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50年を越えて…JFKの遺志 ケネディ暗殺は阻止できた? …弟・ロバート氏”訪日に秘話”

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ケネディ大統領とキャロライン)

フジテレビ 新報道2001

50年を越えて…JFKの遺志
弟・ロバート氏”訪日に秘話”
ケネディ暗殺は阻止できた?緊急追跡 ”50年の証言”

ケネディ大使 ”異例の歓迎”
日本との交流は50年前から…
テキサス州ダラスに鐘の音が鳴り響く、50年前あの暗殺事件が起きたあの時刻(1963年11月22日)、事件現場のテキサス州ダラスで追悼式典が行われた。

いまだにケネディ人気は衰えない…アメリカで出版されたケネディ元大統領に関する本は、今年だけで100冊以上だという。

一方、娘・キャロラインの本も50年前、日本の少女から歓迎されていた…

講談社資料センター 小塚昌弘 部長
「キャロリンという表記だったにたいです…」

キャロリン日記というコーナー、当時5歳だったキャロラインさんのホワイトハウスでの生活の様子などを伝えていた。

外国の優雅な生活は、当時の日本の少女たちの憧れだった…ケネディ元大統領の死の1年後の ”キャロリン日記” に日本の子供たちとの交流が描かれていた。

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(週刊『少女フレンド』)

「わあ、ママ、日本の子供たちからの小包と手紙よ」
9月のある朝、キャロリンちゃんは大声で叫びました。
「ブルーバード・青い鳥幼稚園ですって。素敵な名前ね」
(週刊『少女フレンド』より)

キャロラインさんを励まそうと神奈川県の幼稚園児たちが大量の手紙や絵、そして日本のオモチャを贈って来たという。

「キャロリンちゃん、素敵なお父様を亡くして、さぞ悲しいでしょうね。でも頑張ってちょうだい。そしてお父様のような立派な人になって下さい」
(週刊『少女フレンド』より)

感動したキャロラインさんは、幼稚園に手紙や絵を贈ったという…あれから50年、オバマ大統領の信任状を天皇陛下に手渡し、キャロライン・ケネディは正式に駐日大使となった。

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(信任状奉呈式)

ケネディ駐日米大使
「母国を代表することができて大変光栄に思います」


新任大使をおもてなし…
昭和・平成を刻む ”馬車”

ケネディ大使を感動させたのは、皇居への送り迎えに使われた皇室の馬車、沿道の大きな歓声の中、1キロの道のりを儀装馬車に揺られた。

皇室の儀式にも使われる特別な馬車、そこには新任の大使に光栄な気持ちを味わって欲しいという日本流の歓迎の気持ちが込められていた。

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この儀装馬車、1号から4号まであるという…
1号車:1928年 昭和天皇即位時に使われた
2号車:1959年 陛下と美智子さま 「世紀のご成婚」 に使われた
3号車:天皇即位後の伊勢神宮参拝で十二単姿の美智子さまが乗られた

そして駐日大使の信任状奉呈式で使われるのが4号車、外国との国際親善に大きな役割が果たす馬車だという。


50年を越えて…JFKの遺志
安保闘争の渦中に ”幻の訪日”

キャロライン・ケネディ氏は政治家としての経験はほとんどない…それは今まで何度もオファーがあったのだが断り続けていたからだ。

しかしなぜキャロラインは駐日大使の職を受けたのか…大使就任、承認のための公聴会、上院の外交委員会で彼女は…

キャロライン・ケネディ
「日本以外の国に就任したいとは思いません…」

…と言いきっていました。

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なぜ彼女は、日本にこだわるのか…そこには父・ケネディがやり残した日本への思いが根底にある…亡き父の代わりに自分がその仕事をやり遂げようとしているのだろうか。

ケネディ大統領は、現役アメリカ大統領として初の訪日が決まっていた…

「政治的に、本当に問題なのは日本だ…アメリカへの影響が非常に大きいからね」(『ジョン・F・ケネディ ホワイトハウスの決断』より)

なぜケネディは日本を重要視していたのだろうか…?

明治大学名誉教授 越智道雄
「安保反対闘争が日本では荒れ狂っていた。アメリカ側から見ると日本全体が反米だと…日本は遠からずソ連や中国の方に行くだろうと…ケネディは何とかこの状況を打開するために弟・ロバートを日本へ派遣したのです」


50年を越えて…JFKの遺志
弟・ロバート氏”訪日に秘話”

1962年、ケネディ大統領の弟・ロバート司法長官が来日した…訪日の大きな目的の一つが早稲田大学の訪問、それは無謀とも言えるものだった。

安保闘争が覚めやまぬ時に学生の中に飛び込み、対話集会を開くというのだ。ロバートが ”議論で一番元気のいい大学を” ということで早稲田大学を選んだそうだ。

反安保の学生からは野次が飛び、講堂内は騒然とした。すると…

ロバート・ケネディ司法長官
「あの人に壇上に来てもらって何か質問があるのならお応えする」

…なんと最前列で声を上げていた学生を壇上に引き上げたのだ。

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ロバート・ケネディ司法長官)

ロバートに引き上げられた学生・高橋さんに話が聞けた…

早稲田大学 自治会委員長 高橋雄三さん
「手を挙げて ”話が違う、何言ってんだ” と野次ってたら、自分から舞台の袖まで来て両手で私を引き上げてくれました。ジェントルマンだと思いましたよ」

ロバート氏は、民主主義の利点は、 ”話し合う事だ” と反対派の意見に真剣に耳を傾けた。しかし会場は大混乱、…見かねた応援部の学生が校歌斉唱を促した。

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(応援団の学生が校歌を指揮)

都の西北 早稲田の杜に
そびゆる甍は われらが母校
われらが日頃の 抱負を知るや
進取の精神 学の独立
現世を忘れぬ 久遠の理想
輝くわれらが 行手を見よや
わせだ わせだ わせだ わせだ
わせだ わせだ わせだ

学生たちが一体となって大合唱、この時、数千人の学生たちは驚いた…なんとロバートが一緒に歌っていたのだ。しかもエセル夫人までもだ。

拍手が講堂を包み、騒動は一件落着、…

早稲田大学 自治会委員長 高橋雄三さん
「的ながらあっぱれ、大したもんですよ…考え方や立場が違っても堂々として乗り込んできてやりあうという、その姿勢は政治家として、なかなか世界を見てもいないんじゃないですかね」

その後、早稲田での行動を無礼だと感じた学生がロバート夫妻に謝罪の手紙を出したところ、エセル夫人より返信が…

「私たちは早稲田の歌を聴いて校歌を覚え頻繁に歌っています」(『エセル夫人の返信』より)

早稲田校歌は夫妻にとって日本での思い出の曲となった…実はこの会場には、将来総理大臣となる一人の青年がいた。

小渕恵三 首相(当時)
「私はその場にいたんです。今でも会いますとね ”都の西北” を歌うんです…エセル夫人が」

早稲田の学生だった小渕氏は、ロバートの講演を聞き感激、面会をしたいと手紙に書き、アメリカ司法省に送ったところ、面会が実現した。

ロバートは、 ”政治家になったらワシントンで会おう” と歓迎、…小渕青年は政治家になっても分け隔てなく誰にでも会おうと決意、その後、総理となった彼は、自ら様々な人に直接電話をし、その行為は、 ”ブッチホン” と呼ばれ人気を集めた。

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(小渕元総理)

しかしロバートの訪日後、2年後に予定されていたケネディ大統領の訪日は実現しなかった…それは訪日予定の2か月前に凶弾に倒れたのです。

その後、ロバートも6年後に暗殺される事になる。…父の遺志を継いでやってきたキャロラインについて幼少期から彼女を知るクリント氏は、…

シークレットサービス クリントンヒル
「彼女は素晴らしく知的です。少しシャイですが周りの全ての人々が幸せであるように気を配るのです」


50年を越えて…JFKの遺志
ケネディ大使 ”広島へ行く”
キャロラインは二十歳の時、叔父のエドワードと広島を訪れていた…

当時で迎えた畑博行氏(近畿大学名誉学長)
「当時のアメリカでは、 ”広島に行く” と言ったら、あまりいい顔されなかったんじゃないですかね…でも広島の市民としては悪い感情を持っていませんでしたね」

必ずしも歓迎されていない場所にあえて飛び込んで行く、それがケネディ一族の伝統と言えるのかもしれない。

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(キャロライン氏 20歳 広島にて)


JFK暗殺は阻止できた?
緊急追跡! ”50年の証言”

キャロライン赴任から1週間後の11月22日は、父親のジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されてから50年後にあたる。そんな記念すべき年に隠された証拠の存在が浮かび上がった。

1953年11月22日、事件はテキサス州ダラスで起きた。パレード中に狙撃されたのだ…キャロラインは5歳で父を失った。

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(反射的に飛び散った夫の脳を集めようとするジャクリーン夫人)

ケネディ暗殺がいまだ多くの謎に包まれているのは、暗殺の容疑者として逮捕されたオズワルドが2日後に射殺されてしまったからだ。

様々な憶測が飛び交った…
・複数犯説
・CIA説
・外国の陰謀説
…しかし暗殺の公式調査委員会は、オズワルドの単独犯行であるり、背後に外国や組織の存在は確認できないとした。

ところが今でも暗殺に関する本が次々と出版されている、中でも信頼性が高いと注目されているのが公式調査を行った 『ウォーレン委員会の証言』 執筆者は元ニューヨークタイムズ・ワシントン支局の記者、フィリップ・シノン氏だ。

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(フィリップ・シノン著『ウォーレン委員会50年目の証言』)

執筆のキッカケは5年前、シノン氏の元にかかってきた1本の電話、それはウォーレン委員会の元スタッフからだった…

”君は我々の話を語るべきだ” …FBI・CIAは暗殺の陰謀説にまつわる証拠を隠蔽している可能性があるというのだ。

FBIやCIAは、オズワルドが危険な存在である事を暗殺前に知っていた、その事実を隠していた…謎に包まれたケネディ暗殺の真相、シノン氏は5年の歳月をかけて調査を行った。


JFK暗殺は阻止できた?
FBI、CIA…隠ぺいの謎

”ウォーレン委員会” とは、…ケネディ大統領暗殺事件を検証するため、暗殺の1週間後にジョンソン大統領により設置された調査委員会である。

ウォーレン委員長の元16人の法律家のスタッフが調査を行った…当時若き弁護士だったスタッフのスローソン氏がシノン氏の取材に協力したのだ。

ウォーレン委員会 スローソン氏
「私は外国の陰謀説を担当した」

ケネディ氏暗殺は冷戦のさなかに起きた…1年前にはキューバを舞台に米ソ間で核戦争寸前の事態になったキューバ危機が起きている。

キューバカストロ暗殺計画がCIAによって実行に移されたが失敗に終わっていた…それを知ったカストロケネディに怒りを露わにしたという。

スローソン氏は、オズワルドがケネディー暗殺直前にメキシコシティーキューバ大使館を訪れていた事実を掴んだ。

更にスローソン氏は、メキシコ大使館の極秘電文を入手、そこには、 ”カストロはこのような方法(暗殺)で復讐するタイプの人物だ” と書かれていた。

オズワルドの背後にはカストロの存在があるのか…スローソン氏はオズワルドの存在を追ってメキシコに飛んだ。

そしてある女性と接触を試みる…シルビア・デュランというメキシコ女性だ。

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(シルビア・デュラン)

ウォーレン委員会 スローソン氏
「彼女は共産党員でオズワルドが出入りしていた時、キューバ大使館で働いていました。オズワルドと大使館職員がどのようなやり取りをしたか知っている証人です」

デュランはオズワルドの愛人だという情報もあった…彼女を問い詰めれば暗殺の首謀者が分かるかも知れない。

しかしメキシコ当局がデュランの調書を許可しなかったため、スローソン氏はアメリカにデュランを連れ出そうとする。

ところが…ウォーレン委員長は認めませんでした。委員会は共産主義者と話をしないと言ったのです。

ウォーレン委員会 スローソン氏
「バカバカしいと思いました…本当の理由ではないと思ったからです」

”これ以上捜査したら自分たちにとって都合の悪いCIAのスパイ活動が明らかになる” …ウォーレン委員長はこれを恐れたのです。

結局、デュランの調書は実現せず陰謀説の調査は終了した。

ウォーレン委員会の結論は、 ”外国の陰謀は存在しない” というものになった。


JFK暗殺は阻止できた!
証拠は語る ”隠ぺいと疑惑”

しかし、シノン氏の調査でその結論を覆す新たな証拠が見つかる…その一つがCIA元メキシコ支部長スコット氏の回想録だ。

CIAメキシコ支部長はウォーレン委員会に対し、外国による陰謀説は無いと証言した…ところが7年後、亡くなる直前の回想録には…

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(CIA スコット氏の回想録)

「オズワルドは、ケネディ暗殺を含むいくつかの事項で、ソ連のために活動していた工作員容疑者だったと思わせる」(『CIAメキシコ支部長 スコット氏の回想録』より)

もう一つ驚くべき証拠が発見された。当時のFBIフーバー長官がウォーレン委員会に書いた手紙だ…

「オズワルドがキューバ大使館で ”私はケネディを殺してやる” と言った」(『FBIフーバー長官の手紙』より)

”まさにオズワルドがキューバと繋がる事を示唆する決定的な証拠”、ところがこの手紙はウォーレン委員会に届かなかったのだ。

ニューヨークタイムズ フィリップ・シモン氏
「… 手紙は不思議な事に、CIAのファイルから見つかりました。今でも生きているウォーレン委員会の弁護士たちは、 ”そんな手紙は見なかった” と怒っています。

CIAとFBIは、メキシコシティーで積極的な調査を望んでいなかったのは明らかです。なぜなら積極的な調査をしていれば、彼らが暗殺を防ぐための十分な情報を知っていた事が分かってしまうからです。…」

またもし大統領暗殺に共産主義国が関わっているという証拠が出てくれば国際的な危機を引き起こす恐れもあった。

シノン氏は、著作の最後にこう記している…

「私の目に明らかなのは、50年以上、アメリカ政府の上層部の役人たちが、暗殺とそれに至る出来事について嘘をついてきたということである。…特に誰よりもCIAの高官たちが…」(『ウォーレン委員会50年目の証言』より)

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訪日直前に凶弾に倒れたケネディ大統領、日本を訪れるというかなえられなかった父の思いを胸に来日したキャロライン・ケネディは、日米関係をより強化できるのであろうか。

 

 

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