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華岡青洲 妻の悲劇を超えて乳がん手術への道

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NHK 歴史秘話ヒストリア
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妻の悲劇を超えて乳がん手術への道

評判の名医に診てもらいたい!・・その気持ちは江戸時代も同じ、上記写真は、江戸時代の医師番付、大阪で出されたお医者さんの人気ランキングです。

トップに君臨するのは西洋医学の権威、緒方洪庵・・並ぶのは花岡準平・・華岡流と呼ばれる流派の医者で伝統的な漢方医学を得意としていました。

この華岡流と適塾は大阪でご近所同士、手法の違いから対立する事も多くとても仲が悪かったようです・・しかしこの華岡流も適塾と匹敵するほどの医療革命を成し遂げていました。

華岡流の創始者華岡青洲が愛する妻とともに挑んだ世界初の方法による乳癌治療プロジェクトです。

宝暦10(1760)年に今の和歌山県紀の川市にて華岡青洲 誕生
天明5 (1785)年に26歳で村医者だった父の跡を継ぎます・・下記写真は華岡家に伝わる植物標本です・・地元で取れる薬草などを使って治療を行う腕のいい医者だったといわれます。

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寛政4(1792)年 33歳の時、青洲を不幸が襲います。妹、於勝が乳がんで死んでしまいます・・当時乳がんはかかったら手の施しようのない不治の病でした。

青洲は乳がんの治療法の糸口を西洋の医学書の中に懸命に求めました・・やがて乳癌の原因が悪性の腫瘍であり、乳房を切り開いてこれを取除けば治療できると知ります。

しかし癌摘出という大手術を行うには痛みを抑える全身麻酔が必要でした・・当時、西洋でも全身麻酔は実現していませんでした・・そんな時、青洲が目を付けたのが可憐な白い花、マンダラゲでした。

マンダラゲは18世紀に日本に持ち込まれた外来種で強力な毒を持っています・・しかし微量であれば鎮痛作用があり漢方薬の原料に用いられていました。

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そして青洲は、マンダラゲを他の薬草と組合わせ全身麻酔薬を作ろうと試みます・・6種類の薬草(トリカブト・トウキ・ビャクシ・センキュウ・テンナンショウ・マンダラゲ)を組合わせて試薬を完成・・まず犬の全身麻酔に成功します。

後は人間への効果を試すのみでした・・青洲は自分の身体で実験をしたのです。少しづづ薬の濃度を高め効果を確かめる過酷な実験・・身体のあちこちが麻痺し蝕まれて行きました。

それでもなお実験を続けようとする青洲、見かねてこれを止めたのが妻の加恵と母でした・・加恵と母は、青洲の代わりに自分が薬を飲むと申し出たのです・・繰り返される実験のさなか妻の身体にも異変が現れます。

薬の副作用で視神経が侵されていったのです・・そして加恵は視力を失ってしまいました・・妻の失明という大きな代償を払い麻酔薬は完成します。・・薬の開発を始めてから10年以上が経っていました。

文化元(1804)年9月 青洲45歳の時、最初の患者が現れます。勘という60歳の女性でした・・末期の乳がんを患い医者達から見放されていました。

文化元(1804)年10月13日早朝、史上初めての全身麻酔による癌摘出手術が始まりました。麻酔薬を服用させると勘は気を失いました・・実験通りの効果です。そして腫瘍の摘出に入ります・・青洲にとって何もかも手探りの手術でした。

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上記写真は、華岡家に伝わる手術道具です。
この手術は弟子により詳細な記録が残されています。乳房の上部を切開して腫瘍をとりだす事に成功しています・・腫瘍は大人の拳ほどもある巨大なものでした。

傷口を糸で縫い合わせ手術は終了、あとは麻酔から覚めるかどうかです・・手術後、眠り続ける勘、麻酔薬の服用から10時間が過ぎようとした頃、勘の眼がついに開きました。青洲と妻の悲願だった全身麻酔手術の成功です・・西洋における全身麻酔の実現より40年以上も早いものでした。

この手術の後、評判は広がり青洲の下には乳癌に苦しむ女性達が次々と訪れるようになります・・北は青森、南は福岡まで143人もの女性に乳癌の手術が行われ多くの命が救われたのです。

その後も和歌山で人々の治療を続けたのです。
天保6(1835)年 和歌山県紀の川市にて華岡青洲 享年76