旅cafe

旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。

伊勢神宮 日本の始まりへの旅…式年遷宮を知る

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NHK 歴史秘話ヒストリア
伊勢神宮 日本の始まりへの旅…式年遷宮を知る

10月の式年遷宮をひかえ、日本人なら一度は行ってみたい伊勢神宮
その知られざるへご案内します。

伊勢神宮からほど近い二見浦、ここに伊勢のシンボル夫婦岩があります。海から突き出た大小の岩にしめ縄が渡され鳥居の役目を果たしています。

その鳥居の先に見えるのは日の出、夏至の朝には富士山と重なるように、太陽を拝む事ができます。ここには太陽を神として崇める古代の信仰が息づいており、伊勢神宮と深いかかわりを持っています。

日本書紀によると伊勢神宮の始まりは、大和政権が太陽の神=天照大神を祭ったことにあるといいます。


episode1
伊勢神宮
誕生の謎に迫る旅

伊勢神宮の敷地は、甲子園球場の1400倍という広大なもの、清らかな川と深い森、そして柔らかな山並み、それ全てが神宮の聖域です。…中でもとりわけ重要とされているのが内宮といわれる場所です。

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大鳥居からアマテラスを祭る正殿までおよそ1キロ、小さなお社を参拝しつつ進んで行きます。

五十鈴川:境内を流れるのは、古来より清流として和歌にも多く歌われてきた五十鈴川、参拝も前に川の流れで手を清めるのが、古よりのならわしです。

滝祭神:川の畔の社、五十鈴川の神を祀ったもの社殿はなく、石を神として祭る太古の信仰の形を残しています。

子安神社:子宝の神様、赤ちゃんへの願いを込めて小さな鳥居が奉納されています。

外幣殿:古い宝物などを収める倉、今年の式年遷宮に備え、新しく建て替えられたばかりです。

巨木:杉、楠木などの樹齢500年を超える大木がそびえ、厳かな気持ちにいざなってくれます。

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この階段の上が天照大神を祀る聖域中の聖域、カメラの撮影はここまでです。お参りはこの階段の上でできます。

伊勢神宮の正殿に祀られる、天照大神は天上から全てを照らす太陽の神様です。神話によれば、遥か昔、今の奈良盆地にいた天照大神はより、いごごちの良い場所を求めて旅に出たといいます。

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案内役を務めたのは、猿田彦という伊勢の神様、天照大神は海から朝日が上り、豊かな海の幸に恵まれた伊勢を大いに気に入り、ここに住まうことに決めたのです。

天照大神の住まいとして建てられた伊勢神宮、社は幾重にも垣根に囲まれ、参拝者の目にさらされる事のない聖域となっています。

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天照大神を参拝してお伊勢参りを終えたと思ってはいけません。…天照大神が祭られているのは内宮、そこから5キロ離れた所にもう一つの御本宮・外宮があります。

江戸時代の旅日記には、「外宮を参拝してから内宮に向う」 とあります。つまり両方参拝して、お伊勢参り伊勢神宮を参拝した事になるのです。(外宮から先に参拝といわれています)

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外宮の正殿に祀られているのは、豊受大神(とようけのおおみかみ)です。…実は、豊受大神には大切な仕事があります。…外宮には御饌殿(みけでん)があり、ここは天照大神が食事をする場所、食堂です。

外宮では、1年365日、昔ながらのやり方で聖なる火を起こし、食事が作られています。

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そして朝夕2回、御饌殿に運ばれ、内宮から食事に訪れる、アマテラスに奉られるのです。つまり天照大神の食事をお世話するのが外宮の豊受大神なのです。

4世紀に奈良盆地で勃興した大和政権は、次第に東へと進出、伊勢を勢力下に治めます。この時、自らの神・天照大神を祭る内宮を作りますが、伊勢の豪族たちの神様も滅ぼす事無く、外宮に祭り、食事を作るという役割を与える事によって神々の共存を目指したのです。

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伊勢神宮では地元で信仰されてきた
様々な神様にも役割が与えられています

御塩殿:塩を捧げる神様、毎年、春秋の2回、太古からの製法で塩が作られ奉納されます。

神服織機殿神社:大陸から織物技術を伝えた神様を祭っています。古代から変わらぬ手織りの技で絹が織られます。

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こうした小さなものも含め、社は125を数えます。伊勢神宮とはこれら全てを含んだ総称なのです。

日本最古の社の一つ、伊勢神宮、それは天照大神を中心に多くの神々が家族のように共存する日本ならではの信仰を感じる事ができる聖地なのです。


episode2
古代シンプルビューティー誕生秘話

杜の中に静かにたたずむ伊勢神宮の社殿、光を浴びると古代の息吹を感じさせます。…茅葺屋根に白木のままのシンプルな作り、日本人だけでなく、欧米の人々の心も鷲づかみにしました。

写真

世界的な建築家、ブルーノ・タウト(1880-1938)は、こう讃えています。

一切は清純であり
限りなく美しい
最大の単純の中に
最大の芸術がある
(『ブルーノ・タウトの言葉』より)

673年、飛鳥浄御原宮大海人皇子(おおあまのみこ)と呼ばれた男が即位し、天武天皇となります。その即位の背景には、古代日本の大きな危機がありました。

663年、即位から遡る事10年、日本は友好関係にあった朝鮮半島百済を助けようと1000漕の水軍を出し、唐と戦いました。白村江の戦いです。

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唐が朝鮮半島を制圧すれば、次は日本に上陸する恐れがあったからです。しかし日本軍は、圧倒的な唐の武力の前に大敗を喫し、百済は滅亡してしまいます。

大海人皇子は、唐の脅威に晒されながらも、国の在り方を変えようとしない朝廷を自分が変えるしかないと考えます。

672年、都から離れた吉野の地で兵を上げました。壬申の乱です。しかし最初は妻の菟野皇女(うののひめみこ)を含め仲間は僅か30人あまり、兵を募りながら都へ進みました。

しかし、行く先々で支援を断られ、暗雲が立ち込めます。…「一人も来なかった」(『日本書紀』より)

伊勢にたどり着いたある日、思いがけない事が起こります。…「川で沐浴していたところ、突然雲の切れ間から眩い光が差し、太陽神・天照大神が姿を現しました」(『日本書紀』より)

自らを天照大神の子孫であると信じていた大海人皇子は、神を拝み勝利を祈りました。…この日を境に賛同者が急速に増え、大海人皇子は一気に都へと攻めのぼり、天武天皇として即位したのです。

天武天皇は早速、妻・後の持統天皇とともに唐の文化に依存しない新たな国造りを進めます。日本の正式な歴書が無かったため、日本書紀の編纂を開始、日本古来の文化にも目を向け、各地の歌や踊りを子孫に伝えるよう指令を出しました。

更に二人は、大陸とは違う日本人の心の支柱を打ち立てたいと考えます。その時、注目したのが米でした。…清らかな水と眩い太陽がはぐぐむ米、弥生時代それまでの狩猟採集の暮らしを根底から変え、豊かな恵みをもたらした米は、奇跡の食べ物でした。

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更に神話では、米は天照大神高天原で育てた稲を孫に託し、地上に伝えたのが始まりとされます。…「太陽の神であり、米の神でもある天照大神こそ人々の祈りにふさわしい」、そう考えたのです。

二人は、弥生時代の倉をベースに米の神である天照大神の神殿をデザインします。高床式倉庫にアマテラスの神殿としての威厳を生み出すため、宮殿の要素を加えました。

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こうして素朴なたくましさの中に威厳を備えた日本独自の神殿が完成したのです。

伊勢神宮の完成と同じ頃、天武天皇天照大神を祭る祭司を行い、自分がその子孫である事を人々に知らしめたのです。

建築家・著述家(古代建築) 武澤秀一さん
「神と血脈がつながっている一族が天皇である…神と人間がここでつながったのです。…その時に太陽神であり、稲魂を持っている神として天照大神を皇祖神として打ち立てて、神話を実体化するために伊勢神宮が存在するのです」

ちょうどこの時代、倭に代わり、日本という国号が使われるようになったのです。…伊勢神宮は新しい国家、瑞穂の国、日本の象徴として造られたものだったのです。


episode3
式年遷宮はこうして生まれた
持統天皇 悲願の物語

今年10月、伊勢神宮では、20年に1度の式年遷宮が行われます。天照大神を祭る正殿、そのすぐ横で新しい正殿の建設が行われました。

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この秋、左側に神様が引っ越します。式年遷宮では、隣り合った敷地に20年ごとにそっくりそのままの社殿を立て替えます。1300年間繰り返されてきた、世界に類のない伝承システムです。

686年、天武天皇 崩御。…この時、妻・菟野皇女は42歳、…13年間ともに国造りに取り組んだ夫を失います。

天武天皇の死後まもなく後継者争いが勃発します。7人いた有力後継者の一人、大津皇子が謀反の疑いで死に追い込まれます。

更に後継者の第一と目されていた草壁皇子が即位をまたず28歳で急逝、夫と共に進めてきた国造りはまだ道半ば、…このまま混乱に陥れば全てが失われてしまうかもしれない。

690年、46歳の菟野皇女は意を決して自ら即位、持統天皇となります。この時、持統天皇天照大神より授かったとされる剣と鏡を受け継ぐ儀式を行います。…自分こそが稲の神・天照大神を継ぐものである事を人々の胸に刻んだのです。

即位して間もなく持統天皇は、勅(みことのり)を発します。…それは伊勢神宮遷宮、神の宮を立て替え、新しい社でお祭りをするというのです。

京都大学名誉教授 上田正昭さん
「日本の神様は、お祭りをしないと御神徳は衰えていくという信仰があります。伊勢神宮はまさにそれで、永遠に若々しくあって欲しいという常若の信仰が遷宮の根底にあるのです」

この時から式年遷宮、つまり、定期的に宮を立て替え、常に宮を若々しく保つ仕組みが始まったのです。

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古い社の隣に全く同じ新しい建物を建てる方法で式年遷宮は行われたのです。樹齢数百年の木材が膨大な数用意され、大勢の匠達が腕を振るったのです。

610年10月、第一回式年遷宮が行われました。深い森が闇に包まれる夜、新しい社殿へと天照大神御神体が移されます。各地から最高の宝物が捧げられ、国の繁栄が祈願されました。こうして持統天皇は初めての式年遷宮を無事終える事ができたのです。

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702年 持統天皇 崩御、58年の生涯でした。

この時、持統天皇は驚くべき遺言を残しています。…自らを火葬にふす事、天皇の火葬は歴史上はじめての事でした。

持統天皇が望んだ火葬、それはその魂が天照大神がいる天上界に上った事を人々に強く印象付けたのです。


1300年続いてきた
式年遷宮によせる人々の思い

62回目の式年遷宮にむけて伊勢では準備が進んでいます。海女たちがとるアワビは神への最高の捧げ物、…伊勢神宮が持つ山の一面に生えている萱は、社殿の屋根を葺くためのもの。…その萱を刈るのは志摩の海女さんたち、海で働く女の秋の仕事です。

御木曳行事:正殿の柱に使われるヒノキの御神木は、木曽で切りだされ、延べ20万人もの手を経て伊勢に運び込まれました。

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式年遷宮には、檜の良木が1万本必要です。今、伊勢神宮の広大な森では、200年後を見越した植樹が進んでいます。

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森の中の木々には、所々白い印が施されています。2重丸は200歳になるまで切らずに大きく育てる木のしるしです。

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これらの檜が遥かな未来、伊勢神宮の社となるのです。

日本の始まりの記憶を伝える伊勢神宮、今年10月、1300年の歴史を受け継ぎできた式年遷宮は、また次の20年へとその思いをつないでゆきます。