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大正ロマン 竹久夢二の生涯…愛と悲しみの「カワイイ!」

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NHK 歴史秘話ヒストリア
明治の終わり彗星のように現れた画家、スーパースター竹久夢二・・まさに日本の ”カワイイ!” の元祖です。

細くやわらかくはかなげなからだ・・憂いを秘めた伏し目がちのまなざし・・モダンで上品、シンプルな線で描かれた繊細な横顔・・大胆でのびやかなポーズ、そして華やかな色使い・・夢のような美人画・・ 画家 竹久夢二 大正ロマンの世界。

竹久夢二は、夢のような美人画を描きながら夢と現実の狭間でさまよい続けた人生でした。

明治17(1884)年 岡山県瀬戸内市に夢二誕生・・父は大きな酒屋を営む実業家。
明治34(1901)年 夢二(16歳)上京、絵を目指した夢二だが父親の命令で早稲田実業入学。
明治38(1905)年 夢二(20歳)仕送りが少なく夢二はアルバイトで新聞の風刺画を描き始める・・夢二のデビューは戦争に反対する反戦風刺画からスタートします。
そして少年雑誌のコンクールで一等賞をとり、この受賞をキッカケに雑誌のイラストで生活して行けるようになります。

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当時、大衆向けの雑誌が次々創刊され、コマ絵と呼ばれるイラストが人気企画、その多くが伝統的な日本画を学んだ画家が型どおりの手法で描いたものでした・・正式に絵の勉強をしてこなかった夢二の絵は、新しいコマ絵として若者達の心をとらえました。

大きな夢をいだいて出てきた都会で若者たちを待っていたのは、孤独、郷愁・・そういった思いに夢二の絵は応えたのです。

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明治39(1906)年 夢二(22歳)運命を変える女性、岸他万喜と出会う・・目鼻立ちがハッキリした評判の美人で年上の他万喜に一目惚れ、出あって2月で結婚します。

夢二は、他万喜を描き続けます・・他万喜の大きな眼・・やがて仕事のコマ絵に変化が生まれます・・女性の目が見る見る大きくなったのです・・夢二独特の表現です。

金沢21世紀美術館 学芸員 高橋律子さん
「挿絵の世界は、日本画家出身の画家が多かったので切れ長の目の美人が描かれました・・夢二が描いた大きな眼は、当時の固定化された美人画の様式から逸脱するものです・・夢二としては、コンプレックスであった絵の専門教育を受けていない事が有利に働いたのではないでしょうか」

明治42(1909)年 夢二25歳 最初の画集出版「夢二画集 春の巻」 夢二初期の魅力が詰まっています・・ぱっちりした大きな眼につぶらな瞳、「カワイイ!」 でいっぱい・・この画集は若い女の子達に大人気、ベストセラーになります。

夢二の様式は 「夢二式」 と呼ばれるほど名を上げて行きます・・大正ロマンの時代、女の子たちは夢二の絵のファッションを競ってまねをするようになります。

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出版や広告の世界で大スターとなった夢二ですが絵描きとしての自分に疑問が膨らんできます・・孤独や悲しみを芸術作品として表現したい・・美術学校にも行かず画壇にも属さない夢二は、独学で試行錯誤を繰り返します。

「考えても考えても自分は生きねばならぬのだ、いやパンのおあしを稼がねばならぬのだ。芸術と言う概念が小生の心であやしく崩れて来ているのに気がつく」・・友達に宛てた手紙より

大正3(1914)年 夢二(30歳) そんな時、若い女性と出会うのです。笠井彦乃18歳、日本画を学んでいた夢二のフアンです。・・すぐに二人は恋に落ちます・・既に妻、他万喜とは離婚していた夢二ですが子供がいたことで同居と別居を繰り返していたのです・・そんな夢二との交際を彦乃の父親は大反対。

大正5(1916)年 夢二(32歳)何もかも中途半端、逃げるように京都へひきこもった夢二でした。・・孤独を癒すはずの恋愛、しかし癒すどころかなさけないほどの泥沼、夢二は自分の現実を悲哀として表現すれば芸術へと近づくのではないかと思い至った。

親に絵の勉強の為と偽り、彦乃は京都で夢二と暮らし始めます・・しかし京都に来て8ヶ月、彦乃は倒れます・・結核でした。

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夢二が写した療養中の彦乃です・・顔はやせ細り、どこか憂いを秘めています・・縞柄の着物で座る姿は儚く今にもくずれそう。

大正7(1918)年12月 夢二34歳 彦乃は父親によって夢二と引き離され病院に入院、夢二は面会を拒否されます。

夢二は、彦乃が入院する病院の近くに宿をとり絵筆を握ります・・そして愛と悲しみの名作 竹久夢二の代表作である 「黒船屋」 が出来るのです。

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大胆で華やかさに満ちた色使い・・その明るさが細くやわらかくカーブをえがいた女性の美しさを際立たせます。

崩れそうな体を支えるかのようにしっかりと黒猫を抱きしめる手、闇のような黒に浮かび上がる手の白さは命の儚さでしょうか。

憂いをたたえた眼差し、いくどもいくども色を重ねて表現した白い肌、塗り込めたのは悲しみの涙・・「黒船屋」 が完成した一年後、彦乃は24年の生涯を終えます。

しかし夢二の彦乃への思いは、この名作とともに永遠となったのです。

その後、夢二は50代目前で欧米に遊学・・最初の地アメリカは、大恐慌の真っただ中・・ヨーロッパに渡るもファシズムが吹き荒れナチスが台頭する時代、夢二は、迫害を受けるユダヤ人の女性を描きます。

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夢二らしからぬ凍りつくような目、安住の地を追われさまよい続けるユダヤ人達・・夢二自身も結核を患って体調を崩します・・芸術家としての自分を探し求めるも時代は、夢二をヨーロッパにおいてはくれませんでした。

昭和8(1933)年9月 夢二帰国 2年あまりの放浪は終わりました・・やがて結核が悪化し入院。
昭和9(1934)年9月1日 竹久夢二 死去 享年49歳・・独自の芸術を求めさまよい続けた日々も静かに幕を下ろしたのです。

 

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