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旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。…当ブログ記事は転載OK…リンクを貼っていただけるなら遠慮なくお好きにお使いください。

明日香の遺跡を巡る旅

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高松塚古墳壁画 宮中の女性たち

謎多き
弥生時代古墳時代を探検する

飛鳥時代は、聖徳太子が摂政になった推古天皇元年(593年)から藤原京への遷都が完了した持統天皇8年(694年)にかけての102年間を指す。(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

旧石器時代:紀元前14000年頃
縄文時代:前14000年頃 – 前10世紀
弥生時代:前4世紀 – 後3世紀中頃
古墳時代:3世紀中頃 – 7世紀頃
飛鳥時代:592年 – 710年
奈良時代:710年 – 794年
平安時代:794年 – 1185年

今年は、皇紀2680年、初代天皇 神武天皇が大和の地(奈良、橿原、明日香あたり)で即位したのが、弥生時代の初め頃ってところでしょうか、大和朝廷のスタートです。

飛鳥時代までの日本は、神々と共存した時代でもありました。ごく身近に神様がいらっしゃいまして、人々は神様と上手に付き合って暮らしていました。

日本には弥生時代の終わり頃には、大陸より漢字が伝わって来ていました。でも朝廷のごく一部で使われていたに過ぎません。

大化の改新中大兄皇子天智天皇)らによる蘇我入鹿暗殺事件、乙巳の変(いっしのへん)に憤慨した蘇我蝦夷は大邸宅に火をかけ自害した。この時に朝廷の歴史書を保管していた書庫までもが炎上、更に謎が深まる事になりました。

謎が多いから、また面白い!
今回は、そんな弥生時代古墳時代飛鳥時代の遺跡を語ります。

明日香遺跡群マップ

明日香の遺跡を地図に落としてみました。
石舞台古墳(いしぶたいこふん)
酒船石(さかふねいし)
鬼の爼、鬼の雪隠 (おにのまないた、おにのせっちん)
高松塚古墳(たかまつづかこふん)
飛鳥宮跡(あすかきゅうせき)
天武・持統天皇陵「檜隅大内陵」 (ひのくまのおおうちのみささぎ)
蘇我入鹿首塚(そがのいるかくびづか)
猿石(さるいし)
益田岩船(ますだいわふね)
亀石(かめいし)
二面石(にめんせき)

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上記地図、縮尺も切取っておきました。
こんなに狭いエリアに遺跡があるんです。レンタサイクルで遺跡を回るのも楽しいと思います。

石舞台古墳

石の舞台のように見えることから「石舞台古墳」と呼ばれています。国内最大級の方墳で、埋葬者は蘇我入鹿の祖父・蘇我馬子との説が有力です。1952年に国の特別史跡に指定されました。

石の重さは一番大きな石で約77トン、総重量は2,300トンと推定されており、当時の建築技術の高さにも感動を覚えてしまいます。

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石舞台古墳

盛土が全く残っておらず、石室が露出している独特の形状が人気を集めています。

写真で見て知っていましたが、実際の巨大な石を見ると驚きでした。どのようにして重ねたのかとか、古代の人の知恵に深く感動しました。重ねた石の中にも入って、中から石を見上げると、さらにロマンが広がります。

石舞台古墳の中に入ってみよう!
石室の中に入るとさまざまな大きさの石がうまく積み上げられているのがよく分かります。

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石舞台古墳 入口・内部

盛土が残っていない理由とは?
石舞台古墳の埋葬者は、蘇我入鹿の祖父・蘇我馬子であるという説が有力視されています。大化の改新蘇我氏が滅び、蘇我氏に恨みを持った人々が報復のために土をはがしたという説があります。

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石舞台古墳 桜

「石舞台」の名前の由来?
石舞台古墳では、狐が女性に化けて舞を見せたという逸話が伝えられています。その逸話から「石舞台」と呼ばれるようになったとも言われています。

入場料:無料

酒船石(さかふねいし)

管理人世代の男子だったら、酒船石は、ほぼ全員知っています。何のために古代の日本人が作ったかまで知っているはずです。

酒船石は、手塚治虫の漫画『三つ目が通る』で詳しく解説されています。

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手塚治虫『三つ目が通る』(1974年-1978)

酒船石は、見るからに謎めいた石造物だ。何のために造られたのか。古くから様々な説が唱えられてきた。

斉明女帝が、豊穣の祈願などさまざまな祭祀をここで行ったとされています。 酒船石は小高い丘の上にあり、長さ約5.5m、最広幅約2.3m、厚さ約1mの大きさで、上面に丸いくぼみとそれにつながる溝が刻まれています。

酒船石のある丘を降りた辺りにあるのが亀形石造物です。水を溜めて流す構造になっていて、頭が取水口で甲羅に水を溜め、溜まると尻尾から流れるようになっています。

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酒船石・亀形石造物

■諸説さまざま

江戸時代から存在は知られ、本居宣長は「むかしの長老の酒ぶね」と現地の伝承を書き留めている。酒造りに使ったと考えられ、酒船石と称されたようだ。南北側が一部欠損するのは安土桃山時代、数キロメートル南にある高取城の石垣に流用されたためとされる。

本格的な研究が始まったのは明治以降。灯油製造や鉱物精製の装置、天体観測装置、道教ゾロアスター教の祭祀施設など諸説が登場した。

石の主軸はほぼ東西方向を向き、東から西に約5.5度傾く。図のAの凹みに水を注げばBからC、D1~6へ流れる。

近年は「酒船石は観賞用の導水施設」との見方が強まっていた。水は樋(とい)などで他の石造物を経由し、丘の下の宮殿まで運ばれた、との説が有力になった時期もある。

だが導水施設という見方には疑問点もある。実はBの凹みの底面は西から東へ傾斜し、石自体の傾斜と相殺する格好でほぼ水平だ。このためAから来た水はBにたまらず、流れ落ちてしまう。凹みが貯水の用を成さない。

2000年、酒船石の丘の麓で亀形の石造物が発掘された。導水施設であることは明白だ。水は小判形の石槽に導かれ、上澄みが亀形の石槽へ。ここでも水に関する儀式が行われたはずだ。「石と水の都」だった飛鳥京。その面影を石造物は今に伝えている。

入場料:無料

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酒船石

 鬼の爼、鬼の雪隠 (おにのまないた、おにのせっちん)

花崗岩をくり抜き、中央が空洞になった石造物と大きな爼石がある。鬼が旅人を霧で迷わせ、捕らえて爼で料理し、満腹になったあとに雪隠で用を足したという言い伝えがある。現在では、欽明天皇陵の石室の底石と蓋と説明されているが、何故現在の場所にあるのかは判明していない。

入場料:無料

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鬼の爼・鬼の雪隠

高松塚古墳(たかまつづかこふん)

直径18m、高さ5mの小さな円墳。昭和47(1972)年3月、石室内に彩色壁画(国宝)が発見され、戦後最大の発見として大きな注目を集めた。石槨内部には古代中国道教の影響を受け、東壁には青龍と日像、西壁には白虎と月像、北壁には玄武、東西の両脇には人物像、天井には星宿図が描かれている。

被葬者は7~8世紀の皇子とみられる長身の男性とされるが、詳細は分かっていない。古墳内部は保存上密閉されているため、見学はできない。隣接する高松塚壁画館で、精巧な模写や石槨の模型が展示されている。

拝観料:300円

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高松塚古墳」・「高松塚古墳壁画 宮中の女性たち」

飛鳥宮跡(あすかきゅうせき)

板蓋宮は、7世紀半ばの皇極天皇の宮殿で、中大兄皇子天智天皇)らによって蘇我入鹿が暗殺された乙巳の変大化の改新)の舞台。皇極天皇斉明天皇皇極天皇重祚)の皇居跡で、伝飛鳥板蓋宮跡とされていたが、継続的な調査で、飛鳥板蓋宮だけでなく、飛鳥岡本宮舒明天皇)や、後飛鳥岡本宮斉明天皇)、飛鳥浄御原宮(天武・持統両天皇)など、複数の宮が継続的に置かれていたことが判明し、平成28年に、名称が「飛鳥宮跡」に改められた。現在復元されている石敷広場や大井戸跡は上層の飛鳥浄御原宮のもの。

拝観料:無料

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飛鳥宮

天武・持統天皇陵「檜隅大内陵」 (ひのくまのおおうちのみささぎ)

天武天皇とその皇后で皇位を継承した持統天皇の合葬墳墓。 直径50m、高さ6.36m。 円墳とも八角墳ともとれるこの古墳の石室は八角形で、金銅製の蔵骨器がのっている。天武天皇は古代律令国家体制の基礎を築き、持統天皇がその志を継いだ。また、持統天皇天皇として初めて火葬された人物としても知られる。鎌倉時代に盗堀された時の記録が残されていたことから、被葬者が確実となった。

天武天皇壬申の乱の後即位。
14年間皇位についた。
持統天皇はその皇后で、後女帝として皇位

拝観料:無料

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天武・持統天皇陵(檜隅大内陵)

蘇我入鹿首塚(そがのいるかくびづか)

蘇我入鹿は、後世の伝説によれば、天をもおそれぬ大悪人であり、超自然的な能力をそなえた魔人であった。

そういう人物だから、大化改新の時もただ殺されるだけではすまず、切られた首が飛び跳ねたり、御簾に食いついたりしたとかいう伝承はかなり古くからあったらしい。

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乙巳の変蘇我入鹿の首が飛ぶ

鎌倉時代五輪塔が、その首を埋めた塚とされたのも、人々に、そのような入鹿への恐れがあったからだろう。「書記」の入鹿暗殺シーンは緊張感あふれる細部の描写で読者をひきつけるが、首がどうなったかについては触れていない。

ただ、剣を持った者たちがなかなか踏み出せなかったというくだりは、当時の入鹿の威勢の大きさを教えてくれる。事実入鹿は、単なる権勢家の御曹司ではなく、有能な政治家であったようだ。

拝観料:無料

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蘇我入鹿首塚

猿石(さるいし)

高さ1mほどの4体の石造で猿の顔に似ていることから猿石と呼ばれている。
吉備姫王の檜隅墓の棚内にある。

拝観料:無料

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猿石

益田岩船(ますだいわふね)

古くからこの地築造されたとされる益田池の石碑の碑文とされている。台石ともいわれている。
巨石は東西11m、南北8m、高さ4.7m。碑銘があり碑文は弘法大師の撰及書になっていると伝えられている。

拝観料:無料

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益田岩船

亀石(かめいし)

長さ3.6m、幅2.1m、高さ1.8mの巨石の下端部に動物の顔面のような彫刻があり亀に似ていることから亀石と呼ばれている。

拝観料:無料

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亀石

二面石(にめんせき)

高さ1m、長さ85cm、幅52cmの花崗岩の表裏に善悪2つの顔の彫刻がされている。
橘寺、境内にある

拝観料:350円(橘寺)

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二面石

管理人の独り言

管理人は、古代について結構軽く見ていた…馬鹿にしていたふしがあります。

でも調べてみるとこれがまた面白いんですよ。
記録が残っていないからこそ面白い…。

古事記なんて最高に面白いですよ。
西から東に文化が伝わって行った経緯と神武東征が合っていたり…
大国主の国譲りを証明する遺跡が出て来たり
…古代、古墳時代飛鳥時代へと続く歴史を想像するとワクワクします。

つまり何が言いたいかといいますと ”想像する余地がたくさん残っている” って事です。

幕末維新も面白いけど研究し尽くされちゃってますからね。
対して古代は、これからですよ。

これから研究が進む時代…楽しみましょう。

 

 

 

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