旅cafe

旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。

F1マシン、その変遷とドラマ…№5(タイヤに置き去られた6輪車)

f:id:tabicafe:20200413044323j:plain

F1マシン、その変遷とドラマ…№4
Tyrrell P34 タイヤに置き去られた6輪車

市販車や、自動車ショーに登場するショーカーには、往々にして奇をてらっただけのデザインも散見されるが、ティレルP34は、なにも、ただ目立ちたいがために、このようなとんでもない形をしているわけではない。

このマシンが世に出た1976年当時、F1グランプリは、ごく特殊な状況にあった。
参加車両の内、9割近くがコスワースDFVエンジンを搭載、参加車両は動力性能の上でかつてないほどの均衡状態に置かれていたのである。

ドライバーの技量はともかく、エンジン性能が等しいとすれば、あとは車体に何らかの工夫を施す以外にライバルたちに先んずる手だてはない。

そこでデザイナーの出番になる…。
ある者は、車体の徹底軽量化のために悩み、ある者はサスペンションの改良に没頭し、ある者はダウンフォース獲得のアイデアに思いをめぐらすことになった。
そしてティレルのディレック・ガードナーは、空力抵抗の軽減に活路を見いだしたのだ。

ティレルが1970年に独自のF1マシンを制作したときにチーフ・デザイナーとなったのがガードナーだ。
001、005と比較的挑戦的なデザインを続けたガードナーだったが、それまでのエースドライバーであったジャッキー・スチュアート引退後の007では一転、オーソドックスな手法に転じて方針転換を匂わせもしていた。

そこに登場したのが、この前輪4個、後輪2個、計6個の車輪を取り付けたP34だ。…ガードナーは、車体前部を小さくまとめる事によって空気抵抗を減らそうと考えた。

その時、最大の邪魔者が前輪だった。
車体を低くすればするほど前輪は露出して空気の流れを阻害してしまうのだ。

ガードナーは諦めなかった…前輪を小さくしてしまえばいい、という事に気づいたガードナーは、グッドイヤーに特製小径タイヤを発注する。
グッドイヤーが作り出したのは、外径40センチ、通常のものよりも10センチも小さいタイヤだった。

もっとも、このタイヤでは前輪のグリップが大幅に不足する。…こうして地面を踏ん張るために前輪が2組取り付けられたのだ。

このマシンはまるで何かの冗談のように受け取られた…当時の自動車専門誌に紹介されたこのP34の写真を見て、筆者もそう思った。

f:id:tabicafe:20200413044434j:plain

それまでの多くの奇抜なアイデア同様、この6輪車も実戦に登場することなく、倉庫か博物館にしまいこまれる運命にあると確信さえしたものだ。

ところがこのマシンは、着々とテストを重ね、ついに実戦に姿を現した。…そして思いがけない好成績を収めるのである。

1976年第4銭スペインGPにデビューしたP34は、第5戦ベルギーGPで早くも4位に入賞し、第5戦モナコGPで2位、3位に進撃した挙句、第7戦スウェーデンGPで初優勝を遂げてしまうのだ。

しかし、6輪レイアウトが威力を発揮したのは、結局1976年だけだった。
翌年P34は、突然戦闘力を落として、グランプリの第一線からあえなく転落してしまう。…その最大の原因は、タイヤの進歩にあった。

当時は、ちょうどレース用タイヤが急激な進歩を成し遂げた時期に当たる。
レース用ラジアルタイヤを開発したミシュランに先行されたグッドイヤーは、ミシュランに対抗すべく、タイヤ改良に力を注いでいた。
グッドイヤーは多くの有力チームにタイヤを供給しており、タイヤ性能のために彼らを敗北させるわけにいかなかったのだ。

その結果、置き去りにされたのが、ティレルP34が前輪に装着していた特製の小径タイヤだった。…グッドイヤーが通称サイズのタイヤ開発に熱中したため、ティレルの足は進歩に取り残されてしまったのである。

P34が最後に戦ったレースが1977年の日本グランプリだ。…すでに上位を争うだけの力を失っていたP34に乗りこんだのが、パトリック・デバイエとロニー・ピーターソン。
デバイエは、P34の熟成を担当してきたドライバーで、前年の活躍の立役者でもあったが、ピーターソンは悲惨だった。
P34の高性能を信じて、この年ティレルに移籍してみると、すでにP34は期待しただけの力を発揮してくれなかったのだ。

このレースの6周目、中団を走っていたピーターソンのP34に後方から、ジル・ビルヌーヴの乗るフェラーリが追突した。
フェラーリは宙を飛んでクラッシュ…ピーターソンのP34は、リヤウイングを壊してコース上でスピン。…ドライバー2人に負傷は無かったが、フェラーリは不運にも立ち入り禁止区域に侵入していた観客の中に落下したため、2人の死者を出す惨事になってしまった。…この事故の一部始終を捉えた連続写真が全世界に配信されて話題を呼んだ。

その写真の中央で白煙に包まれながらコントロールを失って見悶えているのがピーターソンの乗った6輪グランプリカー、ティレルP34であった。

 

筆者:大串信
この記事は、1990年3月号 Number239からの記事です…

 

管理人お奨め記事

www.tabi.cafe