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戦国最強! 上杉謙信 天下取りの方程式を見つけろ

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NHK BS歴史館
上杉謙信 天下取りの方程式を見つけろ

戦国最強! 上杉謙信
勝率9割!? 驚異の戦略
戦国乱世の時代、京都の室町幕府が弱体化し、織田、今川、武田など各地の戦国大名が天下への野望をたぎらせていました。

その天下取りレースに越後の国から参戦したのが長尾景虎(後の上杉謙信)でした。

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謙信の本拠地、越後府中、現在の新潟県上越市です。ここは東西と南北の街道が交わる古くからの交通の要衝でした。

町の西にそびえる春日山、そこにある天下の要害・春日山城を拠点に謙信は、東へ、南へ、西へと出撃を繰り返したのです。


川中島の戦い

川中島は、春日山城から僅か80キロ、謙信にとっては防衛戦の意味合いが強い戦いだったのです。

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川中島の戦い」 結果
第一次 天文22年(1553)
第二次 弘治元年 引き分け
第三次 弘治3年 引き分け
第四次 永禄4年 引き分け
第五次 永禄7年 引き分け
…実は決着はついていないのです。

自ら先頭に立って軍団を動かした謙信、…
20代前半:越後国内 5戦 5勝0敗0分け
20代~30代:信濃 6戦 1勝0敗5分け
30代~40代:関東 43戦 38勝2敗3分け
40代~:北陸 17戦 17勝0敗0分け
…生涯の全成績は、61勝2敗8分け…その圧倒的な武力で謙信は戦国の覇者として突き進みました。

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歴史家・作家 加来耕三
「すごく強い…それとこれだけ動きまわっている武将は他にはいません。領土が拡大してからは織田信長はもっと広範囲に動いていますが…越後を中心にその都度戻って戦うと言うならば、これだけのスピードで戦うのは不可能に近いと思いますね。」


戦国最強! 上杉謙信
天下取りへの秘策

永禄2(1559)年 謙信上洛、当時混乱の極みにあった京都、室町幕府の権威は地に落ち、将軍・足利義輝も有力武将の意のまま度々都を追われます。

将軍や朝廷など力を失ったかつての権威に各地の戦国大名は見向きもしなくなりましたが、謙信は違いました。…そこに天下取りへの近道があると考えたのです。


謙信天下取り方程式
①京の権威を利用せよ!
京の権威と結び付き天下を目指した謙信、その企みをまざまざと写し出す、驚きの文書が残っていました。

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国宝に指定された文書、貴族のトップに立つ関白、近衛前嗣が謙信と交わした約束が書かれています。

この紙は元々神社のお札です…このお札の裏に関白は謙信と交わした約束を自らの血を使って書きました。…神に誓って嘘はつかないという強い覚悟が込められています。

そこには、衝撃の言葉が… ”密事” …「密事は他言しません」 これは二人だけの約束で誰にも言わないと誓いあっているのです。しかし、その密事が何を指しているのか、具体的な内容はまったく書かれていません。

日付は永禄2(1559)年、第三回川中島の戦いの2年後、つまり武田の脅威が続いていた時期、…謙信が危険を顧みず上洛したのは、…「私のために早く京都に来てほしい」 という13代将軍・義輝からの直々の手紙でした。

しかし回りの邪魔が入って中々将軍と会う事が出来ません…2か月が過ぎた頃、突然謙信を訪ねた人物こそ時の関白・近衛前嗣でした…将軍・義輝の従兄でした。

「都の混乱を収められるのは、この男しかいない」 と近衛は謙信の武力を期待をかけました。…そして 『密事』 血染めの誓いが交わされたのです。

永禄2(1559)年6月26日、血書を交わして5日後、謙信の元へ書状が届きます…差出人は、将軍・足利義輝

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そこに書かれていたのは、「関東管領、上杉五郎の進退は、景虎の意見に任せる」 …関東管領とは、室町幕府の中枢を担う役職で関東の警察権、行政権を握っています。

上杉五郎憲政なる人物は、当時の関東管領…その頃、危機に陥った領地を捨てて謙信の元に身を寄せていました。…「彼に代わって謙信が関東管領になってもいい」 と将軍はこの書状で正式に認めたのです。

そしてついに謙信は天下取りへの道を歩き始めます。

永禄4(1561)年、大軍を引き連れ関東に出陣、関東管領に就任するためその儀式を行う、鎌倉・鶴岡八幡宮に軍勢を進めました。

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それは危険な賭けでした…武田、北条といったライバルが待ち受ける敵地のど真ん中に乗り込むのです。

しかし関東の武士が謙信の見方になるべく謙信の元に終結したのです。…実は、事前に周辺諸国関東管領就任を宣伝しており、情報戦は万全の状態での出陣だったのです。

集まった軍勢は10万以上、大軍に守られて謙信は悠々と鎌倉・鶴岡八幡宮に足を踏み入れました。

永禄4(1561)年閏3月、ついに念願の関東管領の座に就きます。…越後という一国の大名から関東の盟主へ、一気に天下に近づきました。

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歴史家・作家 加来耕三
「… 鎌倉を押さえながら謙信は、京都を知っているのです。京都にこだわった武将は、信長と謙信だけです。

戦国武将に 『どうしたら天下が取れますか』 と質問したら殆どの武将は領地を拡大してやがては京都にたどり着くと答えたと思います。

ところが謙信と信長は違います… ”京都に旗を立てればそれで天下が取れる” しています。…しかし他の武将たちは、旗を立てても他の大名が旗を倒したら終わりじゃないかと思うんです。

信長や謙信が違うのは、旗を立てる事によって、さんざん戦国の時代に嫌気をさしている人たちは太平を求めています。…そして 「あの人なら何とかしてくれるかもしれないと」 旗を立てた人に気持ちがゆくわけです。

それを信長と謙信は知っていたのです。…」


天下が見えた!
上杉謙信 最終決戦

仏を守護する戦いの神、毘沙門天を厚く信仰した義の武将・上杉謙信、ついに天下取り、最終決戦へ動きます。

天正5(1577)年 上杉軍は大挙して西へ…
・ライバル信玄は既になく
・越後の一向一揆に影響力のある本願寺とも和解が成立
…もはや謙信を躊躇させるものはありませんでした。

謙信の進軍を知った織田信長は、その動きをけん制すべく、安土城から号令をかけ、5万の大軍を北陸に差し向けます。

信長 VS. 謙信、戦国最強を賭けた戦いは、加賀の国、手取川…ここを突破すれば京都は目前です。

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織田軍は手取川を渡ったところに陣を構えました…これまで数々の戦いを制してきた、最強の鉄砲隊で最前線を固めます。

しかし謙信には秘策がありました… ”鉄砲隊は雨と夜に弱い” 謙信は豪雨の夜をあえて狙って戦いを仕掛けました。

「まさかこんな悪条件で攻めてくるとは」…意表を突かれ慌てふためく織田軍、すぐさま鉄砲で反撃しようとしますが火縄はずぶ濡れ、全く使い物になりません。

織田軍、一気に総崩れとなり退却、しかし背後の手取川は豪雨で濁流と変わっていました。…織田軍記録的大敗、謙信の完勝でした。

この時の気持ちを謙信は、こう綴っています。

「織田軍、案外弱し」
「この分なら天下を取るのは簡単だ」

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あと一押しで天下が手に入る…天下取りの方程式はついに最終段階に入りました。

天正6(1578)年3月15日、最後の出陣予定日を待つばかり、ところが…出陣予定日の2日前、謙信は病に倒れ、帰らぬ人となります。

上杉謙信 死去(享年49)

突然の死でした…最後の最後で幻と消えた謙信の天下取り構想、当面の敵、織田軍は手取川の戦いで敗走、京都はまさに目前でした。

 

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司会 渡辺真理
「劇的といえば、ここまで劇的な生涯はないというくらい勝ち進んだ上、あの織田軍に圧勝です…織田軍が歴史的な大敗をした後に急死…謙信が生きていれば…歴史にもしは無いのですが、天下に近づいていたのでしょうか?」

静岡大学名誉教授 小和田哲男
「… そうですね謙信があそこで病気で亡くならなければ、信長ともう一度大きな戦いをやって…この時点では石山本願寺を味方にしていますから、当然勝てたと思います。

そうするとその後の日本の歴史の流れがずいぶん違ってきます。…秀吉、家康も出てこない、どういう仕組みになるか想像がつかないような事態になるでしょうね。

織田がつき
羽柴がこねし天下餅
座りしままに食うは徳川

という有名な句がありますが…おそらく餅になる原料の米を拭かしたのは謙信で、信長がついた後、秀吉、家康につないでいったわけです。

謙信の果たした役割は、もう一度、見直す価値はあると思いますね。…」


司会 渡辺真理
歴史家・作家 加来耕三
静岡大学名誉教授 小和田哲男
早稲田大学大学院教授 北川正恭