NHK BS歴史館より
古代史ミステリー 「古事記 国家統一の物語」
今から1300年前、日本最古の歴史書が完成しました。
『古事記』
国の成り立ちから天皇による国の統一のいきさつを物語る書物です。…今回注目するのがその上巻、天皇家の皇祖神、天照大御神を中心に展開します。
司会 渡辺真理
「日本最古の歴史世は、編纂から1300年がたちました。その中で上巻・中巻・下巻とありまして本日取り上げる上巻とはどう考えますか」
漫画家 里中満知子
「簡単にいいますと上巻は神々の物語、中巻は神と人との関わりで国が出来て行く物語、下巻は人の歴史です」
作家 長部日出雄
「極端に言えば古事記は上巻だけ読めばいいと思いますよ…今ほど日本人がアイデンティティーを見失っている時代は無い…日本人はどこからきてどこに行くのか考えなければいけない…今こそ読むべきです」
国家の危機
「古事記」編纂の時代
681年、天武天皇が国史編纂を命じてから4人の天皇を経て完成まで30年かかりました。古事記の序文には天武天皇が歴史書の編纂を命じた勅が記されています。
「そもそも帝紀(天皇家の系譜)と本辞(神話・物語など)は国家組織の原理を示すものであり、天皇政治の基本となるものである。…正しいものを定めて後世に伝えようと思う」(天武天皇の勅)
国家組織の原理と天皇政治の基本、天武天皇が国史編纂を支持した背景には、日本が直面した未曽有の国難がありました。
それが朝鮮半島で起こった白村江の戦い(663年)でした。当時、倭国と呼ばれた日本の軍は国家の形成途上にあり、軍備や指揮系統も不十分でした。…唐と新羅の統制のとれた連合軍に大敗します。この敗戦を機に日本は大きな変革を迫られたのです。
国際日本文化研究センター 教授 倉本一宏さん
「倭国それまで対外戦争をしてないのですが、実際やってみたらいとも簡単にやられてしまった。自分たちも権力をどこかに集中させて対応しないといけない。税と兵を一点に集中させる体制…中央集権国家が求められたのです」
国史編纂はいわば中央集権国家のシンボル、大国に肩を並べるには、しかるべき国家神話が必要でした。こうして生まれた古事記には、天皇家の始祖とされ、皇祖神といわれる特別な神が登場します。
「古事記」謎多き
アマテラス誕生物語
高天原(たかまのはら)と呼ばれる天上界に最初に登場する、「三柱の神」 そこに天照の姿はありません。
更に数多くの神が次々と誕生、17、18番目にやっと登場するのが…
イザナキノ命
イザナミノ命
の兄妹です…二神は愛の結晶として日本の島々を生みます。
続いて生まれたのが海、土、霧、泡、山、風、木の神などその数合わせて35柱あまり、これだけたくさんの神々が誕生したにも関わらず、アマテラスはまだ姿を現しません。
神々が続々登場!
「古事記」編さんの思惑
古事記にはいったいなぜこんなにも多くの神々が登場するのでしょうか…天武天皇の編纂の勅にそのヒントが隠されていました。
「緒家に伝わっている帝紀および本辞には、真実と違い、虚偽を加えたものが甚だ多いとの事」…緒家の歴史書に偽りが多いとはどういう事か。
当時の有力豪族たちは、その出自を正当化したり、天皇とのつながりを誇示したりとそれぞれに都合のよい神話をまとめていたと考えられます。
大東文化大学 名誉教授 工藤隆さん
「神話は乱立状態にあります。それを天皇国家に有利な神話へまとめていこうという動きになったと思われます」
古事記の編纂は天皇中心の国家建設のためのいわば神話の中央集権化だったと考えられるのです。
「古事記」謎多き
アマテラス誕生物語
というわけでアマテラス誕生物語に戻ります。…イザナミが最後に産んだのが火の神・カグツチノ神、その際イザナミはひどい火傷を負って黄泉の国へ…後を追ったイザナキは変わり果てたイザナミの姿を目の当たりにして命からがら逃げかえります。
そして黄泉の汚れを落とすため、イザナキは池の水で禊(みそぎ)をすると…「左の御目をお洗いになる時、成り出た神の名は天照大御神…右の御目からは月読命、…御鼻からは須佐之男命(スサノオ)。
こうして禊で生まれた三神の一柱として皇祖神、アマテラス(天照大御神)は誕生したのです。
司会 渡辺真理
「神様がたくさん出ていらっしゃいますが、どのくらいいらっしゃるのですか?」
奈良県立図書情報館 館長 千田稔
「300ぐらいです。…なぜ多いと言いますと…古来の神信仰は、木、土、水、いろんな万物に神がいるというアミニズム信仰ですから神々が沢山出てくるんです」
漫画家 里中満知子
「左の眼を洗ったらアマテラスが生まれたとありますが、右寄り左の方が上位なんです。目というのは知性です。しこから生まれた子は知的で穏やか…で、鼻を洗ったら乱暴で狩猟的な感じがするスサノオが生まれたのです」
作家 長部日出雄
「アマテラス(天照大御神)は高天原(たかまのはら)で機織り、水田を作っています。水田と機織り、つまり弥生時代になってからの神様なんです。アマテラスは弥生時代の神様、だから縄文時代からつながってる事を証明するためにあれだけ沢山の神様が出てくるんです」
「大和朝廷が一番苦労したのが各部族が信じている神様とアマテラスとどうして折り合いを付けるかが一番難しかったんです」
古事記上巻の前半は、天照大御神を軸に物語が展開します。ではアマテラスはどんなキャラクターで描かれ、どのような力を持っているのでしょうか。…最も重要なエピソードが『天石屋戸神話』(あめのいわやと神話)です。
「古事記」
アマテラスと天石屋戸神話
アマテラスは父・イザナキから高天原という天上界の支配を任されました。
一方、海の世界を任された弟・スサノオ命は父に背き、高天原に上って乱暴狼藉、神々を困らせます。
アマテラスはまず、弟をかばう姉として描かれます。…「わが弟君は酒に酔ってあのような事をしでかしたのであろう」…乱暴を諌めず寛容に振舞うアマテラス、この頼りなげなキャラクターこそ重要だといいます。
古事記学会 前代表理事 菅野雅雄さん
「人間的な弱さを持つ神、普通の神であった。それが天下の支配者になるという、入れ替わりの場面が『天石屋戸神話』と位置づけられます」
激しさを増すスサノオの乱暴、恐れをなしたアマテラスは石屋に引きこもってしまします。…すると…
あらゆる邪神の騒ぐ声は
夏の蠅のように世界に満ち
あらゆる禍が一斉に発生した
暗黒に包まれ世界は危機に瀕します。困った神々が衆議をこらし、オモヒカネノ神の発案で祭りを始めました。
石屋の前でアメノウズメ命が裸で踊り、大騒ぎ…アマテラスが気になって外を覗き見たその瞬間、神々が八尺鏡(やたかがみ)を差しだし、力持ちの神がアマテラスを力ずくで引き戻すのに成功、世界は光を取り戻し、秩序が回復するのです。
古事記学会 前代表理事 菅野雅雄さん
「アマテラスというのは、結局天石屋戸から引き出されるんですね。一人で絶対的な権力を振るう神ではなくて多くのものと力を合わせて君臨する神なんです」
天石屋から姿を現し、改めて世界の中心であることを知らしめたアマテラス、ある人物を思い起こさせるといいます。
奈良県立図書情報館 館長 千田稔
「アマテラスの特徴としては、女性神である。なぜ女性なのかと考えると当時の国家の支配者の長である持統天皇の存在が大きいのではないかと考えます」
アマテラスと
女帝・持統天皇
持統天皇…父は大化の改新を実行した天智天皇…夫は天武天皇、夫が亡くなると皇位を引き継ぎ、父と夫が実現できなかった律令国家建設に力を尽くした女帝です。
白村江の戦いの後、父・天智天皇は唐の侵略に備え、近江大津宮に遷都、国家改造を進める途中で亡くなります。
彼女の運命が大きく揺れ動いたのが672年・壬申の乱…皇位継承を巡って天智天皇の長子・大友皇子と大海人皇子(天武天皇)が争った古代史上最大の内乱です。
戦いに勝った大海人皇子は、673年、大津から飛鳥へ都を戻し、天武天皇として即位しました。天武天皇は壬申の乱による勝利に勢いを得て独裁的ともいえる人事体制を敷きます。
それまで有力豪族が占めていた大臣というポストを廃止、皇族や皇親が政務を司るシステムを構築します。…その中心となったのが天武天皇と皇后でした。
皇后は天皇のお側にあって
政務に話が及ぶごとに
助け補われることが多かった
(『日本書紀』より)
そして686年、天武天皇が志し半ばで崩御すると持統天皇は大臣制度を復活させます。…官僚の力を活用し、律令編さんや新しい都、藤原京の造営など夫のなし得なかった計画を次々と実行して行きました。
後に持統天皇はこのように評されています。…「天皇は広い度量のお人柄であった。まろやかな心で国母の徳をお持ちであった」(『日本書紀』より)
夫の政策を引き継ぎ、周囲の助けを借りて律令国家の礎を築いた持統天皇、そんな女帝としてのあり方がアマテラスに重なるのかもしれません。
漫画家 里中満知子
「アマテラス自身もそんなに能力があるわけではなくて…『あらどうしましょう。あらどうかしら。え!そうなの?。どうおもう』なんて感じで、いつも神様が集まって相談しているわけですよ。たった一度だけ単独行動をとったのが天石屋に隠れるということ…いなくなられるとそれはそれで困ると…最後にハンコを押す人がいないと困るとかね」
作家 長部日出雄
「実は、アマテラスは優しくて温和な神様で…この人がいなければ結局この国というのは、やっていけないんだという事をハッキリ認識して行くという物語なんです」
司会 渡辺真理
「それでこの天石屋戸は大切な場面なんですね」
「古事記」
国譲り神話の謎
天照大御神の天上界の物語の後、古事記の世界は、地上世界の出雲へと移り、国譲りという神話が始まります。
出雲神話は出雲に強大な王権が存在したとする説や有力な地方豪族全体の象徴とする説など様々に解釈されてきました。…ここでは持統朝以降の中央集権化の動きの中で国譲り神話を見てみましょう。
出雲神話の主人公は大国主神、80人兄弟の末っ子で兄たちにいじめられてばかりの頼りない神様です。
しかし、因幡の白ウサギを助けた事から思いがけず美しい姫と結婚、サクセスストーリーが始まります。
大国主は様々な試練をくぐり抜け、領土を拡大、確実に葦原中国(あしはらのなかつくに)という地上世界の王へのステップを上って行きます。…ところが国作りが完成すると思いがけないクライマックスがやってきます。
再びアマテラスが登場、国を譲るよう迫ってくるのです。それを受け大国主は、…「この葦原中国は仰せの通り、ことごとく献上致しましょう」…苦労して作った国を抵抗する事無くあっさり譲ってしまう。
この国譲り神話は、中央集権の理想のありかただといいます。
国作り神話
国家統一の思惑?
古事記学会 前代表理事 菅野雅雄さん
「各地の豪族方が各地で国をつくる…そして国譲りになって中央集権、国譲りはアマテラスに譲る。それは各地の豪族が大和朝廷に服属するという過程を現していると読みとれます。平和裏に交渉が成立することをいいたかったんです」
中央集権化に重要だったのが戸籍制度の整備です。…690年、持統天皇は、庚寅年籍(こういんのねんじゃく)と呼ばれる戸籍を作成。
これにより朝廷は、豪族が所有していた土地や人民を直接管理下に置いて徴兵や税の徴収を確実に行う事が出来るようになりました。
国際日本文化研究センター 教授 倉本一宏さん
「公地公民といいまして全ての土地と全ての国民は国家のものである。…豪族からすると権利権益を国に吸収されることになってしまったんです」
国作り神話には、地方豪族が嫌がる国家改造を出来るだけ穏便に進めたいという中央政権の願いが込められていたと考えられます。
「古事記」
天孫降臨神話の謎
国譲りの交渉が無事すんだことでいよいよ天の神々が地上に舞い降りる、『天孫降臨』神と天皇をつなぐ古事記最大のクライマックスです。
しかしここにも謎のエピソードが…
天照大御神らは息子のオシホミミノ命に地上世界への降臨を命じます。ところがオシオミミは、…「支度をしている間に子が生まれました。名はニニギノ命と申します。この子を降すのがよいでしょう」…オシオミミはなぜか自分ではなく息子に降臨を譲りたいというのです。
結果、アマテラスの孫にあたるニニギノ命に地上世界の統治が任される事になったのです。土壇場での神様の交代劇、この奇妙な展開が実は当時の皇位継承問題にそっくり重なるといいます。
679年 吉野の盟約 天武天皇は継承争いが起きないように母親の違う御子を集め誓いを立てさせました。
我が子供たちよ
母親は違えども
同じ母から生まれた
兄弟のように慈しもう
(『日本書紀』より)
そして天武天皇と持統天皇の息子・草壁皇子を皇太子に指名します。…しかし草壁皇子は若くして夭折、後にはまだ幼い、軽皇子(7歳)が残されました。
つまり持統天皇と孫の軽皇子=アマテラスと孫のニニギノ命に重なるというのです。
奈良県立図書情報館 館長 千田稔
「今の形でいえば・・・
持統天皇=アマテラス
草壁皇子=オシホミミノ命
軽皇子=ニニギノ命
…持統天皇が意図して間にオシホミミノ命を作り上げて孫が継承するというのを正当な形として古事記の神話のなかに形づけたと考えられます」
しかし、幼い軽皇子への皇位継承は簡単ではありません…天武天皇の御皇たちがまだ健在だったからです。
国際日本文化研究センター 教授 倉本一宏さん
「当時は、天皇への継承は・・・
①兄弟内・世代間継承が基本でした
②30歳以上
③執政経験
…軽皇子はその全てを有していない…即位の必然性がないのです」
しかし、軽皇子は697年、文武天皇として即位、史上最も若い天皇が誕生します。…この事が皇位継承を決める転換点となったといいます。
国際日本文化研究センター 教授 倉本一宏さん
「律令天皇はそういう人(文武天皇のような人)でもいいのだという印象づけたと思います。…天皇という位の継承が実力でもなく、天におられる神様からの血縁で決まると…そして未来も自分たちの子孫がそのまま継いで行くんだというような天皇の制度を作り上げたんだと思います」
力に左右されない血統を重視した天皇制の誕生…背景には天皇を支える官僚機構の整備とそれを掌握する藤原不比等の存在がありました。
国の権威として天皇家を維持する一方で実権は官僚が握るという仕組みが整ったのです。
天孫降臨神話が
皇位継承を決めた?
作家 長部日出雄
「中国で皇帝が変わるでしょ…しかし日本では変わらないんです。どうしてかというと権威と権力がハッキリと分かれているから。…権威は継続する…権力は変わって行く…世界中のどこの皇帝とも違うんですよ」
漫画家 里中満知子
「つまり、天照大御神は最高権威であっても力は誇示しないんです。それでよしとする国民性なんです…普通でしたら権力を持った者は権威も欲しがるんです。皇帝とかキングってそうなんです。…ところが日本の場合はこの神話に象徴されるようなアマテラスとその他の神々と同じような図式が地上においても展開されてこの時代まできているんです」
作家 長部日出雄
「天照大御神は最初っから権力を行使しない…権威として存在し続ける…これが日本の国の在り方だと思いますね」
漫画家 里中満知子
「古事記を読んでいて楽しいのは、本当に欠点だらけの神様とかどうしようもない人がいっぱい出てくるんですよ…神聖化するんだったらもっとちゃんとしたヒーローとか欠点のない方、理想的な方が先祖であると書くはずなんですよ。…ところが特に男性ね…この人大丈夫って人が出て来て…つまり人間というのは完全無欠じゃないんだって事ですかね…驚くほど暴力的な話は無いですし、破壊につながる話も少ないですね」