旅cafe

旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。

I Have a Dream ~キング牧師のアメリカ市民革命~

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NHK その時歴史が動いた
I Have a Dreamキング牧師アメリカ市民革命~

マーティン・ルーサーキングJr.…黒人差別の撤廃に大きな貢献をした牧師です。…キングが生きた時代、黒人は激しい差別に晒されてあらゆる権利が奪われていました。

今からおよそ60年前、法律家を目指していたキングはある疑問を抱きます…合衆国憲法に謳われている『正義』と『自由』それがなぜ黒人には与えられないのか…キングは牧師に転身、民衆の中に分け入り、不当な差別に沈黙する黒人たちに覚醒を促します。

やがて黒人たちは団結し、アメリカ国民として当然の権利を求めて立ち上がるのです…そんな黒人たちを白人は暴力を持って抑え込もうとします。…しかしキングは非暴力の姿勢を貫きます。

「正義を実現させる為には正義の行動で戦わねばならない」(キングの言葉)…こうした黒人たちの行動は次第に白人たちの良心を呼び覚まし、ついに時の大統領、ジョン・F・ケネディーを動かします。

あまねく人々の自由と平等を保障する公民権の実現、キングは大群衆を前に訴えます…”I Have a Dream(私には夢がある)いつの日か…” キングの夢、それは人種を問わず国民全てが手にする事が出来る正義の実現だったのです。

建国以来アメリカが掲げてきた正義と自由、それを民衆の手に取り戻そうと戦ったキングの市民革命の軌跡を見つめます。


キング牧師」誕生

今から80年前、南部ジョージア州アトランタ…1929年1月15日、マーティン・ルーサーキングJr.は誕生します。

キングは6歳の時、初めて黒人人種差別の現実に直面します…キングには毎日遊ぶ白人の友達がいました。しかし小学校に上がる直前、白人の友達から告げられます。

「もう一緒には遊べない」…それはキングの心に深い傷を残しました。

白人による黒人差別、それはアメリカ社会全体を覆っていました…安い賃金で働かされ、地域によっては投票権も与えられませんでした。

特にキングが育った南部では、駅の待合室や水飲み場など公共の施設で白人と黒人を差別する人種隔離があからさまに行われていました。

こうした差別には歴史的な背景がありました…黒人はかつて白人が経営する農園の労働力としてアフリカから連れてこられた奴隷でした。

長きにわたり黒人を奴隷として扱ってきた白人は奴隷制の時代を終えた後も黒人に対する態度を変えようとしなかったのです。

更に差別は州によっては合法化されていました…バージニア州法では、…
1.白人と黒人は、それぞれ別の学校に通わねばならない。
2.白人と黒人は、結婚してはならない、犯せば禁固2年ないしは5年の刑に処す。

少年時代の差別体験が心に影を落としていたキング、アトランタにある黒人大学に入学し法律家を目指します。…黒人を不当に扱う法律にあらがう事で黒人たちを差別から救えるのではないかと考えたのです。

様々な法律や判例を調べるうちキングは次第に疑問を募らせます…それは国の最高法規である合衆国憲法の存在です。…アメリカが建国とともに謳いあげた憲法の理念、そこに記されていたのは、正義、自由、…しかしそれは白人と同じアメリカ国民である黒人には与えられていなかったのです。

キングの言葉です。…「我々は印刷された書きものに終わっている憲法を現実的なものにせねばならない」(演説『黒人と憲法』より)

法律と戦うだけでは何も変えられない、そう気付いたキングは宗教や哲学、思想などあらゆる側面から人種差別と向き合います。

そんな中で一人の人物が率いた運動に共鳴します…マハトマ・ガンジーです。…ガンジー大英帝国の植民地であったインドを独立へと導いた指導者でした。

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200年近くに及んだ白人に支配された不当な構造、それをガンジーは大衆を団結させる事で突き崩したのです。

大衆の力、キングは目を開かされます。アメリカの黒人を救うには黒人自らが立ちあがり、団結せねばならない…キングはその拠点となる場を求めます。

拠点として見出した場所は協会でした…当時白人から徒党を組む事を監視されていた黒人たちにとって協会は唯一集まれる場所でした。

1954年 25歳のキングは黒人とともに民衆と戦う覚悟を決め牧師の道を歩み始めます。…キング牧師誕生、それはキングが『I Have a Dream』の演説を行う9年前の事でした。


黒人たちの
差別への気づきと団結

1954年10月、差別との戦いを決意したキング牧師は、南部アラバマ州モンゴメリーの協会に赴任します。…キングの目に映った町の黒人たちは、覇気を失い差別を黙って受け入れていました。

キングは考えます…「黒人たちを腐らせているのは劣等感だった。差別の最大の悲劇は精神までが奴隷となり、麻痺してしまうことだ」(演説『新時代の挑戦に直面して』より)

キングはまず教会での説教に力を注ぎます…その内容はそれまでの牧師と異なるものでした。…聖書の言葉を語るだけでなく、民主主義や人権について分かりやすく説き続けたのです。

アメリカの独立宣言には、こんな言葉が書かれています ”全ての人は平等に作られている”…そこには ”全ての白人” とは書かれていません、黒人をも含む ”全ての人” と書かれているのです」(説教『アメリカの夢』より)

キングの教えに共感する黒人たちは次第に町中に増えて行きました…そんな時ある事件が起こります。

1955年12月1日、ローザ・パークスという黒人女性が仕事を終えバスに乗り込みました…間もなくバスは満席となり、そこに白人客が乗り込んできました。

すると運転手がローザたち黒人に言い放ちます…「席を譲れ!」…実はモンゴメリーの市バスには、人種隔離法に基づいた乗車ルールがあったのです。

前の方に白人専用席があり、黒人はそこに座る事は許されません…更に白人席が満席になると黒人は白人に自分の席を譲らねばなりませんでした。…しかしローザは一人、席を立とうとしません…黒人が座れる席にいたローザはその権利を主張したのです。

バスの乗車ルールに従わなかったローザは逮捕されます…翌朝キングはローザ逮捕の事実を知ります。…そしてついに差別への抵抗を示す運動に立ち上がります。

選んだ方法はバスへの乗車拒否、ボイコットでした…すぐさま町中の黒人に協力を得るビラ作りを開始、バスの乗客の7割は黒人でその数は1日5万人、ボイコットはバスを運営する白人には打撃となります。

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ボイコットの決行は4日後、週が明ける月曜日に決めました…12月5日、ボイコット当日の朝、キングは不安を募らせていました…黒人たちは本当にバスに乗らずにいられるだろうか。

6時前、キングは自宅の前を通過するバスを待ちます…バスは空っぽ…次のバスにも黒人の姿はありません…そして町に出るとキングの呼びかけに応えた多くの黒人たちが自らの足で歩いていたのです。

一方、この日の午後、ローザ・パークスは市の裁判所で有罪となります…しかしローザはすぐに上訴、無罪の訴えとともに人種隔離法の是非を国に訴えようとしたのです。

この動きを受けてキングたち運動の中心メンバーは今後の運動の検討をします…ボイコットを続け社会的な注目が集まれば国を動かし、人種隔離法の撤廃が実現するかもしれない…しかしそれは仲間に大きな犠牲を強いる事になるのです。

キングたちは、その夜の集会で民衆に判断を委ねる事にしました…よる教会に入ったキングは集まった人々の熱気に圧倒されます。1000人収容の協会に詰めかけた人々は5000人、…キングはボイコットを継続するか否か賛成者の起立を求めます。

波打つように全員が起立、満場一致でボイコットの継続が決まりました。

翌日、通りを歩く黒人の数はさらに増えます…そして、その顔には笑顔が溢れていたのです。…「私たちは打ち勝つ、いつの日かきっと…」歩みを進める人々は一曲の黒人霊歌を口ずさむようになります。

歌の名は、『私たちは打ち勝つ We shall overcome』ボイコットは何カ月も続きました…雨の日も雪の日もバスに乗らず歩き続けました。

ある日、足を引きずりながら歩く老婦人がいました…その姿を見かね車を走らせていた運転手が乗せてあげようかと声をかけました。

ところが老婦人はこう答えました…「私は自分の為に歩いているのではありません。私の子どもや孫の為に歩いているのです」…これまで差別に黙って耐えてきた黒人たち、しかし今、一人一人の心の中に『正義』への気づきが芽生え始めていたのです。

バスボイコットの11ヶ月後、黒人たちは画期的な成果を掴みます…連邦最高裁がバスにおける人種差別を定めたアラバマ州法とモンゴメリー条例を違憲とする判決を下したのです。

ボイコットは終わりました…差別の無くなった町をバスが走り始めました…それはキングが『I Have a Dream』の演説を行う6年8ヵ月前の事でした。


I Have a Dream
キング伝説の演説に向けて…

1960年代に入ると黒人の運動は各地に広がって行きます…しかし一方、それを封じ込めようとする白人の反発が激化します。

アラバマ州バーミングハム、この町では行政や警官が率先して黒人に圧力をかけていました…1963年1月、新たに選ばれた州知事は人種隔離の徹底を宣言します。

「人種隔離を今! 人種隔離を明日も! 人種隔離を永遠に!」…更に先鋭化した白人の暴徒が黒人の住居や教会へ爆弾を投げ込むテロが多発します。

1963年3月、キングは次なる運動の場をこのバーミングハムに定めます…町に乗り込んだキングの前には白人の暴力に対し、激しい憎悪を募らせる黒人たちがいました。…ここままでは暴動になる…キングは黒人たちを諭します。

「『自由』と『正義』の闘いにおいて最も強力な武器とは、『非暴力』なのです」…キングが求めたのは非暴力による抵抗でした。…正義を勝ち取るには、あくまで正義の行動で闘わなければならない。

1963年5月、2ヶ月後キングは大規模なデモ行進を行います…そこには学生や子どもたちも多数参加しました。…デモには全米のメディアの注目が集まります。

行進が始まって間もなく、警察や消防隊が現れます…そして黒人の群衆に向け放水を開始、学生や子どもたちも道路の脇に叩きつけられます。

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更に投入されたのが警察犬でした…警官は何頭もの犬に黒人を襲わせたのです…この瞬間を一人の白人ジャーナリストがとらえました。

写真には警官が無抵抗の若者の胸倉を掴み犬に噛みつかせる様子が写し出されていました…この写真は翌日の新聞やテレビニュースで取り上げられ、その残忍な行為が全米中に知らされます。

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黒人の運動を取材していたジョン・ハーバース記者です。…取材を重ねるにつれハーバースさんの心は変化して行きました。

元UP記者 ジョン・ハーバースさん(85歳)
「客観的報道者という立場にいたにも関わらず、私は黒人たちの行動に対して次第に尊敬の念を抱くようになりました。…白人に抵抗すると暴力を受け死ぬ事すらあるにもかかわらず、ひるまず立ち上がろうとしたのです。私だけでなく当時この運動に立ち会った誰もが同じ思いを抱いていました…正義はどこにあるのかと」

新聞には白人自身の中から正義を欠いた白人の行為に批判の声が寄せられます…「国家の不名誉」、「見せかけの民主主義」…非暴力で差別の撤廃を求める姿は白人の良心を目覚めさせました。

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事態の収拾を図る為、デモの翌日、ついにアメリカ大統領ジョン・F・ケネディーが動きます。…「来週、私は議会に今世紀成し得なかった強力な公民権法案を提出します」

公民権法・Civil Rights Act…それは人種を問わずアメリカ国民の自由と平等の権利を保障するというかつてない強制力を持つ法律でした。

この公民権法を必ず実現させねばならない…キングは闘いの原点を問い返します。…それは憲法に謳われた正義と自由を全ての人々が手にできる事、そしてキングはかつてないデモ行進に挑みます。

舞台は首都ワシントン、1963年8月28日、デモ行進当日、全米から次々と人々が集まって来ます。…行進が始まります。

その様子はこれまでのデモとはまったく違っていました…黒人と白人が手を携えて歩んでいたのです。…そして人々の間に歌声が広がって行きます。

それはあの団結の歌、『私たちは打ち勝つ We shall overcome』…参加した人々は25万人、皆歓喜にあふれ行進を続けます。

そしてその時、1963年8月28日、午後4時前…キングの演説が始まります。

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I Have a Dream(私には夢がある)
いつの日かジョージアの赤土の上で
かつての奴隷の子孫と奴隷主の子孫が
兄弟愛のテーブルに仲好く座れる日が
来る事を…I Have a Dream

今日ここに多くの白人の友が
集まっています
白人の運命もまた我々黒人の
運命とともにあるのです

白人と黒人の自由は決して解く事の
出来ない絆でつながれています
我々は一人では歩いて行けないのです。…マーティン・ルーサーキングJr.

キングの夢、それは肌の色も過去の歴史をも乗り越え、皆が共に手を取り合う団結だったのです。

1964年7月2日、ついに公民権法が成立します…合衆国憲法で掲げられた正義と自由、それは憲法制定から180年の時を経てアメリカ国民自らが手にする事になったのです。


その後の
キングの足跡…

公民権法が成立した後もキングの活動は続きます…社会に深く根を張るあらゆる差別、そして貧困…それらの問題を解決するには歩みを止める事は出来ませんでした。

更にキングが積極的に社会に訴えていた事がありました…それは反戦です。…共産勢力の拡大を防ぐといういわゆる正義のもと始まったベトナム戦争アメリカは大量の軍事力を投入しますがベトナム民衆の激しい抵抗を受け、戦闘は泥沼化して行きました。

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キングは民衆に訴えます…「我々は今、黒人と白人の若者たちが一緒に殺人を犯し死んでゆくという残酷な皮肉に直面しています。現在戦われている戦争を無視してアメリカの誠実さを語る事は出来ないのです」(演説『ベトナム戦争を越えて』より)

問いかけはそれだけに終わりません…「今、私の心はベトナムの民衆にも向けられます…彼らの切れ切れの叫びに耳を傾けない限り、いかなる解決も生み出せないのです」(演説『ベトナム戦争を越えて』より)

人種、宗教、イデオロギーを超えて人間の尊厳を守る…それがキングにとっての真の正義でした…しかし…

1968年4月4日、キングは白人の凶弾に倒れる 享年39

キングの闘いは道半ばで途絶えます…しかしキングが求めた夢はついえる事無く、後の世代に引き継がれてゆくのです。

毎年、1月の第3月曜日アメリカは祝日となります…その名は、キングスデー…キングの誕生を祝う日です。

この日アメリカ各地では市民による行進が行われます…真の正義とは何なのか、人々がキングの思いに立ちかえる日なのです。

今も尚、人々の良心に問いかけるマーティン・ルーサーキングJr.…彼が死を前に人々に語りかけた言葉です。

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We shall overcome(私たちは打ち勝つ)
たとえ遠回りをしたとしても
行き着く先に『正義』があるかぎり

We shall overcome
なぜなら『偽り』が
永遠に生き続ける事はないから

We shall overcome
私はそれを
心の深いところで信じている

I Have a Dreamキング牧師アメリカ市民革命~