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「月への翼を手に入れろ」 史上最大のエンジンはこうして作られた!

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NHK COSMIC FRONT コズミックフロント 「月への翼を手に入れろ!」

1969年7月20日アメリカのアポロ11号が初めて月面に着陸します・・世界中が熱狂した人類史に残る偉業でした。

月面着陸の原動力になったのが史上最大のロケット、サターンⅤ(Saturnⅴ)・・そして3000トンを超えるこの巨体を地球重力に逆らって打ち上げたモンスターエンジン ”F-1” です。

その震動は1800キロ離れた場所でも観測されたほどでした・・桁外れのF-1のパワーが月への最後の扉を開いたのです。

しかしF-1開発の過程には、製造中止の危機、原因不明の爆発といった壁が次々と立ちはだかりました・・多くの困難を超えて月面着陸を成功へと導いたのは、ある天才科学者の月への憧れでした。

史上最大のロケットエンジンはいかにして作り上げられたのか、その奇跡とも言える開発の道程を追います。


FRONT1 月への翼 誕生

アメリカが誇るスペースシャトルは、宇宙空間へ2トンの荷物を運ぶ事が出来ます・・近年でいえば世界最大の積載量です。

ところが40年前、その6倍近い118トンを宇宙へと運ぶ超ド級のロケットがありました・・サターンⅤです。

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サターンⅤはアポロ宇宙船を月まで運ぶ輸送船だったのです・・その長さを比べるとなんとスペースシャトルのおよそ2倍、サターンⅤは実際に打上げられたロケットの中では最大のものでした。
(サターンⅤ 111メートル、スペースシャトル 56メートル)

アメリカ・アラバマ州アメリカ宇宙ロケットセンターには、テスト用に作られたサターンⅤが今も大切に保管されています。

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この巨体、別に世界一の称号が欲しくて作ったわけではありません・・アポロはサターンⅤの先端に搭載されていました・・円錐形をしているのが司令船、その後ろに月着陸船、ここまでで47トンの重さがあります。

アポロを打ち上げたサターンⅤは全部で3段に分かれています。
アポロ司令船、月着陸船 合計47トン
1.第3段ロケット 120トン(宇宙空間から月へとアポロを送り込み)
2.第2段ロケット 470トン(アポロと3段目を宇宙空間まで運んだ)
3.第1段ロケット 2200トン(自身含め3000トンを地球重力に逆らって打上げ)
3段・2段・1段と重くなるのは、より重いものを運ぶにはそれだけ沢山の燃料を必要とする為だからです。

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第1段ロケットの重量の9割以上が燃料です・・この巨大な燃料を150秒で燃やしつくし合計3000トンもの重さを地球重力に逆らって打ち上げたのがF-1エンジンだったのです。

月にアポロを送り込むためには、これだけの巨大ロケットが・・そしてその打上げには巨大エンジンがどうしても必要だったのです。

ロケット工学の限界に挑んだ燃焼機関、毎秒12,500ℓの燃料を燃やして推進力を生みだしました・・そのパワーは5基合わせて1億6000万馬力です。

F-1 開発技師 ロバート・ビッグス
「デカイです・・F-1は今でも最大のエンジンです。比較になるものは何もありません」

NASA フライトディレクター ジーン・クランツ
「この技術は我が国のロケット科学が開発した最高の技術です」

…それでは、ロケット開発の歴史を振り返ります。
今から100年前、月旅行がおとぎ話だった頃の話です・・アメリカの物理学者ロバート・ゴダードは液体燃料ロケットを使えば月へ行けると主張し、その開発にまい進しました。

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液体燃料ロケットは、灯油などの液体燃料とそれを爆発的に燃焼させる酸化剤を混ぜて飛ぶ仕組みです・・酸素の無い宇宙空間でも飛べるので月まで行けるという事です。

1926年3月16日、ゴダードは苦心の末、液体ロケット打上げに成功します・・その後、世界各地でロケットブームが巻き起こりますが月への夢がふくらむような液体燃料ロケットは誕生しませんでした。

ところがゴダードの初打ち上げから16年後、第2次世界大戦のさ中に破格の高性能液体燃料ロケットが現れます・・ドイツ陸軍が開発したV-2ロケットです。

1942年10月3日、V-2ロケット打上げに成功、時速4800キロ、高度85キロまで到達しました・・その原動力となったのが高性能エンジン。

34トンもの推進力を発揮、更に自分の位置を確かめながら狙った場所まで飛んでゆく機能まで備えていました。

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V-2開発の陰には、一人の男がいました・・ロケット科学者 ヴェルナー・フォン・ブラウンです。・・フォン・ブラウンは、ドイツ軍に入り、少年の頃夢描いた月へのあこがれを胸に、数々の失敗をへて高性能ロケットを完成させます。

しかし軍にとってV-2は兵器でしかありません・・第2次世界大戦終盤の1944年、V-2はロンドン、パリなどヨーロッパ各地に打ち込まれ12,000人もの犠牲者を出しました。

自ら生み出したロケットが多くの命を奪っている事に心を痛めるフォン・ブラウン・・やがて純粋に月へ行くためのロケットを開発したいと亡命を決断します。

翌年2月にフォン・ブラウンは部下とともにV-2製造基地から脱出します・・100台の貨物列車とトラックでロケット本体とその膨大な資料を運び出したのです。

1945年5月3日、3カ月後、アメリカ軍に投降、アメリカは当時最高のロケット技術と技術者を一挙に獲得したのです。

一方、その3日後、ソ連軍がV-2製造基地を占拠、残された情報を入手します・・フォン・ブラウンのロケット技術は米ソ両大国に渡り、やかで不思議な運命の糸に手繰り寄せられてゆく事になります。


FRONT2 月への胎動

アメリカに渡ったフォン・ブラウンですがすぐにロケット開発に取組めたわけではありませんでした・・米ソ冷戦のさ中、ドイツからの技術者は全て陸軍に配属されV-2の技術を長距離ミサイルに応用するために従事させられていたのです。

そんな時、フォン・ブラウンの運命を大きく変える事件が起きます・・1957年10月4日、ソ連がV-2ロケットの技術を基に世界初の人工衛星スプートニク1号の打上げに成功したのです。

スプートニクは電波を発信しながら地球を回りました・・アメリカは大きな脅威を抱きます。「宇宙からいつでも攻撃できるんだぞ」というメッセージにも聞こえたのです。

アメリカは負けじと海軍による人工衛星の打上げを試みます・・1957年12月6日、しかし僅か2秒で爆発、超大国アメリカの威信は地に落ちます。

ついにフォン・ブラウンにチャンスが巡ってきたのです・・アメリカの期待を一身に受け急遽、人工衛星を打ち上げるロケットを開発します。

準備期間はわずか3カ月、すでに持っていたミサイルを改造したのです・・1958年1月31日、フォン・ブラウンのロケットは、まったく危なげなく宇宙空間へと上ってゆきました・・アメリカが威信を取り戻すと同時にフォン・ブラウンがロケット開発の中心に立った瞬間でした。

1960年1月1日、NASAマーシャル宇宙飛行センター所長に就任、本格的にロケット開発に取り組みます・・この時、月面着陸計画はまだ始まっていませんでした。

しかしフォン・ブラウンが最初に着手したのは月ロケットエンジンの建造だったのです・・フォン・ブラウンは既存のエンジンを下地として巨大エンジンを開発しようと考えました。

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目をつけたのがあるエンジンメーカーが空軍の依頼で研究を始めたもののあまりに巨大で使い道がなく研究中止に追込まれていたものでした・・その推進力は180トン、それは当時最高のエンジンの2倍以上のものでした。

F-1 プロジェクトマネジャー サヴェリオ・モレア
「様々な調査の結果、月へ行くにはこのエンジンでも不十分な事が明らかになってきました・・そこでその4倍、推進力700トンのエンジンを開発する事になったのです・・技術の飛躍が必要でした」

米ソが打上げに成功した人工衛星は、時速28,000キロで地球を回っていました・・しかしこの速度では地球の重力を振り切る事は出来ません。

月に向かうためには更に速い速度で飛ぶ必要があります・・スピードを上げるとロケットは楕円軌道を描いて飛ぶようになります・・スピードを増せば増すほどより大きく楕円軌道を回る事になるのです。

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時速40,000キロを叩き出せれば地球から380,000キロ離れた宇宙に行く事が出来るのです・・そこに目指す月があるのです・・その為に桁違いのエンジンを求めたのです。


FRONT3 史上最大のモンスターエンジン

月への翼として期待されたロケットエンジン・・しかしその開発は苦難に満ちていました・・エンジンをよりパワフルにするため燃焼機関を変える必要がありました。

燃焼機関の心臓部、液化燃料と酸化剤を燃焼室へと運ぶポンプのパワーアップと軽量化を同時に行いました・・フォン・ブラウンが開発したV-2のエンジンを応用して2つのポンプを1つにして矛盾する問題を解決しました。

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ターボポンプの出力がこれまでに無い6万馬力、より効果的にパワーを引き出す事に成功しました・・ところが火力があまりにも強くなったためノズルが熱に耐えきれずに壊れてしまったのです。

しかしここは発想の転換で乗り切りました・・ポンプで発生した排ガスをノズルの内壁に向けて発射させる事により、炎がノズルの内壁に触れる事が無くなったのです・・この瞬間、月への翼が力強く羽ばたき始めたのです。

1961年4月12日、再びアメリカに衝撃が走ります・・当時、宇宙開発競争で常にアメリカをリードしていたソ連ユーリ・ガガーリン少佐を乗せたオストーク1号の打上げに挑んだのです。

そして見事成功、人類初の宇宙飛行をです・・ガガーリンは1時間48分をかけて地球を一周、「地球は青かった」という歴史的コメントを残し世界中から称賛を浴びたのです。

アメリカにとっては、スプートニクに続く屈辱でした・・風前の灯とかした超大国の威信、時の大統領J.F.ケネディーはアメリカの誇りを取り戻すため議会で起死回生の演説を行います。

アメリカ合衆国 第35代大統領 ジョン・F・ケネディ
「1960年代の内に人間を月へ送り込み安全に地球へと帰還させる事を次のアメリカの国家目標とする」

当時の技術力からいってあまりにも大胆な月面着陸宣言でした・・月への憧れを抱き続けてきたフォン・ブラウンの運命の歯車が大きく回り始めた瞬間でした。

ところがその頃からF-1は、強力な燃焼をパワーをクリアしたのに謎の爆発を繰り返すようになります・・不安定燃焼が起こっていたのです。

極限まで上げたパワーが不安定になる事でノズルの耐火性の限界を超え、エンジンを壊してしまっていたのです・・ここでもフォン・ブラウンが開発したV-2エンジンの仕組みが取り入れられたのです。

バッフルという高さ15センチの間仕切り板で燃料を噴射するインジェクターを仕切ってみたのです・・その結果、なんと不安定燃焼が起きなくなったのです.

1965年、F-1は、ついに完成したのです。

 

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FRONT4 ついに手にした翼

F-1開発から2年、サターンⅤ初打上げの日がやってきました・・もし失敗すればサターンⅤの運用が暗礁に乗り上げます。

ケネディーが宣言した1960年代終わりまで残された期間は2年、打上げの瞬間、フォン・ブラウンが叫びました「GO! BABY GO!」・・その瞬間、F-1が空間を時間を支配しました。

F-1は月への夢を乗せて重さ3000トンのサターンⅤをゆっくり上昇させてゆきました・・テストは大成功、夢が羽ばたいた瞬間でした。

その後、サターンⅤは無人飛行1回、有人飛行3回のテストを重ね月面着陸本番を迎えます・・60年代の終わりまで5ヶ月間しかありませんでした。

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丁度、同じ頃、ソビエトも月に向け巨大ロケットの開発を急いでいました・・全長105mのN-1ロケットです・・しかしこの巨大ロケットには大きな不安がありました。

30もの小型エンジンを束ねてメインエンジンとしていたのです・・巨大エンジンが開発出来なかったのです・・エンジンが多いほど制御が難しく打上げは困難なのです。

1969年7月4日、アポロ11号打上げの12日前、N-1を打上げます・・しかし点火後10秒で全てのエンジンが停止炎上します・・こうしてソ連は月面着陸レースから脱落、F-1のような巨大エンジンを開発出来なかったことが敗因でした。


FRONT5 夢実現! 人類月へ

1969年7月16日、ついにその日がやってきました・・総額230億ドルを投じ40万人が係ったアポロ計画の集大成、アポロ11号の打上げの日です。

アポロ11号に乗り込むのは3人の宇宙飛行士…
船長 二ール・アームストロング
司令船パイロット マイク・コリンズ
月着陸船パイロット バズ・オルドリン

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打上げの様子は全世界に中継され、多くの人が月への期待を膨らませていました・・5基のF-1が叩き出す1億6000馬力の推進力、サターンⅤは最初はゆっくりとそしてグングン加速して行きました。

最終的に時速40,000キロを出すためには、F-1は地球の重力に逆らって時速1万キロを達成しなくてはなりません・・150秒間燃焼を続けた結果、地球上空68キロで見事目標の1万キロをクリアしました。

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続く第2段、第3段ロケットも順調に加速します・・そして打上げ後、2時間50分で時速40,000キロへと達し、アポロ11号は月へと向かう楕円軌道へ乗る事に成功したのです。

月までの飛行は順調に進んで行きました・・しかし月の重力圏に突入すると旅は一転過酷な様相を呈して行きます。

それはアームストロング船長とオルドリンが乗り込んだ月着陸船イーグル号が降下し始めた時でした・・突然アポロ11号に異変が起きたのです。

ヒューストンの管制室は騒然となりました・・管制室と着陸船の交信が出来なくなってしまったのです・・そのため司令船に残っていたマイク・コリンズを通して交信するしかなかったのです。

その上、システムの不調で月着陸船の状況がどうなっているかわからなくなってしまっていました・・着陸にかけられる時間は30分です。

管制室の心配をよそに着陸船は高度200mまで降下して行きました・・ところがコンピュータが指定してきた場所は地面の凹凸が多く、着陸には不向きな地形でした。

アームストロング船長は、着陸場所を探して冷静に飛行を続けました・・しかし大きな不安がありました・・着陸用の燃料はすでに2分間分しか残っていなかったのです。

ヒューストン管制室は、着陸か中止かを考えながら秒読みを開始しました。・・残り90秒・・45秒・・40秒・・30秒・・ここでようやく通信が回復しました。

しかし着陸できる場所が見つかりません・・着陸用燃料が底をつけば着陸船は強制的に上昇するようプログラムされていました。

アームストロングは、僅かなチャンスを見つけ着陸を成功させたのです。

(月着陸船)
もっと右だ・・もっと前・・右に少し傾いている・・接地・・エンジン停止

(管制室)
イーグル 了解した

(月着陸船)
ヒューストン こちらは静かの海、鷲は舞い降りた

(管制室)
着陸確認 こっちも真っ青だったけど息を吹き返した。ありがとう

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夢が実現した瞬間でした。

1969年7月20日アメリカ東部時間、午後10時56分15秒・・「一人の人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては大きな飛躍だ」(二ール・アームストロング船長)

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人類が地球以外の天体に初めて降り立った歴史的な瞬間でした・・スプートニクガガーリンソ連への敗北に次ぐ敗北がもたらした執念の逆転勝利でした。

そして夢をかなえたフォン・ブラウンは…
「生命が誕生してから人類が向かえた最も偉大な瞬間です・・そして私にとっては長年焦がれた夢の実現です」

その後、アメリカはスペースシャトルや宇宙ステーションなど新たな宇宙開発を次々と成功させてゆきました・・フォン・ブラウンが1950年代に抱いていた夢が現実のものとなったのです。

そして2010年、オバマ大統領が更なる宇宙開発の構想を発表しました…
「私は信じている・・2030年代中ごろまでに人類を火星の軌道に乗せ、安全に地球に帰還できると・・次には、火星の地に降り立つだろう、その光景を私も見るつもりだ」

遥か38万キロの彼方に浮かぶ月、かつて地球重力を振り切ってこの月へと降り立った人間は、誰ひとりいませんでした・・あの日までは…

あの夏の月面着陸は、全世界の人々に人間の限りない可能性を教えてくれました・・二人の宇宙飛行士が月を去る時、残していった1枚の板には、「我々は全人類の平和のため、やってきた」・・書かれています。

…今もその場所で次の訪問者を待ってます。

天才科学者、フェルナー・フォン・ブラウンが建造した空前絶後モンスターエンジン・・それはかつて月を仰ぎ見た少年の胸に宿った憧れが姿を変えて羽ばたいた月への翼だったのです。

 

 

 

 

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