NHK 知恵泉
明治の情報革命 近代郵便制度の創設者 前島密
今から140年前の明治の初め、現代と同じように、いつでも、どこでも、誰にでも情報を行き渡らせようとした男がいました。
郵便制度を立ち上げた前島密です。…1円切手の肖像画となっている人物が前島密です。
時は幕末から明治という新たな時代に代わる大転換期、日本中を旅した前島密は、その途中、欧米では国中どこにでも情報のやり取りが出来る郵便制度があり、それが国を豊かにしている事を知ります。
一方、当時の日本の通信を担っていたのが飛脚、雨が降っては休み、時間にもルーズ、…日本の近代化には情報革命が欠かせない…明治政府の役人となった前島は、郵便制度を立ち上げようと動き出します。
しかし、その道のりは苦難の連続でした…
1.お金の問題…郵便制度立ち上げには多額の資金が必要でした
2.既存勢力の飛脚たちが猛反発
前島はどのようにしてこの難題を克服していったのでしょうか…。
知恵その一
限りある資金を
最大限に活用せよ
郵便制度立ち上げを決意した前島密に、初めに立ちはだかったのがお金の問題でした。戊辰戦争に多額の金を費やした明治政府には、新たな制度を立ち上げる資金がありませんでした。
どうすれば財政難の政府を説得することが出来るだろうか…思案する前島は政府の資料からある事実をしります。…それは、東京から京都大阪まで政府の文書を運ぶために毎月1500両を使っている事でした。
前島はこの金をもっと上手に活用する事で政府を説得できるはずだとひらめきます。
その仕組みは、
①1500両を元手に東京から大阪まで新たな通信網を作ります。
②従来は政府の郵便しか運ばなかったが民間の郵便も請け負います。
③民間から配達費用をとる事で新たな利益を生み出す。
財政難の新政府にとって付加価値を生み出す前島の提案は、魅力あるものでした。…前島の案は見事採用。
早速、前島は1500両を元手にシステム作りに着手します。…郵便の試験運用場所に選んだ東海道に62ヶ所の郵便取扱書を設置、近隣から寄せられる郵便物はまずこれらの取扱所に集められる事にしました。
更に取扱所に役人を置いて、郵便物の引き受け、管理、出立も管理、毎日決められた時間に郵便物を送りだす事を義務付けました。
ここまでは順調!!…しかし、取扱所で作業にかかる時間がまったく分かりませんでした。…そこで前島は徹底的なシミュレーションを行います。
手紙の振り分けや帳簿の記入にどれだけの時間がかかるか…妻の なか や家族の協力のもと繰り返し実験を行いました。
その結果、仕分け時間を含めた東京、大阪間の総配送時間を78時間と割り出しました。これは東京から大阪まで平均6日(144時間)かかる飛脚と比べ半分という驚異的なスピードでした。
1871(明治4)年3月1日 東京~大阪間という限られた範囲ですが毎日決まった時間に運ばれる郵便が始まりました。
東京・大阪間の郵便制度、いわば動脈を築いた前島ですがあの1500両はこれで使い果たしてしまいました。日本中に毛細血管のように通信網を張り巡らせるには、全国各地に郵便取扱所を作らなければなりません。
前島はある秘策を実行します…それは眠っていた民間のパワーを生かす事でした。
声をかけたのが江戸時代、地域のまとめ役として活躍した名主たち…明治になり、役割を失っていた彼らに自宅を郵便取扱所として開放し、郵便業務に携わるよう呼びかけたのです。
そして前島は引き受けた者に任命状を与えました。これは彼らが政府の国造りを担っている事を認定するお墨付きです。
前島の読みは見事的中します…報酬はほとんど与えられなかったにも関わらず、全国の名主たちが次々と協力を快諾、スタート時には62か所だった郵便取扱所が2年で1100ヶ所を超えたのです。
知恵その二
昨日の敵は
今日の友
全国に情報ネットワークを広げたい前島ですが、まだ2つの大きな悩みを抱えていました。
1.全国の取扱所に郵便物を運ぶマンパワーの確保
2.飛脚の処遇です
前島の郵便制度が始まった事で飛脚たちは仕事が激減、そのため飛脚たちは近距離配達の料金を郵便の半額にするなど対抗姿勢を見せます。
この2つの問題を解決するために前島は、飛脚業者のまとめ役、佐々木荘助を呼び出し、直談判を始めました。
君たち飛脚は
一通の手紙を鹿児島に送り
さらに根室に送るには
どのくらいの
料金がかかるのか
回答:特使を出しても難しいから料金は何十両かかるかわからない。
ではこの手紙を
釜山に送るためにはどうだ
イギリス、アメリカはどうだ
フランス、ロシアに
送る事はできるか
回答:どうやって送ればよいか全くわじゃらない。
ここが説得時と考えた前島は、…「君たち飛脚業者で新しい団体を作り、我々政府の郵便事業のために、働いてくれないだろうか。
前島の秘策は彼らを仲間にする事でした…飛脚業者に郵便物の配達業務を請け負ってもらい、代わりに彼らに一定の収入を約束したのです。
佐々木はこの提案を受け入れ、新たな会社を設立、この会社が日本中に郵便を運ぶ重要な役割を担う事になりました。
こうして全国どこにでも情報を行き渡らせる新たなシステムが日本で始まります。飛脚というライバル、名主、資金など元ある力を上手く活かす前島の知恵があってこそ日本の郵便制度は確立したのです。
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前島 密(まえじま ひそか)
天保6年1月7日(1835年2月4日) - 大正8年(1919年)4月27日は、日本の官僚、政治家。日本の近代郵便制度の創設者の一人で1円切手の肖像で知られる。「郵便」や「切手」、「葉書」という名称を定めた。その功績から「郵便制度の父」と呼ばれる。
前島は晩年を別荘「如々山荘」で過ごした。この別荘は三浦半島西海岸にある浄土宗寺院、浄楽寺の境内にあった。前島夫妻の墓所も浄楽寺境内にある。郵政民営化を断行した小泉純一郎の選挙区(神奈川県第11区)内である。