
海の難所 鳴門海峡
鳴門海峡:海峡を挟む播磨灘と紀伊水道の間の潮時差がほぼ正反対で、両水域の潮位差は大潮の時で1.5mにも及ぶことから、最大流速は11kt(20km/h)になる。これは日本国内で最も速い潮流。有名な鳴門の渦潮はこの最狭部の下流側に現れ、大きいものでは直径15mにもなります。

海峡は主要航路に当たりますが、可航幅が約500mと狭く、強流時などには通峡を見合わせて潮止まりを待つように、徳島海上保安部が船舶に注意を促しています。
2002年から2006年の5年間で海難事故は15件で、そのうち8件は大鳴門橋直下で、うち5件は強潮流による圧流や操船不能などが原因となっている。 …まさに海の難所です。
鳴門公園(大鳴門橋遊歩道 渦の道)
そんな海の難所、鳴門海峡を橋の上から観賞できる施設が「徳島県立 渦の道」なんです。…鳴門の渦を足元に見ることが出来る施設なんです。
場所は、鳴門大橋の下、徳島県側です。

神戸淡路鳴門自動車道、鳴門北ICで下りて5分、鳴門公園内です。…この鳴門公園がまた楽しいんです。…チョットだけ紹介します。
「赤枠:鳴門第1駐車場」「青枠:大鳴門橋遊歩道 渦の道」「青⇒:渦の道展望室」「黄枠:大鳴門橋 架橋記念館エディ」「緑枠:うずしお汽船」「ピンク枠:大塚国際美術館」

鳴門第1駐車場
クルマはこちらに停めるのが便利でしょう。(1日500円)
大鳴門橋 架橋記念館エディ
渦潮のメカニズムや大鳴門橋の構造を楽しく学べる渦と橋のミュージアム。
うずしお汽船
鳴門海峡の渦潮を間近に船の上から見ることが出来ます。(料金1600円)
大塚国際美術館
大塚グループが創立75周年記念事業として徳島県鳴門市に設立した日本最大級の常設展示スペース(延床面積29412平米)を有する「陶板名画美術館」です。入館料は日本一高い3300円!…でもその価値あり!!…次回の記事は、大塚国際美術館を書きます。
徳島県立 渦の道
鳴門海峡の潮流はイタリアのメッシーナ海峡、カナダのセイモア海峡とならんで「世界三大潮流」の一つといわれています。潮流の速さは大潮の最大時には、時速20km以上にもなり、日本一の速さといわれています。
それでは大鳴門橋遊歩道 ”渦の道” の案内です。

渦潮が巻く時間帯というのがありまして…理想は満潮、干潮を挟んだ前後30分が最適との事。ですからこの時間になると急に人が押し寄せてきますよ。
入館料は510円、ゲートを入って450m先、橋の1/3の地点に展望室がありましす。そこまでは金網越しに鳴門海峡が見えます。潮風を感じながら快適に遊歩道を散策。(風が強い日は最悪…笑)

基本通路はお外ですのでこんな迫力の光景も…

ジャンプ禁止!!…怖い~…。(落ちるのかな?)

遊歩道には4ヵ所の休憩場が設けられておまして、チョット休憩。

そして展望台。遊歩道はここまで淡路島には渡れません。
渦の道展望室にはトイレもあります…売店はなし。

ここで発見した事があります。床の展望窓に乗るときに皆さん、つま先から足を乗せる…。
危険な言葉…言ってはいけない言葉があります。「いやー…うずうずしますね」…駄目ですよ…(笑)


次々と渦が出来るので見入ってしまう…大きな渦が出ては消えてを繰り返します。渦潮を見つめすぎると目が回ります。
船が渦に突進、挑戦している「流されてるー」…次々と渦潮へ観光船が突入して行きました。


展望台から渦潮見てると…観光船に乗って間近で渦潮を見たくなるんです。簡単に観光船を触れておきます。
徳島県立 渦の道 入場料:510円
うずしお汽船
渦の道の入口ゲートの建物からクルマなら2分に船着場があります。(無料駐車場有)船が小型ですので揺れる、流される…スリルを楽しみたいなら、この船一択!
料金:1600円



鳴門観光汽船
渦の道の入口ゲートの建物からクルマなら5分に船着場があります。(無料駐車場有)大型船の「わんだーなると」は安定感があります。料金:1800円
小型の高速船「アクアエディ」は、水面下1mの展望室から海中のうずの様子が間近で見られる水中展望室のある高速小型船です。水の中から見る渦潮は、上から見る渦潮とはまったく違う景観で未知の感動をあたえてくれるでしょう。料金:2400円


うずしおクルーズ
淡路島、福良港から出航している大型船で安定感抜群!
料金:2500円


3社が運営するほど人気の鳴門海峡渦潮クルーズ…是非、間近で渦潮を体験してください。
管理人の独り言
歴史好きの管理人が、瀬戸内海といったら、何といっても村上水軍ですね。戦国時代を中心に瀬戸内海を押さえた武将が西日本を制覇する時代でした。
瀬戸内海一帯を支配し、日本最大にして最強の水軍とうたわれました。高度な操船技術と巧みな戦法によって敵を攻撃、あの、織田信長をこてんぱんにやっつけたのが…村上水軍なんです。そんな村上水軍に最大の見せ場である信長との戦いを簡単に触れておきます。
村上水軍は同盟関係にあった中国地方の大名・毛利輝元から援軍の要請を受けます。
敵は織田信長、天下統一を目指し、激しい戦いを重ねた信長は、この頃には近畿一円をほぼ手中に収めていました。

毛利氏から見れば、中国地方が信長の標的になることは明らかでした…。

天正4(1576)年7月、村上水軍は800艘の船団で出撃、大阪湾に突入しました。対する信長も水軍で立ち向かいます。
信長は、大阪湾沿岸の勢力をかき集め、水軍を編成していたのです。信長軍は、安宅船という大型の船が中心です。
大勢の兵が乗り込み、鉄砲の一斉射撃が行える強力な軍船でした。…しかし村上水軍の小早船はスピードが早く、小回りが利くので信長軍の鉄砲は当たりません。
村上水軍の小早船は、信長軍の大きな船を取り囲みます。そして秘密兵器、”ほうろく”で攻撃します。 ”ほうろく” とは敵の船に投げつけ爆発炎上させる爆弾です。

船を素早く近づかせては、”ほうろく”を次々投げつけ、瞬く間に逃げ去ってゆく小早船、巧みな連携プレイで信長軍の船を焼き尽くし壊滅させました。
戦国最強と言われた村上水軍、江戸時代となり、戦の世が終わってもその伝統の技術は引き継がれて行きます。朝鮮からの使節団が来日する時は、瀬戸内海の海を知り尽くした村上水軍が水先案内をするのです。
海上のプロフェッショナル村上水軍、海の男たちの誇り高き生き方は、太平の世になっても決して失われる事はなかったのです。
詳しくは「戦国のプロフェッショナルたち 己の腕で乱世を生きる - 旅cafe」の記事を参照ください。
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