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F1戦国ストーリー コンストラーズ風雲録

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F1戦国ストーリー コンストラーズ風雲録

最高のドライバーと完璧なマシンを擁していた最強軍団マクラーレンは、なぜ勝てなくなったのか?…20年前には破綻寸前で、絶望的な状況であった闘将率いるウイリアムズが快進撃を続けているが、彼らの機運を転じた経営・戦略上の秘訣は何か?…誰もが覇者として君臨することを夢見るが故、サーキットに刻まれたドラマと歴史を振り返り「F1戦場を貫く原理」を考える。…Number 293 1992年6月20日号より

 

イリアム

マシンを満足に整備する事も出来ず、工具すら隣りのチームに借りていた。走り出せばすぐに壊れる事がわかっていたマシンを、スターティンググリッドに並べて、案の定立ち往生したマシンを回収しては、そそくさとサーキットを去って行った。…破産寸前の状態にありながら、それでもこつこつとアラビア語を勉強していた。これが1970年代初頭のフランク・ウイリアムズの姿である。

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F1グランプリを戦うためには膨大な資金が必要だ。スポーツになぜ金が必要かという意見もある。しかし少なくとも近代のF1グランプリは戦争だ。スポーツが戦争の代償行為ならば、F1グランプリは極めて原始的なスポーツなのだ。

活動を続けるための軍資金確保に悩みながらウイリアムズは思いを巡らせていた。どこからか安定した資金を獲れないものか。他の有力チームの気づいていない金脈は無いのだろうか。めぐる思いの中でウイリアムズが注目したのがアラブのオイルマネーであった。いつの日かアラブから資金を引き出して軍勢を立て直すのだ。

イリアムズは紆余曲折を経て1977年、現在に至る戦闘態勢の整備にかかる。後にはジョン・バーナードと並ぶ才能が認められるパトリック・ヘッドを、チーフ・デザイナーの座に就けたのもこのときだ。この時点ではヘッドの技量も保証されうるものではない。何かの偶然か、感じるものがあたのか。結果的にウイリアムズの采配は大きな実を結んだ。

時を同じくして、たまたま知人のつてをたどってサウジアラビア航空からスポンサーフィーを引き出したのがきっかけで、富裕なアラビア系企業がぞくぞくとウイリアムズに資金の提供を申し出た。彼の学んだアラビア語がどこまで威力を発揮したのかはわからない。しかしとうとう彼は狙っていたものを手に入れたのだ。耐えながら突破口を探り、見事にそれを果たしたウイリアムズはまさに軍師である。

1992年、破竹の進撃を続けるチームを率いる男は、ただ者ではない。先見性と勘に優れたこの軍師は、どん底からの成り上がり者だからこそ怖い存在なのである。

 

偉大なリーダーを失ってロータスは活動停止の事態に陥る。
しかし、それまでに積み重ねた伝統が土俵際でチームを支えたのだ…

イリアムズは人を揃え、人が軍資金を呼び込んだ。この逆の例もある。F1グランプリの名門ロータスだ。ロータスは鬼才コーリン・チャップマンのワンマンチームであった。彼がひねり出した数々のアイデアは、幾度となくグランプリカー・デザインの革命をもたらしてきた。

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ところが1982年末、彼が突然の心臓発作でこの世を去ると、ロータスはそれまでの勢いをすっかりなくしてしまう。まるで大将を無くして秩序を失った軍隊のように弱体化してゆく。

世はまさにターボ全盛時代を迎えようとしていた。言い方を変えれば、一人の才能が集団を引っ張る時代は終わり、システムが威力を発揮する時代が始まろうとしていたのだ。チャップマンは彼の才能が通用しなくなる時代を見ることなくこの世を去ったともいえる。

偉大なリーダーを失ったロータスは徐々に衰退し、1990年いっぱいでメインスポンサーを失って財政難に陥り、活動停止に直面する事態となった。指導者が偉大であればあるほど、その反動は大きいものだ。

しかし、ロータスの危機は、それまで積み重ねた目に見えない伝統というものに救われた。名門ロータスを倒すまいとギリギリのところで人が寄り集まったのだ。土俵際でグランプリに残ったロータスが、そのボディーの一部をスポンサーと関係ない「ブリティッシュ・グリーン」で彩っているのは、伝統への思いがあるからだ。グランプリが人の思い入れで動くことを、ロータスは証明したのだ。

 

ティレル

ティレルは政治の狭間で足場を失った。1980年代初め、FISAFOCAがF1グランプリの主導権を巡って争った時の事だ。

F1グランプリチームがFOCA派とFOSA派に二分したこの争いは、1928年のサンマリノGPで、ついにFOCA系チームのレースボイコットという事態を招く。この時、FOCA派だったティレルは、不幸にもイタリア系企業からの資金獲得をしたばかりだった。長らく資金不足に苦しんできたティレルは、スポンサーの待ち受けるサンマリノGPを欠場する事は出来ない。結局、FOCA派の足並みを一人乱してレースに出走する決断を下した。このためティレルFOCA派での立場を無くして孤立する。

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もっともかつてのチャンピオン・チームであるティレルの衰退には別の理由もある。ティレルは天才ドライバー、ジャッキー・スチュワートとともに歩んできたチームであった。もちろん若手の育成もおこたりなく、フランソワ・セベールという逸材がスチュワートの下で育っていた。

ところが1973年の最終戦、セベールが悲劇の事故死を遂げ、師匠のスチュワートは引退を表明してしまうのだ。一度に二人のドライバーを失ったティレルの衝撃は計り知れない。思えがティレルの長期低落傾向は、この時から延々と続いている。

衝撃を受けてもたついているうちに、今度は時代がティレルを追い越してしまった。F1グランプリのトップチームは、来るべきターボ時代を見越して大自動車メーカーに接近、エンジンの供給を取り付けていたのだ。

気が付いた時には、ティレルは取り残されていた。ターボ過給エンジンを探しても、もはやティレルの分け前はなかった。結局ティレルは自然吸気エンジンを使って走る最後のチームとなって、更に苦戦に陥ってしまった。

しかしケン・ティレルは意気盛んだ。ターボ禁止の方針がFISAによって決められると、いち早くそのレギュレーションに適合したマシンを制作して先手を打った。彼を支えるのは、息子のボブ・ティレルマーケティングを担当している。

「子供の頃、レーシングカートをやろうとして、『ティレル』とクルマに描いて走るから100ポンドくれって、父親に言ったことがある。そうしたら、50ポンドやるからティレルの名前は出さないでくれって頼まれたよ」

 

時代に対応した戦闘態勢で急速に力をつけたブラバムだが、80年代の流れを予期できず、ついにはその活動を停止する。

ブラバムもまた、浮沈を繰り返したチームである。元々はF1ドライバージャック・ブラバムが設立したチームだったが、ブラバムはF1生活を引退するとともにチーム運営からも手を引き、長くパートナーだったロン・トーラナックにチームを譲渡してしまった。

しかし職人気質のトーラナックはブラバムの経営を持て余し、チーム状態は悪化する。ここでチーム買収に乗り出したのが、現FOCA会長のバーニー・エクレストンである。

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1971年末、彼はチームの構造を改革し、F2以下のマイナー・フォーミュラーの生産車部門を閉鎖した。更にエクレストンは、チーム・デザイナーとしてゴードン・マレーを招き入れた。職人気質のトーラナックから、アーチスト然としたマレーへ。エクレストンは、F1グランプリが巨大広告媒体に変貌するのに対応してチームを近代化した。時代に応じた戦闘態勢はブラバムの戦闘力を急速に向上させ、再びグランプリの一線へと浮上する原動力となった。

しかし1980年代に起る時代の流れの変化は、エクレストンですら予期できなかった。ターボ過給エンジンが力を奪うようになって、F1グランプリに大自動車メーカーが割り込んできたのである。膨大な資本と技術力を持ったメーカーが、直接F1グランプリに関わるようになって、エクレストンは、少なくともチーム運営に関する限り、自分は時代に置き去られたことを知る。

長くエースとしてブラバムで活躍したネルソン・ピケは、台頭してきたウイリアムズ・ホンダを選んでチームを去った。ゴードン・マレーは、ターボ時代の王者としてF1の頂点に立ったマクラーレンへ移籍。そして、とうとうBMWがエンジン供給を停止した。

かつては一つにまとまっていたはずのチームは新しい秩序を求めてちりぢりになった。取り残されたエクレストンは1988年、この名門チームの活動を停止し、翌年チームを売却した。時代を作った男が時代の前に白旗を揚げたのである。

 

王者フェラーリ絶頂から一転…
エンジン開発と車体デザイン開発との闘い

1970年代後半、フェラーリが食らったカウンターパンチもグランプリ・デザイン史上に残る皮肉な事態だった。1967年にコスワースが戦線に送り出したV8型8気筒エンジン、コスワースDFVは、軽量コンパクトで高出力を実現した名作エンジンであった。F1グランプリの主導権は、DFVを使用するチームによって握られた。

グランプリの名門チームであるフェラーリは、DFVに対抗して、お家芸のV型12気エンジンを開発して、戦線に投入するがDFVにはかなわなかった。

ここでフェラーリは水平対向12気筒エンジンの開発を決意する。水平対向エンジンは、シリンダーが水平にレイアウトされているので、V型エンジンに対比して平たくなり、重心を低くすることが可能だった。低重心でしかも高回転高出力の12気筒エンジンならば、DFVを打倒する事が出来るに違いない。

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1970年フェラーリはこれを完成させて実戦に投入した。しかし新しいエンジンが安定した性能を発揮するまでには時間がかかる。自製の車体とのマッチングをとるのにも時間が必要だった。ようやくフェラーリが11年ぶりにF1グランプリを制覇したのは1975年のこと。栄誉を手にしたのはモンテゼモロとニキ・ラウダであった。

フェラーリ水平対向エンジンの熟成は更に進んだ。もはや開発され尽くして性能の限界に達したDFVに対して、フェラーリのエンジンには開発の余地があった。フェラーリはDFVを打ち破り、F1フランプリの覇権を手に入れようとしていた。

その時だった。ロータスコーリン・チャップマンがとんでもないアイデアにたどり着いて画期的なマシンを作り出してしまう。グランドエフェクトを利用したマシン、ベンチュリ―カーのロータス78である。チャップマンのアイデアは、マシンの底面を逆翼状に形成し、そこに空気を流してマシン底面と路面を引き付け合わせれば、マシンが路面に張り付いて走行安定性が増すというベンチュリ―効果に基づいていた。このアイデアに気づいた各チームは、続々とロータスの真似をしてベンチュリ―カーを作り始めた。

 ところがフェラーリは、この革命的なアイデアの恩恵を受ける事が出来なかった。フェラーリ水平対向エンジンは、重心が低い分エンジンが車体底面に位置しており、V型エンジンのように車体の底面に空気の通り道を作ることが困難だったのだ。

エンジンの出力競争に集中し、ようやくの事で傑作エンジンDFVに追いつき追い越そうとした矢先、グランプリカー・デザインの大改革によってF1界はコペルニクス的に回転してしまった。この時のフェラーリ陣営の思いは想像するにあまりある。

これ以降フェラーリは再び低迷に陥り、苦しかったターボ時代を通り抜けて、ようやく新しい自然吸気V型12気筒エンジンをもってグランプリの一線へ復活したが、昨年のフェラーリを見ると何とももどかしい。フェラーリお得意のお家騒動が、せっかくの上昇気流を取り逃がしてしまったのだ。

今期フェラーリはチームにルカ・モンテゼモロとニキ・ラウダを据えている。この顔ぶれは1970年代に、ロータスのチャップマンにひっくり返されてしまった黄金時代を、フェラーリがどれほど惜しんでいるかの証明になろう。

 

ターボ時代を制したマクラーレンも…

ターボ時代の波に乗って1980年代のF1グランプリに君臨したマクラーレンもまた、激しい浮沈を経験したチームである。

名作マシンM23で一度はグランプリの頂点に立ちながら、後継マシン開発に失敗し、マクラーレンは衰退の道をたどりはじめた。1979年から1980年にかけて、マクラーレンは形成挽回を期してM28からM30の3台のマシンを矢継ぎ早に開発するが、そのどれもがことごとく失敗、マクラーレンの運命は尽きた。

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メインスポンサーであったマルボロは、マクラーレンのテディ・メイヤーとのプロジェクト4のロン・デニスの間に立って、両チームの合併を推進した。こうして生まれたのが、新生マクラーレン・インターナショナルである。

合併とはいっても、チームの指揮権はロン・デニスのものとなり、マシン作りは彼が連れてきたジョン・バーナードが担当する事となった。実質的な経営権の譲渡である。

 

 

徹底した合理主義と政治力でマクラーレンは生き返った。
ところが今、ロン・デニス革命以来最大の危機を迎えている!

マクラーレンは元F1ドライバーブルース・マクラーレンが、テディ・メイヤーをパートナーとして作り上げたチームであったが、もはや マクラーレンマクラーレンであってマクラーレンではない” 組織となっていた。

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ロン・デニスは徹底した合理主義をチームに持ち込み、グランプリチーム運営の新しいスタイルを築いた。またその政治力に行ってポルシェ、ホンダという、その時代最強のエンジンを確保し、変化した環境に巧みに適応した結果が、マクラーレンの得た覇権である。マクラーレンの復興は、まさにロン・デニスの手腕によるものであった。

ところが今のマクラーレン・インターナショナルは、ロン・デニス革命以来の最大の危機にある。保守的なシャーシー作りがついに破綻したのか。あまりに勝ち続けたために意欲が失われたのか。奢れるものは久しからずというが、マクラーレンは奢ってしまったのか。それとも新しい時代の ”夜明け” になったのだろうか。

F1グランプリはサーキットのコントロールラインを横切ることだけで争われるものではない。時の流れの中で、それぞれのチームが浮沈を繰り返しながら、果てしないゴールを目指して走り続けているのである。盛者必衰の理というマクロの視点から、今後のF1グランプリサーキットを見ると風雲急を告げる展開が今後も続くのであろう。

 

 

 

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