旅cafe

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美しく悲しい女の戦い ~王妃たちの朝鮮王朝~

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NHK BS歴史館
美しく悲しい女の戦い ~王妃たちの朝鮮王朝~

朝鮮王朝、1392年、李成桂(イ ソンゲ)により建国…その支配期間が実に519年、日本の江戸幕府のほぼ2倍に相当します。

延べ27人の王と44人の王妃が登場し中世以降アジアで最も長い間、栄華を極めた王朝です…韓流ドラマで描かれているのは朝鮮王朝で実際に繰り広げられた権力闘争元にしたもの…その中心で男たち顔負けの政争に明け暮れたのはなんと王妃たちでした。

チョンスンワンフキム氏:僅か14歳で51歳も年の離れた王に嫁ぎ政治権力に翻弄された王妃
ペビユン氏:王から愛されることを願い、嫉妬に狂い、死を命じられた王妃
ヒビンチャン氏:貧しい身分から王妃まで上り詰め朝鮮王朝最大の悪女と言われるようになった王妃
…美しくも悲しい戦い。

その裏には、男たちの熾烈な権力争いとそれを巧みに操りながら長期政権を維持した王たちのしたたかな戦略がありました。

519年という長い朝鮮王朝の歴史、ドラマの舞踏として華やかに描かれる朝鮮王朝は、実際どんな場所だったのでしょうか…政治、宮殿、宮女、3つの角度から解説します。

1.政治
朝鮮王朝は、王をトップとした君主制…王の元で政治を行っていたのは、両班(ヤンバン)と呼ばれた高級官僚たち、ヤンバンとは、官僚になるための国家試験、科挙(かきょ)に合格したエリート中のエリート。

彼らは派閥を組んで熾烈な権力闘争を繰り広げました…派閥が少しでも多くの主要なポストを獲得して政治の主導権を握るには王に肩入れしてもらうのが重要、その最も有効な方法の一つが派閥から王のお気に入りの女性を排出する事だったのです。

2.宮殿
景福宮キョンボックン)は、初代の王、李成桂(イ ソンゲ)によって1395年に建てられました…正門である光化門(グアンファムン)から勤政殿(クンジョンジュン)までの手前のゾーンは男の世界…即位の儀式など大事な国家行事が行われた王宮の中心です。

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王宮の後ろ半分が王と女たちの世界、王は夜な夜な王妃の寝室に通います…王と王妃は別々の部屋で暮らしていたのです。

宮殿で暮らす女性は、王妃だけではありません更に奥のゾーンには側室たちの寝室、そして世話係の女官たちが生活した建物がびっしりと立ち並んでいました。

3.宮女
王妃の下にいる側室や女官など宮中の女性を内命婦(ネミョンブ)と言います…その数500人以上、実は彼女たち誰もが皆、王に認められると王妃の座を勝ち取れるチャンスを持っていたのです。

王妃の下には、7段階に階級分けされた側室、王の寵愛を獲得して、いかにこの出世の階段を上り詰めるか…政争と王の愛との狭間で女たちは、その美貌と知力の限りを使って戦っていたのです。


女たちの戦い!
朝鮮王朝の歴史

放送大学副学長 吉田光
「朝鮮王朝が始まった1392年というのは、日本で南北朝が統一された頃です…王朝が最終的に日本の植民地になり、王朝が無くなったのが1910…とてつもなく長い政権なのです…隣の中国との緊張関係をうまく乗り越えてきた外交の妙に特徴があると考えます」

茨城大学准教授 磯田道史
「朝鮮王朝で500年以上の王朝を維持するのは想像を絶する大変さなのです…日本にはないファクターをかかえているのです…巨大な中国の王朝と地続きで接しているというこの条件なのです」

「日本の場合は楽です…日本海と朝鮮があるから…しかし、逆に中国というファクターをうまく使ったのが朝鮮王朝です」

放送大学副学長 吉田光
「例えば、豊臣秀吉軍が朝鮮出兵をします…朝鮮国王は、明に援軍を要請します…明は大軍を出してきます。明の皇帝は、朝鮮国王に対しては君主の立場にあるわけですから当然、朝鮮が侵略されたら助けます」

「つまり朝鮮は、自前の軍事力を必要としなたった…軍事予算を使わなくてよかった…安いコストで平和を維持できたのです」

女優 黒田福美
「当時の女性の一番大切な役目は、後継ぎを生むことです…そのためには王様に選ばれること、そのために美貌を磨く、健康である、いま韓国の美容、ファッションがもてはやされていますが成形などもこだわりなく、綺麗ならいいじゃないという価値観、美に対するこだわりは、この500年間の選ばれることによって自分が力を持てるという事が現代の韓国女性のDNAに刻まれているのではないかと思います」


徳川幕府までの日本と朝鮮王朝の違い

日本は、譜代世襲の家来なのです…何百年も君主と家来が一緒にいた社会です。…対して朝鮮王朝は、科挙(官僚採用試験)で上がってきた秀才たちをなんとか束ねているわけですから日本とは距離感が違うのです。

下記は科挙の合格証書です…試験は3年に1回あって合格者は、33人だけ…それが甲乙丙の3階級に分かれています。…つまり大秀才なのです。

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科挙の試験目指し、士族の子供たちが小さいときから勉強をして目指すのです…狭き門、大変厳しい受験なのです。

女優 黒田福美
「現代の韓国社会も熾烈な受験社会です…やっぱDNAの中にこういうものがあると思うのです」

茨城大学准教授 磯田道史
「確かに競争の伝統は日本よりあると思います…日本の思想は、武士、農民、職人、分をわきまえなさい、その中で頑張りなさいという事ですが…朝鮮王朝は競争でのし上がれる余地がかなりあるのです」

朝鮮王朝の歴史を考えると好き嫌いがあると思いますが知らずには通れません…隣にいるのですから大きな影響があります…この影響は避けて通れない道、韓国、朝鮮の歴史を理解するのは大切なことですね。