旅cafe

旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。

箱根 岡田美術館

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箱根 岡田美術館

箱根の岡田美術館、素晴らしいです。
わかりやすい基準で、お話しますと…美術館の入館料が高額です。普通、結構メジャーな美術館でも、だいたい1000円~1500円で入館できます。
でも…箱根、岡田美術館は2800円…、…高いです。他にも高額な入館料は、ないかと調べてみました。

日本一入館料が高いのは…徳島県大塚国際美術館3240円、で…2番目が岡田美術館2800円です。…この2館は群を抜いて高額です。
その後、続くのが島根県足立美術館2300円…箱根でいえば仙石原のポーラ美術館が1800円…全部、当たったわけでは、ないんですけど…その他は、だいたい1500円を上限として価格設定されているようです。

でも問題は展示品です…管理人はこれだけ充実した展示品を揃えている美術館は見たことがありませんでした。

それでは美術館の説明に入って行きます。…マップで説明いたします。

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美術館本体は、5階建てです…山の斜面に建てられていまして…皆様、1階から見ていただいて5階まで行くと庭園に出られます。…当然1階からも庭園に行けますけど坂道を登らなきゃ庭園には行けません。…それと通常、庭園に入るには300円、有料なんですけど現在は無料です。…理由は、上に渓流散策コースとありますが工事中で入れません。…ですから上のエリアと下の本体のエリアをつなぐ細い通路の手前当たりぐらいまで黒枠辺りに柵が設けられているところまでで楽しんで下さい…。

というような理由で庭園全体を無料にしています。…素晴らしい庭園です。…是非、散策してみてください。…それと開化亭でくつろぐのも、いいでしょう…おしるこ、大福、うどんなどを、提供しています。

下に目線を移していただきまして…足湯、こちらも無料で浸かれます。…カフェになっていまして、お店の人が注文を聞きに来ますけど…注文する必要はありません。…「結構です」と笑顔で答えてください。
そして、お土産はミュージアムショップ、オリジナルの、チョット値が張るチョコレート、チョットお高いチョコレートが人気だそうです。

 

管理人からの小ネタ
風神、雷神…(岡田美術館編)

管理人は絵の事は、ほとんどわかりません…でも一つだけ調べました。岡田美術館で皆様が一番見る絵は、風神、雷神です。

岡田美術館には足湯があります。…無料です。…無料で浸かれます。…大好評…ゆったり、浸かっていただければと思います。足湯に浸かって前を見ると真正面の壁に縦12メートル、横30メートルの巨大な風神、雷神が描かれています。これは、俵屋宗達の代表作、国宝「風神雷神図屏風」を現代の日本画家、福井江太郎(こうたろう)氏によって模倣され製作されたものです。この風神雷神図に関して調べてみるととても興味深い事がわかりまして概略をまとめてみました。

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俵屋宗達、以後の後継者、尾形光琳酒井抱一(さかいほういつ)らによって、摸写、模倣の挑戦が、重ねられてきました。その中で、尾形光琳という人は、とても興味深い人でした。…尾形光琳は、江戸時代中期に京都の裕福な商家、皇室御用達の呉服商人の家に、生まれました…若い頃は、放蕩の限りを尽くして遊びまくっていた人でした。…しかし、父親が無くなり家業は傾き、それでも遊びをやめられなかった光琳、いよいよ追い詰められた光琳は、若い頃に習った絵を描き始めるんです。

瞬く間に才能を認められた光琳、都、随一の絵描きとして、たたえられます。…そしてまた病気が出てきます。…遊びまくる光琳…それを諌めようと弟の尾形剣山(けんざん)が兄、光琳に「凄い絵がある」と見に行くように薦めたのが俵屋宗達の傑作、国宝「風神雷神図屏風」でした。…絵から伝わる、あまりにもの凄まじさ…気迫に圧倒された光琳風神雷神図の模写(もしゃ)に没頭し始めます。…そして江戸で5年、雪舟水墨画、浮世絵などを吸収し、52歳の年に京都に戻り再び風神雷神図に挑戦…そしてついに尾形光琳の「風神雷神図屏風」完成に至るんです。

そしてまた時を経て坂井抱一(ほういつ)に引き継がれ…現代の福井江太郎氏によって岡田美術館に再現された、という流れになります。

それともう一つ…俵屋宗達尾形光琳、坂井抱一、これらは、琳派という流れ、流派、とされています。琳派とは、師弟関係ではなく…実際に、この3人は、生きた時代も違います。…でも作品を模写する事によって…作風を引き継いだんです。…これを琳派、というらしいです。…この3人の作品は4階の琳派コーナーに展示されています。

最後にもう一人、浮世絵の喜多川歌麿について簡単に紹介します。歌麿も非常にユニークな人生を生き抜いた偉人です。…歌麿は、美人画を追求し続け新しい「大首絵」という表現方法で、世間を、あっと驚かせ…美人画の頂点に君臨します。

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時は、江戸時代中期、田沼意次の商人と結託した貨幣経済に変わって登場した老中、松平定信による、贅沢禁止令を基本とする緊縮財政の寛政の改革、これを推し進めていた時代でした。

歌麿は、幕府の出す法律の隙間を縫って、あざ笑うかのように美人画を書き続けます。そして幕府が更なる規制を行い…その規制の網をすり抜け堂々と合法的に作品を発表し続けたんです。

でも最後は、決定的な対立を生みます。…「太閤五妻洛東遊観之図(たいこう、ごさいらくとう、ゆうかんのず)」という作品を発表、太閤、豊臣秀吉が側室5人連れた図です。秀吉は幕府にとってご法度、時の将軍、徳川家斉の側室の多さを皮肉ったともとられたんです。

その後、歌麿は、入牢3日、手鎖50日、という刑に処されます。…2年後の文化3年、歌麿は、幕府に抵抗し続けた、その数奇な生涯を閉じるのです。…50代前半だったと、伝えられています。

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            (深川の雪)

歌麿の絵は、美術館4階に展示されています。「深川の雪」、「芸妓図(げいぎず)」の2点が、展示されています。