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フランクル 夜と霧 絶望の中で見つけた希望

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NHK 100分de名著
フランクル 夜と霧 絶望の中で見つけた希望

多くの人が過酷な運命に巻き込まれた東日本大震災、あの日以降、被災地を中心に注目を集めた一冊の名著がありました。

ヴィクトール・フランクル『夜と霧』ユダヤ人の精神科医フランクルナチス強制収容所での壮絶な体験をつづった記録です。

仙台市の書店では、震災から10日あまり後、いつもは新巻を置くコーナーにあえて50年以上前に書かれた夜と霧を置きました。

書店員:「お客様がものすごく本を真剣に選んでいる感じだったので…最初の3ヶ月ぐらいは毎週のように仕入れて売っているという状況でした」

震災後多くの人が夜と霧を手に取った訳、そこにはどんな絶望的な中にも必ず希望は見つけられるというフランクルの力強いメッセージがありました。

100分で名著、夜と霧が先の見えない時代に一条の光を照らします。

 

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ヴィクトール・フランクル著『夜と霧』
・1940年ウィーンで出版
・20以上の言語に翻訳、アメリカでは1000万部を超えるベストセラー
・1956年日本語版で出版、現在までに100万部が発行

今週の指南役、
明治大学 教授 諸富祥彦 先生に話を聞きます。
『…特にアメリカでは、『私の人生に最も影響を与えた本』 というランキングでベストテン入りしている唯一の心理学、精神医学関係の本なんです。

強制収容所内での人間観察をありのままに記したという生々しい本です。悲惨な状況がもの凄く書かれているんですけど、微かに希望の光が見える…そういった本です。…』


世界的ロングセラー夜と霧、その原題は、『強制収容所における ある心理学者の体験』精神科医ヴィクトール・フランクルは1942年9月、強制収容所に入れられました。

故郷ウィーンを追われ、チェコポーランド、ドイツと収容所を転々とさせられた2年半、中でもフランクルに強烈な記憶を焼きつけたのが、あのアウシュビッツ強制収容所です。

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収容所に到着すると彼らはすぐに長い列に並ばされました…その先でナチスの将校が人々を二手に分けていました。…人差し指の僅かな動きだけで…フランクルの番が来ると将校は少し考えた後、右に向うよう指示しました。

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大半の人は左側に行かされました…そこには彼の同僚や友人もいました。フランクルは古株の囚人に尋ねます。

フランクル:「私の友人はどこに行ったのだろう」
囚人の回答:「お前の友達は、あそこで天に上ってるよ」

生死が将校の指先一つで決められました…さらにあらゆる財産、所持品は没収、ヴィクトール・フランクルという名前は奪われ、119104という番号で呼ばれました。

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人生のすべてを奪われ、待っていたのは、飢えや寒さ過酷な労働、そんな極限的な状況の中でフランクルは人々の心を見つめていったのです。


収容所に入れられた人たちの
心理状況とは・・・
フランクルは人々の心に生じたある現象を記しています。…それは、『アパシー』(apahhy 無感情・無感動)…感情が無くなったのです。

過酷な強制労働の日々、監視役の理不尽な暴力を受けている人を見てもただ眺めているだけ、…朝、仲間が死んでいても何の感情もおきない。

苦悩する者、病む者、死につつある者、死者…これらすべては数週の収容所生活の後には、当たり前の眺めになってしまって、もはや人の心を動かす事が出来なくなるのである。

やがてフランクルは、生きる事を放棄してしまう人を目にするようになります。…点呼の時間になってもベッドから起き上がれなくなってしまう人、…食料と交換出来る貴重なタバコを吸い尽くしてしまう人、…彼らは生き残る事はありませんでした。


生死を分けた
”未来” への希望

明治大学 教授 諸富祥彦 先生
『…多くの人が生きのびる事が出来なかったわけです…なにが僅かに生き残った人とそうでない人を分けたのかといいますと、”自分には未来があるんだ” と信じる事ができた僅かな人だけが最後まで生きられたんです。

フランクルが上げている例で印象的なのが、「クリスマスの日が来たら私たちは解放されるはずだ」 という噂が流れたんです。しかしクリスマスがやってきたのに解放されなかったのです。

翌日から多くの人々がバタバタと命を落としていったのです。…解放されなかった現実を目の当たりにして希望を失って多くの方が亡くなっていったんです。

しかし、違う希望を持っていた…自分たちはいつかは解放されるという未来に可能性を信じられた人だけが生き残っていったのです。…』


フランクルは、絶望的な収容所生活の中でどんな人が生きる事を諦めなかったかを語っています。…「繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも、収容所生活をよりよく耐え得た」…フランクルのいう ”繊細な性質の人間” とはどんな人だったのでしょうか。

つらい労働の後、すし詰めの貨物車、くたびれ、腹をすかせ、凍える闇の中、そこでフランクルが目にしたもの…それは神に祈りを捧げる人々でした。

また労働の間の僅かな食事休憩、一人の男が樽の上に上がり、イタリアオペラのアリアを歌い始めました。ほんの一時であれ音楽で心を癒している人たち…。

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神に祈り、音楽を楽しむ…それがつらい収容所生活を支える大きな力になっていた事をフランクルは発見したのです。


誰にも奪えない
人間の ”最後の自由”
フランクルはいかに絶望的な状況の中にあっても、人間性を失わなかった人があった事を指摘しています。

強制収容所を経験した人は、誰でもバラックの中を、こちらでは優しい言葉、あちらでは最後のパンの一片を与えて通って行く人間の姿を知っている。

とても人間とは思えないような仕打ちをする人がいる一方で、どんな状況の中でも他人に手を差し伸べる優しさを失わない人がいました。

フランクルは確信します。…「与えられた事態に対して、どういう態度をとるかは、誰にも奪えない、人間の最後の自由である」…。

明治大学 教授 諸富祥彦 先生
『…フランクルが実際に収容所で見たのは、死んだ仲間から物を奪って行く人もいた。…しかし、自分自身も息絶え絶えなのに、自分の僅かなパンを他の人に与えて行く人もいた…つまり収容所の中の人間は、天子と悪魔に分かれていったという事実があったんです。

どんな態度をとるかという、態度決定の自由だけは、どんな人も奪えない…これがフランクルが夜と霧の本の中で一番強調している点の一つなんです。

状況がひどくなったら、仕方ないじゃないか(醜い面)、人間だれでもこうなるんだ(醜い面)という事に対してフランクルはNOと言っているんです。

そうではなくて、どんな状況であれ、態度を自分で選びとることができるという事を収容所で一番、人間の精神の真実として知る事ができた…そこに希望を見出したと語っていま。…』