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コズミック・フロント~発見!驚異の大宇宙~「人類の夢を紡いだ宇宙船」

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NHK BSプレミアム
コズミック・フロント~発見!驚異の大宇宙~人類の夢を紡いだ宇宙船」

2011年7月8日、ケネディー宇宙センター(アメリカ・フロリダ)からスペースシャトルアトランティス号が飛び立ちました・・シャトルにとってこれが最後の打ち上げです。

NASAアメリカ航空宇宙局が総力を上げて建造した5機のスペースシャトル、1981年の初フライト以来、地上と宇宙を往復し続けてきたその歴史の最後の1ページです。

コロンビア(Columbia)、チャレンジャー(Challenger)、ディスカバリー(Discovery)、エンデバー(Endeavour)、アトランティス(Atlantis)は、30年にわたって世界の宇宙開発を牽引してきました・・日本人を含む355名の宇宙飛行士がシャトルとともに宇宙へ飛び続けてきました。

宇宙の神秘を見続けるハッブル宇宙望遠鏡シャトル計画、最大の功績の一つです・・小さな地球ともいわれる国際宇宙ステーションの建設はシャトル無しではあり得ませんでした。

しかし、その一方でスペースシャトルの歴史は苦難の記憶に満ちています・・開発過程で次々と立ちはだかる技術の壁・・史上初の再利用型宇宙線の開発には10年と言う歳月を要しました。

そして14名の宇宙飛行士と2機のシャトルを失った2度の悲劇、しかしスペースシャトルは試練を乗り越え飛び続けてきました・・それを支えたのは宇宙飛行士や技術者たちの強い思いでした・・今回の物語は、宇宙への強い憧れを乗せ夢を紡ぎ続けた30年間のスペースシャトルの軌跡です。


Front1 これがスペースシャトル

スペースシャトルそれは、人と荷物を積んで何度も地球と宇宙を往復できる飛行船です。
・全長56メートル
・総重量2030トン
世界最大の打ち上げロケットです。

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打ち上げの原動力になるのは、本体最後尾にある3基のメインエンジンとその両側にあるロケットブースターです。

 

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5基のエンジンの生み出すパワーは、3000トンを超えます・・打ち上げられたスペースシャトルは一気に上昇します・・しばらくして一旦、機体にかかる負担を小さくする為、スピードを抑え、その後再び加速します。

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およそ2分後、燃料を使い果たしたロケットブースターは切り離され海上に落下、回収され再利用されます・・その後、外部燃料タンクも分離、このタンクだけが使い捨てです。

スペースシャトルの背中には巨大な貨物室があり、20トン以上の荷物を運ぶ事が出来ます・・その貨物室には、様々な研究を行う研究室も付ける事ができるのです・・操縦室から直接操作できる大型ロボットアームも装備されています。

宇宙でのミッションを終えたシャトルは、スピードを落とし大気圏へ再突入します・・機体表面のおよそ3万枚の耐熱タイルが機体と乗員を守ります。

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大気圏再突入を果たしたシャトルは、両脇の翼でグライダーのように滑空し自力で飛行場に着陸します・・外部燃料タンク以外は再利用して何度でも宇宙に行ける飛行船、それがスペースシャトルです。

 

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Front2 苦難に満ちた開発の道のり

1960年代、アメリカは月を目指していました。ソビエトと繰り広げた有人月面着陸競争は、1969年7月20日アポロ11号の成功によりアメリカが勝利します。

しかし、この時期は泥沼化したベトナム戦争の時代でした。戦費の増大で宇宙開発予算は削減され、1970年アポロ計画の中止が決定・・しかし宇宙への夢を捨てきれないNASAは次の計画を準備していました。

宇宙ステーションの建設です・・その為には、人と機材を何度も地球周回軌道に何度も運ばなければなりません・・そこで地上と宇宙を低予算で往復できる宇宙線が開発される事になりました。

しかしどうしたら再利用が実現できるのかデザインの検討は難航します・・スペースシャトルの開発がスタートしたのは、最後の月面着陸が行われた1972年です。

11年にわたりシャトル開発マネージャーを努めたのがボブ・トンプソンさんです・・彼は、マーキュリー、ジェミニアポロ計画アメリカ有人飛行の全てに係ってきた人物です。

シャトル計画マネージャー ボブ・トンプソン
「アポロを実現できたのは、多段階式ロケットシステムだったからです。第1弾ロケットを噴射した後、大部分の重量を捨て第2段ロケットに点火して進み、それも捨てます・・まさに怒涛のように捨てるんです・・だからこそ1970年代には出来るだけ機体を捨てずに再利用する方法を見つけたいと強く思っていました」

ロケットが地球周回軌道に乗るには、最終的に秒速7.9キロというとてつもないスピードが必要です・・ですからロケットを次々捨て機体を軽くする事でそのスピードを実現していました。

しかし、スペースシャトルは機体を捨てる事ができません。そのためエンジンを軽量化する一方で飛躍的にパワーアップしなければいけませんでした。

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上記画像はスペースシャトルメインエンジンのSSME
軽量化とパワーアップ、矛盾した問題をクリアする為に開発チームが考え出したのが無謀とも思えるエンジンシステムでした。

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それはまずエンジン内部で燃料の液体水素を爆発させ、その勢いでタービンを高速回転させるというものです・・同時に酸化剤である液体酸素も勢いよく流し込みます・・その結果、大量の燃料が燃焼室で一気に反応、月に行ったアポロのエンジンの3倍、210気圧という想像を絶する高い圧力を生みだしたのです。

しかし、このシステムはエンジンに大きな負担をかけます・・実験の度に部品の亀裂やエンジンの爆発が起こりました・・トンプソン達は、数え切れないほどの失敗を積み重ねてきました。

シャトル計画マネージャー ボブ・トンプソン
「当時は問題を見つけては改良するの繰り返しでした。一度に15~20ヵ所の問題に取組む事の連続でした」

10年の歳月をかけ、使い捨てる事がなく宇宙に行けるメインエンジンが完成します・・しかし、宇宙に行けるスピードを得るには3基のエンジンだけでは不十分でした・・そこで推進力を補うために大型のロケットブースターを機体の外側に取り付ける事にしたのです・・予定より3年遅れて遂に夢の飛行船スペースシャトルが完成しました。

シャトル計画マネージャー ボブ・トンプソン
「10年を費やして耐熱タイルに守られた宇宙船を一歩一歩確実に開発してきました・・宇宙に行けるパワーを持つエンジンを作り上げました。作る事が出来るのは理論上わかっていたのです・・でも実際に完成させるためには大変な苦労とお金が必要でした」

1981年4月12日、スペースシャトル・コロンビア号の打ち上げです。発射場の周りには50万人の観衆が集まっていました・・パイロットは、ジョン・ヤングとロバート・クリッペンの二人

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打ち上げの瞬間、シャトルは膨大な煙と炎を吹き出し目の眩むような光に包まれます・・打上げから40分後、シャトルは地球周回軌道に到達します・・二人の宇宙飛行士の任務はシャトルの複雑なシステムが宇宙で正常に機能するか点検する事です。

そして何よりも無事帰還することです・・コロンビア号は2日間かけて地球を36周し地上に帰還したのです・・翼を持った宇宙船に世界中が新たな時代の到来を予感しました。

 

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Front3 悲劇からの復活

初飛行後、150枚の耐熱タイルが壊れるなどシャトルの機体には予想以上のダメージが残っていました・・再び宇宙へ行くための整備期間は予定より大幅に伸びてしまいました。

初飛行から7カ月後、コロンビア号はようやく2度目の打上げに向かいます・・このフライトは初飛行よりも遥かに重要な意味を持っていました・・帰還した宇宙船が再び宇宙に飛び立つ史上初の試みだからです。

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宇宙飛行士は、ジョー・エンゲルとリチャード・トゥルーリーの二人・・トゥルーリーはシャトルの着陸テスト任されるなど開発を支えた一人でした・・現在も後進の指導などを通して宇宙開発に携わっています。

元宇宙飛行士 チャード・トゥルーリ
「私の初飛行は沢山のミッションの中でも特に重要でした・・一度宇宙に行った飛行船を再度、地球周回軌道に乗せる最初の飛行だったからです」

1981年11月12日、2度目の打上げです・・コロンビア号は再度、宇宙に行って無事戻ってきました・・スペースシャトルが繰り返し宇宙に行ける事が証明されたのです。

スペースシャトルは、年間数十回の打上げを目標としていたため1985年までに4機造られて行きます・・シャトルの運用に自信を持ったNASAは、世界各国に呼びかけ宇宙開発の国際化を目指すようになります。

スペースシャトルは、最大7名まで乗る事が出来るようになった事から研究者やエンジニアなど様々な経歴を持つ宇宙飛行士が誕生しました・・しかし、次々とミッションを成功させるスペースシャトルに悲劇が訪れます。

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1986年1月28日、ケネディー宇宙センターから上昇し始めたチャレンジャー号、73秒後、チャレンジャー号は、大観衆が見守る中で突然爆発、7人の乗組員とともに炎に包まれます・・NASAはその宇宙開発の歴史の中で初めて飛行中に犠牲者を出したのです。

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シャトル計画は中止となり、徹底的な原因究明が行われました・・事故調査委員会が注目したのは、打上げを記録したビデオでした・・上昇するチャレンジャー号、そのロケットブースターから炎が噴き出していました。

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ロケットブースターはいくつからの部品で出来ています。炎が出ていたのはその継ぎ目からでした。

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継ぎ目には、オーリングといわれるゴムの部品が装着されています・・オーリングはブースター内部で発生する高温のガスを外に漏らさないようにする大切な部品です。

打ち上げ当日の朝、ケネディー宇宙センターは異常な寒さに襲われていました・・発射場付近は氷点下まで下がっていました。寒さのためオーロングのゴムが硬くなり、本来の密閉機能が失われ、ガスが漏れた事が原因だったのです。

しかも調査が進むにつれてNASA上層部が飛行回数をこなす為に打上げを強行した事もわかってきました。

ジョージワシントン大学 宇宙政策研究所 ジョン・ログスドン所長
「当時、宇宙関係者は出来ない事はないと信じ切っていました。シャトルは年間50回打上げが可能であると考えていたのです・・しかし、技術の不確実さや機体の複雑さを考えれば妄想に過ぎませんでした・・チャレンジャー事故がその妄想を吹き飛ばしたのです」

NASAは厳しい批判に晒されます。7人の宇宙飛行士とシャトルを失った事はNASAにとって大打撃でした・・NASAは、もはや再起不能とまで言われたのです。

設立以来の危機に再建を託されたのは、スペースシャトル二度目の飛行に挑んだあのリチャード・トゥルーリーでした・・トゥルーリーはスペースシャトル再開計画の責任者になる事を引き受けます。

迷った末の決断でした・・飛行再開へのプロジェクト名は、リターン・トゥ・フライト(Return To Flight)

元リターン・トゥ・フライト計画指揮官 チャード・トゥルーリ
「私が直面した最大の問題は、技術とは関係の無いものでした。チームを立て直す為のリーダーシップが必要だったのです・・シャトルと7人の命を失った事実はNASA全職員にひどいショックを与え彼らの心を打ち砕いていました・・そんな中で新たに飛行再開へのチームを作り直したのです」

NASAの立て直しは、軍人や元宇宙飛行士の中から優秀な人材を集め意識改革をする事から始まりました・・彼らがリーダーシップを発揮してNASAに以前の自信と信頼を取り戻させる事が狙いでした。

技術面の課題も次々と対処して行きました。ロケットブースターの継ぎ目を改良し、より安全な形に改良し2本だったオーリングは3本に増やしました・・エンジンや燃料タンクにも改善すべき点が見つかり設計から見直しました。

膨大な数の改良が行われスペースシャトルは、外見は同じでもまったく違う宇宙船に生まれ代わったのです。

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1988年9月29日、チャレンジャー事故から2年8ヶ月、スペースシャトルの打上げが再開されます・・全米、世界中が見守る中、ディスカバリー号が再び宇宙に飛び立ちました・・スペースシャトルは悲劇を乗り越え復活したのです。


Front4 シャトル黄金時代

1990年4月24日、飛行再開後10回目のフライト、ディスカバリー号シャトル計画再開後、最大のミッションに挑みました。

望遠鏡を直接宇宙空間に運び宇宙の神秘を解き明かそうとするもの・・ハッブル宇宙望遠鏡、全長13mもある巨大な望遠鏡です。

宇宙空間では大気の影響を受けないので地上に比べて遥かに鮮明に遠くの宇宙を見る事が出来るのです・・精密機械である望遠鏡を宇宙に運び繰り返しメンテナンス出来るの打上げの衝撃を抑え宇宙を往復できるシャトルだけです。

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その為、ハッブルシャトルの貨物室に丁度納まるサイズに作られました・・しかし大気の影響を出来るだけ避けるためにシャトルは望遠鏡を高度600キロまで運ばなければなりません。

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しそれはシャトルの通常の飛行高度300キロの倍の高さ・・シャトルが安全に往復できる限界です・・このミッションでは万が一に備え隣の発射台でコロンビア号が待機していました。

ディスカバリー号は無事、目標の高度に到達し、高度600キロの宇宙空間にハッブルを放出したのです・・その後、スペースシャトルは、ハッブルのもとに5回赴き修理や改良を行いました。

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ハッブルは今も宇宙の起源を解くカギを私達に送り続けています・・NASAは、ハッブルの成功によってようやくチャレンジャー号の悪夢を振り払う事が出来たのです。

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スペースシャトルが飛行を再開した1980年代~1990年代にかけて地上では新しい時代の流れが起きていました・・1989年11月、冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩壊、東西の冷戦が終わりを告げたのです。

この時代のうねりが宇宙開発の世界にも押し寄せます。

1993年12月(米ロ国際宇宙ステーション共同建設調印)西側諸国が進めていた国際宇宙ステーション計画にロシアの参加が決定、アメリカの長年の夢であり、シャトル計画の発端であった宇宙ステーションそれが東西の国境を越えて実現される事になったのです。

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動き始めた宇宙ーステーション・・計画には、アメリカ・ロシア・日本など15カ国が参加しています・・人類が宇宙に乗り出す為の足がかりが着々と作られて行きます。

日本人もシャトルに乗り込むようになっていました。
毛利衛向井千秋土井隆雄若田光一野口聡一山崎直子星出彰彦・・日本人がシャトルに乗り込み国際宇宙ステーション建設に大きく貢献したのです・・星出彰彦により、日本の実験棟「きぼう」も国際宇宙ステーションに組み込みました。

宇宙飛行士 星出彰彦
「やはりスペースシャトルは、日本の宇宙開発にとっても非常に大きいものだったと思います・・やはりスペースシャトルがなかったら日本人の宇宙飛行士は誕生しなかったわけですし・・国際宇宙ステーション計画についても日本に参加依頼がなかったと思います」

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スペースシャトルは、13年にもわたって地球と国際ステーションを往復してきました・・アメリカとロシアが国境の無い宇宙で協力し合う、かつては誰ひとり考えつかなかった事をスペースシャトルは可能にしたのです。

 

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Front5 そして人類は宇宙を目指す

2003年1月、7名の乗ったコロンビア号は宇宙で科学実験ミッションに取り組んでいました・・17日間のミッションを終え、2003年2月1日に地上に向かうコロンビア号にスペースシャトル2度目の悲劇が襲います。

コロンビア号は地球帰還目前に突然、空中分解したのです。この事故のニュースは世界に衝撃を与えました・・事故の原因は、打ち上げ直後に外部燃料タンクから落下した断熱材の破片でした・・この破片がシャトルの翼に激突して穴をあけていたのです。

この重大な破損に気付かないまま飛び続けたコロンビア号、大気圏再突入とともに高温の大気が穴から入り込み空中分解を引き起こしたのです・・乗組員7名全員死亡という大惨事でした。

ブッシュ大統領
「すべてのアメリカ国民は今日、宇宙飛行士たちの事を考えています・・家族は突然の悲しみを与えられたのです。アメリカ全土が共に悲しんでいます」

シャトル計画は、再び廃止の危機に追込まれました・・しかし、2年6カ月の中止を経て2005年7月26日スペースシャトルの飛行は再開されます・・シャトル存続を求める市民の声、国際宇宙ステーション完成を求める各国の声が後押しをしたのです。

コロンビア号の事故後、シャトルは21回の飛行を行い宇宙ステーションの完成も目前でした・・しかし安全を確保しながらシャトルを飛ばし続けるには莫大な費用がかかります。

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帰還後の整備では、毎回破損する耐熱タイルの張り換えやエンジンの分解検査が行われます・・整備費の増大により、今やシャトルの打ち上げ費用は、1回当たり800億円を超えます。

再利用を実現したスペースシャトル、しかし度重なるその飛行は機体にとってあまりにも過酷なものでした。

ついにブッシュ大統領は、国際宇宙ステーションの完成後、シャトルの運用を終える事を決めたのです。

しかしシャトルで培われた技術は、次世代の宇宙開発に活かされようとしています・・2002年に設立されたこの民間企業(スペースX社)は、シャトルが開発した技術を活用して宇宙開発に取り組んでいます・・2010年12月、同社が開発した無人ロケットは、地球を2周して大気圏に再突入、無事帰還を果たしました。

この企業は、最終的に有人宇宙飛行を目指しています・・またNASAは、新型宇宙船の開発計画を発表、それは火星の有人探査です・・スペースシャトルが培った技術は、より遠くの宇宙の扉を開こうとしているのです。

2011年6月、シャトル計画最後の打上げに向けてアトランティス号が格納庫から発射場に移動していました1981年の初飛行から30年、地球を2万回以上回ってきた5機のスペースシャトル、その機体は乗組員とともに数々の冒険をくぐり抜けてきたのです。

人類の夢を一つ一つ実現してきたスペースシャトル・・その姿を始めてみた時、誰もが宇宙の新時代を実感しました・・しかし一方でその軌跡は苦難に満ちていました・・それは、宇宙をより身近なものにする為の戦いの道のりでもあったのです。

  

 

 

 

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