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旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。

紅葉名所「母成峠」

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戊辰戦争全体の趨勢を決した地「母成峠(ぼなりとうげ)」

福島県猪苗代湖の北東に位置する母成峠。

雄大な景色の中で見る紅葉
郡山市熱海町の石筵ふれあい牧場から、猪苗代町中ノ沢温泉に抜ける10.6kmに及ぶ観光道路(母成グリーンライン)。例年10月中旬から10月下旬にかけて、カエデの木が色付き、見事な紅葉。訪れた人々の目を楽しませています。

また戊辰の役古戦場や展望台もあり、ドライブコースとしても人気が高い場所でもあります。

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戊辰戦争早期終結のターニングポイント
母成峠の戦い

1868年10月の時点で、新政府において、戊辰戦争全体の戦略を指導していたのは、長州藩の大総督府の参謀・大村益次郎。当初、大村は「枝葉(会津藩を除く奥羽越列藩同盟諸藩)を刈って、根元(会津藩)を枯らす」と仙台・米沢への進攻を考えていたが、対して、薩摩藩伊地知正治川村純義、土佐藩板垣退助、干城(たにたてき)は、 11月になれば雪が降る。その前に会津若松城を攻略しなければ、会津戦争は長引き、新政府軍の犠牲・損害は膨らむと、短期決戦を主張した。

大村も案を聞き入れ、伊地知正治、川村純義、板垣退助谷干城が母成峠突破の指揮官に任命され、短期決戦の成功を目指すことになった。

対して迎え撃つ会津藩は!…会津へ入る街道は3か所…
南西の会津西街道(日光口)
南東の勢至堂峠(白河口)
二本松と若松を最短で結び、当時の主要街道であった中山峠(楊枝峠、二本松口)
会津藩は新政府軍が中山峠に殺到すると予測した。

 

母成峠決戦!
しかし会津藩の予想を裏切って新政府軍は母成峠へ向かう

現代では、郡山市磐梯熱海温泉から母成峠を経由して猪苗代町中ノ沢温泉へ続く10.6kmのドライブコース(母成グリーンライン)が整備されている。(旧高森熱海有料道路で現在は無料開放されている)丁度、新政府軍主力はこの道を通って母成峠に進行して行きました。

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新政府軍
本隊(板垣・伊地知)1300
右翼(谷)1000
左翼(川村)300

旧幕府軍
会津藩兵200
大鳥が率いる伝習隊400
仙台藩兵100
二本松藩兵100
土方歳三が率いる新選組若干名が加勢し総勢800。

 

開戦
慶応4年(1868年)8月21日、 戦いは午前9時頃から砲撃戦で始まった。旧幕府軍の指揮官は大鳥であり、その配下の伝習隊は善戦した。しかし、緒戦で木砲のみの第一台場(萩岡)が陥落し、大砲2門を置いた第二台場(中軍山)も新政府軍が山砲で攻撃した上に、川村隊の側面攻撃が功を奏して炎上する。

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さらに、勝岩の台場を固めていた守備隊も谷隊の攻撃を受け、追い詰められた旧幕府軍は頂上に残った第三台場(勝軍山/母成峠)で大砲5門を以て反撃するも、新政府軍は第二台場から大砲20余門で母成峠を攻撃。濃霧の中、間道から現れた新政府軍に背後を襲われた旧幕府軍は大混乱に陥った。

敗色が濃くなるに及び、大鳥の叱咤も空しく、午後4時過ぎにはほぼ勝敗は決した。前日に引き続き再び殿となった伝習隊は大打撃を受け、大鳥の総員退却命令も伝達されないまま潰走した。 

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会津藩にとって、藩境がわずか1日で突破されたことは予想外のことであった。越後口や日光口では藩境あるいは藩外での戦いが続いていた頃である。

結局は若松城下に突入され、白虎隊(士中二番隊)や娘子軍、国家老西郷頼母一家に代表されるような悲劇を引き起こすことになった。

会津軍は籠城を余儀なくされ、他の戦線でも形勢不利となっていく。会津藩の降伏は1か月後のことだが、会津藩の劣勢が確実な状況になったことで、仙台藩米沢藩庄内藩奥羽越列藩同盟の主力の諸藩が自領内での戦いを前に相次いで降伏を表明し、奥羽での戦争自体が早期終息に向かった。

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つまり「母成峠の戦い」が会津戦争ひいては戊辰戦争全体の趨勢を決したと言えるわけなんです。

参考サイト:「母成峠の戦いファンドールン物語

 

管理人の独り言

戊辰戦争を振り返ると唯一、旧幕軍(奥羽越列藩同盟)が盛り返せる場面は、 白河口の戦い でしょうね。

一旦は、新政府軍から白河城を奪い取るんです。ここに東北地域での戦闘、東北戦争が勃発します。旧幕軍は、白河城を拠点として関東への侵攻が出来たはずなんですが、あっけなく奪い返されるんです。

この時点では、榎本艦隊も健在で奥羽越列藩同盟もまだまだ力を残していました。

白河の重要性に気づいた旧幕軍は、7度に渡って攻めますがもう遅い。防備に徹した新政府軍を追い落とすことが出来ず。逆に東北エリアへの新政府軍の侵攻を許すことになるんです。

そして二本松を落とされて会津を東側から攻撃できる体制を許すことになって 母成峠の戦い に発展する事になるんです。

 

 

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