
静岡・島田市にある全長897.4mの日本一長い木造歩道橋
世界一長い木造歩道橋
蓬萊橋(ほうらいばし)
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」
大井川は江戸時代、江戸や駿府城への敵の進軍を困難にする西の守りとして機能しており橋はおろか渡し船さえ厳禁とされていました。
そのため ”東海道最大の難所” とも言われ、その代わりに、人の肩車や輿に乗せて渡河させる川越(かわごし)制度が設けられ、川会所で川越銭を払い、大井川を渡った。
こんな理由から、蓬莱橋が建設されたのは明治に入ってからです。
【蓬莱橋の歴史】
1869年(明治2年)7月、最後の将軍徳川慶喜を護衛してきた幕臣たちが大井川右岸、初倉にある牧之原を開拓し、お茶を作り始めました。
そこで、島田宿の開墾人総代達は、時の静岡県令に橋をかける願いを出し、これが許可され、1879年(明治12年)1月13日に蓬莱橋が完成しました。

1997年(平成9)年に「世界一長い木造歩道橋」としてギネスに認定されたのを機に、全国的に有名になりました。

蓬莱橋のそばにあるギネス認定のモニュメント
ありがたい名前のついた橋
蓬莱橋
蓬莱橋は…
「長生き橋」
「厄なし橋」
…とも言われています。
単なるゴロ合わせなんですけどね…。
長い木橋で ”長生き橋”
897.4mで ”厄なし橋”
渡とご利益があるかも知れません…(笑)

蓬莱橋の一番の自慢は…
富士山
蓬莱橋を渡りはじめて50m過ぎると富士山が見え続ける…
「富士山を見るなら蓬莱橋」
…これが一番の蓬莱橋の自慢なんです。
ギネスの場所から、世界遺産の富士山が見えてコラボしているのは、国内で蓬莱橋だけです。

蓬莱橋 案内
蓬萊橋(ほうらいばし)は、静岡県島田市の大井川に架けられた木造橋(歩行者と自転車の専用橋)。全長は897.422メートル(巾2.7 m)。法律上は農道に分類されます。
「赤丸:駐車場」「青丸:897.4茶屋」

897.4(やくなし)茶屋
島田のおみやげとおいし〜いお茶を揃えたショップ&お茶カフェ。
ショップでは島田の特産品やお茶を販売します。カフェでは、大井川沿いの牛尾山の土で作ったこだわりの茶器でお茶を楽しんでみてください。

静岡といったら茶畑
そして勝海舟
897.4茶屋の目の前には、ギネス認定のモニュメントと何故か勝海舟の銅像。
幕末の英雄っていうと…
高杉晋作
草加玄瑞
坂本龍馬
大村益次郎
大久保利通
西郷隆盛
…など非業の死を迎えた人が多い中…勝海舟は明治まで生き残り、生を全うしているんです。

勝海舟は、1860(万延元)年、徳川幕府の咸臨丸の船長として渡米し、この時にお茶が世界的な商品価値を秘めていることを認識する。
帰国後、西郷隆盛と交渉して江戸城無血開城に成功し、新政府の要職を歴任した。
1869(明治2)年、勝海舟たちの命を受け、中條景昭、大草高重が指導する旧幕臣たちが、牧之原台地で1425㏊の茶畑の開墾を開始した。
勝海舟は、旧幕臣たちから様々な問題に関して相談を受け、経済的な援助も惜しみませんでした。
1875(明治8)年に官職を辞した後も、影に日なたに牧之原台地開拓士族を物心両面で援助し続けた。
また、1873(明治6)年には、仕事を失った川越人足たちも約30㏊の茶畑を開墾し始め、1878(明治11)年には役41㏊に拡張された。
この過程で対岸の島田から開墾に参加する者や、牧之原台地から大井川を渡って島田と交流をもつ旧幕臣が増えた。
当初は小舟を利用して大井川を渡ったが、あまりにも大変であったため、許可され架けられたのが「蓬莱橋」である。
今日、茶畑の開墾を支援し続けた勝海舟たちの存在を抜きに、島田市に広がる牧之原大茶園を語ることはできない。

蓬莱橋
実際に渡ってみよう
蓬莱橋は、通行料100円となっています。基本24時間通行が可能ですが、夜間は通行料徴収窓口が閉まっていますけど、お金を入れるところがありますから大丈夫、100円支払って橋に入れます。

夜間は、橋の歩道にはLED照明になっており、夜間はグリーンにライトアップされます。
・夜間も通行できますが、足元がそれほど明るくない為、注意!
・また強風や雨の時はぜったいに渡らないようにしてください!

夜の蓬莱橋
897.4mの蓬莱橋を渡りきるには、歩いて10分チョットかかります。
真ん中には、「ど真ん中」って書いてあります。

そして対岸です。
お土産屋さん、…それと楽しい案内をしてくれるオジサンがいますよ。


蓬莱橋 利用案内
通行料:100円
駐車場:有り(無料)
所在地:静岡県島田市南2丁目地先

当記事のを書くに際しての引用、出典サイト
大茶園の小さな農家 様:「牧之原台地と蓬莱橋 | 大茶園の小さな農家 |」
「渡れば厄が落ちる!?静岡・島田市にある全長897.4mの日本一長い木造歩道橋「蓬莱橋」|@DIME アットダイム」
管理人の独り言
蓬莱橋の入口に勝海舟の銅像が立っていることで調べてみると ”静岡茶と討幕” には、密接な関係がある事がわかりましたので説明します。
静岡茶(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
静岡茶は、静岡県で生産されているお茶(緑茶)であり、そのブランド名である。牧之原台地とその周辺地域がその最大の生産地であり、生産量は日本国内第一位である。
歴史
鎌倉時代に駿河国の僧弁円(聖一国師)が留学先の宋より茶種を持ち帰り、現在の静岡市足久保に栽植したのが始まりと伝えられます。
その後、江戸時代に入ると御用茶として発展する事になりますはが、お茶の生産量としては、全国3位の位置にいました。
そして明治に入ると一気に生産量が上がりまして、断トツの全国1位になるんです。
それが討幕に関係していまして…
大政奉還の翌慶応4年、徳川慶喜は家督を徳川家達に譲ると、家達は静岡藩70万石に移封され、6000人もの幕臣が駿府に移った。
その中のひとり勝海舟の進言により、牧之原や富士周辺の茶園開拓が始められました。勝は海外での日本茶の評価を知っていたからです。
そして慶喜の護衛にあたった精鋭隊(静岡転出後は新番組と呼ばれた)約300名が明治2年、版籍奉還を受けて帰農を決意。牧之原台地で茶園の開墾に乗り出したんです。
その牧之原台地が現在、静岡最大のお茶の産地なんです。
また大井川の川越人足も明治3年の渡船許可によって職を失い、100名ほどの者が牧之原への入植を許されて牧之原はじめ、静岡県各地での茶園の開墾も増えていった。

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