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難攻不落 松山城

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戦国武将 加藤嘉明松山城

松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、戦国武将、加藤嘉明が築いたお城。門・櫓・塀を多数備え、狭間や石落とし、高石垣などを巧みに配し、攻守の機能に優れた連立式天守を構えた平山城と言われております。

松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちのひとつ、江戸時代以前に建造された天守を有する城郭です。

加藤嘉明といったら豊臣秀吉の子飼衆で、賤ヶ岳の七本槍・七将の一人として有名だが、彼の戦績、功績はあまり知られていません。

松山城を解説する前に築城した加藤嘉明について語っておきます。

 

加藤嘉明

永禄6年(1563年)家康の家臣であった加藤教明の長男として生まれる。生まれた年の三河一向一揆で、父が一向一揆勢に組して家康に背き、敗れて流浪の身となったため、嘉明も放浪した。

流転の後に近江国に至り、父は長浜城主・羽柴秀吉に仕えて300石を食む。その後、羽柴秀勝の小姓を経て秀吉の直臣となる。

戦績
天正4年(1576年)播磨攻め 300石
天正6年(1578年)三木城攻囲に参加
天正10年(1582年)山崎の戦い賤ヶ岳の戦い参加
天正12年(1584年)小牧・長久手の戦い雑賀攻めに従軍
天正13年(1585年)秀吉が関白になった際に、嘉明も従五位下・左馬助を拝領
天正15年(1587年)九州征伐、淡路水軍を率いて参加
天正18年(1590年)小田原征伐、淡路水軍を率いて参加
文禄元年(1592年)文禄の役では1,000名を率いて出征
文禄3年(1594年)軍功により淡路国内に1,700石増封。併せて6万石となった。
慶長2年(1597年)慶長の役出征
慶長3年(1598年)軍功により加増を受け10万石取りの大名となる。この年、秀吉没
慶長4年(1599年)前田利家が死去し
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い 東軍に組し石田三成の本隊と戦って武功を挙る
慶長6年(1601年)伊予で20万石を拝領、松山城築城を開始
慶長11年(1606年)江戸城修築、駿府城修築、篠山城築城、名古屋城造営に従事
慶長19年(1614年)大坂冬の陣、嫡男・加藤明成が出陣
慶長20年(1615年)大坂夏の陣では嘉明が出陣。豊臣氏滅亡
元和5年(1619年)福島正則が除封改易となり正則の身柄を預かる
寛永4年(1627年)会津藩へ移封、同時に43万5500石に加増
寛永8年(1631年)病没、享年69
大正6年(1917年)11月17日、大正天皇が特旨をもって嘉明に従三位を追贈

加藤嘉明は一代で43万石の大名に上り詰めた大変な人物なんです。従軍した戦は数知れず。まさに百戦錬磨。築城の名人とも言われています。

 

難攻不落 松山城(井戸)

城攻めの名人、秀吉の下で働いた嘉明は城造りを心得ています。自分の城も鉄壁の要塞としました。

嘉明がこだわったのが籠城戦の備えです。古来城は山の頂上に設けられていました。(松山城も標高132mの勝山の頂上)籠城戦で兵糧は1年、2年の備蓄は可能。

中国では最長8年間の籠城戦がありました。元軍が攻撃した襄陽の城。1268年から1276年まで持ちこたえました。

管理人が勝手に選んだ日本の三大籠城戦
千早城の戦い楠木正成)1000人vs10万~20万
上田城の戦い(真田昌幸)3500vs3万8000
熊本城の戦い(谷干城西南戦争) 4000vs1万4000
…どれも城側が守り切っています。

備えのしっかりした城は落とせないのです。…しかし唯一、山城には弱点があります。それは水の手!…飲料水が確保できない。

水を断つことによって城は落ちるのです。…そこで嘉明はとんでもない作戦に出ます。

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絵が下手で恥ずかしいんですけど説明します。二つの山の間に水が湧く池がありました。城を作るための整地は山の頭の土砂で谷を埋めて平にする方法を取りました。その際、井戸を上に伸ばしながら谷を埋めたんです。 

そして当時の技術では不可能とされた深さ44mの井戸が出来ました。これで松山城は、難攻不落…力攻めでは落とせない城となったんです。

 

難攻不落 松山城天守閣が見えたと思ったら…)

松山城には、山を登る攻め手の兵士に対して道を曲げたり、迷わせたり、土塁を設けて待ち伏せしたりで城までたどり着くまで散々痛めつけられます。

その挙句、何とか生き残って山を登りきる。…ようやく本丸に入れると思ったところで絶望的な罠が仕掛けられているんです。

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高くそびえる石垣とともに、画像の真ん中に小さく天守が見えます。攻め手の兵士たちは ”ついにここまで来たぞ” とばかりに天守閣に向かって真っすぐに突進するはず。しかし直進しても道は行き止まり、兵士たちの絶望感は計り知れません。正解は一旦、城を背にして180度戻るように曲がって井筒門に向かうんです。この本丸入口の井筒門がまた厄介なんです。

頂上部分の本丸にも、そびえたつ石垣、迷路のような通路、櫓、曲輪、隠し門、建造物上部には、石落とし、至る所に鉄砲や矢で敵をいるための「狭間(さま)」が夥しい数、並んでいます。

これだけの仕掛けをかいくぐって天守まで兵士を進めるにはどれだけの犠牲を払わなければならないかを思えば、攻めて大将は松山城攻めを諦めざるを得ないでしょう。

 

松山城 21棟の重要文化財

松山城には21棟の重要文化財があります。
天守、三ノ門南櫓、二ノ門南櫓、一ノ門南櫓、乾櫓、野原櫓、仕切門、三ノ門、二ノ門、一ノ門、紫竹門、隠門、隠門続櫓、戸無門、仕切門内塀、三ノ門東塀、筋鉄門東塀、二ノ門東塀、一ノ門東塀、紫竹門東塀、紫竹門西塀

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松山城に行くには
 4つの登山道とロープウェイ・リフト

松山城は勝山の山頂、山頂までは徒歩なら4ルート、いずれも所用時間は20~30分で車両は通行不可です。
体力に自信があれば、城攻めをする兵士の気持ちになって徒歩で登るのも一興です。所要時間はいずれも20分~30分で登れます。

ロープウェイやリフトで楽に登る方法もあります。リフトに並走するロープウェイは10分間隔での運行。約3分で山頂へ到着します。

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ロープウェイ・リフト
往復520円、片道270円

松山城天守観覧券
520円

ロープウェイ・リフト+天守観覧券
1,040円

松山城駐車場 ロープウェイ乗場まで徒歩2分、喜与町駐車場
420円(2時間まで)以降は30分ごとに100円

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管理人の独り言

管理人は正直、皆様と同じように加藤嘉明という人物を知りませんでした。この記事を書くに際して調べを進めると ”何でこんな重要人物にスポットが当てられていないの” と疑問に思いました。

日本人の歴史感というのは、司馬遼太郎の影響が大きい。坂本龍馬乃木希典などは最たるもので司馬遼太郎が歴史を作っているかの如く。

蒲生氏郷などは、大河ドラマの主役で何度も取り上げてもいいくらいの興味深い生涯を生きています。

加藤嘉明は調べる価値あり、加藤嘉明を知ってから訪問すると、よりいっそう松山城を楽しめると思います。

 

 

 

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