
天つ神の力を借り、大和の平定…
神武天皇即位へ
御皇室の祖先神であるアマテラス(天照大神)の孫で天孫降臨されたニニギノミコト(邇邇芸命)の子が「海彦、山彦物語」の山幸彦ことヒコホホデミノミコト(彦火火出見命)です。
神武天皇は、ヒコホホデミノミコトの孫に当たります。
彦波瀲武鸕鶿草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)と玉依姫(たまよりびめ)の第四子としてお生まれになり、長兄は、イツセノミコト(五瀬の命)。

神武天皇の即位前は、彦火火出見命?
そして神武天皇は即位前、「ヒコホホデミ」(彦火火出見命)と名乗っていました。
ここで疑問が!!
彦火火出見は、山幸彦だったんじゃないの?
『日本書紀』の「神武天皇の巻」より
”神日本磐余彦天皇、諱(いみな・ただのみな)は彦火火出見” とあります。 諱とは実名の事。
それでは、あの山幸彦こと彦火火出見は誰だ?
そう、豊玉姫の夫こそ、彦火火出見ではなかったっけ?
二人の彦火火出見がいる。
整理してみると…神武天皇には次のような別名がありました。
神倭伊波礼琵古命 かむやまといわれびこのみこと
神日本磐余彦尊 かむやまとイワレビコノミコト
始馭天下之天皇 はつくにしらすすめらみこと
若御毛沼命 わかみけぬのみこと
狹野尊 さののみこと
彦火火出見 ひこほほでみ
山幸彦の別名は…
天津日高日子穂々手見命 あまつひこひこほほでみのみこと
日子穂穂手見命 ひこほほでみのみこと
火折彦火火出見尊 ひおりほほでみのみこと
火々出見尊 ほほでみのみこと
火遠理命/火折命 ほおりのみこと
そうすると、彦火火出見と書かれていた場合、山幸彦か神武天皇かを確認しないといけないことになります。
※この記事では、神武天皇の即位前を ”イワレビコノミコト” で統一します。

神武天皇 東征を決断する
時代は弥生時代の終わりごろになります。神武天皇ことイワレビノミコトは、勉学、武術にも富み、大変優秀な子供で15歳で皇太子に即位して以来、日向(宮崎県)にて政をとり行っていました。
しかし、当時の日本は、各地で戦乱が相次ぎ、民は苦しんでしました。その様子を聞くにつけイワレビコノミコトは苦悩します。
「日向は日本の端、やはり中央で政を行い、全国を統治しなけれな平和な世はこない」と考え、東征を決意するのです。
神武東征 兄、五瀬の命の死
イワレビコノミコト(即位前の神武天皇)は、葦原の中つ国の統治を試みます。
「兄上。天下を安らかに治めるためには、東の大和を目指すべきだと思います」
と兄であるイツセノミコト(五瀬の命)に言い出します。
弟のひと言で目的地が大和に定まりました。日向を出発したイワレビコノミコト一行は、行く先々で天つ神の子孫としてもてなされました。そして速吸門では航路に詳しいサオネツヒコ(槁根津日子)をお共につけ、更に東に進みます。
一行が浪速の渡を経て、白肩の津に船を着けた時の事です。トミノナガスネビコ(登美能那賀須泥彦、以下、トミビコ)が軍を率いて、戦いを挑んできました。
この時、イツセノミコトはトミビコが放った矢で腕に深手を負いました。痛みをこらえてイツセノミコトが言います。
「我らは太陽の神の御子。にもかかわらず、太陽に向かって戦いを臨んだのがいけなかったのだ。少し遠回りだが、大きく迂回して、太陽を背にして戦おう」
イツセノミコトの傷口から流れ出た血を洗い流し、一行は太陽を背にして上陸を試みるため、大きく迂回をして更に進み、紀の国(和歌山)の男の水門にたどり着きます。
「賤しい奴に手傷を負わされ死ぬことになろうとは」
イツセノミコトは最後にそう雄叫びをあげると静かに息を引き取りました。そのためにこの地を ”男の水門” といいます。(男の水門は、白肩から熊野に行く途中にあったと管理人は推測します堺、和歌山あたりかな?)

神武東征 八咫烏の導き
兄を失って失意に暮れたイワレビコノミコト(神武天皇)でしたが、悲しみを乗り越え一行は更に東へ進み、紀伊の熊野に上陸しました。すると、大きな熊が見え隠れしながら近づき、やがて消えてしまいました。
熊は熊野の山の神の化身で、その霊気により、イワレビコノミコトとそれに従う兵士たちは、たちまち意識を失います。
天上界の高天原で様子をうかがっていたアマテラス(天照大神)は…
「まずいわ…助けなきゃ」
…と行動します。
この時、高倉下という者が太刀を持って現れ、イワレビコノミコトに献上すると、イワレビコノミコトは、すぐ正気に戻りました。そしてこちらが何もせずとも、熊野の山の神はおのずと斬り倒され、一行はみな意識を取り戻したのです。
高倉下に太刀を手に入れた経緯を尋ねたところ…
「夢にアマテラス(天照大御神)、タカギノカミ(高木の神)、タケミカヅチ(建御雷の神)が現れ、その太刀をイワレビコノミコトに献上せよ」
…と命じられたといいます。
もう一つ、天つ神のお告げがありました…
「これより先は、荒ぶる神がひしめいている。天から八咫烏を遣わすので、そのあとについて進むように」
…との事。(アマテラス優しい…笑)


イワレビコノミコトは八咫烏に導かれ、行く先々の地を配下に治めてゆきます。そして大和の宇陀(うだ)まで進みました。
そこには、エウシカ(兄宇迦斯)とオトウカシ(弟宇迦斯)という兄弟がいました。イワレビコノミコトがまず八咫烏を遣わしたところ、エウシカは鏑矢で八咫烏を追い返し、更にイワレビコノミコトに臣従すると偽って御殿を作り、罠を仕掛けて圧死させようとしました。
しかし、これはオトウカシの密告によって露見し、逆に追い込まれて自ら御殿に入り罠に押しつぶされて死にました。
神武東征 神武天皇即位へ
イワレビコノミコトは、宇陀から進んで忍坂の大室(大きな岩穴)にたどり着きました。そこには尾を生やした土雲、八十建が待ち構えていました。イワレビコノミコトは計略を考え、ご馳走を整え招待して油断をさせたところを討ち取ったのです。
次いでイワレビコノミコトは、兄の仇であるトミビコを討ち、更には土豪の兄弟であった兄師木・弟師木の兄弟をも打ち滅ぼして…
「天つ神の御子が天降ったとうかがい、あとを追ってまいりました」
…と連戦の疲れを歌にして癒していると、ニギハヤヒノミコト(邇芸速日命)が現れて臣従する事を誓います。
このようにして、荒ぶる神を服従させ、確固たる地盤を得るとイワレビコノミコトは畝火のカシハラに宮殿を築き、天下の政治を取り仕切りました。
神武天皇の誕生です。
管理人の独り言
「古事記」「日本書紀」に登場する神様のお話しは、面白いんですけど…名前が長すぎる。
それと今回の記事では、神武天皇の即位前の呼び方を ”イワレビコノミコト” としましたけど一般的には、ヒコホホデミノミコト(彦火火出見命)の方が正解かも知れません。
まだまだ研究しなければいけない課題が沢山あるようです。
当ブログお奨め記事