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旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。…当ブログ記事は転載OK…リンクを貼っていただけるなら遠慮なくお好きにお使いください。

宮崎神宮

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日本の初代天皇
神武天皇を祀る社 宮崎神宮

神武天皇を祀る社っていったら、奈良の樫原神宮じゃないの」…っていう皆さんの声が聞こえてきました。

確かに樫原神宮は、凄い!
神武天皇を祀っていまして超有名。神武天皇天皇に即位した、日本国の始まりの地として、皇室とのつながりの強い格式の高い神社です。

でも…宮崎神宮も負けちゃいませんよ。(チョットだけ小さい声になった…笑)

橿原神社が日本国の始まりなら、宮崎は神が地上に降り立った地、神武天皇の東征出発の地なんです。

創建についても明治23年創建の橿原神社に対して宮崎神宮は、鎌倉時代初めにはすでに存在していました。

今回は、そんな宮崎神宮を解説をしてゆきます。

宮崎神宮 成立ち

主祭神 神武天皇

相殿神 左 鵜鷀草葺不合尊(御父君)
    右 玉依姫命   (御母君)

宮崎神宮は、宮崎市にある旧社格官幣大社の神社ですが、日向国の一之宮は都農神社です。

宮崎神宮は、初代天皇神武天皇が東征以前に宮を営んだ場所で、江戸時代まではただの一神社でした。明治維新以降、の国家神道天皇中心という神道の神話をリアルなものとして教育する)の一環で脚光を浴びるようになりました。

その後、境内は整然と整備されており、広大な敷地の中に本殿や社殿が配置されています。奈良の橿原神宮のように、派手な造りではありませんが、神々しく、風格が感じられます。

歴史は古く、神武天皇宮、神武天皇御廟などと言われていましたが、明治6年に「宮崎神社」と改称し、更に5年後「宮崎宮」と改称、大正2年に  ”神宮” 号が許可されて現社名「宮崎神宮」となったのです。

宮崎神宮 神武東征出発の地

宮崎神宮の「西神苑」には、古代の船を再現した全長12mの「おきよ丸」を見ることが出来ます。この古代船「おきよ丸」は西都原古墳群から出土した舟形埴輪(はにわ)をモデルに綾町の工芸作家らが宮崎神宮の神木と県産スギを材料に使い製作したもので、重さは約1.3トン、製作費1000万円。

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宮崎神宮の西神苑に展示されている古代船「おきよ丸」

毎年10月には、約140年の歴史を誇る「神武さま(宮崎神宮神幸祭)」宮崎県を代表する祭りが行われます。その際、 ”おきよ丸” も宮崎神宮から御旅所まで練り歩きます。

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「神武さま(宮崎神宮神幸祭)」で引き回される、おきよ丸

慌ただしく出発準備
日向市・美々津港には、神武天皇を祭神とする立磐神社があります。参道右側には神武天皇が座ったとされるお腰掛け岩があり、岩そのものがご神体として崇拝されています。

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立磐神社とお腰掛け岩

古事記によると神武天皇は、15歳で皇太子に即位しまして日向の宮で政をとり行っていましたが…
イワレビコノミコト(即位前の神武天皇)は、葦原の中つ国(日本国)の統治を試みます。 ”兄上。天下を安らかに治めるためには、東の大和を目指すべきだと思います” 
と兄であるイツセノミコト(五瀬の命)に言い出します。』
…弟のひと言で目的地が大和に定まりました。

東征を決意された神武天皇は、兄の五瀬の命(イツセノミコト)や諸皇子、大勢の船軍(ふないくさ)を率いて美々津で出港の準備をしていました。

美々津のお船出伝説では、8月朔日(旧暦8月1日)のこととしている。

当初予定のときは天候が悪く、船出を見合わせたが、天候が回復したので、出港を8月1日の夜明けに決めた。神武天皇は慌ただしく出発の用意をする中で、着物のほころびに気付いた。

しかし、衣服を脱いで繕う暇がなかったので、立ったままでお付きの者が縫った。美々津のことを、別に「立縫いの里」と呼ぶのはこのことに由来しているといいます。

土地の人々は神武天皇の船出に合わせて、もちを作る用意をしていたが、出発が早くなったので、間にあわなくなった。それで急いで、もちとあんを一緒についた「つき入れ」を作って差し上げた。以来、これは美々津の名物となっています。

また、早朝の出発のために寝ている人々を起こすことになって「起きよ、起きよ」と家々を起こして回った。このことが伝承されて、美々津では8月1日に「おきよ祭り」が行われる。

神武天皇の船軍は、沖の七ツ礁とーツ礁の間を通っていった。この船軍は再び国に帰ることはなかったので、その後この岩礁の間を船で通る者はいない。

宮崎神宮 境内案内

神武天皇は初代天皇にご即位するまでは、神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレビコノミコト)と呼ばれていました。

天照大御神から五代目の御孫にあたります。鵜鷀草葺不合尊(鵜戸神宮ご祭神)の第四皇子で、母は玉依姫(タマヨリヒメ)。

神武天皇は、生まれつきご聡明で武に富みご性格もしっかりした方でしたので、御年十五歳の時、皇太子に即かれ、宮崎で政治をお取りになりました。しかし、当時は未だ全国統一がなされた時代ではなく、皇威が全国に輝くというわけではありませんでした。

そこで天皇は皇威を広めようと仰って、四十五歳の時に、都を中央に遷すべく、宮崎をご出発になりました。

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神武東征

先ず宮崎から陸路北へ進まれ湯の宮でお泊り御湯を召され、次に甘漬(あまつけ)や都農(つのう)では武運長久(ぶうんちょうきゅう)のお祀(まつ)りをされ、更に北に向かい美々津の港(立磐神社)から船出されたと伝えられています。

それでは、境内のご案内に入ります。

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宮崎神宮 正門
参道を進み正面に現れるのが宮崎神宮正門です。重厚な構えの四つ足門。間口5.5m、円柱の本柱と控柱で支えられた屋根は、切妻造りの銅板葺きとなっています。

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宮崎神宮 玉垣
正門の東西に延びる垣で総延長109mで森と神の領域を分けています。土台の基壇の上に縁ちゅうを立て銅板瓦ぶきの屋根を乗せ、柱の間には木柵が取り付けられています。

正面に門、左右に玉垣、左右対称の美しい建物が境内で全域にわたって建てられています。

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宮崎神宮 拝殿
こちらは、神を拝む場所で切妻造りの銅板葺き屋根を12本の円柱で支えています。

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宮崎神宮 幣殿
こちらは、神前に供物を捧げる社殿の一つになります。建物の幅は12.7m、屋根は切妻造りの銅板葺きです。

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宮崎神宮 参道の燈籠
近年たてられた参道の燈籠です。日が落ちると灯がともされます。日が落ちてから訪れるのも宮崎神宮の楽しみ方の一つです。

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宮崎神宮 利用案内

拝観料:無料
駐車場:有り(無料)
所在地:宮崎県宮崎市神宮2-4-1

管理人の独り言

神話の国、宮崎。今回は宮崎神宮、初代天皇神武天皇が主役となりました。

神武天皇の東征…各地を転戦し、大阪で一回は敗れて兄の五瀬の命(イツセノミコト)を失うも、立ち上がった神武天皇

熊野から再起を果たし、見事大和朝廷を打ち立て、初代天皇に即位する壮大な物語の出発点が宮崎県の日向なんです。

そんな事を思い浮かべながら宮崎神宮を参拝していただきたいと思います。

 

 

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