NHK 先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)
新規プロジェクト必勝法 僧・重源による 東大寺 奇跡の復活劇
平安時代の末、源平合戦の煽りを受けて炎に包まれた東大寺、大仏殿は全焼、大仏自体も大きく解け崩れてしまいました。
この時、東大寺の復興を懸け、一人の人物が経ちあがります。…プロジェクト運営日本一と称された僧・重源(ちょうげん)です。…復興には想像を絶する難題が次々と立ちはだかりました。
1.大仏を鋳造するための大量の銅や金
2.大仏殿に必要な100本以上の巨大な木材
総工費は現代に換算して100億円以上と予想される中、最初に与えられた資金は、ゼロでした。…重源は知恵を絞って一手一手を積み重ねて行きます。
知恵その一
奇抜な広報で世間を巻き込め
資金獲得獲得に向けては人々から寄付を募る、勧進を全国展開、民衆にも分かりやすい宣伝カーを6台用意、50余りの僧をチーム分けし、都から伸びる街道6方向へ走らせます。これにより、勧進を全国展開したのです。
そして世に勧進ブームが巻き起こります…順調に寄付が集まりだし、それに目を付けたのが源頼朝です。東大寺の再建に協力する事は、民衆の間に名声を高める大きなチャンス、鎌倉幕府を開く準備をしていた頼朝は、重源に手紙をしたためます。
「大仏を灰にした平家の悪行は、この世のものとは思えない、東大寺を元通りに修復し、平和への祈りを捧げよう」
そして頼朝は重源に、米1万石、砂金千両、絹千疋という破格の復興援助を送ったのです。重源が巧みな広報戦略でムーブメントを巻き起こし、ついに武家のトップを動かしたのです。
知恵その二
積極果敢に人を動かせ
更に中国人技術者をスカウトし、技術チームのトップに抜擢、人材起用の妙によって技術課題も克服します。
こうして重源の知恵によって大仏鋳造には目処がつきました。15年の長きに渡った東大寺の復興プロジェクト、重源はいよいよ最大の難関である大仏殿の再建に取り掛かることになります。
東京大学史料編纂所教授 本郷和人
「大仏の再建が20億円、大仏殿は80億円ぐらいになります…大仏殿を作る方が大変だったと思いますよ」
知恵その三
働き手の心をつかめ
資金と技術者を揃え、大仏再建の目処をつけた重源、残る難関は大仏殿に使う大量の木材の調達でした。中でも大仏殿を支える柱には、直径1.5メートル、高さ30メートルという巨大な木が何十本も必要でした。
重源は巨木を求め、吉野、伊勢神宮の山林など近畿一円を自ら訪ね歩きます。しかし、いずれも木の大きさ、運搬径路など条件は整いませんでした。
重源は近畿を飛び出し、最終的にたどり着いたのは、周防国(山口県)でした。しかし、当時周防の国は源平合戦によって荒廃、民は飢餓に苦しんでおり、木を切り出す余裕はありませんでした。
そこで重源は一計を案じます。全国の勧進で集めた米を運びこみ、巨木を1本に見つけたものには米1石を与えると、懸賞金ならぬ懸賞米を考案したのです。…人々は、重源の配慮に感謝し、次々に事業への協力を申し出ました。
(『周防阿弥陀時縁起絵巻』)
こうして周防の山々から切り出された杉やヒノキの巨木は130本を数えました。川を下り、瀬戸内海を通って奈良まで続く500キロの大移動を成し遂げたのです。…そして…
建久6(1195)年、ついに東大寺大仏殿の落慶供養にこぎつけます。資金・技術・材料、…何もかもない中で始まった巨大建築の復興、…日本史上でも類を見ないこの難題を重源は見事成し遂げたのです。