旅cafe

旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。…当ブログ記事は転載OK…リンクを貼っていただけるなら遠慮なくお好きにお使いください。

姫路城

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白鷺が羽を広げたような
優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれる
姫路城

今回は世界遺産でもある姫路城を語ります。姫路城は1993年(平成5年)日本初の世界遺産文化遺産)に登録されております。

日本人だったら姫路城の素晴らしさを知らない人はいません。それほど有名な姫路城。外国人に人気の日本の観光スポット ランキングでも9位にランクイン。

そんな姫路城の魅力をお伝えいたします。

 

姫路城 歴史

天正8(1580)年、羽柴秀吉の中国攻略のため、黒田孝高、城を秀吉に献上。秀吉、3層の天守閣を築く。翌年完成。

慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いの後、池田輝政が姫路城主に。

慶長6(1601)年、池田輝政により、8年の歳月をかけて姫路城を完成させる。次男忠継を含め、石高80万石から換算して述べ2400万人。総工費を現在の価値で換算すると1人あたり日当10,000円と考えて2400億円になります。

元和3(1617)年、池田光政鳥取城へ移る。本多忠政、姫路城主に。千姫入城

平成5(1993)年、ユネスコ世界文化遺産に登録される。

※6氏31人が城主を務めるという大変珍しい城でもあります。

 

千姫 その数奇な生涯

姫路城を語る上で一番時間を割かなければいけないのは、千姫の歩んだ数奇な運命でしょう。

父は2代将軍 徳川秀忠、母はお江(浅井長政お市の方夫妻の三女でいわゆる浅井三姉妹の一人、長姉は茶々=淀殿、次姉は初)。

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 (信長の妹で祖母に当たるお市の方

 

慶長2(1597)年千姫は後の2代将軍・徳川秀忠正室・江姫の長女として生まれます。…しかし僅か2歳にして婚約させられます。豊臣家の跡取り、秀頼の元に嫁ぐ事になったのです。

大阪城に送られ、淀殿(母の姉)の下、教養を身に着け美しい女性に育ちました。大変な美人だったようです。何といっても戦国一の美女、信長の妹、お市の方の血を引く千姫ですからね。

16歳になり成人した千姫は秀頼と仲睦まじく暮らしていました。しかし時代は冷酷です。

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     (千姫

慶長5(1600)年、秀吉がこの世を去って2年後、関ヶ原の戦いが勃発、この天下分け目の戦いに勝利し、政治の実権を握ったのが徳川家康でした。…豊臣と徳川の軋轢は日ごと激しくなり、ついにその対立は火を拭きます。

慶長19(1614)年 千姫18歳、両者は大阪の陣で激突、家康は20万を超える兵力で豊臣方の大阪城を攻撃、実の父と祖父から攻められる事になった千姫、それでも千姫大阪城にとどまります。

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豊臣秀頼 淀殿

豊臣に嫁いだ以上その一員として、夫・秀頼、母・淀殿と運命をともにする決意でした。…しかし千姫は、ある使命をおびて自らの意志で城を脱出するのです。父秀忠に夫秀頼、淀殿の除名嘆願するためです。しかし願いは聞き入れられませんでした。

慶長20(1615)年6月7日、大阪城落城、秀頼と淀殿は城外で自害、遺体は炎の中に消えました。約束を果たせず豊臣家を救えなかった千姫、その後失意の日々を送ることになるのです。

元和元(1615)年 千姫19歳、大阪の陣で夫を失った千姫は江戸に戻されました。失意の中、体調も崩しがちになります。

そんな折、まだ10代だった千姫に再び結婚話が持ち上がります。…死期が近づいていた家康が千姫のために選んだ相手は、本多家…本多家は徳川家の重臣千姫の夫となったのは、本多忠勝の孫、本多忠刻、後世美男子として絵に書かれるほど眉目秀麗な若者でした。

元和2(1616)年4月、縁談の準備を整えた家康は、婚礼を待たずにこの世を去りました。…秀頼との別れから1年が過ぎた9月、千姫は忠刻と結婚、その後、姫路城に入ります。

本多家の居城である姫路城は、美しい白亜の天守で知られた名城中の名城、記録によれば千姫が姫路城に入る時、馬500頭、お供850人が付き従った豪華絢爛なものでした。城内には千姫専門の御殿も作られたのです。

元和4(1618)年 千姫22歳、姫は初めての子供・勝姫に恵まれます。…そして翌年には待望の長男・幸千代が生まれます。まさに千姫は幸せの絶頂の中にいたのです。しかし、この直後から千姫の回りで恐ろしい出来事が起こり始めます。

元和7(1621)年 千姫25歳 幸千代 3歳で急死。…その後、千姫は流産を繰り返した
…いったいなぜ?

苦しんだ千姫がすがったのは占い…占いは衝撃的な事を告げます。子供ができないのは前の夫・豊臣秀頼の恨み…。

「…私に子供ができるたびに流れてしまうのは
貴方様のお怨みのためと占いで知りました。

ごもっともとは存じますが、
悔しいお心をお諦めください。

そして今まで貴方様の事をおろそかにしていた私を
お許しください。…」(『千姫自筆願文』)

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千姫は神仏の加護にすがろうと各地の寺社に寄進をし、建物の修理などにも努めました…しかし、秀頼の怨念はおさまらなかったのか、更なる不幸が千姫を襲います。

寛永3(1626)年 千姫30歳 最愛の夫・忠刻までもが病死したのです…亡くなったのは大阪城が落城した日と同日の5月7日でした。

後継ぎであった忠刻と幸千代が亡くなり、本多家は忠刻の兄弟が継ぎました…千姫は弟の3代将軍・家光の勧めで姫路を離れて江戸にもどります。

江戸城のそばに居を構えた千姫は、再び家庭を持つ事はありませんでした…出家し二人の夫の菩提を弔う事に余生を捧げようと思いを定めたのです。

その後も…大変な事の連続なんです。
でも、これ以上書くと姫路城の記事なのか千姫の記事なのか、分からなくなりそうだから、この辺でやめておきます。…しかし、千姫がどれだけ素晴らしい女性かがわかると、姫路城訪問がいっそう深みのあるものになります。…もう、終わりにしますけど…詳しくは…「千姫 呪われしプリンセス ~家康の孫娘 その数奇な生涯 - 旅cafe」…で確認ください。

 

姫路城案内

春は桜、1000本もの桜が咲き誇る姫路城は日本の桜名所100選にも選ばれています。夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪化粧、季節ごとに美しい。悠久の時を経て築城から400年、姫路城をご案内いたします。

それでは地図の説明です。
青枠:菱の門」「ピンク枠千姫関連」「黒枠:姥が石」「緑枠:大天守」「赤枠:お菊井戸」

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菱の門
姫路城の入口、数ある門の中で最大の門、左に曲がって右に入る。敵の攻撃の勢いを殺す工夫です。

西の丸
西の丸は本多忠刻千姫のために造営された御殿があった場所、現在は大きな庭園となっています。

西の丸長局(百間廊下)
千姫に仕えた侍女たちが居たところで、千姫は毎朝この廊下から男山を拝んでいたと伝えられています。

化粧櫓
西の丸長局より男山を拝んだ千姫が、この櫓を休息所としたので、この櫓を化粧の間、または化粧櫓と呼んでいました。

姥が石
羽柴秀吉が3層の天守を持つ姫路城を築いた時の話で、石垣の石が集まらなくて秀吉が困っていた時、城下で餅を売る老婆が店にあった石臼を「お役に立てれば」と献上。秀吉は大変喜び、この話がたちまち城下で評判になり、人々が競って石を寄進したという事です。

天守
天守地下1階・地上6階の造りになっていて、回りには3つの小天守が建っていまして通路でつながっていることで、どの方角から敵が攻めてこようと対応できる仕組みになっています。

お菊井戸
播州皿屋敷のヒロインお菊が責め殺されて投げ込まれたと言われる井戸です。管理人は「四谷怪談」よりも「播州皿屋敷」の方が怖いと思います。

※姫路城は6氏によって城主が務められてきた城です。至る所に家紋がありまして6氏分の家紋が確認できると言われています。

 

管理人の独り言 姫路城豆知識 

豆知識①:天守が現存しているお城は全国で12だけ、姫路城、彦根城犬山城松本城弘前城丸岡城備中松山城松江城丸亀城伊予松山城宇和島城高知城

 

豆知識②:築城にかかった人数は?費用は?…池田輝政は慶長6年(1601)から8年の歳月をかけて姫路城を完成させました。石高52万石、次男忠継を含め80万石から換算して述べ2400万人。総工費は1人あたり日当10,000円と考えると2400億円になります。…因みに六本木ヒルズの総事業費が2700億円、でもこれって六本木の土地取得代が大きなウェイトを占めていますので、それを考えると姫路城の凄さがわかります。(日当10,000円換算は安すぎたかな…倍でもいいか…笑)

 

豆知識③:元和3(1617)年池田氏に代わって15万石の姫路城主となった本多氏、嫡男忠刻に嫁いだ千姫の化粧料として幕府から10万石が与えられた本多忠政は、西の丸高台の整備に取り掛かります。そこには千姫が使ったとされる「化粧櫓」を作り、千姫が男山天満宮を遥拝する休憩所とされました。…10万石あれば何でもできますよね。…10万石っていったら大大名ですよ。(千姫どれだけ化粧すんだ!…笑)

 

豆知識④:「姫路城を米軍が空襲しなかったのは、アメリカが文化財の価値を認めたから」…嘘でした! 米軍は姫路城にも焼夷弾を落としています。しかも天守閣に落としています。不発弾で済んだので現在の城が楽しめるわけです。(米軍、ふざけんな!)

 

豆知識⑤:播州皿屋敷」約450年前の室町時代中期、姫路城執権の青山鉄山は、城を乗っ取ろうと城主を増位山の花見の宴で毒殺しようと企てていました。

それを察した城主の忠臣、衣笠元信(きぬがさは、愛人であるお菊を鉄山の屋敷に奉公させて企みを探らせ、鉄山の息子小五郎から父の陰謀を聞き出しました。

この知らせを聞いて元信は、花見の宴で城主を毒殺しようとする鉄山の陰謀を阻止することができました。その後もお菊は、鉄山の屋敷で動向を探り続けていましたが鉄山の部下、町坪弾四朗に気づかれてしまいます。

ところが以前からお菊に好意を持っていた弾四朗は「黙っている代わりに自分のものになれ」とお菊に言い寄りました。しかし、お菊はその条件を聞き入れず、弾四朗に折檻されます。

それでも強情に言うことをきかないお菊を憎らしく思うようになった弾四朗は、ある日、お菊が預かる家宝の十枚の皿うち一枚を隠してその罪をお菊に負わせ、ついにお菊を切り殺し庭の井戸に投げ込みました。

それからというもの夜ごと井戸の底から悲しげな女のか細い声で
「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚、八枚、九枚・・・・・」
と皿を数える声が聞こえるようになりました。

そのお菊が投げ込まれた井戸がお菊井戸なんです。

 ※管理人は「四谷怪談」よりも「播州皿屋敷」の方が怖い話だと思っています。

 

 

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