旅cafe

旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。…当ブログ記事は転載OK…リンクを貼っていただけるなら遠慮なくお好きにお使いください。

今浜 北国街道 黒壁スクエア

f:id:tabicafe:20200625172440j:plain

伝統的建造物群を生かした観光スポット
今浜 北国街道 黒壁スクエア

年間200万人もの観光客が押し寄せる、滋賀県長浜の大人気スポット ”黒壁スクエア” ここは楽しい!…お奨めいたします。

長浜といったら、長浜城と秀吉です。琵琶湖湖畔に建つ城、豊臣秀吉が天下取りへの出世を駆け上るきっかけとなった出世城とも呼ばれています。

長浜城羽柴秀吉が最初に築いた居城。浅井攻めの功により織田信長から浅井氏の旧領を拝領した秀吉は、当時「今浜」と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し「長浜」に改名し、小谷城の資材を流用して築城しました。

f:id:tabicafe:20200626061417j:plain
f:id:tabicafe:20200626061427j:plain
f:id:tabicafe:20200626061435j:plain
長浜城歴史博物館」・「長浜城本丸跡」・「太閤井戸跡石碑」

江戸時代に入ると長浜城は廃城となりましたが長浜を通る北国街道は、北陸と京阪神を結ぶ重要な街道。多くの商人、旅人らが頻繁に利用、長浜はその宿駅として、また湖上交通の要として栄え続けました。

 

近年の長浜、北国街道
ガラスが救った街、黒壁スクエア誕生の歴史

秀吉が開いた城下町。長浜城の真ん前には、JR北陸本線長浜駅」があり、その駅前の商店街は、北国街道が通り、宿場町として繁栄をつづけた長浜でした。

がしかし…駅前の中心市街地は、昭和50~60年代前半、郊外型の大型店の進出に伴って最盛期で600店舗あった商店街が150店舗に減少するなど空洞化が進んで典型的なシャッター街として寂れてゆきました。

そして、市街地の中心である「札の辻」に建つ「黒壁銀行」の愛称で親しまれてきた旧第百三十銀行(1899年竣工)が取り壊しの危機に瀕しました。

ここで立ち上がったのが、第三セクター長浜市と地元民間企業8社が出資)「(株)黒壁」(1988年設立)でした。

「(株)黒壁」は、とにかく街に人を集める事を主眼として1989年、旧第百三十銀行を黒壁一號館「黒壁ガラス館」としてオープンさせます。

f:id:tabicafe:20200626075714j:plain
f:id:tabicafe:20200626075723j:plain

元々、江戸~明治にかけての数多くの建物が残っているエリア。集客の仕掛けとして「ガラス文化」の事業化に取り組みました。そして空き店舗、既存店など黒壁に統一してリニューアル、次々と直営店をオープン。(フランチャイズ制も導入)

黒壁スクエア周辺の店舗も100店から200店(平成17年度)へと大きく増加した。200店の内訳は既存店リニューアルが100店、黒壁グループの店舗が30店、市外から新規出店が70店。

町おこしの成功例として視察団も訪れるようになり、全国的に名を馳せる事になりました。そして現在では、年間200万人の観光客が訪れる大人気スポットに生まれ変わったんです。

余談として…
大成功を成し遂げた(株)黒壁ですが…美術館は地域への集客、イメージアップに寄与しましたが、肝心の会社の収益に貢献していません。このため、市に経営を移したいが、市の方も財政上余裕がないと言われているようです。(誰か助けてあげて~…。直営店で買い物してあげましょう…笑)

 

黒壁スクエア 街案内

400年の伝統に支えられた寂れた商店街と古い住宅街が、今や湖北最大の観光スポットへと変貌を遂げている…黒壁スクエアを案内します。

黒⇒JR北陸本線長浜駅」「赤丸:北国街道入口」「青丸:黒壁スクエア(ガラス館)」「黄丸:アーケード街」「緑丸:黒壁スクエアエリア入口」

f:id:tabicafe:20200626090229p:plain

駐車場
黒壁スクエア周辺各所にあり、料金の相場は1時間100円~200円と比較的良心的。

 

黒壁スクエア
JR長浜駅から徒歩5分かからない距離に北国街道、ガラス館を中心に旧第百三十銀行を改装した「黒壁ガラス館(青丸)」を中心に北国街道沿い(赤丸緑丸)に30店舗が点在しています。

黄丸のアーケード街も見もので特徴を出した雑貨屋、衣類、飲食店が立ち並んでします。

f:id:tabicafe:20200626113845j:plain
f:id:tabicafe:20200626113855j:plain
f:id:tabicafe:20200626113904j:plain

 

黒壁1號館(ガラス館)
ガラス館は、黒壁スクエアのランドマーク的建物。世界のガラス作品約3万点を展示販売。明治33年建築の国立第百三十銀行長浜支店だった建物で壁が黒く、当時の愛称は黒壁銀行。

f:id:tabicafe:20200626104732j:plain
f:id:tabicafe:20200626104952j:plain
f:id:tabicafe:20200626104809j:plain
f:id:tabicafe:20200626104818j:plain
f:id:tabicafe:20200626104827j:plain

 

黒壁2號館(ガラススタジオ)
ガラス管横には、ガラススタジオ、ガラス作品の制作工程が見学できます。こちらでは約10名のガラス職人が制作活動を行なっていて、吹きガラスやステンドグラス、ガラス彫刻など、さまざまな技法を眺めることが出来る。

職人さんたちの作品もこちらで購入することができます。

f:id:tabicafe:20200626105349j:plain
f:id:tabicafe:20200626105357j:plain
f:id:tabicafe:20200626105406j:plain

 

黒壁5號館(AMISU)
ガラス館の向かいAMISUは、滋賀県各地の特産品や工芸品を扱っているお店。生産者や職人のこだわりが感じられる商品をセレクトしています。店名のAMISUとは ”見立て“ という意味。

f:id:tabicafe:20200626110201j:plain
f:id:tabicafe:20200626110209j:plain

 

黒壁3號館(長濱オルゴール館)
ガラス館の隣り、国内外の様々なオルゴールが一同に揃っています。

スイスの老舗オルゴールブランド「リュージュ」ブリキやキャラクターオルゴール、当館オリジナルお雛様オルゴールなどが展示販売されています。

f:id:tabicafe:20200626113112j:plain
f:id:tabicafe:20200626113123j:plain

 

黒壁29號館(海洋堂フィギュアミュージアム
フィギュア製作で世界的に有名な「海洋堂」が運営するフィギュアミュージアムがあります。なかでは、動物や恐竜などの生き物から懐かしのヒーロー、最新アニメキャラや仏像に至るまで、何千種類ものフィギュアを楽しむことができます。

北斗の拳ケンシロウもいましたよ。でもなぜ今浜に海洋堂が来てるんでしょう?

入館料:800円

f:id:tabicafe:20200626112356j:plain

 

管理人の独り言

北国街道…歴史好きの管理人には、たまらない響きの言葉です。関ヶ原の戦いでは、北国街道を挟んで東西両陣営が対峙、結果は御存じの通り、そして石田三成が撤退していったのが北国街道。

f:id:tabicafe:20200626124354j:plain

 

何よりも、秀吉が天下を手中に収めた戦いが北国街道を舞台に展開されたんです。それは、 ”賤ケ岳の戦い” です。 

本能寺の変の後、中国大返しでいち早く、畿内にたどり着いた秀吉軍は、明智光秀軍を撃破し、信長の弔い合戦に勝利します。

清須会議織田家筆頭の柴田勝家と対立。しかし勝家は弔い合戦遅参の負い目もあり会議の流れを秀吉に持ってゆかれる。そして勝家は、北国街道を通って越前、北ノ庄に帰って行ったのです。

f:id:tabicafe:20200626151731j:plain
f:id:tabicafe:20200626151256j:plain

でもここでは天下の趨勢は決していません。

秀吉はすぐに動きます。清須会議で勝家に渡した北国街道沿いの長浜城を攻め、奪い返します。雪で畿内に乗込めない勝家は歯噛みしますが雪には勝てない。

年明け、雪融けを待たず勝家は、雪をかき分け北国街道を畿内に向け進軍します。

秀吉軍5万が勝家軍3万を北国街道、木ノ本にて迎え撃つ。ここに賤ケ岳の戦いが開戦したのです。

f:id:tabicafe:20200626150819j:plain

1ヵ月の対陣が続きます。秀吉も勝家も「先に手を出した方が負け」のとわかっていたのです。

勝家もその間、何もしていなかったわけではありません。勝家の意向を受け、織田信孝が美濃、岐阜城で挙兵、秀吉軍を挟み撃ちにする作戦に出ます。

天正11(1583)年4月17日、秀吉は行動に移ります。自ら主力部隊2万を率いて北国街道を南下岐阜城に向かいました。すると秀吉軍の陣地はもぬけの空同然。

勝家軍内では、「今が攻撃の時」と攻撃を主張する雰囲気になり、勝家も渋々、条件付き(一撃後はすぐに撤退)で奇襲攻撃を許可します。しかし、その時、すでに勝家軍は秀吉の仕掛けた罠に、はまっていたのです。

天正11(1583)年4月20日、深夜2時、勝家軍攻撃隊、出発。夜明けとともに攻撃、砦を奪い取り奇襲は成功。攻撃隊は、秀吉方の陣中深くに入り込んでしまった。敵陣を突破しかねない勢い。攻撃隊の誰もが勝利を確信。

天正11(1583)年4月20日、正午、北国街道を駆け、伝令が「勝家ついに動く」の報を秀吉にもたらします。

報せを受けた秀吉は言い放ちます。…”我勝てり、勝家の命、我が掌中にあり”

ただちに秀吉は出陣を命令。1万5000の兵を率いて大垣城を出発、北国街道を北上。沿道の住民にはあらかじめ秀吉の命令が出されていました。

「炊き出しをし、食糧を用意せよ」
「街道には松明をかかげ 進軍を助けよ」

天正11(1583)年4月20日、午後9時、秀吉軍は、北国街道を駆けに駆け、出発してからわずか5時間後、秀吉軍、賤ケ岳に到着、世に言われる ”美濃大返し” です。

大垣から賤ケ岳まで52キロ、当時の常識ではどんなに急いでも12時間はかかる距離でした。

勝家軍の攻撃隊は、秀吉がすぐには賤ケ岳に来る事は無いと考えていました。たとえ秀吉が引っ返して来ても夜明けの後。

「秀吉が天馬であるにせよ、鳥であるにせよ、まだここへ来られるはずがない」

攻撃隊は、勝家の撤退の命令を無視して、秀吉軍の陣中深くとどまり続けたのです。

天正11(1583)年4月21日午前2時、秀吉軍の総攻撃が始まりました。不意を打たれた勝家軍の攻撃隊は壊滅。勝家は、その主力を失います

勝敗は、僅か半日で決しました。勝家軍からは逃亡者が相次ぎます。勝家は僅か100騎の手勢とともに北国街道を越前へ逃げ帰ったのです。

秀吉は攻撃の手を緩めず北国街道を追撃し、勝家を自刃に追い込んだのです。

 

…北国街道には、本当に物語が沢山あるんです。

 

9/2日 19:40
読者の方から早速、追記情報をいただきました…
「黒壁スクエア、せっかく行くなら、曳山博物館、豊国神社もおすすめです(すぐ近く)。長浜駅前には、有名な「出逢い」の銅像があります。誰と誰の出逢い?って…秀吉と三成ですよ☺️」
…ありがたい!…みなさんもドシドシ情報お寄せください。(情報いただけると…かなり嬉しい…笑)

f:id:tabicafe:20200902195357j:plain

長浜駅前 秀吉と三成 有名な「出逢い」の銅像



 

 

当ブログお奨め記事

www.tabi.cafe