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F1マシン、その変遷とドラマ…№8 最終話(主役になり損ねたマシン)

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F1マシン、その変遷とドラマ…№8 最終話
Spirit Honda 201 主役になり損ねたマシン

スピリットは、元マーチのジョン・ウィッカムと元マクラーレンのゴードン・コパックによって1981年に組織された新興チームである。
結成の裏には、ホンダがF2レースに出場する際、そのワークスチームとして機能する組織を必要としたという事情もあったようだが、とにかく突如として出現したチームであった。

当時ホンダは、F1グランプリ進出が噂されており、その際にはスピリットが活動の中心になるだろうと予想されていた。

1年のF2活動を経たスピリットは、噂通りに1982年の末、最初のホンダV6ターボエンジンを積み、カリフォルニアでテスト走行を開始した。…ついにホンダがグランプリに復帰する時がやってきたのだ。

このとき、ホンダV6ターボを搭載していたのがスピリットが使用していたF2マシン、スピリット201を改造した車体だった。
前後のサスペンションをF1用に作り替え、燃料タンクや冷却系を拡大、更に大型ウィングが取り付けられて外観からF2の面影は消えてしまっていたが、車体の型式はF2時代のまま201として扱われた。

このマシンは実走テストを経て1983年4月にブランズハッチで行われたノンタイトルF1レースに初めて姿を現した。
ホンダV6ターボは当然ながら熟成が不足しており、思い通りの性能を発揮することは無かったが、その将来性は高く評価される事となった。

スピリットはF1活動に専念するため、F1専用シャーシである101の制作を急ぐ一方で、F2選手権用の資材を売却していた。
そのため1982年にホンダV6を搭載してF2を戦ったスピリット201は、1983年は直列4気筒BMWエンジンを搭載してF"選手権に参戦することになっていた。

本来ホンダV6エンジンを搭載してF2選手権を戦うために設計されたF2シャーシーであるスピリット201は、ホンダV6ターボを搭載したF1マシンと、BMWを搭載したF2マシンへと分化したのである。

F1となった201は、当然ながらホンダのワークス・チームとして順風満帆の航海を始めたものと思われていた。
ところが事態は急転する。ホンダは1983年シーズン半ばには、翌年のエンジン供給先として、ウイリアムズを指名したのだ。…スピリットは引き続きエンジン供給を希望していたが、結局ホンダのF1構想に残る事は出来なかった。

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1984年、突然エンジンを失ったスピリットは活動を続けるべくブライアン・ハートが制作するハート415Tエンジンを急遽入手する。
ハートのエンジンは、十分な性能を発揮するものではなかったが、いたしかたないところだった。…結局、スピリットは希望のないシーズンを送って、1985年半ば、実質的な活動を停止した。

1970年代、有力なエンジンが安定供給される幸福な時代に、コンストラクターの数は急激に増加した。
ところが1980年代になって、これらのグランプリチームは自動車メーカーのエンジン供給を通して淘汰、再編成される事となった。
グランプリは、コンストラクター主導の時代から、自動車メーカー主導の時代へと移り変わった。…スピリットは、まさしくその転換期に翻弄された典型的なチームであった。

201は、F2を改造した実験車である…しかし、その実験は、かつてのファーガソンが展開したものとは意味が異なるものだ。
ホンダスピリットがこの年に行ったのは、あくまでグランプリに勝つための試行錯誤であった。…その実験結果を蓄積したのは、ホンダであって、スピリットは結果的には実験器具としての役割を果たしたにすぎない。

F1グランプリは変質巨大化して、旧き良き時代の冒険が許される場ではなくなっていた。

ホンダは合理性を追求した日本式を展開して、その後F1グランプリを制覇するに至る。
スピリット201が担ったのは、その栄光を支えるためのごく一部の実験だった。
1960年代、ようやく本格的な4輪車生産を始めたばかりの「オートバイメーカー」ホンダが、F1グランプリを舞台に繰り広げた 実験とは、全く異なる性質を持つものであったのだ。

スピリット201は、本来ならばスピリットの歴史の冒頭に登場する名車となる運命にあったマシンだったかもしれない。

しかし201は、F2から力づくでF1グランプリの舞台へ引きずり出されながら、むなしい戦いを展開した悲運のマシンとなった。

淡々と流れるF1グランプリの歴史の中には、時折こうしたマシンが見え隠れするものだ。

 

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F1マシン変遷史

1952年:フェラーリ500直列4気筒エンジンを搭載(出力170~185bhp)して登場、A・アスカーリが操り圧倒的な強さでグランプリを制覇

1954年:メルセデスW195ダイムラーベンツが持ち出したパワーのお化け(直8、270bhp)フランスGPでデビューし即優勝をさらう。54年、55年の王座をドライバーのJ・M・ファンジオが獲得

1959年:クーパーT51…55年ル・マン大事故を理由に撤退したメルセデスの後を継ぐレース界の雄フェラーリを、ミッドシップレイアウトで打倒

1961年:ファーガソンP99…グランプリ史上最後のフロントエンジン搭載車であり、最初の4輪駆動車

1964年:フェラーリ158…V6の156に代り、V8(205bhp)を積んで登場。158に乗るJ・サーティースが2輪と4輪の2冠王者に

1967年:ロータス49…近代F1グランプリカーの始祖。オランダGPからフォード・コスワースDFVを搭載。400bhp以上のパワー発揮

1970年:マーチ701…新興のコンストラクターであるマーチがDFVエンジンを用い、シャーシを設計、商品化され、一般にも販売された

1973年:ティレル005…DFVを搭載し、1972年登場、熟成が進められ、この年ロータスマクラーレンとの熾烈な戦いの末、J・スチュアートが王者に。DFV絶頂期

1974年:マキF101…日本の若いエンジニアが夢と情熱だけで形にしたF1マシン。公式戦出場ならず

1975年:フェラーリ312T…水平12気筒エンジン(485bhp)を搭載し、横置きギヤボックスを採用、コスワースDFVをついに打ち破る

1976年:ティレルP34…DFVによるエンジン均衡時代を打破するための試みの一つ、6輪車

1977年:ロータス78…近代レーシングカーの構造を変化させた大発明、グラウンドエフェクトを初めてサーキットに持ち込んだ 

ルノーRS01…初めてターボ過給1500ccエンジン(V6、510bhp)が持ち込まれた。以降グランプリカーはターボ時代に

1978年:ブラバムBT46/2…グラウンドエフェクトに対抗するための苦心のアイデア、ファンカー

1983年:ブラバムBT52…MNW直4ターボエンジン搭載、N・ピケの手によりターボ初の王座を獲得

スピリット201…ホンダV6ターボのデビューを飾る

1988年:マクラーレンMP4/4…ホンダV6ターボエンジン搭載、グランプリ16戦中15勝を飾り、ターボ過給F1グランプリカーの頂点に立つ

1989年:マクラーレンMP4/5…ホンダV10エンジン搭載、ターボ追放後初の王者を生み出す

以上

 

筆者:大串信
この記事は、1990年3月号 Number239からの記事です…

 

 

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