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戦艦大和沈没の時 昭和20年4月7日午後2時23分   

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NHK その時歴史は動いた 不沈戦艦大和の最期~大艦巨砲主義の悲劇~

戦艦大和史上最大の主砲を備えた日本海軍最強の戦艦です。・・極秘のうちに建造され謎につつまれていた大和、その設計図が近年東京で発見されました。

設計図からは、大和の内部に当時最新の防御システムが施されていたのが読みとれます・・大和は文字通りの不沈艦として建造されたのです・・しかし大和は実践では期待通りの働きをする事が出来ませんでした。

昭和20(1945)年4月7日 大和はアメリカ軍航空機の集中攻撃を受けて沈没します・・絶対に沈まない戦艦として誕生した大和がなぜあえない最期をむかえたのか・・大和最後の戦いそれは、新たに出現した航空機という新兵器に対してすでに時代遅れとなった戦艦が苦闘する姿でした。

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明治37年(1904)日露戦争が勃発中国大陸での戦いは日本軍優勢で進みます・・翌年5月ロシアは戦艦8隻を主力とするバルチック艦隊日本海に派遣し決戦を挑みます。
迎え討つ日本海連合艦隊の主力は、戦艦4隻、史上初めて鋼鉄の戦艦同士による艦隊決戦が行われたのです。

口径30.5センチの修法を4門持つ旗艦三笠を中心に新型の戦艦を備えた日本海軍はロシア艦隊を撃滅させる大戦果を上げ戦争の勝利を決定的としたのです。

日本海軍の勝利は世界に伝えられ 「戦艦同士の艦隊決戦が戦争の勝利を決定した」 それは戦艦こそが近代戦争における最有力兵器だと世界に印象付けられたのです。

明治39年(1906)年 戦艦ドレッドノート出現・・イギリスは30.5センチ砲10門搭載というそれまでの常識を破る戦艦を進水させたのです・・これがきっかけとなって主要国の中で熾烈な戦艦建造競争が始まるのです。

日露戦争後、日本とアメリカはお互いに仮想敵国とみなすようになり戦艦の開発を激しく競うようになります。・・大正12年アメリカは40.6センチ砲搭載の戦艦3隻を揃え数で日本より優位に立ちます。

当時アメリカでは40.6センチより大きい主砲は戦艦には搭載できなません・・これ以上大きい主砲を搭載すると船体が大きくなりすぎてパナマ運河を通過できなくなるからです。

昭和9(1934)年 日本海軍は40.6センチ砲より一回り大きい46センチ砲搭載の戦艦の設計を開始、射程距離は40.6センチ砲を3キロ上回ります・・つまり戦闘になった時、敵の砲弾の届かないところから自分だけ一方的に攻撃できる事になります。

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昭和12(1937)年 広島県呉市のドックで46センチ砲搭載の戦艦大和の建造がスタートします・・大和建造は国家の最高機密でした。
・46センチ砲にも耐えられる412mmもの分厚い鋼鉄の壁
・船体を無数(1147)に区切る防水区画、当時の最先端技術の注排水システム(攻撃により破壊された隔壁から侵入した海水を船の反対側に注水する事によって船のバランスを保つ技術)
大和は考えられる当時の技術の粋を集めて絶対に沈まない船として設計された文字通りの不沈艦として計画されていたのです。
全長 263メートル
排水量 72,800トン
主砲 46センチ砲9門
大和は、最強かつ最新の防御力うぃ詰込んだ驚異的な戦艦でした。

昭和16年(1941)年12月8日 日本軍の航空機は、ハワイのアメリカ太平洋艦隊を空襲、戦艦4隻撃沈、3隻大破、日本海軍航空隊は、2時間足らずのうちにアメリカの戦艦部隊を壊滅させました。・・それは 「航空機は絶対に戦艦には勝てない」 という常識を覆す衝撃的な出来事でした。

その8日後一隻の巨艦が竣工します。4年の歳月と国家予算の3%1億4000万円をかけた巨大戦艦大和が進水しましたのです。

真珠湾での大敗で 「今後の戦争の主役は航空兵力である」 と悟ったアメリカは、航空母艦の増産に乗り出します。
エセックス級 13隻
インデペンデンス級 9隻
カサブランカ級 50隻
エセックス級大型空母13隻の建造を一気に進める中、巡洋艦改造のインデペンデンス級空母9隻を建造、更に徹底した機械化と合理化によってカサブランカ級小型空母をなんと1年間で50隻も建造し始めたのです。・・それは1週間に1隻空母が竣工するという空前絶後の生産速度でした。

日本海軍はというと真珠湾で航空機の力を実証したにも係らず 「大鑑巨砲主義、艦隊決戦」
、「日露戦争 日本海海戦の再現」、「戦艦こそは海の王者である」 という古い発想を捨てきれません・・大和級2番艦 「武蔵」 も巨額な費用と膨大な労力を投じて建造されつつありました。

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昭和17年5月 大和は初めて出撃、ミッドウェー島攻略作戦です。
日本軍機動部隊 空母4隻 戦艦2隻
アメリカ軍 空母3隻 戦艦なし
なお機動部隊の後方に大和を旗艦とする戦艦7隻、空母1隻の主力部隊と戦艦2隻、空母1隻の攻略部隊を配置、質量ともにアメリカ軍を圧倒していました。

しかし日本軍の作戦は暗号を解読されてアメリカ軍に筒抜けになっていました。
6月5日午前7時 アメリカ軍空母から151機の攻撃隊が発信、前方に突出していた日本軍機動部隊を狙います・・不意打ちを受けた機動部隊は大混乱
空母 4隻沈没
航空機 285機喪失
この作戦に参加していた日本海軍航空部隊は全滅に等しい損害を受けたのです。
大和は無力でした・・戦場のはるか後方550キロメートルにあっては46センチ砲を打つ事もならず・・といって空母や航空機の速力には追いつけず敵と戦わずして引き返すしかありませんでした。

昭和17(1942)年8月 大和は日本海軍基地トラック島に停泊、大和の出番はありません・・太平洋の戦いは航空機の数が勝敗を決するようになっていたのです。・・空調設備や軍楽隊を備えた大和は、いつしか 「大和ホテル」 と呼ばれるようになりました。

ミッドウェーの敗戦で主力空母を失った海軍は、急遽、空母の増産に乗り出しますが当時日本の造船能力はアメリカの1/10です・・アメリカとの空母造船競争は勝ち目がない事はあきらかでした。

昭和19(1994)年6月 マリアナ沖海戦・・ついに大和に出撃
日本軍 空母9隻、戦艦5隻、艦載機439機
アメリカ軍 空母15隻、戦艦7隻、艦載機896機
さらにアメリカ軍は、レーダーや新式の対空砲火を用意、兵器の質でも日本軍を凌駕していました。

アメリカ軍航空機に対して大和は46センチ砲を放って応戦しましたがほとんど戦果はありませんでした。・・マリアナ沖海戦で日本軍は、空母3隻、艦載機400機を失いました・・日本海軍航空部隊は事実上壊滅したのです。

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昭和19(1944)年10月17日 アメリカ軍 フィリピン・レイテ島上陸、陸軍部隊を支援する勢力は艦船700隻、航空機1000機におよびます。
「敵輸送船団を撃滅せよ」 の命を受け出撃した日本海軍の主力は、大和・武蔵を含む戦艦7隻からなる第二艦隊、しかしその上空を守る航空機の姿はありませんでした。

10月24日 日本軍戦艦部隊の頭上にアメリカ軍航空機が襲いかかります・・大和の同系艦で艦隊からやや遅れていた武蔵は集中攻撃を受けます・・魚雷20本命中という被害を受けた武蔵は、午後7時30分沈没・・艦長の猪口敏平少将は 「申訳なきは、対空射撃の威力を充分発揮し得ざりし事」 と書き残して武蔵と運命を共にしました。

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武蔵が敵を引き付けている間も大和は前進します・・そして翌10月25日夜明け前、大和はおもいがけず敵空母部隊と遭遇します。
ついに大和の46センチ砲が敵空母に発せられたのです・・アメリカ空母1隻を撃沈、しかしこの時沈没した「ガンビア・ベイ」は排水量僅か7800トンの年間50隻作られた小型護衛空母でした。
一方、第2艦隊は、戦艦3隻、巡洋艦7隻を喪失、レイテ沖海戦日本海軍は事実上壊滅したのです・・レイテ湾を目前にして大和は突入を断念、三度むなしく引き返します。

昭和20(1945)年4月1日 アメリカ軍 沖縄上陸、支援勢力は艦船1500、航空機1700・・主力となる第58機動部隊は、空母16隻・艦載機1000機の大兵力です。

昭和20(1945)年4月5日 「天一号作戦」発令 徳山沖に停泊中の大和に出撃命令が下ります・・作戦は 「片道分の燃料を積んでの特攻、自ら浅瀬に乗り上げて動かぬ砲台となり、敵の陸上部隊を砲撃せよ」 というものでした。

艦隊を率いる第2艦隊司令長官 伊藤整一中将は、当初この命令に強く反対しました・・しかし連合艦隊司令部の次の言葉を聞いて出撃を承諾したと言います。
「一億特攻のさきがけとなれ」

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昭和20(1945)年4月6日 午後4時 戦艦大和沖縄に向け出撃・・沈没まで22時間
昭和20(1945)年4月7日 早朝 アメリカ海軍発進 新鋭空母12隻、艦載機800機

午前08時15分 大和、アメリカ軍 索敵機に発見される
午前10時18分 空母部隊から第一次攻撃隊200機発進
午前12時32分 アメリカ軍第一次攻撃隊100機が来襲、急降下爆撃を開始
午前12時35分 大和左舷に魚雷命中
午後01時37分 大和左舷中央部に3本の魚雷命中・・更に2本左舷に命中 左に20度傾く

しかし大和の防御システムの注排水システムにより平衡バランスを取り戻すします・・アメリカ軍の作戦も巧妙です、魚雷攻撃を大和の左舷に集中したのです・・片側だけを狙われた大和自慢の注排水システムもやがて限界をむかえます。

午後01時44分 右舷注排水区画が満水になり、バランス抑制機能の限界をむかえる
午後02時07分 その直後、右舷に1本、左舷に2本、3本の魚雷が続けざまに命中・・再び傾いた大和は二度とバランスを取り戻す事は出来ませんでした。

傾斜によって大和の速力は6ノットまで低下、以後なす術もなくアメリカ軍航空機の攻撃を受け続けます

午後02時17分 左舷中央部に魚雷1本命中 大和急速に傾斜す・・そして伊藤長官はついに特攻作戦中止の命令を下しました・・そして長官室に入ると内側から鍵をかけました。

昭和20(1945)年4月7日 午後2時23分 大和横転、その瞬間に大爆発を起こしました・・大和の沈没で命を落とした乗組員は3000人。

大和の沈没、それはかつて無敵を誇った日本海軍の滅亡を象徴するものでもありました・・昭和20(1945)年8月15日 日本は敗戦の日をむかえる事になります。

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史上最大の戦艦として作られながらほとんど活躍が出来ないまま南の海に沈んだ大和、・・大和乗組員だった吉田満さんの著書 「戦艦大和のさいご」そこには、特攻を知った若い士官が死ぬ事を覚悟して語った次のような言葉が記されています。

進歩の無いものは決して勝たない
負けて目覚める事が最上の道だ
日本は進歩というものを軽んじすぎた
私的な潔癖や徳義にこだわって真の進歩を忘れていた

敗れて目覚める
それ以外にどうして日本が救われるか
今目覚めずしていつ救われるか
俺達はその先導になるのだ
日本の新生にさきがけて散る
まさに本望じゃないか

日本海軍の栄光を担うべく誕生し、やがてその滅亡の象徴となった戦艦大和、3000人あまりの尊い命とともに今、大和は九州沖の海底深く眠り続けています。