソも方便」です。

一例として中川清秀への手紙・・誠実さなどどこへやらウソとハッタリだらけです。
「上(信長)様は何事もなく切り抜けられた」
「そして膳所まで落ち伸びられた」
信長は無事、本能寺を脱出し琵琶湖沿いの港町 膳所まで逃げたと言うのです・・更に秀吉は、・・
「福平左は信長様を守って三度、相手を退け比類なき働きをした」

福平左とは信長の側近で武勇の誉れ高い福富平左衛門のこと・・実際は戦死した平左衛門が光秀軍を三度撃退した活躍をまるで見てきたのように書いています。

果たしてウソを信じていたかは定かではありませんが皆さんもご存じのとおり中川清秀は秀吉軍に加わり、他の武将も加わり2万を越えた秀吉軍は光秀を打ち破ります・・手紙で情報をコントロールしながら秀吉は天下人への道を歩み始めたんですね。

■具体的な人名、地名をあげることによって情報に信ぴょう性を与えています・・情報コントロールにたけた秀吉の才能が見えます。

■ポイント・・ウソを書くなら徹底して具体的に・・これが禁断の裏技なんですね。

 

 

 

 

 

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天正18(1590年)年 秀吉54歳


秀吉は天下統一の総仕上げ、小田原の北条氏攻撃に向かいます・・秀吉軍は3カ月にわたり小田原城を包囲、北条氏を降伏させて天下統一を成し遂げます。

その決め手は、20万人を超える大軍勢・・ここでも秀吉は、手紙で全国の大名を動員しています。
Lesson3 より大勢の人に協力してもらうための手紙とは?

北条氏打倒を宣言した文書を各地の大名に送っています。
まず秀吉は、北条氏を攻める正当性を連綿と訴えます。
「北条は理不尽にも豊臣政権をさげすみ関東で狼藉を働いている」
ところが手紙の後半では語り口が一変します。
「私は若い頃から一人で信長公に仕え始めました」
「わが身を山野に捨て骨身を海岸に砕くほど働き・・槍を片時も離さず夜は槍を枕に寝て夜明けとともに起きて戦で手柄を立ててきました」
なんと自分に自慢話・・この先も今の地位に昇りつめるまでを延々と記されています。

秀吉は敵を倒す理由だけでなく自らの正しさや魅力を並べる事で自分に従うよう全国の大名たちにアピールしているのです。

そして自己PRを締めくくるのは、このセリフ・・「私、秀吉の言葉に一言のウソもございません・・だからこそ私は天の定めた運命に叶う者なのです」・・”よくもそこまで” もう突っ込みようもありませんね。

■ポイント・・大勢の人に協力してもらうためには、恥ずかしがらず自分の正しさを堂々と書く事!

 

 

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