NHK クローズアップ現代
”世紀の発見” ヒックス粒子
広大な宇宙、私たちの住む地球、そして生命はどのように生まれたのか…その謎に迫る世紀の大発見です。
ヒックス粒子と呼ばれる新たな素粒子、物質に重さを与え万物を生み出す神の粒子とも呼ばれてきました。長年その存在を追い求めてきた科学者たち…ついにヒックス粒子と思われる痕跡をとらえました。
その存在を予言したのはイギリスのピーター・ヒッグス博士…しかし半世紀近く見つけることが出来ませんでした。…それを可能にしたのが世界の英知を結集させて作った巨大な実験施設です。
この中で宇宙が誕生したビッグバン直後に匹敵する膨大なエネルギーが発生、現代物理学に残された大きな謎を解き明かしたのです。
ノーベル物理学賞受賞者 益川敏英さん
「かなり衝撃的というか、血沸き肉躍るみたいな感じがしました」
ヒックス粒子はなぜ世紀の発見と言われるのか…わかりやすく解説いたします。
ヒックス粒子とは
私たちの身の回りはヒックス粒子に埋め尽くされていると見られています。もしヒックス粒子が無ければ人間の体は、あっという間にバラバラになると考えられているのです。
至る所にあって重要な役割をもつこの粒子、しかしその存在を長い間、確かめられずにいました…今回ついにヒックス粒子と見られる粒子が発見されたのです。
この発見によって人類が長い間、追い求めてきた私たちのいる世界、生命の成り立ちを知る大きな一歩になると期待されています。
古代ギリシャのデモクレイトスは全ての物質を構成する最も基本的な単位をアトム・原子と呼び理解しようとしました。…その後、この原資ももっと細かく分割する事が出来ることがわかり、電子やクウォークという素粒子が見つかったのです。
現代物理では自然界の全ての現象を17の素粒子で説明できるとしています…すでに見つかっていた16の素粒子、そして今回最後の素粒子、ヒックス粒子が見つかった事で物理学の理論が完成する歴史的な発見と受け止められているのです。
ヒックス粒子の役割
①ビッグバン直後 素粒子は無秩序に動き回る
宇宙の始まりビッグバン直後、素粒子は無秩序に飛びまわっていました…休み時間に小学校の校庭を走り回る子供のようです。…光の速さで自由に駆け巡っていたのです。
②ヒッグス粒子=先生
ここで登場するのがヒッグス粒子です。学校における先生のような存在です。ヒッグス先生が子どもたち(素粒子)に触れるとおとなしくなります。
③素粒子 動きにくくなる
ヒッグス先生がいると素粒子は走りにくくなるのです…このようにヒックス粒子は宇宙が始まった時に秩序を生み出した粒子だと考えられているのです。
④原子のもとが出来る
速度が落ちた素粒子たちはどうなるのか…互いに手を取り合い仲間を作り出しました。…地球や生命を作り出す原子の元になったのです。
⑤”宇宙に秩序を生む” 神の素粒子
このように見つかっているヒックス粒子以外の粒子(電子、クウォーク)が物質を形造るものであるのに対し、ヒックス粒子は宇宙に秩序を生むりゅうしなのです。こういう事から神の粒子と呼ばれています。
⑥私たちの体 10億分の1秒でバラバラに
もしヒックス粒子がなかったらどうなっていたでしょう…素粒子たちはバラバラになり光の速度で走り去ったでしょう。たとえば私たちの体も10億分の1秒でバラバラになるのです。
ヒックス粒子”発見”
巨大実験の裏舞台
物質の成り立ちに大きくかかわっているヒックス粒子をどうやってとらえるのか世界各国の科学者たち英知を集め、ビッグバン直後の状態を作り出す事でヒッグス粒子をとらえようと巨大実験に挑みました。
スイス・ジュネーブの郊外にある研究施設、CERN(ヨーロッパ合同原子核研究機関)、ヒックス粒子の発見を目標に掲げる世界でたた一つの研究施設です。
ヨーロッパだけでなくアメリカやアジアなど世界30カ国以上から科学者が集結、その数は6000人に上ります。
なぜこれまで見つけられなかったのか…ヒックス粒子は空間にギッシリと詰まっていると考えられています。その姿をとらえるには強い力で弾き出す事が必要ですが従来の実験施設では十分な力をかける事が出来ませんでした。
必要とされるエネルギーは宇宙が誕生したビッグバン直後に匹敵する膨大なものだったのです。
ヒックス粒子の探索プロジェクトを率いてきたリンドン・エバンス博士は、43年前からCERNで研究を続けヒックス粒子をとらえようとしてきました。
CERN リンドン・エバンス博士
「ヒッグス粒子を見つけ出すのは至難の業で、これまで十分なエネルギーを生み出せなかった…それを可能にしたのがセルンの新たな装置なのです」
エバンス博士たちが作り上げた新たな実験施設、特別にその内部を撮影する事が出来ました…エレベーターで地下100メートルへ…施設は厳重に管理され研究者でも限られた人たちでしか立ち入る事が出来ません。
更に奥に進むと現れたのは巨大な装置、高さ22m、全長44m、この中でヒックス粒子を生み出そうとしています。
装置の真ん中に青いパイプが通っています…これが膨大なエネルギーを生み出すための加速器です。一周27キロ、山手線とほぼ同じ規模です。
加速器の中では陽子と呼ばれる粒子が飛んでいます。大都市一つ分に相当する強い電力を使ってこの陽子を光とほぼ同じ速さまで加速させ、逆方向から加速させた陽子と正面衝突させます。
この瞬間、ビッグバン直後のような巨大なエネルギーが発生、これでヒックス粒子を弾き出そうというのです。
ヒックス粒子”発見”
支えた日本の技術
当初この加速器はヨーロッパの国々によって建設される予定でした。しかしエバンス博士は壁にぶつかりました。
CERN リンドン・エバンス博士
「ヨーロッパだけで加速器を作る事は技術的に不可能でした…世界中の頭脳を結集する事が必要だったのです」
特に高い技術を必要としたのが加速器の中で陽子をコントロールする方法でした。…光に近い速さで飛ぶ陽子…円形のカーブを上手く回れるように強い磁力をかけます。その強い磁力を生み出すためにはパイプの回りに電磁石のコイルを巻きつけなければなりません。
しかし、そのコイルを作るにはこれまでにない繊細な技術が必要でした。そこでセルン(CERN)が注目したのが日本の金属素材メーカー(古川電工)でした。…長年に渡って世界でも最高レベルのコイルの銅線を作って来ました。
古川電工はセルンからこれまでに無い高い要求を突き付けられました…強力で安定した磁力を作るのは、直径0.8ミリの中に6000本以上の金属を詰め込んだ銅線、これを大量に造ってほしいというのです。
その為には、金属の棒をギッシリと詰め込んだ1メートルの銅の筒を40キロまで引き延ばす必要がありました。…しかし途中で銅線が切れてしまうトラブルが相次いだのです
古川電工 高木亮さん
「20回くらい断線して非常に苦しみました…」
調べると通常では問題にならない極めて小さなゴミが原因だとわかりました…何としてもセルン(CERN)の高い要求に応えたい…試行錯誤のうえ、食器洗浄機まで導入して洗浄の仕方を工夫しました。
その結果、殆ど切れる事無く、銅線を伸ばす事が出来るようになったのです。…巨大加速器はこうした世界各国の技術の結集によって実現したのです。
CERN リンドン・エバンス博士
「日本の企業はヨーロッパにない高い技術をもたらし本当に助かりました。加速器の建設を実現させるためには日本の貢献は欠かせないものでした」
ヒッグス粒子を探せ
科学者たちの奮闘
2008年に運転を開始した巨大加速器、次の焦点は膨大なデータの中からヒックス粒子を見つけ出す事に移りました。世界の科学者による解析が始まったのです。
東京大学 浅井祥仁 准教授は、20年に渡り、日本とスイスを往復してヒックス粒子を追い求めてきました。
東京大学 浅井祥仁 准教授
「これまで20年、20通の論文を書いたんですがどれも発見する事が出来なくて最後に『いかなる兆候も発見できませんでした』という結論をどの論文にも恥ずかしくなるぐらい繰り返し書いてきました…でもようやく発見できるチャンスに巡り合わせて今は非常に興奮しています」
しかし解析は容易ではありませんでした…巨大加速器で起こされる陽子の衝突は、1秒間に数億回…1年間では500兆回を超えます。
その内、ヒックス粒子が生み出されるのは、たった500回程度に過ぎないのです。(500回/500兆回)
東京大学 浅井祥仁 准教授
「陽子と陽子をだいたい500兆回ぶつけている…その中からヒックス粒子が出来たのではないかという事象をふるいにかけて選び出すわけです。本当に干し草の山の中から針を探すような、そんな作業をするのが解析です」
世紀の発見の2週間前、解析は大詰めを迎えていました。各国の研究チームが成果を上げている中で日本のチームは作業が思うように進んでいませんでした。…浅井さんたちは解析の方法に改良を重ね、SERNの研究室に泊りこんで作業を続けました。
浅井さんが納得する結果が集まりだしました…グラフの赤い線はこれまで知られている素粒子です…それとは明らかに違う新たな粒子の痕跡がとらえられたのです。
更に別のチームからも新たな粒子の存在を示すデータが報告され、浅井さんは確信しました。
東京大学 浅井祥仁 准教授
「20年こういう事をやっていますが、…やっぱり…、…(沈黙)…、…言葉にならないというのが一番正しい表現だと思います」
そして今月4日、CERNは世界に向けて宣言しました…。
CERN所長
「新しい粒子を見つけたのです…ヒッグス粒子と見て間違いないでしょう」
半世紀前、一人の科学者によって予言された神の粒子…今月10日に発表された論文には、世紀の発見に関わった世界中の科学者たちが名を連ねていました。