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NHK 100分de名著より…ブッダ ”真理のことば”

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NHK 100分de名著

ブッダ ”真理のことば” 第1回 『生きる事は苦である』


生きる事は苦しみである…2500年前にインドの地で仏教を起こし広げたブッダ、…ブッダは人生に付きまとう苦しみを見つけ悟りを開きました。

今回読み解くのは、ブッダ本人が語った教えが収められている『真理のことば』です…人生を襲う様々な苦しみに人はどう立ち向かって生きて行けば良いのかブッダの言葉からその答えを探ります。


花園大学 佐々木閑 教授
『「真理のことば」=ダンマパダといいましてブッダが弟子たちに説いた悟りの道を誰にでもわかる簡単な言葉で423詩にまとめたものです。

人間の苦しみは2つあります
1.災害や事故など避けがたい人生の苦しみ
2.自分の欲求からくる自分の心が生みだす苦しみ
仏教は、どちらの苦しみも消したいと考えられているのです。

「物事には発生と消滅があるという事を理解せずに100年生きるよりも発生と消滅の原則を見通しながら1日生きる方が優れている」(『真理のことば』113より)

ブッダが考えたのは、この世の中が全て苦しみであるならば、その沢山の無限にやってくる苦しみを自分がしっかりと受け止めて、その苦しみを感じないような自分を作らなければいけないと…自分自身を変えるという事がブッダが考えた一番の目的です。』


”盛者必衰を理解しなさい…諸行無常を知って生きよ”
世の中自分の思いとは関係なく常に移り変わる…だから苦しみが生まれるとブッダは説きました。…更にブッダはその苦しみを解決する方法についても言及しています。

苦しみを生む原因は心の中にあるのです。…これを煩悩といいます…苦しみを解決するには、私たちの心を変えればよいというのです。

その為には正しい行いをする事です。


八正道
正見(正しい知見)
正思惟(正しい考え)
正語(正しい言葉)
正業(正しい行為)
正命(正しい生活)
正精進(正しい努力)
正念(正しい疑念)
正定(正しい瞑想)
正しい見解で日々を過ごせとブッダは言っています。

世の中には正しいという基準は沢山あります…道徳的に正しい、法律的に正しい…ブッダが言う正しいは、正しく世の中の事を見るという事です。

自分を中心に考えると正しい見解が見えない…私こそが世界の中心であるという錯覚が正しくない見え方です。…なぜなら世界は私の事など考えずに動いてゆくからなのです。

八正道の中には、突拍子のない荒業とか苦行とかは無いのです…別に出家しなくとも日常の中の心構えで八正道を続けて行けば良いのです。

八正道を積み重ねて行くと本当の世の中の在り方が見えてきます…その時に人は多くの苦しみから解放されるとブッダは説いているのです。


花園大学 佐々木閑 教授
ブッダは人間です。…キリスト教イスラム教の神様のような存在とは、まったく違います。ブッダは歴史上の人間です。

だだ我々と違うのは、どうやったら人生の苦しみを逃れる事が出来るかを考え、それを集中的に修行する事によってその道を見つけ出し、それを私たちに教えてくれた事です。』

 

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自我を見つめたブッダ
苦しみの原因を追究し、解決する方法を説いたブッダ、…ブッダはどのようにして悟りの境地に至ったのでしょうか。

ブッダ釈迦族の王子、ゴータマ・シッダールタとして生まれました…16歳で結婚し、子どもも設け、何不自由なく暮らしていました。…しかしある時、王宮の外で人々の暮らしを見た事が彼の運命を変えました。

それは人生が、生、老、病、死、という苦しみに満ちている事を知ったからです…それはやがて自分の身にも起こる事に気付きました。

シッダールタは苦しみを克服する術を得ようと29歳で出家を決意、修行しながら深く思索を続けました。…そして35歳でついに菩提樹の下で悟りを開き、目覚めた人=ブッダとなったのです。

「私は、苦しみの基盤である『自分』という家の作り手を探し求めて、幾度も生死を繰り返す輪廻の中を得る者も無くさ迷い続けた…何度も何度も繰り返される生は苦しみである。

だが家の作り手よ…お前は見られたのだ、もう二度と家を作る事はできない…その垂木は全て折れ、棟木は崩れた、心はもはや消滅転変することなく渇愛の終息へと達したのだ」(『真理のことば』153-154)

花園大学 佐々木閑 教授
『上記、真理のことばを解説しますと…家というのは、私を中心とした自我の世界、誤った自我意識です。…ですから輪廻の中を得る事無くというのは、私中心の世界はどこだと探し続けたという事です。

しかしそれは見つからない…探しても見つからないからそれが苦しみの連続になるのです。

ところがブッダはそれが虚構の世界だと気づくのです…そのとたんに作ろうとしていた虚構の家の構造は崩れてしまいます。

気がついて見ると、今まで探し求めていた私という世界は無いじゃないか…その時、初めて無いものを探していた、その苦しみが消えるのです。

そして本当の安楽が来る…これが釈迦が長い修行の結果、到達した境地なのです。』

「苦しみ」は、自分中心の世界から生まれる…心に苦しみを持った人の為…ブッダの言葉は「心の病院」なのです。

 

 

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NHK 100分de名著

ブッダ ”真理のことば” 第2回 『うらみから離れる』


誰しもが抱えてしまう ”うらみ”…人はなぜ「うらみ」を抱くのか?…どうすればそこから離れる事が出来るのか…今回は、恨みの連鎖について読み解きます。

『真理のことば』197より
ブッダの親族であるシャカ族とコウリア族が、互いを滅ぼしかねないほど激しい争いをしていました。…そこへブッダが現れ尋ねます。

ブッダ:「これは何の争いですか?」
将軍も副将軍も:「??…」
ようやく奴隷に問いただして初めて水の利権争いだとわかったのです。

ブッダ:「大王よ…水にどれほどの価値があるか?」
大王:「わずかです」

ブッダ:「部族にどれほどの価値があるか?」
大王:「図り知れません」
ブッダ:「わずかな水の為にはかり知れない部族を滅ぼす事はふさわしくありません」

この言葉を聞き、シャカ族とコウリア族の争いは鎮まって行ったのです。

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花園大学 佐々木閑 教授
『小さな原因であったのにそれが増幅されて行って最後には、何のために戦っているか分からなくなってしまう…これこそ我々が自分自身で生み出す苦しみの代表的なものです。…この教えに基づいた有名な出来事がありました。

1951年、サンフランシスコ講和会議で『真理のことば』を用いた重要な演説が行われました。…
太平洋戦争の賠償について日本に対して、厳しい条件を提示する国も少なくありませんでした。

こうした中、セイロン(現在のスリランカ)の代表として出席したジャヤワルデネは印象的な演説をします。…ジャヤワルデネは戦争中に受けた日本軍による空襲などの被害を指摘した上でこう語りました。

「我が国は、日本に対して賠償を求めようとは思いません…なぜなら我々はブッダの言葉を信じているからです。…”憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む”」

この世では
うらみがうらみによって
鎮まるということは
絶対にあり得ない

うらみは、うらみを
捨てる事によって鎮まる
これは永遠の真理である。(『真理のことば』5より)

恨みとは煩悩の一つです…煩悩とは人間である限りあるのです。…ブッダはこの煩悩を消すために修行したのです。

煩悩とは、恨み、執着、傲慢、しかしその大元に親分のような煩悩があるとブッダは気がついたのです。…それは無明です。』


無明とは?
煩悩は、自分に中に無数にあるがその極みが無明である…大元の汚れが無明だ…明とは知恵の事、知恵とは、この世の在り方を正しく見て行く力です。

それが無いのが無明です。…愚かさです。無明は愚かさの別名、…つまり、「この世のありさまを正しく見る事が出来ない」これが煩悩の正体です。

無明とは、自分勝手に解釈して正しく見る事が出来ない事です…


愚かな者が
自分を愚かであると自覚するなら
彼はそのことによって賢者となる

愚かな者が
自分を賢いと考えるなら
そういう者こそが
愚か者と言われる(『真理のことば』62より)

これは特に無明を語った言葉です…私たちは生まれつき皆、煩悩を持っています。…だから私たちは本質的に愚かな考え方をします。

しかし、自分の中に無明があると気付いた時にその人は愚かさから抜け出す事が出来るのです。


ブッダが煩悩を消し去り
悟りを開くまで
人間は、生まれつき煩悩を持っているとブッダは考えました…ではブッダ自身はどのように煩悩を消し去って行ったのでしょうか。

ブッダは実在した歴史上の人間です…悩み、苦しみ、間違って最後の結果として悟りを開いたのです…ブッダが悩み苦しみ、最終的に悟りを開いた道筋は素晴らしいものなのです。

元々、釈迦族の王子、ゴータマ・シッダールタだったブッダ、…ブッダはどのようにして悟りを開いたのでしょうか…それは修行の過程である間違いに気付いた事がキッカケでした。

インド北部にある前正覚山、出家した後、シッダールタは6年間この山で断食をはじめ、様々な修行を行ったと言われています。

腹の皮は背中に接するほどまでになり、時には生死の境をさまよう事もあったといいます…しかし煩悩は消えませんでした。

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どんなに過酷な修行をしても悟りを得る事は出来ない…間違いに気付いたシッダールタは苦行を放棄し、山を下ります。…衰弱したシッダールタは村娘スジャーターから乳粥の供養を受け健康を取り戻します。

その後、菩提樹の下で苦行から瞑想の修行へと切り替え、悟りを開き、目覚めた人・ブッダとなったのです。


花園大学 佐々木閑 教授
『6年間も苦行して身体を傷めつければ忍耐力は付くのですが煩悩は消えない…煩悩を消そうとするのなら、煩悩を消さねばならないという心の集中力を持続して、心の中に努力の方向を向けねばならないとブッダは気付いたのです。

ブッダの苦行は何人かの仲間と共にしていました…ところがブッダは苦行が意味のない事だと無駄だと気付き方向転換をした。…残った仲間は、『あいつは堕落した…落伍した人間だ!』といってバカにしたのです。

しかしブッダは正しい道はこれだと決めて瞑想修行に入り、菩提樹の下で悟りを開いたのです。』

 

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ブッダ『真理のことば』
うらみから離れるには?
例えば、サラリーマンが人事異動で希望とそぐわないポストに就かされると不満の心で苦しみます。…ライバルの告げ口、上司が陥れたなどいろんな事を思ってしまいます。

しかしブッダの教えでは、希望のポストに就く事が本当に幸せなのかという大元から考えるべくです。…別の道はないか…ポストに就いて出世する事を幸せの道だと設定しているから苦しみになるのです。

出世街道から外れる…外れると考えるとそれも苦しみになります。

ですから、それとは違う自分の生きる道を探す事が大切です…ブッダの教えは一歩一歩です…何か特別な事で一挙に消える事はありませんから毎日少しづつです。

毎日少しづつトレーニングを積み重ねて、ブッダが説いた理想の境地に少しづつ近づいてゆく…それがたとえ完成しなくとも、毎日少しづつ良くなっているという思いは、私たちにとっては、とても励みになるのです。

このような思いを持って暮らせば、現代の日常生活を豊かな気持ちで送る事が出来るのです。

 

 

 

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NHK 100分de名著
ブッダ ”真理のことば” 第3回「執着を捨てる」

私たちは日常生活の中で様々な事に執着して生きています…しかしそれが望み通りにならない時、人は苦しみます。

自分の人生を縛りつけ柔軟に考える事を奪ってしまう執着、2500年前、ブッダは執着から苦しみが生まれると説きました。…執着にとらわれない自分を作るにはどうしたらいいのか、そのヒントを探ります。

花園大学 佐々木閑 教授
『執着といっても例えば、ブッダの言葉を信じてその道を進むというのもある面から言うと執着です。…私が一生懸命に仏教学の学問をす…この学問の道も執着です。

しかし、世の中には愚かな執着があります…その執着によって必ず苦しみを生み出してしまうものがあります。』


苦しみを生む執着とは?
『真理のことば』347より
「貪欲に染まった人は流れのままに押し流されていく、それはまるで蜘蛛が自分で作り出した糸の上を進んで行くようなものだ。…一方賢者は、その貪欲を断ち切り執着する事無く一切の苦しみを捨てて進んで行くのである」

執着とは自分で作り出すのです…愚者は、自ら作り出した執着という道を進んで自ら苦しんでしまう。…一方、賢者は貪欲を断ち切り執着しない、すると自由になって苦しみを捨てる事が出来るのです。

執着は、ある事にとらわれるあまり自分の人生を縛りつけてしまします…執着する事で選択しを失い自分自身を追い詰めてしまうのです。…ブッダは、そうした執着は自分の回りの人にまで及ぶといいます。


『真理のことば』62より
「愚かな人は、『私には息子がいる』『私には財産がある』などといってそれを思い悩むが自分自身がそもそも自分のものではない、ましてやどうして息子が自分のものであろうか、財産が自分のものであったりしようか。」

私には息子がいる、だからこの息子は私のものだという所有の気持ちが起こると、息子の人生に対してまで執着が起こるのです。

後継ぎの息子が別の道を進んでしまう…するとつらい苦しみが生まれます。場合によっては息子を憎むようになります。

しかし元々、息子と自分は別個の人格であり、一人の独立した人間であるのに息子は自分の所有物であるので自分の好きなように動かせるのだ、自分の好きなように生きるべきなのだと考えてしまう…間違った考えにより生み出された執着により、愚者は苦しむのです。

子どもまで自分の所有物だと思い込み、自分の思い通りにしようとする…執着は自分勝手な思い込みを生むとブッダは考えました。

そうした執着にとらわれないためには自分自身を変えるしかないとブッダは説きます。

人間を構成する肉体は、永遠に続くものではなく、いつかは衰えて行きます…その為、自分の姿に執着しても意味がありません。…ただし心は衰える事は無く、鍛える事が出来るとブッダは説きます。

執着にとらわれない柔軟な意思をもち将来の道筋を決めて行く事が大切なのだとブッダは考えたのです。


花園大学 佐々木閑 教授
『今いる私も、その先にいる私も別物です…だから今の私を変える事によって将来の道筋を決めて行くという意思を持って生きるのです…だから仏教は宿命論ではなく、今の努力が先の自分を決めて行くという修行の宗教になるのです。』

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意思を持って生きるとは?
ブッダは執着という者は非常に良くない事だと…煩悩の中でも特に大きな煩悩だと言っています…ですからブッダは驚く事に ”自分の教えにさえ執着するな” というのです。

目的のためにブッダの教えを利用し、目的を達成したらその教えは捨てなさいとブッダは言っています…つまり、その場、その時で最良な道を選ぶのです。


『真理のことば』160より
「自分の救済者は自分自身であり、他の誰が救ってくれようか…自分を正しく制御してはじめて人は得難い救済者を手に入れるのだ」

自分の心を正しい方向に向けて行く事によって初めて自分自身を苦しみから救う事が出来る…自己の救済者は自分自身だとブッダは説いています。

自分自身の意思を頼りにして生きなさい…それがブッダが最後に伝えたかった事なのです。…その時、重要なのが自分の心を正しい方向に向けて行く為に、物事の原因と結果を突き詰める事だとブッダは説きました。

例えば、執着で苦しんでいる時ならその苦しみの原因を見つけ、無意味な価値観に縛られないよう心を整理する事が大事だと諭したのです。

 

 

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NHK 100分de名著 第4回
ブッダ『真理のことば』 世界は空なり

私たちが見ているのは常に変化するかりそめの世界、『空』であるとブッダは説きました。…その本質を見る為には世の中を客観的にとらえる事が大事だといいます。

修行僧モーガラージャがどうしたら死を乗り越えられるかをブッダに尋ねた時の言葉…
「いつも物事の本質を考えるようにして『ここに自分というものがある』という思いを取る除きこの世のものは空であると見よ。そうすれば死の苦しみを越える事ができるであろう」(スッタニパータ1119)

花園大学 佐々木閑 教授
『解説しますと自分というものは絶対的な存在物ではないという事です。私というものは様々な要素が重なって出来ているので『私』というものは無いのである…空っぽ…空である。空というのは、形はあるが本質は無いということ。

私というものは一つとして存在しているかのように見えますが実際は、次の瞬間に別のものとして移り変わっているのです。

記憶がそれを引きずって同じものだと思わせているのです。…つまり、私というものは空なのです』

空とは自分が見ているものは常に変化している、かりそめの世界だと思えというブッダの教えです。…世の中を空と見るには客観的に世の中を見る事が大切だとブッダは説きました。しかしそれは容易ではありません…執着や恨みなど様々な煩悩にとらわれているからです。

ではどうしたらいいのか…大事なものは心の持ち方だとブッダはいいます。


「物事は心によって導かれ心に仕え心によって作り出される。もし人が汚れた心で話し行動するなら、その人には苦しみが付き従う、あたかも車輪がそれを牽く牛の足に付き従うように」(『真理のことば』1)

花園大学 佐々木閑 教授
『外界からの認識に対して執着、無明、恨み、などの煩悩がフィルターになって物事を自分中心に作り上げてしまう…それが実際の世界だと思い込んでしまう。

つまり心の持ちようで見え方が決まってしまうという事です。…心の持ちようで我々の心に苦しみが生まれるか生まれないかが決まってくるのです。…心を正しく保つためには訓練が必要なのです。

学校や社会で勉強して客観的なものの見方を身につけて大人になって行く、正しいものの見方を身につける事です』

ブッダは心の持ちようを訓練すれば自分勝手な思いにとらわれず、苦しみから逃れる事が出来ると説きました。それが世の中を空ろ見ること…客観的に真実をとらえるという事なのです。

ブッダはものごとを客観的に見るには心のコントロール、精神の集中が必要だと説きました。

人は時として苦しみや悲しみなどの感情に溺れてしまいます。そうした時に正しい判断が出来なくなり、自分を追い詰めてしまう事があります。

そんな時こそ自分の状況を客観的に把握し、生き方を変える勇気が大切になります。ブッダは苦しみから逃れる為には強い意志が必要だと説いたのです。