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旧ソ連 幻の宇宙計画

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NHK BSプレミアム コズミック フロント~発見!驚異の大宇宙~

1961年4月12日、今から50年前、人類の歴史が大きく変わりました。ソビエトの宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンがロケットによって飛び立ちました・・そして人類で初めて宇宙からこの星を眺めたのです。

地球は青かった」・・彼の言葉は歴史に深く刻まれました。

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史上初の有人宇宙飛行、その偉業の陰には名前を決して明かされなかった天才科学者の存在がありました・・セルゲイ・パーヴロヴォッチ・コロリョフソ連宇宙開発チーフデザイナーです。

彼は国家の威信をかけた米ソ宇宙開発競争で中心的役割を果たしていたのです。彼は次々に宇宙への扉を開きました。
・世界初の人工衛星
・世界初の動物打上げ
・世界初の有人宇宙飛行
・世界初の女性宇宙飛行士
・世界初の宇宙遊泳
しかし、その過程には様々な困難が待ち受けていました。

コリョロフは、たぐいまれな行動力と強力なリーダーシップでそれらを乗り越えて行ったのです・・更に大国の思惑に翻弄されながらコロリョフが抱いていた壮大な夢が明らかになってきました。

火星有人探査計画です・・今回は、宇宙の最前線ロシア、旧ソビエトのロケット開発を率いた天才科学者の正体とその夢に迫ります。

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Front1 謎のチーフデザイナー

ロシア(旧ソ連)の飛行士たちが宇宙に向かうのは、カザフスタンにあるバイコヌール宇宙基地・・ロシアの誇る宇宙船ソユーズは、ここから発射されるのです。

アメリスペースシャトルの運用終了後は、ソユーズが宇宙ステーションに飛行士を運ぶ唯一の手段になります。

ロシアが世界の宇宙開発をリードし始めたのは、まだこの国がソビエトと言われていた時代でした・・この発射台から世界初の人工衛星スプートニクや世界初の宇宙飛行士ガガーリンが次々と打ち上げられたのです。

その中心にいた人物が当時の宇宙開発のチーフデザイナー、セルゲイ・パーヴロヴォッチ・コロリョフでした・・しかし多くの偉業を成し遂げたにも係らず彼の人生はあまり知られていません。

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コロリョフとはどんな人物だったのか当時の新聞記事を調べてみました。ところがコロリョフが携わったとされるどの宇宙計画の記事にも彼の名前はありませんでした。

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彼の名前が最初に載った新聞記事は、彼が死んで2日後の新聞からです。彼の事はトップシークレットだったのです・・新聞や雑誌に名前が載る事はあり得ません・・コロリョフは亡くなって初めてその存在が明らかにされたのです。

コロリョフは1907年ウクライナで生まれます。19歳の時、航空学を学ぶためモスクワにやってきました・・当時、世界各国ではロケットブームが起こっていたのです。宇宙開発を夢見る科学者たちがロケットの理論を提唱していたのです。

ソビエトにもそんな宇宙の先駆者がいました・・「宇宙旅行の父」と言われるコンスタンチン・ツィオルコフスキーです。

彼が監修した一本のSF映画があります。それは人類初の宇宙旅行を科学的理論を基に描いた物語、若者たちに宇宙への夢を抱かせたのです・・主人公達は、初めて体験する無重力に驚きます・・月では酸素ボンベの付いた宇宙服を身に付け、地球の1/6の重力を体験します。

コロリョフツィオルコフスキーの描く宇宙旅行に憧れる一人でした。そしてロケット研究をするリーダーを務める事になります。

1938年8月17日 GIRDO9打上げ成功、それは、ソビエトで初めての液体燃料で飛ぶロケットでした。重量18㎏の機体は400mに達します・・コロリョフは26歳にしてソビエト宇宙開発の礎を築いたのです。

そしてこの業績が認められ新設されたロケット研究機関の副主任に抜擢されます。しかし悲劇が襲います。・・秘密警察がコロリョフを連行していったのです。(1938年6月27日 コロリョフ逮捕)

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ソビエトの独裁者スターリンは、政敵を追放する為、恐怖政治を敷いていました。人々に密告させ合い体制に疑問を抱くと思われるものを逮捕していたのです・・コロリョフは同僚の告発で無実の罪をきせられシベリアの収容所に送られます。

強制労働は彼の心臓を蝕み看守の暴力は、顎の骨を砕きました・・そんな中、コロリョフが描いたスケッチがあります。

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獄中で尚、ロケットの構想を練っていたのです。1944年7月、コロリョフは突然釈放されます・・そこには政府のある思惑がありました。

彼をドイツに向かわせ軍事兵器の調査に向かわせたのです。第二次世界大戦の末期、ドイツは世界初の弾道ミサイルを戦場に投入していました・・『V-2』それは最新ロケット技術を応用し、重さ1トンの爆薬を300キロ先まで送り込む恐怖の兵器でした。

当時、コロリョフととものV-2の調査に当たった科学者がいます・・ロケット開発のエンジニアだったボリス・チェルトークさん(99歳)ソビエト宇宙開発の歴史をその目で見続けてきた人物です。

ボリス・チェルトークさん
「最初にV-2を見た時、本当に悔しかった。だが同時に感動もしたのです・・ドイツは我々より5.6年も先に進んでいたのです」

最新ロケット技術を目の当たりにしたコロリョフは、収容所生活の間にいかに自分が遅れをとっていたかを痛感します・・政府からの命令は、V-2と同じ性能のロケットを作る事、しかしそれはコロリョフのプライドが許しませんでした。

ボリス・チェルトークさん
コロリョフはV-2より優れたロケットの開発を目指していました。そしてすぐに軌跡が起こりました・・彼はドイツの釘を1本も使わずV-2の再現に成功したのです」

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1948年10月10日、僅か3年でV-2と同じ型のR-1(射程300キロ)の打上げに成功、コロリョフはこれを足掛かりにロケットの飛距離を伸ばして行きます。

1953年3月15日、5年後には30トンの機体を1200キロも飛ばせるR-5を打上げます・・この年、ソビエトの新たな指導者になったニキータ・フルシチョフコロリョフの才能に目を付けます。

当時、ソビエトアメリカとの冷戦のさなかフルシチョフは、核爆弾をアメリカに打ち込む事の出来るロケットの開発を命じたのです。

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(画像は1953年8月12日、ソ連初の水爆実験)
アメリカまで6000キロ、R-5の5倍もの飛距離を実現しなければならないのです・・しかしコロリョフはそれを僅か4年で成し遂げるのです。

1957年8月21日、新型ロケットR-7は、その先端に重さ5トンのダミーの核弾頭を積み6400キロを飛びました・・コロリョフはどのようにしてその性能を生みだしたのでしょうか。

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バイコヌール宇宙基地の近くにR-7ロケットが展示されています。R-7の特徴はそのスカート型に広がった形です・・後ろに回るとなんと20基ものエンジンが取り付けられています。コロリョフはエンジンを束ねる事でアメリカにまで届くパワーを生みだしていたのです。

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1基の推力は20トンこれを4つ組合わせてメインロケットを作り、同様に組み上げた補助ロケットを4基周囲に付けます・・合計20のエンジン、コロリョフはこれらを完全に制御する技術を開発しました。

ロケットはその重さが軽いほど飛距離は増します・・先に燃料が無くなる補助ロケットは途中で切り離し機体を軽くする事で更に遠くに飛ばす事を可能にしました。

新しいエンジンを開発する事無く大きな推進力を生む大胆な発想、R-7は世界初の大陸間弾道ミサイルとなりました。

ソビエトの兵器開発に無くてはならない存在となったコロリョフ、政府は西側諸国に暗殺される事を恐れ、その存在をトップシークレットにしたのです。


Front2 世界初の人工衛星

大陸間弾道ミサイルR-7の開発のさなかコロリョフフルシチョフにある提案をしました「このロケットに人工衛星を乗せて打上げましょう」・・人工衛星と言う聞き慣れない言葉に戸惑いながらもフルシチョフはそれを許可します。

1957年10月4日、ソビエトは世界に発表します。「スプートニクの打上げに成功した」 スプートニクそれこそ世界で初めて打ち上げられた人工衛星でした。

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人間の作りだした物が地球の周りを回っている・・そのニュースは世界を驚愕させました。スプートニクは直径58の本体にコロリョフは発信機を積みました。世界中の誰もがラジオで受信でき宇宙開発の歴史的偉業を直に知る事が出来たのです。

その音は、西側諸国の人々にソビエトは、極めて高い科学技術力を持っている事を強くアピールしたのです。

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人工衛星が落ちない理由
私達がボールを投げると放物線を描いて落下します・・投げるスピードを速くする事でより遠くまで飛ばす事が出来ます。

仮に秒速7.9kmで投げるとボールは地上に落ちる事無く地球を回り続ける事になります・・コロリョフは秒速7.9キロメートルというとてつもない速度をあのR-7ロケットで実現したのです。

人工衛星は科学的偉業であるとともに西側諸国には、軍事的脅威でもありました・・遅れをとったアメリカは、その威信にかけて人工衛星打上げに挑みます。

1957年12月6日、スプートニクから2カ月後、アメリカ海軍が開発したロケット、ヴァンガードは飛び上がる事も無く爆発・・アメリカにはなぜソビエト人工衛星を飛ばせるのかまったくわかりませんでした。

コロリョフの存在を知らない彼らにとっては、まるで魔術としか思えませんでした・・人工衛星戦略的価値に気付いたフルシチョフはこう宣言します。

 「我々はいつでも資本主義国に核爆弾を打ち込める」

宇宙開発は、米ソの科学技術の優位を誇示する場となってゆきます・・1958年10月1日、アメリカはNASA航空宇宙局を設立、熾烈な宇宙開発レースの幕開けです。

その時、コロリョフは、どのような思いだったのでしょうかスプートニク打ち上げ前、妻に送った手紙です。

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「夢、夢、夢、夢を失った人間は、羽を失った鳥と同じ、そう思わないかい?大昔から人々は青い空を見ながら夢を抱いてきた。今こそ全人類の夢を実現するときだ」

確かにコロリョフは政治的な理由で核ミサイルを作りだしました。しかし彼の本当の願いは、平和な未来のための宇宙開発だったのです。

地球の引力に打ち勝ち、宇宙に人工物を浮かべる、それは彼の夢の第一歩でした・・コロリョフは冷戦と言う時代の中、権力者の望みを叶えながら自らの挑戦を続けるのです。

 

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Front3 人類を宇宙へ!

1960年代初めコロリョフは、次なるミッションの挑んでいました・・世界で初めて人類を宇宙に送り込むのです。

計画は、R-7ロケットに新たに作り出した宇宙船ボストークを乗せ、そこに飛行士が乗ります・・そして90分で地球を一周し、最後は逆推進ロケットで減速、ロケットを切り離して地球に戻るというものでした。

しかし、そこには大きな問題がありました・・初めて体験する宇宙空間で人間の体がどうなるのかまったくわからなかったのです。・・無重力状態に晒されると人間は失神するとも言われていました。

そのため宇宙飛行士には3000人の候補者から若く健康な者だけを選抜、当時の最新技術(G、重力の変化、緊急時のメンタルトレーニング)を駆使した訓練を彼らに課したのです。

そしてコロリョフはまったく新しいシステムの開発に着手します・・宇宙船の椅子、地球に戻る際、宇宙船から飛行士を切り離しパラシュートで帰還させる脱出椅子です。

コロリョフから依頼された技師 アルノルド・バレルさん
「着陸する際、宇宙船から100m離れる事が出来るシステムを考える事が我々の課題でした・・この脱出椅子の作動を完全に自動化する必要があります」

コロリョフは、飛行士を生還させるべくあらゆる対策を施しました。それでも打上げ半年前、彼は手紙にこう書いています。
「彼らを宇宙に行かせ無事、帰還させなければならない・・なんと大きな責任だろう、そんな力が私にあるのだろうか自信が持てない」

不可能を可能に変えてきたコロリョフもこの時ばかりは、命を預かる責任の重さに押しつぶされそうになっていたのです。

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1961年4月12日、ついにコロリョフが選んだ飛行士ユーリ・ガガーリンが乗ったロケットが打ち上げられました・・遂に人類が宇宙に向かって飛び立ったのです。

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そして無重力空間への突入です・・ガガーリンの交信記録
ガガーリン:「無重力は面白い!全てが浮いている、泳いでいる、素晴らしい」・・そして歴史的有名な言葉・・「地球は青かった

宇宙空間で人は生きられる、それは人類が宇宙への扉を開いた瞬間でした・・しかしミッション終了間際ガガーリンをアクシデントが襲います。

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上記画像は、実際にガガーリンが乗っていた宇宙船です。大気の摩擦で外壁は焼け焦げ、大きくめくり上がり衝撃の激しさを物語っています。

それは地球一周を終え、逆推進ロケットの切り離しを始めた時でした・・宇宙船の一部がケーブルでつながったままきりもみ状態となってしまったのです。

ガガーリンの身体には、地上の重力の10倍という凄まじい負荷がかかりました・・大気圏の熱がケーブルを焼き切るまでその状態に10分も晒されたのです。

ガガーリンを救ったのは、コロリョフが開発を指示したあの脱出椅子でした・・身動きのできなくなったガガーリンを自動的に宇宙船から切り離し、見事生還させたのです。

108分にわたる人類初の宇宙飛行を果たしたガガーリンは、モスクワで大観衆に迎えられました・・そして赤の広場フルシチョフから表彰を受けます。

しかし、この瞬間を最も喜んだであろうコロリョフの姿はそこにはありませんでした・・コロリョフの存在自体がトップシークレットだったのです。

 

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Front4 コロリョフの夢

人工衛星だけでなく有人飛行までソビエトに先を越されたアメリカ、1961年大統領に就任したケネディーは60年代のうちに月に人間を着陸させるアポロ計画を発表し勝負に出ます。

この時、鉄のカーテンの向こう側でコロリョフは極秘プロジェクトを進めていました・・有人飛行計画のかたわらコロリョフはR-7に代わる新たなロケット開発を進めていたのです。

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N-1というそのロケットは、高さ105m、30基のエンジンを持つソビエト最大のロケットでした・・いったいこの巨大ロケットで何をしようとしていたのでしょうか・・1959年、ガガーリンを打上げる2年も前からコロリョフはその計画に取りかかっていたのです。

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コロリョフの計画は『火星探査計画』でした。

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コロリョフが生涯大切にした一冊の本があります・・若き日に宇宙への夢をくれたツィオルスキーの著書です・・何度も読み返す中で書き込まれた沢山のメモが残っていました。

最もコロリョフが好きだったツィオルスキーの言葉です。
「人類は永遠に地球にとどまるのではない、光と空間を追って最初は遠慮がちに大気を抜け、やがては太陽系のすべてを開発するだろう」

太陽系の開発、惑星間飛行コロリョフはツィオルスキーの思いを受け継ぎ、それを実現する事を生涯の目標としていたのです。

しかし火星は最も近づく時でさえ月までの150倍、56,000,000kmの彼方にあります・・途方もない宇宙飛行をどのように実現しようとしていたのでしょうか。

火星計画は地球の軌道上で宇宙船を作り上げると言うものでした。その為にN-1ロケットを使う予定だったのです・・75トンの資材を軌道上に上げるためのロケットでした。

大きな宇宙船を地球から直接打上げる事は出来ません・・そこで考えられたのがN-1ロケットでした。複数のN-1ロケットを打上げ宇宙空間に資材を運び、それを組み立てる・・そして火星に向かう500トンの巨大宇宙飛行船を作り上げるのです。

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上記画像は、当時の計画を再現した火星探査船のイラストです・・傘のように開いた部分には太陽電池パネルが付けてあり、乗務員が長期間生活して行ける為のエネルギーを確保します。

船内の温室で食料を作る事も考えられていました・・コロリョフは宇宙船のモジュールまで完成させていたのです・・1985年には実現させる計画だったのです。

しかし計画は頓挫します・・原因はフルシチョフです。彼は長期間に及ぶ火星探査よりもアメリカに対抗する事を重要視していたのです・・目標を変更せざる得ませんでした。宇宙開発は権力の後押しが無いと成功しない事をコロリョフはよく知っていたのです。

1964年、フルシチョフコロリョフに60年代のうちに有人月面探査をするよう指示していました・・しかしアポロ計画から遅れること3年、大急ぎで準備を進めなければなりませんでした。

コロリョフの立てた月探査計画は、新たなロケットを開発する時間が無かったため火星計画の為に作られたN-1ロケットを使用する事にしました。

30基のエンジンが火を噴き3000トンの巨体を浮かべます・・乗りこむ飛行士は2人、2段目、3段目のエンジンで宇宙船を地球の軌道上に運ぶと更に4段目のエンジンで加速、月へ向かいます。

月の軌道に入ると宇宙船から1人の飛行士が出てきます。宇宙遊泳で後部に乗り移るのです・・そこから現れたのは月面着陸船、訓練通り安全な着地点を探し、逆噴射でスピードを落としながら着地、一人の飛行士だけで月面着陸を果たす。

これがコロリョフの月計画だったのです・・月面着陸レースの勝利に向け、準備は着々と進められて行きます。

しかし、1966年1月、コロリョフは倒れます・・強制収容所で痛めた心臓に休みなく働き続けた22年、体力は限界でした9日後、・・・

1966年1月14日 コロリョフ死去 享年59

政府は彼を赤の広場に埋葬しました・・それはソビエト国民にとって最高の栄誉であり、英雄の証でした。

英雄の姿を一目見ようと大勢の人が集まります。その時、彼らは初めて知ったのです・・これまで宇宙開発の偉業を成し遂げてきたチーフデザイナーの名前を・・・。

コロリョフの死後、月計画は部下に引き継がれ、1969年7月、N-1ロケットのテスト飛行が行われます・・しかし、4度にわたるテストは全て失敗、ソビエトの宇宙開発は、大いなる求心力を失ってしまったのです。

そして1969年7月、アポロ11号の打上げで人類は、初めて月面に降り立ちます(1969年7月20日)・・宇宙開発レースはアメリカが逆転勝利をおさめたのです。

  

 

 

 

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