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F1マシン、その変遷とドラマ

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F1マシン、その変遷とドラマ…№1
Cooper T51 最後のバックヤードビルダー

グランプリの歴史を振り返ると、勝利のチェッカーを目指して幾多のマシンが時代のテクノロジーを駆使して作り出されてきた。
革命的マシンあり、アイディアマシンあり、幻のマシンあり…。
ドライバー、デザイナー、そしてチームとともに様々なドラマを生み出してきたF1マシンを再び…

 

最後のバックヤードビルダー
現代のグランプリチームの本拠地は、最先端の工作機械が詰め込まれた研究所の趣だ。
トップチームの本拠地では、100名を越すスタッフが作業チームに従事している。

現代のグランプリカーは、こうして作られる。…これを部品にする係、部品を管理する係、そして、それを組み立てる係、…実際にサーキットで作業するチーム以外に多数のスタッフがグランプリカーを支えている。

このスタッフの中には、自分が携わっている作業がF1グランプリに関係するものだという事を意識していない者も多いと思う。
彼らは9時に出社して決められた部品を作り、5時に退社してゆく。…前の週末にチームのマシンがどんなレースを展開したのかは、彼らの関心がいの事だ。
彼らは、グランプリチームの一員という事よりも、工場の従業員として毎日を過ごして行く。

イギリスのモータースポーツはバックヤードビルダーによって支えられてきたと言われる。…バックヤード、すなわち自分の家の裏庭にしつらえた作業場で、自分が走るためのマシンをこつこつと組み立てた人々が今日のレーシングカーコンストラクターの始祖なのだ。
F1グランプリにしても、そう遠くない昔には、こうしたバックヤードビルダー達がかかわっていたのだ。
コスワースDFVとヒューランドのギヤボックスを購入すれば、裏庭でグランプリカーを組み立てる事は、さして難しい話しではなかった。
事実1970年代のグランプリチームの多くは、おそらく現代のグランプリチームの本拠地の中にある物置き場程度の工場でチャンピオンカーを整備して、各地のサーキットへ出陣していた。

 

商業資本が入ることによってグランプリは変質を遂げた。
今やバックヤードビルダー達の存在する余地はない。…グランプリカーは、研究所のような巨大な建物の中で最先端の技術が駆使されて生み出される時代になったのだ。
それはそれでいい、けれども1959年、バックヤードビルダー達がF1グランプリの歴史を書き換えている事も記憶しておきたい。…その名を ”クーパー” という。

クーパーをバックヤードビルダーと呼ぶには異論もあろう。しかし当時のクーパーを記録した書物に見えるその本拠地は、まるで街角の自動車用品店のようなしろものだ。
創業者は、チャールズ・クーパー、ジョン・クーパー父子。
彼らは1946年に500㏄のオートバ用イエンジンを搭載したアマチュア競技用のレーシングカーを制作したのをきっかけにグランプリへの道を歩み出している。
競技会で好成績を収めたクーパー父子のオリジナルマシンは評判を集め、彼らは注文を取ってマシンを制作するコンストラクターとしての事業を始める事になる。

彼らの事業は急速に拡大してゆく。アイデアと職人芸がレースの結果にそのまま反映される良き時代だった。

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彼らは1958年に、とうとうF1グランプリ進出を果たす。
彼らのマシンは2200㏄余りのエンジンをドライバー背後、ミッドシップに搭載していた。…当時のグランプリを牛耳っていたフェラーリのような高出力エンジンを持たなかったクーパーにとって、こうした車体面での工夫や冒険のみが、僅かに残された対抗手段だった。

エンジンをフロントに搭載してパワーに任せて突進するフェラーリの隙を突くためには、高い運動性能と良好な空力特性が頼りだ。
この2点を実現するためにはミッドシップ・レイアウトは有効な手段だった。

そして翌1959年、ジャック・ブラバムの乗るクーパーT51は、フェラーリを抑えてチャンピオンカーとなる。
F1グランプリ史上、初のミッドシップ型レーシングカーの栄誉だった。
これをきっかけにグランプリカーのグランプリカーのミッドシップ化は一挙に進行する。

クーパーはこうしてグランプリカーの構造を転換させて新しい時代の幕開けを担った。
しかし、それと同時にクーパーの役目は終わったともいえる。クーパーの栄光は、あくまで時代の隙間を突いて果たされたものだった。
同じミッドシップならば、高出力エンジンを搭載したマシンが速いのは当然の結果だったのだ。

 

その後彼らの戦績は…年を追うごとに低下し、1968年を最後にクーパーの名は、グランプリフィールドから消え去るのである。

グランプリにおける最後の職人が、このクーパー父子だった。
彼らは、まさに手作りのマシンでフェラーリを打ち破るとともに、グランプリカーの新しい構造の威力を証明して見せた。
しかし、彼らのやり方は、新しい時代に適応する事が出来なかった。
おそらく彼らは、レース結果を知らないままにマシンの部品を溶接したりはしなかったはずだから…。

 

筆者:大串信 
この記事は、1990年3月号 Number239からの記事です…

 

 

 

 

 

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F1マシン、その変遷とドラマ…№2
Ferguson P99 記録されざる実験

サーキットは、競技場の場であると同時に、技術者にとっての実験の場でもある。
1960年代にグランプリに挑戦したホンダが、グランプリカーを「走る実験室」と呼んだのは有名な話だ。最近の先鋭化してしまったF1グランプリには、熟成の結果、既に完成に近づいたマシンが持ち込まれる。
それはそれで興行として完成された形態であって、決して非難すべき筋合いのものではない。…しかし、まだグランプリがのどかだった頃にいくつか生まれた未完成な実験車には、夢や希望や企みが醸し出す一種独特の美しさがあったように思う。
1961年に人々の前に現れたファーガソンP99などは、まさにその例だ。

第二次世界大戦を通して発達した技術の一つに自動車における4輪駆動方式を挙げる事ができる。ファーガソンは、この技術を追求するために結成された企業である。
1960年の終わりに、ファーガソンは自分たちの開発した4輪駆動システムを実験する場としてグランプリのサーキットの場を選んだ。
そして組み立てられたのがP99と呼ばれるF1グランプリカーだ。

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出来上がったマシンは鋼管で組み立てたフレームの前方にエンジンを搭載した、いわゆるフロントエンジン・レイアウトを採用していた。…この、言ってみれば旧式な車体に4輪駆動システムが搭載された。
エンジン後部に取り付けられたトランスミッションの前後に2本のプロペラシャフトが伸び、それぞれ前輪と後輪を駆動する構造だ。

もしグランプリで勝つことが目的だったらば、初めてのマシンにこうした冒険的なシステムを組み込むのは無謀な話である。
しかし、ファーガソンは、着実なステップを踏もうとはしなかった。…それどころか、このマシンには、ダンロップが開発したばかりのアンチロック・ディスクブレーキのシステムまでが盛り込まれたのだ。…ファーガソンP99は、まさに「走る実験室」であった。

P99は、1961年F1グランプリ第5戦イギリスGPに姿を見せた。…ドライバーは、ジャック・フェアマン。…決してグランプリに勝ちうるドライバーではない。
名手スターリング・モスもP99のテストに参加しており、彼にその気さえあれば、このマシンは、モスが乗ってイギリスGPを戦う手はずになっていた。…しかし、モスは、結局ロータスを選択したため、フェアマンにお鉢が回ってきたのだった。

ところがP99とフェアマンは、手堅く30台中20位で予選を通過する。
迎えた決勝レースは雨だった。…グランプリ史上初めて決勝レースを走る4輪駆動車にとって有利なコンディションだった。
チームはレース中盤でフェアマンをピットに呼び戻した。マシンを壊して既にリタイヤしていたモスをフェアマンに代えてマシンに乗せるためだ。…当時はレギュレーションでドライバーの交代が許されていたのだ。

ファーガソンP99に乗り替えたモスは、トップを走るフェラーリのフォン・トリップスに匹敵する速さで走り始めた。…もちろん雨というP99にとっては願ってもない条件ゆえんの走りである。…しかし、どうしても優勝したいフェラーリにとっては、気に障るスピードだったようだ。

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フェラーリファーガソンがピットでエンジンの押しがけをしたことを規則違反だとして強硬に異議を申し立て、オーガナイザーは、走行中のP99を失格と判定してしまった。…快走していたファーガソンP99のレースは突然終わった。
失格ゆえにレース結果も公式記録として残ることは無かった。

実は、ファーガソンの4輪駆動車のグランプリ参戦は、この1戦のみで終わることになる。…デビュー戦で素晴らしい走りを見せたにもかかわらず、ファーガソンは、P99を売却してレース活動を停止する決定を下すのだ。

もっともファーガソンにとって、実験はこれで十分だったのかもしれない。元々勝つ必要はなかったのだ。
自分たちが考えた仕組みが思い通りに動けば彼らは多分それで満足だっのだろう。

現在は英国ドニストンにあるレーシングカーコレクションに収蔵されているP99の弾丸のようなスタイルは、最後のフロントエンジン車として確かに洗練された美を発散している。
しかし、この美しさは、それだけのものではない。…グランプリの場で展開された壮大な実験の残り香が、見る者の目を確実に幻惑している。

それは、完成したものには存在しない魅力であるように思う。

 

筆者:大串信 
この記事は、1990年3月号 Number239からの記事です…

 

 

 

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