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旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。…当ブログ記事は転載OK…リンクを貼っていただけるなら遠慮なくお好きにお使いください。

長野県「妻籠宿」・岐阜県「馬籠宿」

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中山道の宿場町めぐり
江戸情緒ただよう「妻籠宿」&「馬籠宿」

2009年には「妻籠・馬籠宿」がミシュラングリーンガイドブックで一つ星を獲得。海外からの観光客もどんどん増えており、中山道を代表する人気の観光スポットになっています。

五街道という言葉があります。江戸時代、日本橋を起点に伸びる東海道中山道日光街道奥州街道甲州街道の五つを指した陸上幹線道。1601年(慶長6年)に徳川家康が全国支配のために江戸と各地を結ぶ以下の5つの街道を整備し始め、2代将軍秀忠の代になって基幹街道に定められました。

中山道は、内陸経由で江戸と京都を結ぶ。江戸から京都までは135里34町余(約526.3 km)。現在の都府県では、東京都・埼玉県・群馬県・長野県・岐阜県滋賀県京都府に該当する地域を通過する。

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東海道五十三次といいますが、これは宿場が53か所あるという意味です。対して中山道は、六十七次東海道よりも16ヵ所も宿場が多い。宿場数が密であったのは、比較的険しい山道が多いことに加え、冬場は寒さも厳しい内陸の地域を通り、降雪時に通行が困難であったために、1日の歩行距離は短くなったんです。

中山道69ヶ所の宿場のうち11宿が木曽を通りまして、この部分を木曽路とも呼んでいます。

今回紹介するのは、木曽路の代表的な宿場の…

妻籠宿(つまごじゅく)」は42番目の宿場
「馬籠宿(まごめじゅく)」は43番目の宿場

…この隣り合った2つの宿場を案内いたします。

 

島崎藤村「夜明け前」

宿場の案内の前に軽く、島崎藤村について触れておきます。

島崎 藤村(1982-1943)、日本の詩人、小説家。信州木曾の中山道馬籠生まれ。小説『破戒』『春』などで代表的な自然主義作家となった。作品は他に姪との近親姦を告白した『新生』、父をモデルとした歴史小説の大作『夜明け前』などがある。

『夜明け前』は、島崎藤村によって書かれた長編小説で…
木曾路はすべて山の中である
…の書き出しで知られる。

米国ペリー来航の1853年前後から1886年までの幕末・明治維新の激動期を、中山道の宿場町であった信州木曾谷の馬籠宿を舞台に、主人公・青山半蔵をめぐる人間群像を描き出した藤村晩年の大作。

青山半蔵のモデルは、旧家に生まれて国学を学び、役人となるが発狂して座敷牢内で没した藤村の父親・島崎正樹。

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中央公論』誌上に、1929年(昭和4年)4月から1935年(昭和10年)10月まで断続的に掲載され、第1部は1932年1月、第2部は1935年11月、新潮社から刊行された。

1934年11月10日 村山知義脚色、久保栄演出「夜明け前」(三幕十場)が新協劇団により築地小劇場で初演される。

1953年に「夜明け前」として、新藤兼人脚色、吉村公三郎監督により映画化もされている。

中山道 42番宿場 妻籠宿

妻籠宿は、隣接する馬籠宿と、馬籠峠を越える木曽路を代表する観光名所として、外国人を含めて訪れる旅行者が多い。 

青枠妻籠宿本陣」「緑枠脇本陣・歴史資料館」「ピンク枠:妻籠郵便局」「黄枠:高札場」「赤枠:桝形跡」「グレー枠:寺下の街並み」「:町営第2駐車場」「黒枠妻籠発電所

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古い町並みは、高札場から妻籠発電所辺りまで、宿、お土産、飲食店が軒を並べています。

経済成長に伴い全国の伝統的な町並みが姿を消してゆく中、いち早く地域を挙げて景観保全活動に取り組んだことが評価され、1976年、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地の一つに選ばれた。

他の保存地区と異なり、周辺の農地など宿場を支えた環境全体を保存するため、国有林を含めた広範囲が指定されています。

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妻籠宿本陣
本陣は、 江戸時代以降の宿場で、大名や旗本、幕府役人、勅使、宮、門跡などの宿泊所として指定された家。原則として一般の者を泊めることは許されておらず、営業的な意味での「宿屋の一種」とはいえない。宿役人の問屋や村役人の名主などの居宅が指定されることが多かった。また、本陣に次ぐ格式の宿としては脇本陣があった。

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脇本陣
脇本陣(わきほんじん)は、江戸時代の宿場に設置された本陣の予備的施設。大きな藩で本陣だけでは泊まりきれない場合や、藩同士が鉢合わせになった場合に格式が低い藩の宿として利用されるなど、本陣に支障が生じた場合に利用された。

本陣は原則として一般客の宿泊は認められなかったが、脇本陣は大名・勅使などの利用が無い時には一般客の宿泊にも供した。

規模は本陣よりも小さいが、諸式はすべて本陣に準じ、上段の間などもあり、本陣と同じく宿場の有力者が務めた。

入館料
本陣:300円
脇本陣・資料館:600円
3館共通券:700円

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妻籠郵便局・郵便資料館
島崎藤村『夜明け前』にも開局当時の様子が描かれている妻籠郵便局。現在の建物は、昭和53年度に郵政本省建築部の指導で復元され、同時に局前のポストも、全国で唯一の黒いポストが復元されました。郵便史料館は、郵政研究所の指導のもとに、地元の方々のご協力を得て 昭和60年に開設されました。資料は約270点。

ここでは、郵便局までが黒いポストに古風な造りになっています。笠にはっぴ姿の郵便屋さんが歩いて入ります。また、郵送物を妻籠郵便局窓口で出し、希望をされると妻籠郵便局オリジナルの消印が押されます。

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妻籠郵便局正面に設置されている郵便ポストに投函されてもオリジナルの消印は押されません。

妻籠郵便局窓口営業時間(土・日・祝日は営業していません)
 平日 午前9時から午後5時まで

入館料:無料

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寺下の街並み
江戸時代からの街並みを残している場所です。…日本で最初に町並み保存工事を行った妻籠宿の寺下の町並み。保存工事を始めて、今年で50周年を迎えます。その間も屋根や雨樋など、補修工事などが行われ、今の状態を保つ事ができますように見て行かなければなりません。

「江戸時代みたい!」と観光客が声を上げるのがこのエリア!!

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桝形跡
枡形は、道を直角に曲げて、少しでも敵の侵入を防ぐ事ができるよう作られたものです。妻籠宿の桝形は「直角に曲げるだけではなく、上がったり下がったり」と敵を防ぐ要素を十分に備えている桝形です。

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一番簡単な「桝形」を例にとって、その仕組みを説明します。図のように、敵対する勢力によって簡単に突き崩されないように、周囲を石垣で堅固に囲んだ土塁を築きます。

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こうすると街道をやってきた行列は、2回直角に曲がらないと宿場の街に入ることができません。軍隊であれば、幅の狭い街道で2回も曲がるためにかなり時間を費やすことになります。敵が江戸まで侵攻する時間稼ぎが出来るという事です。

江戸幕府は主要街道の宿駅の街に、宿場の出入口や要所に桝形を造営するように命じました。必要な場合には、建造の知識や技術を指導し、建造費用も補助しました。

 

中山道 43番宿場 馬籠宿

江戸から数えて43番目の宿場。急な坂道の街道に沿って、格子のある民家や資料館、おみやげ物店や茶屋がずらりと並んでいます。2005年までは長野県でしたが、平成の大合併で県を超えた合併が行われて中津川市の一部になりました。

木曽路はすべて山の中である”
あまりにも有名なフレーズではじまる文豪・島崎藤村の名作「夜明け前」の舞台になった場所でもあります。

馬籠宿は、石畳が敷かれた坂に沿う宿場町。宿場の中間地点には、この地が生んだ文豪・島崎藤村の生家跡(本陣)も資料館として馬籠の歴史を伝えています。

都会にはない雑貨屋さんを覗いたり、レトロなカフェでお茶したり、木曽路を愛する歴女を気取ったり、新しいのにどこか懐かしい街道散歩が楽しめます。

赤枠:桝形跡」「青枠藤村記念館」「黄枠:馬籠脇本陣史料館」「緑枠:清水屋資料館」「ピンク枠:藤村の墓」

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町並の特徴
石畳の坂の町、…通りの両側にお土産物屋がならび、商いをしていない一般の家でも当時の屋号を表札のほかにかけるなど、史蹟の保全と現在の生活とを共存させています。

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桝形跡
敵が攻め込みにくくするために、道を鉤型に二度曲げてある。 馬籠宿では西側(大阪側)の1ヶ所。 坂の下側から見て、左側の細い方が古い道。 坂道の桝形は馬籠宿の特徴でもある。

馬籠宿の下の位置の方にある水車小屋の付近。 馬篭宿を代表する景色。 江戸時代の風情が色濃く残っていて念撮影にお勧めです。

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藤村記念館
馬籠宿の本陣と庄屋、問屋(といや)を兼ねていた島崎藤村の生家跡。館内には 「夜明け前」の原稿、「大黒屋日記」、生涯にわたる作家活動の資料が年代順に展示されている。

明治28年の大火でただひとつ残った建物。藤村の祖父母の隠居所である。少年時代この二階の部屋で平田派の国学者、父島崎正樹から四書五経素読を受けたと伝えられている。隠居所のことは小説『夜明け前』に度々登場する。

演劇『夜明け前』の舞台は本陣の当主や家族が居住する囲炉裏のある居間、座敷の一部と土間だけである。舞台装置の場面が変わることなく、ここでストーリーが終始する。

入館料:500円

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清水屋資料館
島崎藤村の作品『嵐』の登場人物、「森さん」(原一平)の家です。

代々馬籠宿役人で、島崎家と親交が深かった清水屋原家。藤村は、馬籠で帰農する長男楠雄を、清水屋に託しました。そのため、藤村直筆の書簡や資料が保管展示されています。

入館料:200円

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馬籠脇本陣資料館
馬籠宿の脇本陣蜂谷家の跡に建つ史料館。蜂谷家に伝わる遺品や古文書などが展示されているほか、大名が利用した上段の間を忠実に復元している。

入館料:300円

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管理人の独り言

中山道と聞くと歴史好きの管理人としては、皇女和宮の思い浮かべてしまします。

安政7年(1860年)に大老井伊直弼が暗殺されて、面子を失った幕府は、朝廷と手を結ぶ方針をとり、当時の孝明天皇の妹・和宮と将軍・徳川家茂の結婚を実現させるなどして、天皇の権威をかりて幕府の権力を取り戻そうとしました。

皇女和宮が徳川14代将軍の家茂に嫁ぐ「降嫁(こうか)」の花嫁行列は、中山道が選ばれました。1861年11月22日、和宮の行列は江戸に向け出発。幕府は、威勢を示すため、お迎えの人数 2万人を送ったという。

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宿場街の通過には前後4日間、行列の長さは50Kmにも及んだ。3-4万人の大行列と言われ、道路や宿場の整備・準備・警護の者たちを含めると総勢20万にもなった。

また、公武合体に反対の連中から護るため、庄屋の娘三人を、和宮と同じ輿を造り計四つの御輿で中山道を通って江戸へと行列は続いた。

京より他の土地を知らない宮の御心を慰めようと、途中名勝を通る時など御輿をお止めして添番がご説明申し上げたという。和宮は、その時つぎのような一首をつくられた。

落ちて行く
身を知りながら紅葉ばの
人なつかしくこがれこそすれ

和宮は、有栖川宮熾仁親王との婚約を解消して、江戸に降嫁させられたわけですから、その心情たるや想像に絶しがたい。

御輿入れの行列(50km)は、世界でも比類の無いことで、総費用は今のお金にして約150億円かかったといわれています。

馬籠宿では、そんな「皇女和宮の降嫁」の行列を ”馬籠宿場祭り” のハイライトとして再現しているんです。…お祭りは11月に行われます。

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