旅cafe

旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。…当ブログ記事は転載OK…リンクを貼っていただけるなら遠慮なくお好きにお使いください。

新規プロジェクト必勝法 杉田玄白

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NHK 先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)
新規プロジェクト必勝法 杉田玄白

杉田玄白といえば『解体新書』 …人体の構造を日本で初めて詳しく紹介し、医学界に革命を起こした江戸のベストセラーです。

医者だった玄白は、オランダの医学書、ターヘルアナトミアを読み、日本の医学を進歩させるためこれを翻訳し、広めるしかないと決意します。

しかしその道は苦難だらけ、玄白の前に立ちはだかった最大の壁は、実は解体新書を無事出版する事でした。…当時日本の医学は、中国伝来の漢方学が主流です。西洋医学の翻訳本を出しても世の人々に拒絶される恐れがありました。

時代状況も逆風でした。…江戸時代幕府はキリスト教を禁止し、西洋文明が広がる事に神経をとがらせていました。…その為、解体新書を無事、出版できる保証はどこにもありませんでした。

そこで玄白はプロジェクトを成功させるため・・・
1.卓越した広告戦略
2.巧みな表現法
3.用意周到な根回し
など考えられるあらゆる手立てを繰り出し、ついに苦難を乗り越えて行くのです。


出版に向け
知恵その一 「チラ見せ」で拒絶反応を和らげろ

翻訳開始から一年半あまり、その頃には大筋の翻訳は完成していました。…しかし、玄白には心配事がありました。

それは、世の中の反応です。西洋医学になじみの薄い人たちには、解体新書が受け入れられない可能性が高かったのです。

そこで玄白は一計を案じます。…解体新書を出版する前にあるものを作りました。

それが 『解体約図』 です。…5枚1セットで出された簡略な人体図です。…解体新書と違い、説明は最小限に抑え、体の全体像が一目でわかるような表現に徹しています。

玄白は、解体約図の役割をこう記しています。…「やがてその新書を見る人のため、内臓(ぞうふ)、血管(みゃくらく)、骨格(こっせつ)の全景を図ししておいてその大略をしっていただこうと思ったのです。

玄白が狙ったのは 「ちら見せ」 効果…チラシを出すことで世の中の反応を事前リサーチすると同時に人々に解体新書の興味心を抱かせようとしたのです。

解体約図の影響は絶大でした。現在の一関の漢方医建部清庵は解体約図を見た感想をこう記しています。…「約図を拝見しまして私は思わず狂呼いたしました。口は開いたまま合わず、舌は上がったまま下がらず。見開いた老いの目には感涙の涙が溢れるばかりでございました」(『和蘭医事問答』より)

 

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出版に向け
知恵その二 表現には最新の注意を払え!

慶長18(1613)年、幕府は禁教令を発布し、キリスト教を禁止、こうした時代背景もあって当時は西洋の書物を大っぴらに翻訳、出版出来る状況ではありませんでした。

実は玄白が翻訳を始める6年前、オランダ人からの聞き書きをまとめた『紅毛談』(おらんだばなし)が発禁処分となる事件もおきていました。…理由は本にアルファベットが含まれている事、たったそれだけでした。

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玄白はこの危機をかいくぐるため、解体新書の表現に徹底的に注意を払って行きます。…キリスト教のシンボル、十字マークを写真左で表現したり、解体新書を翻訳する際に幕府に目を付けられる可能性の高い、キリスト教を連想させる表現を全て別の表現に改めたのです。

アルファベットは全てカナ文字に、アラビア数字も全て漢数字に…それは本文にも及びます。ターヘルアナトミアではのど仏は、Adamsappelと書かれています。これは旧約聖書を元に付けられた名称です。

清書がらみのこの表現、玄白は『結喉』と書き変えました。…玄白はキリスト教を連想させる表現が解体新書に残らないよう徹底的に心をくだいたのです。


出版に向け
知恵その三 押さえる所を事前に抑えよ!

出版に向け、準備を整えてきた玄白、ここで最後の知恵を繰り出します。…その秘策とは、何と出版前の解体新書を幕府に献上するという大胆なものでした。

幕府にお墨付きをもらう事で難癖が出るのを避けようという狙いがありました。…玄白は将軍に仕える友人の医師に仲介を依頼、見事解体新書の献上に成功します。つまり将軍が目を通した可能性もあるのです。

献上先は幕府だけにとどまりません…玄白は朝廷の実力者である、関白の九条家近衛家にも解体新書を献上しました。

その結果、幕府から解体新書の出版について何の注意も受けませんでした…公家に至ってはわざわざ和歌や漢詩を送られるほどの好感触。

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これでもう大丈夫、数々の知恵と工夫を積み重ね、ついに玄白は解体新書の初版を出版したのです。…安永3(1774)年の事でした。