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旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。…当ブログ記事は転載OK…リンクを貼っていただけるなら遠慮なくお好きにお使いください。

NHK 100分de名著 松尾芭蕉『奥の細道』

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NHK 100分de名著
松尾芭蕉奥の細道』 第1回 心の世界を開く

 

閑さや
岩にしみ入
蟬の声


夏草や
兵どもが
夢の跡

100分で名著、今回は、松尾芭蕉(1644-1694)『奥の細道』、芭蕉陸奥(みちのく)を旅した5か月を、日本を代表する紀行文学に育てました。

奥の細道芭蕉が掴んだ新たな世界をひもときます。


奥の細道
芭蕉の人生観を決定づけた大事な旅
期間:1689年3月27日~1689年9月6日(150日間)
工程:600里(2400キロ)

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江戸・深川を出て、福島、宮城、岩手、覆う山脈を越えて日本海側に出て下って岐阜の大垣までの工程です。

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女優 内山理名
「俳句をたどる旅は、俳句の意味も今までより、立体的に感じる事が出来て、景色もより立体的に感じる事が出来ました。ただ旅するよりも読んだ人の気持ち、土地の風土などがよく分かります」

司会 武内陶子
奥の細道は、芭蕉の死後、弟子によって1702年に刊行されますが、原稿用紙にすると30枚と意外に少ない…でも芭蕉はこれを亡くなるまで手を入れ続けたんですよね」

俳人 長谷川櫂
「…旅の後、5年生きますがずっと自分のそばに置き、推考を重ねました。実際にあった事の紀行文であれば、それほど手を入れる必要はないのですが、『奥の細道』 はドキュメンタリーではありません。

一緒に旅した弟子の 『そら』 が記録を付けていますが比べると違うのです…
・工程を入れ替える
・船で行ってる所を馬で行く
・なかった話を書いたり
…しています。

奥の細道』は紀行文のように書かれていますが、実は芭蕉の創作ととらえた方がいいのだと思います。 …」

月日は百代の過客にして、
行かふ年も又旅人也

舟の上に生涯をうかべ、
馬の口とらえて老をむかふる物は、
日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。

予もいづれの年よりか、
片雲の風にさそはれて、
漂泊の思ひやまず。

俳人 長谷川櫂
「出だしは、月日、年、と出て来て月、年、…”時間は旅人である” と言ってるんです」


松尾芭蕉の人生
・1644年 伊賀上野にて下級武士の子として誕生、
・19歳、奉公先の主人の相手を努め、その才能を認められる
・23歳、突然、奉公先の主人が病死
・29歳、芭蕉江戸へ…句会で頭角を現す
・35歳、俳諧師として独立、江戸でも名の知られる存在となる
俳諧とは、雅やかだけではつまらない、滑稽味を入れたのが俳諧
・37歳、隠遁生活にはいる…深川の芭蕉庵に引きこもる
・46歳、東北の旅に出る事を決意

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俳人 長谷川櫂
芭蕉がなぜ行ったのかというと、今までやってきた言葉遊びに嫌気がさしたからだと言われています。…結果として、淋しい深川の地に移った事で純粋に俳句を追求する事が出来たのです。」


なぜ芭蕉の句は
変わったのか?

古池や
蛙飛こむ
水のおと

俳人 長谷川櫂
「…芭蕉は、水音を聞いただけでカエルを見ていないし、その場に古池もなかった…水音だけ聞いて 『古池や』 を思いついたのです。…この句が ”蕉風開眼” の一句、俳句の世界に心の世界を取り込んだ。

日本の伝統である和歌と肩を並べる事ができた。当時の俳句がダジャレの言葉遊びから、心の世界を詠む俳句に、この句を境に変わって行くわけです。 …」

水音をキッカケに心に浮かんだ風景を詠んだ芭蕉、現実と心の風景を重ねる、それは伝統的な和歌の世界に通じるものでした。

古池でえた新たな世界をみちのくで試そうとしたのです。

 

司会 武内陶子
伊集院光
俳人 長谷川櫂
女優 内山理名

 

 

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NHK 100分de名著
松尾芭蕉 『おくの細道』 第2回 時の無常を知る

 

1689年3月、松尾芭蕉は、みちのくへと旅立ちます…目的は、心の世界を詠む新たな俳句を作りだす事です。

旅の中で芭蕉が感じた人の世の儚さとは、…奥の細道、時の無常を探ります。

 

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芭蕉46歳、曾良(そら)41歳
期間:1689年3月27日~1689年9月6日(150日間)
工程:600里(2400キロ)

江戸・深川を出て、福島、宮城、岩手、覆う山脈を越えて日本海側に出て下って岐阜の大垣までの工程です。


みちのくの
歌枕の旅

俳人 長谷川櫂
「… 歌枕というのは、昔の歌人たちが歌で作り上げた名所です。結論から言うと 『架空の名所』 想像上の名所なんです。

当時の王朝時代の歌人たちは、殆ど貴族です。貴族たちは実際に歌枕に出かけて行って歌を詠むわけではありません。人の情報から想像して歌を詠むのです。

実在する歌枕もありますが、多くが想像上のものです。…歌があって後から歌枕(現実)が作られる、探しだされる、特定される、こじつけられる。

芭蕉は、歌枕が架空だと知っていました…そして想像で出来た名所をたどる事は、不可能であると実際に旅をして実感するのです。

歌枕には、『文字摺石』(染物に使う大きな石)を詠んだ歌があるんですが、その石を訪ねたくだりが奥の細道にあります。…」

信夫の里『文字摺石』
歌枕に詠まれた 『文字摺石』 を訪ねて芭蕉曾良は、信夫の里を訪れました。小さな村里でやっとその石を見つけると、なんと半分土に埋まっていました。

村人が言うには、「昔は山の上にあったんだけど旅人が畑の麦を千切って石で籾を擦ったりするものだから、村人たちが怒って石を落っことしてしまったんです」 …との事。

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芭蕉は激怒…)
”果たしてこんな事があっていいのか” …かつての風景は残っていなかったのです。

伊集院光
「…笑)、形跡があったから、まだましな方ですよね」

俳人 長谷川櫂
「… この他にも芭蕉が失望した歌枕があって、例えば恋を詠んだ歌枕の場所があったんですが、実際に訪れるとお墓になっていたなんてこともあったんです。

むかしよりよみ置る歌枕、
おほく語伝ふといへども、
山崩川流て道あらたまり、
石は埋て土にかくれ、
木は老て若木にかはれば、
時移り、代変じて、
其跡たしかならぬ事のみを…(後略)

ほとんど崩れてしまって跡形もないという事を言っています。…芭蕉は、奥の細道の歌枕を旅するつもりで旅に出たんだけど、実際はその廃墟を旅していたんです。…」


松尾芭蕉の旅
松島へ…
芭蕉曾良、みちのく歌枕をめぐる旅、二人は塩竈から船を雇い松島に向かいました。5月9日昼ごろの事です。

260もの島々が浮かび、独特の独特の景観を造りだす松島、あこがれの歌枕を芭蕉はこんな風に描写しています。

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数限りない島々の中には
天を指差す島があれば
身に伏している物もある

二重、三重に積み重なる島
左は途切れているかと思えば
右につながっている

小さな島を抱き
子供や孫を可愛がっているような
姿もある

その景色は
見る人をうっとりさせ
美人が更に美しく
化粧をしたかのようだ。

俳人 長谷川櫂
「… 芭蕉はここ松島にきて活き活きしているんです。…初めて歌枕の実態に触れる事ができたんだと感じたんです。…」

旅の中で歌枕に幻滅してきた芭蕉が心から喜んだ松島の風景だったんです。…松島で船を降りた芭蕉曾良は、雄島という小さな島に渡ります。

宿に戻った芭蕉は、窓から月の輝く海を見ます。

大自然の中で旅寝をするのは
まるで仙人の世界に
いるかと思うほど
素晴らしかった。

そして次の一句が詠まれます。

松島や
鶴に身をかれ
ほととぎす

ホトトギスよ、松島の景色にふさわしく、美しい鶴の姿になって鳴いておくれ。…しかし、これは弟子の曾良が詠んだ句なんです。

芭蕉は松島で句を詠んでいますが、奥の細道には入れていないんです。

 

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なぜ芭蕉
松島の句を入れなかったのでしょうか?

伊集院光
「『松島や、ああ松島や、松島や』 あんまりすごいからこんなの作っちゃいました。みたいな句って松尾芭蕉の句じゃなかったんですか」

俳人 長谷川櫂
「… その句は、江戸時代のずっと後の人で、田原坊(狂歌師)が 『松島や、さて松島や、松島や』 と詠んだんです。

それがいつのまにか松島のくだりに芭蕉の句がないから、それを芭蕉が詠んだと話がすり替わったんです。でも芭蕉は実際に句を詠んでいるんです。

島々や
千々にくだきて
夏の海

松島の島々は、砕かれたように夏の海に散らばっているという句なんですが…素敵でしょう?…でも芭蕉は気に入らなかった。

なぜなら奥の細道芭蕉が旅に出た、古池の句で得た心の世界を開く、それを試してみたいと思ったのですが、この句は松島の風景を詠んでいるだけです。

プラス、 『千々にくだきて』 は本文で書きつくしてしまっていますので重複してしまうのです。…つまり、書かない事で松島の素晴らしさを称える高度な表現技術を使っているのです。…」


芭蕉曾良
奥州平泉を訪ねて…
5月13日、芭蕉曾良は平泉を訪れました。ここは栄華を極めた奥州藤原氏が源氏と戦い滅亡した場所です。

二人はまず、源義経が討ち死にしたという北上川を見下ろす高館を訪れます。

国破れて山河あり
城春にして
草青みたり

…と口ずさみながら笠を敷いて、腰を下ろし
時がたつのを忘れ、涙を落した。

夏草や
兵どもが
夢の跡

俳人 長谷川櫂
「… 兵どもというと義経藤原氏の人々…人間の営為が儚く潰えていった跡であるということなんです。…」

女優 内山理名
「ここで同じふうに見ながら 『夏草や兵どもが夢の跡』 を詠むと胸にくるものがあります。…夏草が違う風景に見えて儚く切ないです。」

中尊寺金色堂へ…
そして芭蕉曾良が向ったのは、中尊寺です…奥州藤原氏が建てたこの寺は、長い年月を経て芭蕉が訪れた時には、一面の廃墟となっていました。

その中で残っていたのが金色堂です。

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俳人 長谷川櫂
「… 芭蕉曾良は、金色で装飾された昔の栄華をとどめている事に感心して、『千年の形見』 という言葉を使っています。感動的に光堂との出会いを表現しています。…」

光堂の四方を新たに囲み覆って雨風を凌ぐ
つかの間かもしれないがそれでも千年の形見
となっているのだ。

五月雨の
降のこしてや
光堂

女優 内山理名
「生命力を感じます。ここまで来る間、先ほどの北上川で儚さを感じて、ここでは希望を感じて残りの奥の細道の旅を続けたんではないかと思いますね」

俳人 長谷川櫂
「… 時間の猛威に人間の生活も、作った歌枕も流されてやがては消えて行くのだけど、中には時間の猛威に耐えて生き残るものもある。そういう微かな希望をこの光堂の前で抱いたのです。

夏草や
兵どもが
夢の跡
…は、すべて滅んでしまった、時間によって流されてしまったという句です。一方で光堂の句はそれでも残っているといっています。

五月雨の
降のこしてや
光堂

…この 『降のこしてや』 という表現が時間が物を朽ちさしているみたいな感じがして…しかし光堂だけは残った。

時間が全てを流していくことが、みちのくの第二部の句調ですが…その時間の中で我々人間は、どのようにして生きて行けばいいのか、ということが芭蕉が平泉で思い描いた事なんです。…」

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司会 武内陶子
伊集院光
俳人 長谷川櫂
女優 内山理名

 

 

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NHK 100分de名著
おくの細道 第3回 宇宙と出会う 

 

閑さや
岩にしみ入
蟬の声

 

雄大な風景の前に自然の大きさを感じた芭蕉、…第3回は、芭蕉がであった宇宙を体感します。

司会 武内陶子
「今回は、平泉を後にして出羽に入り、日本海側を南下して新潟県の市振の関(親不知・子不知)まで、旅も後半です」

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平泉を立って2日後、たどり着いたのは、尿前の関…いつも通り関所を通り関所を通り過ぎようとしますが番人に怪しまれ取り締まりを受けます。

ようやく通り抜けるとすっかり日が暮れていました。野宿を覚悟した時、国境を守る番人の小屋が…頼み込み何とか泊めてもらう事に…この辺りは馬の生産地、人も馬も同じ上の中で暮らします。

泊めてもらえてよかったが、しかし枕元で馬の小便の音が…蚤・虱にたかられたり、そこで一句、…

蚤虱
馬の尿する
枕もと

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そして険しい峠を越えて何とか尾花沢(山形県)に抜けます。ここでは江戸で知り合った裕福な商人の紅花問屋に何日か逗留し句を詠んでいます。

まゆはきを
俤にして
紅粉の花

俳人 長谷川櫂
「紅の花を見てまゆはきの俤があると言っています…女性の面影を思いうかげている綺麗な句です…『蚤虱、馬の尿する、枕もと』 との対比が面白いでしょ。…芭蕉は、平泉で詠んだ 『五月雨の、降のこしてや光堂』 の間に ”蚤虱” を入れる事でメリハリをつけたのです。」

そして芭蕉は、ここで人に勧められて 『立石寺』(山寺) という寺院を訪れます。ここで芭蕉は新しい世界観を掴む事になります。

芭蕉曾良がこの寺を訪れたのは5月27日、山全体が一つのお寺、山の中に御堂が配置されています。寺の奥まで行くには1000段の石段を登らなければなりません。蟬の鳴き声が山の中に響いています。

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巨大な岩を重ねたような山
松や柏も巨木である
土や岩は時を経て
苔に滑らかに覆われている

いくつもの御堂は扉を閉め
物音一つ聞こえない

崖をめぐり岩を這って登り
仏殿を拝んだ

景色はしんと静まり
心が澄みきって行くのを感じた。

閑さや
岩にしみ入
蟬の声

俳人 長谷川櫂
「… 蝉がしきりに鳴いてるんだけど、この蝉の声を聞きながら広大な宇宙の静けさを芭蕉は感じていたのです。山があって空があってこの全空間に満ちている静けさに芭蕉は、はたと気づいてしまったんです。

この句のポイントは、『閑さや』 です。 この静かさは現実を超えて宇宙的な静かさなんです。古池の句で現実と想像した世界を融合させた新境地を開いた芭蕉、ここで実践したのです。

閑さや 岩にしみ入 蟬の声
古池や 蛙飛こむ 水のおと

比べると分かりますが、古池と全く同じで更にスケールが大きくなっている句なのです。まさに宇宙の世界の入口の句です。…この人に勧められて偶然訪れた山寺の、この句がなかったら奥の細道というのは、全くつまらない文学になってしまうところだったんです。…」

 

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5月28日、芭蕉曾良は、大石田に到着、最上川を船で下ります。最上川は当時水運の要、その流れが急なことでも知られていました。

五月雨を
あつめて早し
最上川

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最上川は、みちのくに源を発し
山形を川上としている

ごてん、はやぶさなどと言う
恐ろしい難所もある

板敷山の北を流れて
最後は酒田の海にそそぐ

左右からは山が覆いかぶさるように迫り
樹木の茂みの中を船は下ってゆく。

実は船で下る前、芭蕉は別の句を考えていました。

五月雨を
あつめてすずし
最上川

俳人 長谷川櫂
「… 奥の細道の中では、『五月雨をあつめて 早し 最上川』、芭蕉は最初は、『すずし』 と詠んだのですが船に乗った体験を基にして 『早し』 に直しているのです。

最上川は、どんなに穏やかでも波が立つ場所があるのです。…」

 

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芭蕉曾良が次に向ったのは出羽三山です。修験道の聖地として知られる三つの山、…羽黒山・月山・湯殿山に登るのです。

八日月山に登る
雲や霧の立ち込める中
氷雪を踏んで登ること八里

まるで太陽や月が運行する
天の入口に入って行くのかと
思うほどだ

息も絶え絶え
身も凍えて
やっと山頂にたどり着くと
日は沈み月が現れた。

山道を一歩一歩登ってゆく、山が空が次第に芭蕉の身体を包みこんでゆきます。そして宇宙と一体になる事で句が生まれました。

雲の峰
幾つ崩て
月の山

俳人 長谷川櫂
「… 『まるで太陽や月が運行する天の入口に入って行くのかと思うほどだ』 ここが重要です。太陽や月が運行している宇宙の入口に入って行くような気がすると言っているのです。

月山を眺めて詠んでいるのではなくて、山の上で野宿をしながらこれを詠んでいるのです。 『月の山』 は見える月の山ではなくて自分がその月の山の中にいるわけです。

第一部の日光で詠んだ句で…

あらたうと
青葉青葉の
日の光

月の山(月山・日本海)=日の光(日光・太平洋)

つまり太陽と月を上手く対比させているのです。…芭蕉は、かなり意識して太陽と月の光を置いていると考えます。

芭蕉が到達した境地は、… ”不易流行” です。
不易=普遍…宇宙は変わらないんだ
流行=変わって行く…宇宙は絶えず変わる

この矛盾した事を、常に変わりながら実は何も変わらない…世の中も変わっているように見えて、実は何も変わっていないという考え方の入口に立つ事ができた。

この境地にたどり着いて、やっと芭蕉は安心を得たのです。 …」


宇宙を感じた芭蕉が到達した新境地 ”不易流行” …太陽は登り、月は満ち欠け、季節は巡る、自然は変化し続けているが、自然を動かす大きなエネルギーは変わらない…それが ”不易流行” なのです。

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司会 武内陶子
伊集院光
俳人 長谷川櫂
女優 内山理名

 

 

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NHK 100分de名著
おくの細道 ー終ー 第4回 別れを越えて

 

荒海や
佐渡によこたふ
天河

 

江戸時代に全行程150日、2400キロ、東北地方を巡った芭蕉、第四部は越後の市振の関(親不知・子不知)から大垣まで日本海側をめぐります。

7月12日 市振の関到着、宿を取り、翌朝同宿の遊女たちから声をかけられます…「先の道筋も分からぬ心細さ同行できませんでしょうか?」 …涙ながらに頼む女たちを哀れに思うものの…「途中所々で滞在しなければならない、同じ方向に旅する人に着いてゆきなさい」 と突き放します。

一家に
遊女もねたり
萩と月

俳人 長谷川櫂
「… 芭蕉は句を詠んではいるのですが、実は実際の奥の細道の旅ではなかったのです…遊女の登場はフィクションだったのです。同行した弟子・曾良の日記にはこのような事実は記されていないのです。

なぜこの句をここに入れたかというと、遊女というのは人間界で最も虐げられた人たちです。それを宇宙からの旅が終わると同時に出してきてこれからは浮世の旅、人間界の旅が始まると ”ガツン” とやっているんです。…」

司会 武内陶子
「… 実はこの第四部は沢山の別れがあるのです…
①遊女との別れ(市振)
②一笑との別れ(金沢)
曾良との別れ(山中)
④北枝との別れ(天龍寺
⑤大垣での別れ(大垣)
…様々な別れを体験する芭蕉です。…」

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倶梨伽羅峠を越えて一路金沢へ向かう芭蕉たち、芭蕉にはこの地で会いたい人がいました…金沢の俳人・一笑、俳句熱心な若者と聞いていたからです。

7月15日、金沢到着…しかし衝撃的に事実が… ”昨年の冬、一笑は亡くなった” …打ちのめされる芭蕉…。

塚も動け
我泣声は
秋の風
(一笑の墓へ動いてくれ、秋風のようにすすり泣く私の声が聞こえるなら)


7月24日、山中到着…山中は1300年の歴史を持つ、古くからの温泉街、芭蕉も湯を楽しみこんな句を詠んでいます。(7泊8日滞在)

山中や
菊はたおらぬ
湯の匂
(湧き出る湯の匂は、菊よりかぐわしい)

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芭蕉も楽しんだ鶴仙渓、1キロに渡って長めの良い散策路が続きます…山中をのんびり楽しむ芭蕉、しかしここで大きな別れが待っていたのです。

曾良が病気になり旅を断念、養生の為、伊勢の親戚のもとへ行く事になったのです。別れに際し曾良はこんな句を残しました。

行き行きて
たふれ伏とも
萩の原
(この先どこで行倒れようとも、そこは萩の原、それも本望です)

対して芭蕉は…

今日よりや
書付消さん
笠の露
(今日からは君と別れてひとり旅になる、笠の同行二人の文字も消す事にしよう、別れの涙のような笠の露で…)

俳人 長谷川櫂
「… 芭蕉は、ここ山中で曾良と別れたんですが、実際は金沢から北枝(俳人)が着いて来て福井まで同行しています。

文章構成の綾です…ここで北枝を出したら ”もう一人いるじゃないか” という事になります。ですから北枝はここで登場しないんです…北枝との別れは福井に入ってからになります。…」


8月21日、大垣到着…芭蕉が馬の背に乗って大垣に着くと弟子たちも次々にやってきました。弟子の家に着くと一日中親しい人が訪ねてきます。…まるであの世から生き返った人に会うかのように無事を祝い、いたわってくれるのです。

やがて芭蕉は、伊勢の遷宮を拝もうと旅立ちます…再び船に乗って出発します。

蛤の
ふたみにわかれ
行秋ぞ

これで奥の細道は終了です…。


俳人 長谷川櫂
「… 別れに満ちたこの世をどうやって生きて行くか、というのが芭蕉の最終的な奥の細道に込めたメッセージです。

極めて現代的なテーマを扱っている本なのです。…」

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司会 武内陶子
伊集院光
俳人 長谷川櫂
女優 内山理名