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想像力が未来を拓く ~小松左京のメッセージ~

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NHK クローズアップ現代
想像力が未来を拓(ひら)く ~小松左京のメッセージ~

2002年ノーベル化学賞 田中耕一さんには、大切にしている一冊の本があります…作家・小松左京SF小説『空中都市008』…中央電子脳が謎の菌に侵され大混乱を引き起こす物語、コンピュータ社会の危うさを40年以上も前に描いていた事に驚かされたといいます。

ノーベル化学賞 田中耕一さん
「凄い想像力だなと…まさかその時にコンピュータウイルスという言葉が出てくるなんて…」

2011年7月に亡くなった小松左京さん、21世紀、私たちが直面する困難を予見するかのような作品を生み出し続けました…未曾有の大災害に翻弄される大災害を描いた代表作『日本沈没』、地球規模の感染症の流行を克明に描いた『復活の日』…。

そして今、大震災と原発事故で科学への信頼が揺らぐ中、小松さんの未来を見通す力が注目を集めています…想像力こそが未来を切り開く、まだ見ぬ未来を創造し続けた作家、小松左京からのメッセージです。

東日本大震災福島原発事故と想像を超える災害が立て続けに起きています…私たちは、幾度となく”想定外”という言葉を聞かされてきました。

しかし、半世紀も前から小説の中で未来に警鐘を鳴らし続けていた人がいます…2011年7月に80歳で亡くなった小松左京さんです。

長編、短編を含め生涯に500近い小説を書いた小松さん、その作品は代表作『日本沈没』を始め、『復活の日』ではウイルスが世界中に広まる恐ろしさを感じましたが、どこかで実際には起こるはずがないだろうという気持ちも持っていました。

しかし、小松さんが多くのSF小説で描いてきた問題が今、いろいろな所で現実の問題となっています…小松さんが小説を書く上で最も大切にしたのが想像力です未来はいったいどうなるのか…あらゆる事を想定し、創造力を働かせ命を懸けて書き続けた小説、小松さんが残したメッセージから未来を生きるヒントを探ります。

 21世紀の今、私たちの直面する問題を予見するかのような作品を生みだし続けた小松左京さん…今からおよそ50年前に発表された『復活の日』世界中に広がるウイルスとの死闘を描いたこの作品では、地球規模で起こる感染症の流行を予見していました。

東京のライフラインや通信が遮断されてしまったらどうなるか『首都喪失』では都市生活の脆さと東京への一極集中に警鐘を鳴らしていました。

そして合計430万部の大ベストセラーになった『日本沈没』科学の常識を上回る大地震地殻変動に見舞われたら日本はどうなるか…そして未曾有の災害に襲われた日本人は、何を考えどう生きて行くのかを考えました。

SF作家・小松左京さんの原点には、少年時代に受けた一つの衝撃があります…一発の原子爆弾が都市を壊滅させる。その強烈な出来事が小松少年の胸に深く刻まれました。

小松さんは、SF作家の仲間(日本SF作家クラブ星新一など)とともに1965年に東海村原子力研究所を訪れています…「科学の進歩は時にとてつもない災いを引き起こす。だからこそ創造力を持って備えなければならない」小松さんは、その信念を基に作品を書き続けたのです。

まだ見ぬ未来を思い描き作品を生みだし続ける、それは私たちの想像を超える壮絶な戦いでした…日本沈没執筆の際、小松さんは、その頃まだ珍しかった電子計算機を使い、書斎にこもりきりで計算を続けたといいます。

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最先端の地球物理学に触発された小松さん、日本列島が沈む可能性はあるのか…海溝も深さや列島が沈むスピードなど様々なデータと格闘し、実際に起き得る事態を想像し続けました。

小松左京事務所 代表取締役 乙部順子さん
「小説というのは、ある意味一種のシュミレーションですよね…頭の中のシュミレーションですよ…日本列島をとにかく沈没させなきゃいけないから、総エネルギー量はどのくらいかかるか、その為にじゃ質量を計算してどのくらいの力が必要か…」

更にもし、国土を失った場合、日本人はどこでどう生きていくかを徹底的に考え尽くしました…有史以来人類は、どう移動し、生き抜いてきたのかなど歴史を検証することで物語を作り上げて行きました。

想像し、検証し、また想像する…気の遠くなるような作業の連続、小松さんは日本沈没の執筆に実に9年を費やしたのです。

 「『未来』というものを扱い始めると、たちまち『巨大な数値』というものに巻き込まれ押し流される…仕事をする意欲も失い、毎日外を眺めてぼんやりしている日が多くなる」(『未来からの声』小松左京著より)

「こんな時、ふと植え込みの外の道から、子供たちの声が聞こえてくると、はっとさせられる。自分の死後に茫漠と広がっている『未来』というものと、初めて生きたつながりを持ち始める」」(『未来からの声』小松左京著より)

身を削るように未来を想像し続けた小松さん、しかし、その思いは当時十分には届かなかったと、親友であるSF作家の石川喬司さんは言います。

高度成長期でバラ色の未来を信じる多くの日本人には、SFは荒唐無稽な絵空事として受け取られる事が多かったといいます。

SF作家 石川喬司さん
「その作品が持っている、本質的な問いかけを、まったく読んでくれようとしなかったんです…SFなんて飴玉みたいなものだ、子供が喜んで読むような、たわいもないジャンルだという偏見を持たれていて…」

その後も小松さんは、未来への警鐘を描き続けました…しかし、一般に受け入れられたのは宇宙人やロボットを主人公にする設定はあっても小松さんが目指すSFとは違うものでした。

1986年、小松さんは想像力の限界に挑むべく、壮大なテーマに取り組みます…遥かなる未来にどんな世界が人類を待ち受けているのか長編小説『虚無回廊』では、小松さん自身を投影した老科学者が宇宙へ飛び出し、果てしない旅を続けます。

しかし、小松さんは結局、この小説を書き終える事が出来ませんでした…晩年、小松さんにインタビューした澤田芳郎さんは、自らの想像力の壁にぶつかり苦悩する小松さんの姿を垣間見たといいます。

小樽商科大学 教授 澤田芳郎さん
「”僕は本当は、いてもたってもいられないんだ”…いてもたってもいられないという言葉は明らかにおっしゃいました。問うても答えが得られない問題に取組んでいる…若しくは、とりつかれているいる自分の自画像だったんじゃないでしょうか」

「私はもう、これまでの一切の絆を断って、完全な『孤独』になる。体験を分かち合うものもいないし、新しい知見を伝えるべき相手もいない…これから先、私の見るもの出会うもの、体験する事柄の一切は、ただ私だけのものになる…この孤独状態は、通常人にはどうかわからないが、私には耐えられる」(『虚無回廊』小松左京著より)

その後、小松さんは、作品を発表する事無く、家に閉じこもりがちになります…しかし、小松さんをもう一度、原点に立ち返らせる出来事が起こります。

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1995年1月、6000人以上の犠牲者を出した阪神淡路大震災日本沈没を執筆し、徹底的に地震のメカニズムを調べたはずの自分は、なぜ震災を予想する事が出来なかったのか…当時64歳だった小松さんは、被災地に足を運び、新聞紙上で震災現場のルポを連載し始めます。

揺れはどう伝わったのか、被害はなぜ大きくなったのか、自治体を始め、消防署や研究者まで精力的に取材、そこには震災の全貌を記録し未来に役立てたいという思いがありました。

小松左京事務所 代表取締役 乙部順子さん
「(小松は)『歴史を未来へ』と言っていたんです…未来と言ったときに、未来はいきなりよそから来るものではなくて、未来は過去の積み重ねであり、今日の積み重ねで未来が作られる…ちゃんと記録しておいてあげなければ、未来の人たちがこの経験を学べない訳です」

親友である石川さんは、この頃、小松さんからかかってきた一本の電話が忘れられないと言います…理論上、倒れないと言われた高速度道路が、なぜ倒れてしまったのか…ある高名な研究者に共同検証を申し入れました。

しかし、その申し入れは、思いがけない一言で断られたと言います。「地震が私たちが考えるより、遥かに大きかっただけです…私たちに責任は無い」

SF作家 石川喬司さん
「学者が”俺の責任じゃない”という発言は小松左京という人格にとって信じられない答えだった…おそらく彼の心がピシャッと潰れたキッカケになったと思うのですよね…かれが信じて生きてきた人間の基本を壊されたと思うんだ」

この連載の心労がたたり、その後、小松さんは精神のバランスを崩しがちになります…亡くなる2か月前、東日本大震災後を生きる私たちに向けて小松さんはこんな言葉を残しました。
「私は、唯一の被爆国の国民であり、SF作家になった人間として言いたい。事実の検証と想像力をフル稼働させて、次の世代の文明に新たなメッセージを与えるような創造力を発揮してもらいたい」

 

 

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