
特別史跡 名古屋城
尾張三河は、戦国の雄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の生誕地。この地を足場に天下取りを繰り広げました。
名古屋城は、関ヶ原の戦いに勝利し、江戸幕府を開いた徳川家康が、その後も大きな力を持っている豊臣勢の備えとして建てたお城です。
慶長15(1610)年、築城を命じられたのは、加藤清正、福島正則など、豊臣家に従ってきた西国大名20家。これを天下普請(てんかぶしん)といいます。
天守台石垣は、加藤清正に、天守閣の建築は小堀遠州、中井正清が担当し、2年数ヶ月を費やし完成させました。
大変豪華な造りで金の鯱(しゃちほこ)は、大阪城よりも金の量が多く、財力を誇示する為に造られ、大天守閣は5層5階地下1階、延べ床面積は、江戸城を上回り、地上最大を誇りました。そして名古屋市中心部の原型は、家康によってつくられたものです。
名古屋城は、江戸260年を通じて御三家筆頭・尾張徳川家の居城として栄え、幕末を迎えます。

徳川幕府が崩壊し、明治時代を迎えると名古屋城は、陸軍省、宮内省と管轄が移り、昭和5年に名古屋市に下賜されると国宝第1号に指定されました。
そして終戦直前の昭和20年5月14日、空襲により本丸御殿とともに天守閣は炎上焼失するのです。(米軍、何てことしてくれんねん!!)

その後、天守閣は昭和34年に再建され、本丸御殿も2018年6月完成を迎えます。完成した天守閣、本丸は、当時のものと寸分たがわぬ造りで再現されたんです。

先人が資料を残していたんです。参考にしたのは3つの史料
1.幕末期に作成された「金城温古録」(名古屋城の百科事典といわれる)


2.昭和7年作成の「昭和実測図」外観、内部断面や平面、金シャチ、金具類に至るまで 詳細に調査され、309枚の図面を残しております。


3.昭和15年、名古屋市により「写真撮影を実施」フィルムが普及する前のガラス乾板で撮影された700枚の画像を残します。


…さすが日本人、資料を残しておかなきゃ気が済まない人種なんです。
というわけで我々は、家康が建てた当時の名古屋城を見ることが出来るんです。
名古屋城 解説
1615年(慶長20)、徳川家康によって建てられた名古屋城。
黄金の鯱を頂き、史上最大の延床面積を誇った大天守、絢爛豪華な本丸御殿、さらに鉄壁の守りを固めた要塞としての機能を備え、城郭として国宝第一号に指定された名城でした。…まさに近代城郭の到達点と言えます。
「駐車場」「正門」「東門」「本丸」「二之丸」「西之丸」「御深井丸」

西之丸エリア
名古屋城、入口は「正門」「東門」の2ヵ所。 本丸へ至る正門は、藩主や年寄職など一部の家臣しか出入りできない格式高い門。
樹齢600年以上と伝えられる天然記念物「榧(かや)の木」尾張藩初代藩主・徳川義直が大坂の陣に出る際、勝利を祈って、その実を食事の膳に盛ったと伝えられています。




二之丸エリア
名勝二之丸庭園:歴代藩主が公私にわたって過ごした二之丸御殿の北側に設けられました。藩主が居住した御殿の庭園としては日本一の規模を誇ります。
那古野城跡:現在の二之丸にあったと伝えられる那古野城は、今川氏によって尾張への備えとして築城されました。1538年(天文7)頃に織田信長の父・信秀が城を奪うと、後に信長に譲ります。信長は1555年(弘治元)に清須城に移るまで、この城に住んでいました。
青松葉事件の遺跡:1868年(慶応4)、幕府を支持する佐幕(さばく)派弾圧事件が起こり、14名が斬首、20名が処罰されました。「青松葉(あおまつば)」とは、処刑された筆頭格の重臣・渡辺在綱(ありつな)の呼び名に由来します。
他にも、緊急時の藩主脱出口「埋御門跡(うずみごもんあと)」。…「藩訓秘伝碑」「加藤清正石曳きの像」などあり。




御深井丸エリア
重要文化財 西北隅櫓:御深井丸の北西隅に位置し、1619年(元和5)頃に建てられました。外観三重、内部も三階の構造で、江戸時代から現存する三階櫓の中では、全国で2番目の大きさを誇ります。
乃木倉庫:御深井丸(おふけまる)に残る明治期の建物で、弾薬庫として建築されました。名の由来は、陸軍少佐・乃木希典(のぎまれすけ)からとされていますが確かではありません。
茶席:庭内、約2,000㎡の中に、書院、猿面望嶽茶席(さるめんぼうがくちゃせき)、又隠茶席(ゆういんちゃせき)、織部堂(おりべどう)という、いずれも由緒ある茶席が設けられています。




本丸エリア
天守閣:1612年(慶長17)に完成。1945年(昭和20)、空襲で焼失しましたが、戦後、鉄骨鉄筋コンクリート造の建造物として再建されました。
本丸御殿(焼失・再建):1615年(慶長20)、尾張藩主の住居かつ藩の政庁として建てられた、日本を代表する書院造の建物です。近世城郭御殿の最高傑作とうたわれ、城郭では天守閣とともに国宝第一号に指定されました。1945年(昭和20)の空襲により惜しくも焼失しましたが、江戸時代の図面など貴重な史料をもとに正確に復元工事を進め、2018年(平成30)、絢爛豪華な往時の姿が蘇りました。
重要文化財 西南隅櫓(すみやぐら):本丸の南西隅に位置し、1612年(慶長17)頃に建てられました。外から見ると屋根は二層ですが、内部は三階の櫓となり、珍しい形式とされています。二階西面と南面には、敵を攻撃するための石落しを張り出して屋根を付けています。




重要文化財 旧二之丸東二之門:1612年(慶長17)頃に完成。主柱と左右の控柱にも屋根をのせた高麗門(こうらいもん)形式で、門柱や扉などに帯状の鉄が打ち付けられています。かつては二之丸東鉄門跡にありましたが、1972年(昭和47)、当時の部材そのままに本丸東二之門跡に移築されました。
石垣・清正石:徳川家康の命により、元豊臣家臣の外様(とざま)大名20家が石垣工事を行いました。石垣の石には各大名の目印が刻まれています。最大の巨石は「清正石」と呼ばれ、加藤清正が運んだと伝えられています。
金鯱(きんしゃち):天守閣に頂く金の鯱は1959年(昭和34)に復元されたもので、北側を雄、南側を雌が飾ります。雄は高さ2.621m、重量1,272㎏。雌は高さ2.579m、重量1,215㎏。からだを覆う金のウロコには18金が使用されています。



入場料:500円
駐車場:180円(30分毎)
管理人の独り言
名古屋城に行ったら、ついでに寄っておかなきゃいけないところが、名古屋の新名所2018年OPEN ”金シャチ横丁” …ここが楽しいんです。
どんなところかといいますと…名古屋の有名飲食店が集まっているゾーンなんです。ですから、ここに行けば、名古屋中の美味しいモノが食べられるって事です。

名古屋城の真ん前。「義直ゾーン」「宗春ゾーン」に分かれていまして…
名古屋城 正門ー伝統・正統エリア「義直ゾーン」
名古屋の歴史が醸す美食を味わう。
定番・老舗のなごやめしが集結する義直ゾーン。
ここだけのオリジナル店舗、メニューも展開。お土産物屋も。
十代目儀助(名古屋城関連の地酒販売、カウンターでの有料試飲)
山本屋総本家(金シャチ煮込うどん、金シャチきしめん)
鳥開総本家(名古屋コーチン親子丼、名古屋コーチン手羽先唐揚げ)
ひつまぶし名古屋備長(ひつまぶし、うな丼、長焼きご飯)
矢場とん(みそかつ)
名古屋とうふ 河口(味噌田楽、名古屋とうふ)
尾張屋(名古屋名産「守口漬」と、「漬ける技術」を生かした魚の粕漬け)
なごみゃ物販店(金シャチ横丁オリジナルグッズ等)
那古野茶屋(お菓子&お飲物からお食事・お土産菓子まで)
えびせんべいの里(えびせんべい)
尾張那古野 天丼 徳川忠兵衛(天ぷら、天丼、天むす、和食)
スギモト牛鍋店(牛鍋、牛汁、肉惣菜)


名古屋城 東門ー新風・変化のエリア「宗春ゾーン」
名古屋の新しい食文化を発信する。
新進気鋭の店舗が集結する宗春ゾーン。地元の食材を使った創作料理や、サラダやグルテンフリーの健康メニューも。
SHIROMACHI GRILL(城町グリル地元酒蔵とお野菜を中心としたスローフードイタリアンバール)
あんかけ太郎(あんかけスパ、インディアンスパゲッチ、鉄板イタリアン)
ビストロ那古野(肉肉しさ100%!bistro自慢のハンバーグ専門店)
フジヤマ55(濃厚つけ麺、二郎系ラーメン、台湾まぜそば)
vegetable cafe & seafood bar saien(チョップドサラダ、シーフード、かき氷(夏季)、金シャチソフト)
創作串揚げ つだ(創作串揚げとワイン)
cafe diner POP OVER(人気の忍者シリーズなどのスイーツや本格的な肉料理)


ここはいいです…いちいち名古屋中を食べ歩かなくて済みます。名古屋城を、たっぷり見学して、お腹が空いたところで ”金シャチ横丁” がある…素晴らしい!!
うまし尾張を馳走せん
とざい、とうざい。
天下人、家康が整えたる名古屋のお城、城下町。
四百年の歴史あり。
初代藩主の義直は、謹厳実直、質実剛健。
確かな基盤をつくりあげ。
七代藩主宗春は、絢爛豪華、愛と忍。
民を愛で、街の活気を重んじた。
稲穂は実り、文化も技術も集い来て、
強き名古屋、花咲く名古屋へ。
さて、時は今、名古屋城下に刮目の、施設が現れる。
うまみに満ちた、なごやめし。
醸す伝統、吹く新風。打てよ響けよ舌鼓。
どうぞ、歴史も御覧じろ。芸や祭りも華やかに。
シャチのまなこが見下ろす城下。
目と耳と、舌楽します、うまし尾張の金シャチ横丁。
参考サイト:「名古屋城公式ウェブサイト」
注!…現在、名古屋城はコンクリート製の建物から木造への建て替え工事中です。完成は2022年末を予定しております。
2020/7/26 追記情報
天守閣は(耐震基準を満たしていないため)2018年5月から立入禁止、2020年3月から解体、2022年12月に木造天守閣復元という予定でした。が、文化庁の許可がおりず、解体は始まってないと思います。天守閣復元は早くても、2024~2028年に遅れるそうですよ。無期延期や、白紙に戻すという意見まであるようです。今の天守閣を耐震補強すれば、あと数十年は大丈夫だそうで、復元反対の声も多いとか。どちらにしても、まだまだ入れないんですよねー😢
当ブログお奨め記事