呉の大和ミュージアム
管理人世代の男子だったら戦艦大和の話をしだしたら止まらない。一晩中、大和の話で盛り上がることが出来るはず。子供の頃、ほぼ全員、大和のプラモデルを作っている。
そんな戦艦大和の1/10モデルを作っちゃったのが、広島県呉市にある ”大和ミュージアム” です。
呉は戦前、戦中にかけ海軍の重要な拠点であり、人口40万人を超える全国的な大都市だった。その発展の礎を築いたのは、1889(明治22)年に設置された「呉海軍工廠」。戦艦「大和」などの軍艦が建造されました。
戦艦大和1/10モデル
戦艦大和基本スペック
大和は、大日本帝国海軍が建造した大和型戦艦の1番艦。2番艦の武蔵とともに史上最大にして唯一、46cm主砲3基9門を搭載した超弩級戦艦であった。
排水量:69,000トン(公試)
全長:263m
出力:153,553馬力
最大速力:27.46ノット(公試成績)
航続距離:16ノットで7,200海里(13,334km)
乗員:3332名
大和ミユージアムでは、全長26.3メートルもある10分の1サイズ戦艦「大和」を作っちゃいました。設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに、可能な限り詳細に再現しました。
「いや~…よくこんなもの作ったな」って感心ますよ。…とにかく凄い迫力!!
他にも大和の砲弾が…
大和の巨大な砲弾が展示されています。戦艦として史上最大の46cm主砲の砲弾です。これも見もの…こんな砲弾が命中したら1発で撃沈間違いなし。
巨大主砲競争の歴史
明治39年(1906)年 戦艦ドレッドノート出現・・イギリスは30.5センチ砲10門搭載というそれまでの常識を破る戦艦を進水させたのです。これがきっかけとなって主要国の中で熾烈な戦艦建造競争が始まるのです。
日露戦争後、日本とアメリカはお互いに仮想敵国とみなすようになり戦艦の開発を激しく競うようになります。大正12年アメリカは40.6センチ砲搭載の戦艦3隻を揃え数で日本より優位に立ちます。
当時アメリカでは40.6センチより大きい主砲は戦艦には搭載できなません。これ以上大きい主砲を搭載すると船体が大きくなりすぎてパナマ運河を通過できなくなるからです。
昭和9(1934)年 日本海軍は40.6センチ砲より一回り大きい46センチ砲搭載の戦艦の設計を開始、射程距離は40.6センチ砲を3キロ上回ります。つまり戦闘になった時、敵の砲弾の届かないところから自分だけ一方的に攻撃できる事になります。
昭和12(1937)年 広島県呉市のドックで46センチ砲搭載の戦艦大和の建造がスタートします。大和建造は国家の最高機密でした。
凄い!…まさに世界最強の戦艦です。
大和以外の展示も…
九三式魚雷・二式魚雷
九三式魚雷は、それまでの魚雷の欠点であった射程距離の不足、航跡発生の問題を解決するため、燃料酸化剤に純粋な酸素を用いていました。この酸素魚雷を太平洋戦争までに実用化できたのは日本だけでした。
特攻兵器「回天」十型
呉海軍工廠を中心に研究開発された特攻兵器「回天」は、海軍の青年士官から提案されたものです。平均年齢21歳の100名以上の尊い命が失われました。
零式艦上戦闘機六二型
零式艦上戦闘機の開発には、広海軍工廠で研究・開発された技術が活かされました。機体全てを金属で製作する技術、運動性重視から主翼を片方だけで支える強度維持の技術、桁と外板で主翼の強度を保持する技術などは、日本国内では広海軍工廠からはじまりました。
大和ミュージアムの隣り
海上自衛隊呉資料館 「てつのクジラ館」
大和ミュージアムのすぐ隣にあります。てつのクジラ館…こちらも入っていただきたい!!
大和ミュージアムは入館料500円かかります。(それでもかなり安い!)しかし、 ”てつのくじら館” は無料…必ず立ち寄る事!!
どうですか…巨大な潜水艦… 「てつのくじら館」 です。
…入ってみたくなるでしょう。
こちらは海上自衛隊の資料を展示し、歴史、役割、実績及び国際貢献などの活動を広報し、海上自衛隊に対する理解の促進を目的としています。
特に注目は「湾岸の夜明け作戦」
自衛隊ペルシャ湾派遣の事です。1991年(平成3年)にペルシャ湾に海上自衛隊の掃海部隊(ペルシャ湾掃海派遣部隊)が派遣されました。。自衛隊にとって初の海外実任務です。
これによって海上自衛隊の ”機雷除去” の高い掃海能力が証明されて世界から称賛されました。今では海上自衛隊の機雷除去 ”掃海能力” は、 ”世界一” と呼ばれています。
「大和ミュージアム」と「てつのくじら館」はセットでの訪問を提案いたします。
管理人の独り言
今回の記事を書くにあたって調べを進めると ”この世界の片隅に” というアニメ映画が随所に引っかかってきました。管理人は「面白いらしいな」ぐらいの感覚でした。見たことは無い。
記事を書き進むにしたがって呉という町が戦前、戦中を通して非常に重要な役割を果たした町であることがわかり、 ”この世界の片隅に” を見てみました。
素晴らしい映画
泣けた!
簡単にストーリーを紹介しますと。一人の平凡な絵を描くことの好きな「すず」という女性の物語です。彼女は広島で生まれ育ち、呉に嫁ぎます。家は呉の外れの山の上、平凡で地味な彼女の、結婚生活がスタートしました。夫は海軍の法務を担当の内勤要員。
昭和16(1941)年の開戦も彼女には全く関係のない事。昭和18(1943)年になると徐々に物が手に入らなくなってくるが彼女はそんな生活ものんきに楽しく工夫をしながら過ごす。
昭和20(1945)年に入るといよいよ戦局の悪化により、呉は空襲を受ける事になる。初めは工場、軍港を中心の空襲だったが、すぐに一般市民を標的にした市街地攻撃が開始される。彼女は右手を失う。もう好きな絵が書けない。
右手を失い役に立てない自分を恨めしく思い、実家へ帰る決意をするが夫が優しく彼女を諭すのだった。そして彼女の実家の広島に新型爆弾が投下される。父親は行方不明、妹が被ばく…
平凡なすずさんの日々の生活、しかし徐々に忍び込んでくる戦争の影、それでも一日を楽しんで生きてゆく。当時の日本人の普通の生活を再現した映画。
アニメ映画にしては、かなりの大作、上映時間は2時間以上。でも一つも無駄な、余分と思われるシーンがない。…この記事を書いて良かった。…おかげで素晴らしい映画に出会えた。
管理人はお奨めします。…この映画、是非観てください。
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