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古代都市ポンペイの真実 ~新発見!54体の人骨の謎~

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NHK BS歴史館
古代都市ポンペイの真実 ~新発見!54体の人骨の謎~

人類が最も幸福だったと言われる古代ローマ時代、人々が享受していた豊かな暮らし、その息吹を当時の姿で今に伝える遺跡がイタリア南部にあります。

古代ローマ都市、ポンペイです。…ポンペイは西暦79年、近隣にあったベズビオ山の噴火によって突如灰に埋もれてしまいました。…その為、まるでタイムカプセルのように2000年前の町が奇跡的に保存されてきたのです。

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そんなポンペイで近年大発見がありました…新たに発見された建物の地下から様々な年齢や性別の54体もの人骨が見つかったのです。

当時この地に生きのびた人の骨、最新技術による分析の結果、様々な新事実が明らかになってきました…徹底調査によって明らかになって行く2000年前の驚くほど進んだ暮らし、古代ローマの繁栄とその秘密を解き明かします。


古代ローマ都市
ポンペイを襲った悲劇

古代ローマ、紀元前8世紀に建国しその後広大な領土を支配した歴史上、類を見ない超大国です…ポンペイの町があったのがそんな古代ローマの最盛期、いまは多くの観光客で賑わうこの町がまるで2000年前の姿を今にとどめる理由、それはポンペイを襲ったある悲劇でした。

西暦79年、ベズビオ山の噴火により、20mを超える火山灰の下にポンペイの町は埋まり、1500年以上も忘れ去られていたのです。

火口から3万メートルの高さまで真っ直ぐに立ち上った真っ黒な煙の柱、人々は恐れおののきパニックに陥ります…そのうち火山歴が降り注ぎ、人々は家財道具を持って町を抜け出します。

そして噴火の翌日、ついに火砕流が発生し、町を飲み込んだのです。

しかし、そんなさ中、町に残った人々がいたのです…それが近年、新たに地下室から発見された男女54体の人骨です。…最新技術で様々な事がわかって来ました。

1.54人は、様々な身分、職業の人たちだった。
2.全員、バランスのとれた豊かな食生活を送っていた。

高価な装飾品を付けた人、大量の金貨を所有していた人、小銭しかもっていなかった人などが54人の内訳だったのです。


古代ローマの制度、体制とは?
18世紀末から19世紀初めにイギリスで産業革命が起こります…そこで大きく生活レベルが上がる、その時までは、いつの時代もルネッサンスフィレンツェ、ベルサイユ宮殿が出来たパリでも古代ローマの生活、制度を凌駕することは出来なかったと言われています。

古代ローマは、非常に統治の形が良かった…快適に暮らせるインフラ、社会的なインフラも含めて良かった…近代の我々が理想としていた社会が出来ていたのです。


古代ローマ
なぜ豊かな社会を実現できたのか?

ローマ繁栄前、紀元前5世紀頃に最盛期を迎えた古代ギリシャと比べると、ローマは数倍の豊かさと平和を実現しているのです。

ギリシャは地中海沿岸に植民都市(ポリス=都市国家)を作りますがみんな小さな単位なのです…ですから常に戦争状態だったのです。

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ローマはギリシャから学んだのです…都市国家では争いばかりが起きる…ならば地中海全域をまとめる領域国家になれば豊かになれるのではないかと…実際に古代ローマとして地中海沿岸を統一、領域国家として豊かで平和な統治を実現させたのです。


ローマの社会システム
奴隷制」とは?

地下から見つかった54体の骨、その中にはアフリカ系の若い男性の骨があったのです…しかし奴隷ではなく、宝石を身にまとっていた痕が残されていたのです。…このアフリカ系の男性は贅沢な暮しをする階級にあったと考えられます。

帝政時代のローマの階級制度は、
1位 トップに皇帝
2位 元老院
3位 騎士階級
4位 市民
5位 奴隷
というピラミッド型です。

ローマは次々と領土を広げて行き征服地からや移住者が奴隷となったのです。…その為、ローマの奴隷には様々な人種がいたのです。

仕事も才能に応じてバラエティーに飛んでいました。
・主人の子供たちの家庭教師、ギリシャ人など教養の高かった奴隷。
・名告げ奴隷…市民の名前や地位、噂話など役人に伝えます。
・演奏奴隷…主人のデートを盛り上げます。
ローマ奴隷は命を脅かされるような事は無く、最低限の生活保障まであったのです。…私たちがイメージする奴隷像とは大きく異なっていたのです。

それだけではありません…ローマの奴隷制の最大の特徴は、主人の許しを得たり、一定の金額を払えば自由の身にもなれたのです。…解放奴隷と呼ばれる自由になった奴隷たちです。

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ケンブリッジ大学 アンドリュー・ハドリル博士
古代ギリシャともアメリカとも違う古代ローマ奴隷制の特徴です…奴隷は自由の身に成れるだけでなく、市民の権利を享受し、金を稼ぐことも出来ました。尊厳を保つ事が出来たのです」

54体の骨のDNAを調べると様々な階級、身分の人がいたと思われる全ての骨で十分な栄養が取れていたとの分析が出ました…つまりポンペイは、裕福な人も貧しい人も分け隔てなく、健康的に暮らせるだという事です。


国立西洋美術館 青柳正規 館長
『ローマの奴隷というのは、私たちがイメージしているアフリカからアメリカへ連れてこられて、南部の綿花畑で強制労働させられていた黒人とはまったく違います。

ローマの奴隷は自由でした…当時の小説『サテュリコン』に出てくる奴隷は身分を40年間奴隷である事を隠してきたという事が書かれているのです。…つまり一般市民と区別がつかないくらいの自由を持っていたという事なんです。

ローマの奴隷を現代の日本に例えると、一般のサラリーマンだと思います…ようするに働いている人たちです。…奴隷でもある程度んお生活を保障されているし、生きたい人生を生きられるのです。

だからローマの場合は、奴隷という言葉自体が違うのだと思いますね。』


古代ローマの栄枯盛衰
超大国の統治方法

イギリス・イングランド北部、ここにローマ帝国拡大の象徴ともいえるものが残されています…国を東西に貫く、ハドリアヌスの長城…全長118キロに及ぶローマ時代の国境線です…ローマ帝国の領土は遠く離れたこの地まで広がっていました。

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ローマ帝国は2世紀、最盛期を迎えていました…国土はヨーロッパからアフリカ北部まで広がり、人口は世界全体の1/4を占めました。…各地に新しい都市を建設し、街道を網の目のように張り巡らせる事で流通を活発化させました。

アフリカ・アルジェリアに残るローマの遺跡、当時の地方都市ティムガッドです。…剣闘士のショーや演劇などを行う劇場、遺跡の中に14もある公共浴場、アフリカの地であっても人々は、ポンペイと同じように毎日入浴を楽しめました。

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アフリカだけではありません…スペイン(タラゴナ)、イギリス(セント・オールバンズ)、トルコ(エフェス)、チェニジア(エル・ジェム)にもローマ帝国の支配地にはあらゆる場所に円形闘技場や浴場を備えた最先端の都市が作られました。

ローマの傘下に入れば快適で幸せな生活が待っている…帝国はローマン・スタンダードと呼ばれるあこがれを輸出することで人心を掌握し、円滑な統治を実現したのです。…およそ200年に渡り、ほとんど戦争も無く、人類が最も幸福だった時代と呼ばれたのです。

しかし、そんなローマも
永遠ではありませんでした

ローマを支えていたのは領土拡大政策、しかし、それには限界がありました…帝国最大時、国境の長さは1万2000キロ、その維持費と軍事費は国家予算の半分にまでなっていました。

これが次第に財政を圧迫して行きます…貨幣の質は悪化し、大量発行によって社会は不安定に国は荒れ内乱も頻発、帝国は混乱の極みに陥って行きました。

隙をついてゲルマン人などの異民族が侵入、ローマ帝国は国境線を定め、内政の充実に方向転換を図りました。…しかし領土拡大政策を捨て、あこがれの輸出をやめた時、もはやローマがかつての輝きを取り戻す事はありませんでした。

395年、あまりにも膨れ上がった帝国は、ついに東西に分裂、そして史上最大の超大国は終焉の道をたどるのです。

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元財務官僚 榊原 英資
『繁栄がある程度続くと繁栄を前提とするのです…そして繁栄を維持すると軍事費が高くなる…次に福祉を充実させる…人々は福祉があるのは当然だと思うようになる…そうすると財政破綻ですよ…確実に財政破綻します。

財政破綻が起こると通貨を大量発行します…インフレになって金融がおかしくなる…だいたい国家が衰亡するときはこのパターンです。

かつてのローマと今のアメリカをだぶらせる事も出来ますし、ローマと先進国全体をだぶらせる事も出来ます。

当時のゲルマンに相当するのが中国とかインドって事になる…まさに歴史は繰り返しているんです。

民主的な国家だと福祉を切るのは極めて難しい、税金を上げるのも極めて難しい…しかし両方ともやらなければ我々もローマがたどった道を歩む事になるのです。…歴史を学んだ事にはならないって事なんですね。』