
国史跡 竹田城跡
標高353.7mの山頂に築かれ、縄張りは南北約400m、東西約100m。
天守台をほぼ中央に配置し、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配され、北千畳部と南千畳を双翼とし、天守台北西部に花屋敷と称する一郭がある。


廃城から約400年を経ていますが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、現存する山城として日本屈指の規模となっている。


トップの写真、雲海に浮かぶ竹田城跡を皆さん見たことあると思います。
テレビCMで見たことある人が多いんじゃないでしょうか…。
www.youtube.com (サントリー BOSS CM 宇宙人ジョーンズ 「城跡」篇)
竹田城跡は、山城遺跡として全国でもまれな完存する遺構です。
晩秋のよく晴れた早朝に朝霧が発生することがあり、但馬地方の風物詩となっています。この雲海に包まれた姿は、まさに天空に浮かぶ城を思わせ、いつの間にか「天空の城」・「日本のマチュピチュ」とも呼ばれるようになりました。
この幻想的な風景を一目見ようとたくさんの人々が訪れます。また、平成24年に竹田城跡が「恋人の聖地」として認定を受けました。恋人の聖地にあやかろうと、若いカップルたちも多く訪れています。

竹田城跡 アクセス
竹田城跡史跡、素晴らしいです。
でも、簡単に考えてもらっては困ります…
「クルマで竹田城近くのパーキングに停めて見学する」
…なんて事は出来ません。
一般車の入場規制があるんです。
「ピンク丸:山城の郷駐車場」「赤丸:中腹バス停」「黄丸:入場ゲート」

クルマを運転して行けるのは、ピンク丸の山城の郷(駐車場)までで、ここより先は進入禁止。
天空バスが運行されていましてJR竹田駅、山城の郷をむすんでいます。
でもバスは、中腹までしか行きませんので、そこから徒歩で坂道を20分登らなければ、竹田城にはたどり着けません。

竹田城跡 利用案内
入場料:500円
駐車場:現在竹田城にはメインの駐車場である山城の郷の駐車場の他に、竹田駅周辺に観光客用の駐車場が整備されており、駐車料金はいずれの駐車場も無料となっています。
天空バス:
山城の郷⇒竹田城中腹バス停(片道160円)
JR竹田駅⇒竹田城中腹バス停(片道260円)

竹田城 歴史
竹田城が位置するのは、旧国名で「但馬と播磨の国境」に位置しておりまして、但馬、播磨、丹波で紛争が起きると時代の流れで常に攻められ、城主が代わるという運命の城でした。山城という性質上、行政的な色彩は薄く、軍事目的で築城された城と言えるのでしょう。しかし秀吉が支配した数十年は、安定して、地域への善政により産業文化の発展に寄与した城主も登場しています。
そして戦乱に明け暮れた戦国時代が終了し安定期に入るとともに、その役割を終えて廃城となったのです。

竹田城築城、太田垣氏の時代
竹田城の始まりは、嘉吉年間(1443年頃)に当時の但馬守護、山名宗全が配下の太田垣氏に命じて築かせたのが始まりとされます(口碑)。その後、山名氏の重臣である太田垣氏が初代・光景(誠朝という説あり)以下7代に渡って城主を務めました。
しかしながら、天正8年(1580年)羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)による但馬攻めにより、竹田城は落城、太田垣氏も没落したと考えられています。
赤松広秀の治世
その後、羽柴秀長(城代)、桑山重晴と城主が続き、天正13年(1585年)播磨龍野城主であった赤松広秀(斎村政広)が朝来郡2万石(その後2万2千石)で入城します。現在に残る石垣遺構は、広秀が城主の頃に整備されたと考えられます。
また、広秀は「仁政の主君」として領民から慕われていたとされます。養蚕業や漆器産業を奨励し、現在に繋がる地場産業の礎を築きました(漆器作りは、竹田の地場産業である家具製造業の元になったと伝えられています)。
他にも、近世儒学の祖とされる藤原惺窩を援助したり、文禄・慶長の役により日本に来た朝鮮の儒学者姜沆に教えを乞うなど、儒学の普及振興にも大きく寄与しました。
関ヶ原の戦い、廃城
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いが起こると、当初広秀は西軍に与し丹後田辺城攻めに加わりました。
その後、西軍の敗戦を知り竹田城に撤退したところ、東軍として鳥取城を攻めていた因幡鹿野城主亀井玆矩から来援要請を受け出陣、功を挙げたとされます。しかし、鳥取城攻めの際に城下町を放火したとの罪で自刃させられ、竹田城も廃城となったのです。

天空の城
雲海に浮かぶ竹田城
日本のマチュピチュ、天空の城と称される「竹田城跡」は、兵庫県朝来市にある標高353.7mの古城山(こじょうざん)別名、虎臥山(とらふすやま)の山頂に築かれた珍しい城郭遺跡です。日本の名城100選に選ばれ、国の重要文化財ともなっています。

寒暖差のある但馬地域独特の気候条件によって、円山川から濃い霧が立ち昇り雲海となって古城山を覆ってしまいます。その山頂にある竹田城跡だけがぽっかり浮かび上がる風景は、まさしく天空の城と言われる理由です。

竹田城跡の雲海シーズンは秋から冬にかけて
春は桜、夏は新緑、秋の紅葉、冬の雪化粧。どの季節も見ごろの竹田城跡ですが、やはり一度は見ておきたい、雲海に浮かぶ「天空の城」。
雲海はいくつかの条件が揃って発生する珍しい自然現象。ここ竹田の独特な地形と気象条件により、1年で最も雲海が発生しやすい季節は秋。特に日の出前の早朝に多くみられます。
日の出と共に見る「天空の城」は、この世のものと思えない美しさ。大自然の息吹を感じる聖地へ、ぜひ訪れてみてください。

管理人の独り言
日本のお城って、数がどれくらいあるでしょうか?
その数は現存しているお城で数千、過去に建っていた城も数えると2万5千とも言われています。
でも ”実戦を経験している城” って言うと数はかなり絞られてきます。戦った城には物語があります。
竹田城は、まさに ”戦う城” 。
室町時代、守護大名・畠山氏の家督争いから応仁の乱が始まります。…従兄同士が衝突したのです。…そして時の権力者、細川氏、山名氏にそれぞれ援軍を頼みます。
これに各地の守護大名が加勢して、東軍と西軍に分かれて戦を始めたのです。
東軍
細川勝元
畠山政長
本陣:室町・将軍邸
将軍家を全員、見方に引き入れます。
そんな山名宗全が播磨攻略の前線基地として築城したのが竹田城だったんです。
国境沿いに建てられて、戦う事を運命づけられた城…それが竹田城だったんです。
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