鎌倉仏教の時代到来!!
鎌倉時代の仏教がまた…面白いんです!!
”主役は日蓮”
日蓮は、暴れん坊なんです…当時、新たな宗派が続々と誕生するんですけど…そのことごとくに喧嘩を売りつける。…”暴れん坊、日蓮”
今回は、そんなハチャメチャな鎌倉仏教の時代を解説します。
鎌倉仏教の意味
鎌倉時代に入ると仏教は大きく変化してゆきます。大きな違いは、平安仏教までは貴族のものだったんですが、鎌倉時代からは庶民のものになったという事です。
「え!…奈良時代の行基が民衆の力で大仏建立を成し遂げて、庶民の仏教信仰が認められたんじゃなかったっけ?」
と、思った方、いらっしゃるんじゃないかと思うんですが…説明します。
確かに仏教の庶民の信仰は徐々に始まってはいたんです。…最澄と空海が唐から持ち込んだ「平安仏教」は、誰に対しても、わかりやすく教えを説いている。
特に最澄の天台宗は、法華経を教義として誰でも救いたいという教え。
でも、厳しい修行、難解な経典、難しい説法、手間、暇、お金もかかる。…庶民の中でも比較的、知識層で生活に余裕が無ければ信仰できませんでした…
庶民A:「俺たち山にこもって修行なんかできないよ」
庶民B:「仏様が救ってくれるのは、偉いお坊様だけなんだろう」
庶民C:「そうだよな…ご飯食べるので精いっぱい…仕事しなきゃ」
…こんな感じで庶民は信仰を諦めていました。
そこに登場したのが…
浄土宗(法然)
浄土真宗(親鸞)
時宗(一遍)
日蓮宗(日蓮)
臨済宗(栄西)
曹洞宗(道元)
…らの鎌倉新仏教といわれる新しい考えの仏教でした。
鎌倉新仏教
鎌倉時代に誕生した新しい教義、教えは、瞬く間に庶民に浸透して行きました。
理由は、 ”簡単だから!”
…この後、詳しく説明しますけど、簡単に説明すると…平安仏教が厳しい修行、難解な教えを習得しなければならなかったのに対して、鎌倉仏教は、簡易に簡単に信仰できるのが庶民に受け入れられたんです。
鎌倉新仏教は、3つにわけることが出来ます。
1.浄土系は…
浄土宗(法然)
浄土真宗(親鸞)
時宗(一遍)
…で、浄土は極楽浄土の事で、「この教えを信じれば、自分が死んだ後、極楽浄土に行ける」と唱えているのが浄土系なんです。
自分は悪人(修行が出来ない)で仏様にはなれないけど ”他力本願” で 「南無阿弥陀仏」を唱え ”阿弥陀仏” という神様を信じる事で極楽浄土に行けると考えていたの。
つまり、「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで成仏できる…簡単!!
2.日蓮宗は…
天台宗からの流れを汲んでいる。(法然も比叡山で天台宗を習っている)非常に頭が良かったというより天才!…天台宗というのは…
「人は仏様になれますよ」
…という考え方、日蓮宗も基本、この考え方を受け継いでいます。
「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで自分の中にある仏様の性質が目覚めて幸せになれる…これも簡単!!
3.禅宗系は…
臨済宗(栄西)
曹洞宗(道元)
…で、臨済宗は、「禅と問答を通して悟りに至る」…つまり座禅、座って師匠と問答をする事によって悟りに近づいて行く教えです。それと臨済宗は、時の権力者、鎌倉幕府と近く仲が良かった。
対して曹洞宗は、問答は無しで座禅のみ ”とにかく座れ!” 時の権力者とも距離を置いて、硬派、孤高を貫く教え。
つまり、 ”禅” …座るだけ。…またまた簡単!!!
いままで…
「山にこもったり」
「滝に打たれたり」
「雑巾がけしたり」
…信仰するには、いろんなことをしなきゃならなかった仏教が…
「唱えなさい」
「座りなさい」
…ただ、これだけで救われる仏教になったんです。だから庶民に受けて、爆発的に仏教が広がっていったんです。
法然は、ただ唱えなさい 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、ひたすら唱えなさい。
親鸞は、といいますと法然の弟子です…
「何回も唱えないでいいですよ」
「心の中で阿弥陀仏を思いなさい」
…滅茶苦茶、庶民に優しい
「忙しいでしょ」
「1回でいいです」
「南無阿弥陀仏を唱えましょう」
本当なのかと庶民は親鸞に問いかけます…
庶民:「あんなに修行しなきゃならなかったのに1回でいいんすか」
親鸞:「1回でいいです」
庶民:「それ凄いっすね親鸞さん…何でなんすか」
親鸞:「阿弥陀仏をごらんなさい。前傾姿勢です。何で前傾姿勢かというと、救いたくて仕方かないんです。そういう阿弥陀如来様ですから、1度で大丈夫です。むしろ向こうから救ってくれますから、安心なさい」
庶民:「親鸞さん、おら、わかっただ。ありがたや、ありがたや、南無阿弥陀仏」
…って感じでしょうかね。
一遍は、凄いよ!…何が凄いって ”踊念仏” 踊りながら念仏を唱えるって楽しそうでしょ。で、念仏を唱えた人には札を配るんです。
救われるっていう札を配ったんです…
庶民:「え…いいんすか貰っちゃって」
一遍:「いいんですよ」
庶民:「一遍さん、なんか楽しいっすね」
一遍:「踊りなさい」
庶民:「わー」
…って感じですかね。(楽しそうでしょ…笑)
日蓮は、っていうと… ”口が悪い” …次の項で詳しく説明します。
暴れん坊 日蓮
日蓮は12歳の時、初等教育を受けるため、千葉県鴨川市の天台宗寺院である清澄寺に登った。師匠となったのは道善房。
清澄寺に登る前から学問を志していた日蓮は、清澄寺の本尊である虚空蔵菩薩に…
「日本第一の智者となし給え」
…という「願」を立てた。(どういう12歳なんだ…笑)
少年時代の日蓮は、自身の誕生の前年に起きた承久の乱で真言密教の祈禱を用いた朝廷方が鎌倉幕府方に敗れたのはなぜか、との問題意識をもった…
「なんで真言密教を信仰した朝廷方が鎌倉に負けたんだ」
「何が原因だ」
「今の仏教の教えは間違ってるんじゃないのか」
…と日蓮は考えました。
清澄寺にはこれらの疑問に答えを示せる学匠がいなかったので、16歳の時、再度出家し、その後、各宗派の教義を検証するため、比叡山延暦寺・園城寺・高野山などに遊学する。
既存勢力との対立
日蓮は妙法蓮華経(法華経)「南無妙法蓮華経」こそが正道という考えに行き着く。
そして浄土系と禅宗が世に罪悪を振りまいているという結論に達する。(「どういう結論なの…仲良くやってくださいよ」…笑)
世は鎌倉時代、政治の中心地、鎌倉に本拠を構えた。禅宗は鎌倉幕府公認の宗派。浄土系とは当時、貴族から武士、一般庶民に至るまで幅広く支持を集めていた法然らの浄土宗「南無阿弥陀仏」です。
日蓮は禅宗、浄土系にたいして非難しまくります。特に浄土系と激しく対立します。
新興勢力である日蓮から非難されて既存勢力の禅宗、浄土系も黙っちゃいません。嫌がらせはもちろんの事、日蓮暗殺未遂まで引き起こします。
そして日蓮は ”立正安国論” を執筆、提唱し、時の政権、鎌倉幕府の執権、最高権力者、北条時頼に突きつけるのです。
内容は、…
「浄土宗など他の宗教が広がっているような状況を放置していると、いずれ国難がやって来ますぞ、他国から侵略されますぞ」
…というもの。
北条時頼は、それを読んで…
「他国から侵略されるだと」
「ふざけんな」
「日蓮てやつは危ない奴だ」
「島流しじゃ」
…となってしまいます。
「他国から侵略」
「この日本が」
「ありえない」
でも…時代は鎌倉なんですよ…鎌倉といえば…そう、奴らが来るんです。 ”元寇” …あのチンギスハーンの子孫たちが、2度に渡って押し寄せる、未曽有の大ピンチ元寇が来たんです。
一部の人たちは…
「あれ…当たったの?」
「当たってたんじゃない」
「日蓮正しかったんじゃない」
…ということでにわかに盛り上がるんです。
そして日蓮は、赦免されて一旦、鎌倉に戻るも…
「ほら見た事か、俺が言った通り国難の元寇が来たじゃないか」
…と日蓮は、反省するどころか態度、考えを変えません…
「現在の災害(鎌倉地震)、国難(元寇)は、鎌倉幕府が自分の教義である妙法蓮華経(法華経)を受け入れないからだ」
…と主張するのです。
相変わらず禅宗、浄土系の不当性を幕府に訴え、妙法蓮華経(法華経)に変えるべきという主張を繰り返します。(通算すると3度の諫言)それでも幕府の考えは変わりませんでした。
というように暴れん坊、日蓮は、散々やりたい放題やった挙句…
「なんで皆わかってくれないんだ」
「もういい」
…と、さしもの日蓮も、とうとう鎌倉を離れる事を決意したのです。
そして日蓮は、見延山に入り久遠寺を開くことになりました。
めでたしめでたし…完
日蓮と法然、親鸞
法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)が身分にかかわらず「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えれば救われるとした教義は、圧倒的な庶民の支持を受け広まって行きます。詳しくは「人はみな救われるべきもの~法然と親鸞 探究の道~ - 旅cafe」で確認ください。
対して日蓮は、浄土系に対して徹底的に否定して相いれない構えを見せて ”天下国家を導く” … ”自分の開いた教義が国を救う” 的な方向に進んでいったようです。
鎌倉に拠点を設けて幕府に働きかけ、危険人物、反乱分子と見られて伊豆、佐渡に流された事からもわかります。
管理人の独り言
鎌倉時代ってなんか中途半端で印象に残らないんです。平安時代の華やかさ、戦国時代の痛快さの間に挟まれてパッとしない。
でも、仏教という文化に着目して鎌倉時代を見ると…無茶苦茶面白いのが鎌倉時代なんです。
今回の記事は…
臨済宗(栄西)
曹洞宗(道元)
…の禅宗に関して、あまり触れずに流しましたが、 ”禅” は、面白いんです。禅だけで一本記事を書こうと思ってまして、次の記事で禅を特集します。
世界のエリート、著名人が心酔し、受入れ、取り入れている座禅、禅。
日本の誇るべき文化の禅を、次、語ります。