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映画 『ローマの休日』 に隠された意外な事実 ”赤狩り”の嵐の中で

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BS歴史館 映画 『ローマの休日』 に隠された意外な事実
赤狩り”の嵐の中で・・・

1911年ハリウッドに最初の撮影所が誕生して今年でちょうど100年、ここで生まれた感動の名画と華やかなスター達が世界を魅了し続けてきました。

その最も鮮やかな組合わせはスクリーンの妖精、オードリー・ヘップバーン主演「ローマの休日」(1953年)です。・・王女と新聞記者の身分を超えたラブストーリー、数々のアカデミー賞に輝いたローマの休日、しかしこのロマンティックコメディーの背景にはアメリカの闇の歴史が刻み込まれていました。

 

赤狩り 反共産主義

赤狩りは第二次大戦後激化した共産主義排斥運動、最初に狙われたのがハリウッドの映画人たちでした・・ローマの休日の脚本家は、共産主義者としてハリウッドを追放されたダルトン・トランボです。

ローマの休日」監督ウィリアム・ワイラー赤狩りに抵抗する運動の先頭に立った男でした。

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1953年に公開された「ローマの休日」主人公は、ある小国の王女アン、舞台は世界歴訪の最後の訪問地ローマ・・退屈な公務に嫌気がさした王女はひそかにお城を抜け出します。・・そんな王女に偶然出会ったアメリカ人新聞記者ジョー・ブラッドリー(グレゴリー・ペック)。

王女の秘密の行動をスクープ記事にすべく素性を隠し同行します・・かくしてローマの都を舞台に繰り広げられる王女の冒険、この年のアカデミー賞で新人オードリー・ヘップバーンが主演女優賞を獲得、オリジナルストーリー賞も受賞しました。

脚本家は、イアン・マクレラン・ハンターしかし本当の脚本家は、赤狩りにあい、共産主義者としてハリウッドを追放されたダルトン・トランボです。

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赤狩り
アメリカ国内の共産主義排斥運動が起こった背景とは

1929年にウォール街から始まった世界恐慌ルーズベルト大統領はニューディール政策を実施、公共事業による雇用拡大、労働者の待遇改善など社会主義的な政策で恐慌を乗り切ります。

アメリ共産党も勢力を拡大(1930年代 アメリ共産党 7万人を超える)世界恐慌は資本主義経済の弱点を露呈させたのです・・貧富の差を無くそうとするソビエトの政策に可能性を感じる人々が増えていったのです。

更に第二次世界大戦中、アメリカとソビエトは連合国として共にドイツや日本と戦いました・・脚本家ダルトン・トランボ共産党に入党したのもこの時期です。・・しかしソビエトが経済的、軍事的に台頭、東ヨーロッパの国が社会主義化し共産主義の脅威が現実となって行きます。

1947年3月11日トルーマン大統領は、共産主義封じ込め政策、トルーマン・ドクトリンを発表、米ソ冷戦の始まりです・・そして非米活動委員会による赤狩りが始まったのです。

最初のターゲットがハリウッドでした後にローマの休日を書く事になるダルトン・トランボは絶頂期、売れっ子の脚本家でした1947年9月、赤狩りを実施している非米委員会から召喚状が届きます。共産主義に関係した事がわかれば職や財産を失うのです。

1947年9月 非米活動委員会の公聴会が始まります。第一週は、共産主義反対を唱える有名スター(ロナルド・レーガンロバート・テイラーゲーリー・クーパーウォルト・ディズニー)を召喚しマスコミの注目を集めさせました。

注目をさせておいて共産主義反対を盛り上げた後、そして翌週、喚問されたのが共産主義と疑いのかけられている映画人達、ハリウッド・テンと呼ばれる人達です。

証言台に立ったトランボは、共産主義だと認めれば仕事や地位を失う・・しかし共産主義者ではないと証言すれば自らの思想、信条に反する・・トランボ達は証言をしない事で赤狩りに対抗したのです。

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ローマの休日の監督ウィリアム・ワイラー共産主義とは関係無かったのですが赤狩りに反対する急先鋒として立ち上がったのです。

ワイラーは、有名監督やスター達(カーク・ダグラス、ジュディー・ガーランド、フランク・シナトラハンフリー・ボガード、キャサリーン・ヘップバーン、ジーン・ケリー)とともに抗議団体を設立、思想と言論の自由を保障する憲法に反するとして抗議を呼びかけたのです。・・しかし事態は一変します。

1947年11月 アメリカ下院はトランボ達、ハリウッド・テンが証言を拒否したとして議会侮辱罪を可決、すると・・なんと映画製作者協会は赤狩りへの協力を表明したのです。

映画製作者協会 エリック・ジョンストン会長
「ハリウッド・テンが共産主義者では無いと宣言しない限り誰であろうと雇用しません」・・トランボらハリウッド・テンは、キャリアの絶頂期に業界を追放されたのです。

非米活動委員会に逆らえば有名スターでも解雇される・・社会的に抹殺される恐怖、ワイラーの信じた憲法の理念は踏みにじられたのです。

1949年 ソビエトの原爆実験成功でアメリカの軍事的優位が脅かされます。米ソ冷戦の下、赤狩りは激しさを増していったのです。その中心にいたジョセフ・マッカーシー上院議員の名前からマッカーシズムと呼ばれるようになりました。

ハリウッドでも共産主義者ブラックリストが作成され仲間を裏切り密告する者、偽証する者さえ現れます。300名以上の映画人が追放されて行きました。

しかしトランボは、脚本家の仕事を捨てる事はありませんでした。架空の名前で作品を執筆し続けたのです。

赤狩りの嵐が吹きすさむ中、トランボが大作映画を狙い書き上げたのが「ローマの休日」でした・・トランボは、親友の脚本家イアン・マクレラン・ハンターの名前を借ります。・・しかしハンターが自分の名前を使わせる事はとても危険な事だったのです。

親友の力を借りて映画化を目指したローマの休日、監督を務めたのがウィリアム・ワイラーでした当時すでにハリウッドを代表する名匠だったワイラー、アカデミー監督賞にノミネート12回、受賞3回という記録は未だに破られていません。

彼は、映画のタイトルに不思議な言葉をクレジットしています。
「撮影そして編集のすべてをローマで行った」・・スタジオ撮影が常識だったローマの休日はハリウッド映画史上初の前編海外ロケで制作された映画でした。

当時、駆けだしの女優だったヘップバーンをアン王女役に抜擢したのもワイラー監督でした・・ワイラーが監督じゃ無かったらローマの休日は、ローマで撮影されなかったのです。

監督となったワイラーは、映画会社が製作条件を次々と覆して行きます。
まずは主演俳優の変更、当初の構想ではゲーリー・クラントとエリザベス・テイラーでした・・しかしワイラーはグレゴリー・ペックを起用します。・・・ワイラーが代表だった赤狩りの抗議団体にいち早く参加したのがグレゴリー・ペックだったのです。

アン王女役には新人をオーディションで選びました。そこに現れたのがオードリーでした。

オードリー・ヘップバーン
終戦の1年ほど前、1944年の頃には、公演にも参加しました。私なりに何らかの形で貢献出来たらと公演で得たお金をレジスタンスに寄付しました」・・彼女はファシズム政権下で秘密裏にレジスタンスを支援した少女でした。

とりわけワイラーがこだわったのがローマでの撮影でした・・スタジオ撮影を条件にしていた映画会社もワイラーの粘りに譲歩します。・・その代わり予算の関係でモノクロ映画になりました。

ワイラーはなぜカラー映画を諦めてもローマロケにこだわったのでしょうか?・・それは、ハリウッドから追放された人達と仕事が出来る唯一のチャンスだったのです。

1952年 猛暑のローマで撮影開始、スタッフのほとんどがイタリア人、ワイラーは信頼のおける人物だけをローマに連れて行きました。・・同行させたプロデューサーはワイラーの右腕レスター・コーニッグ、前年赤狩りブラックリストに載り業界を追放された男でした。

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そんなワイラーが自らシナリオに加えたシーン、嘘をついた者は手を失うと言う「真実の口」実はペックの演技はその場のアドリブです。オードリーの自然な反応を引き出すために監督が仕組んだ演出でした。

監督ウィリアム・ワイラー
「このシーンを映画のどこかに入れなければと思ったんだ・・二人の人間が互いに嘘をついている物語だからね」

1945年 ローマの休日公開の翌年、全米に反共ヒステリーを巻き起こしたマッカーシーは強引なやり方が批判され失脚、赤狩りの嵐も納まって行きます。・・しかしブラックリスト入りしたハリウッドの映画人の多くは映画界に復帰できませんでした。

しかし厳しい現実の中でもダルトン・トランボは諦めませんでした。
1960年(55歳)「栄光の脱出」を実名で発表、非国民のレッテルを貼られてから13年後の事です・・米ソ冷戦の雪解けの時代でもありました。

1960年 ソビエトとの文化交流で上映された映画が「ローマの休日」試写会には3万人の観客が押し寄せたといいます。

1993年 映画公開40周年を記念してアカデミー選考委員会は、ローマの休日でトランボにオリジナル・ストーリー賞を授与、夫人がオスカーを手にしました。・・1976年にダルトン・トランボはすでに他界していました。

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2003年 映画「ローマの休日」公開50周年を記念してついにローマの休日に ”DALTON TRUMBO” トランボの名前がクレジットされました。

トランボは後年、赤狩りの時代を振り返りこう答えました・・
「あの時代に悪漢も英雄も聖人も悪魔もいなかった。みな長い悪夢の時代の犠牲者だったのだ」

■なんかアメリカの正義ってチョットおかしい時がありますよね。

ローマの休日、5回は見たな・・6回目に挑戦します・・なんか違った思いで見られそうですよ。

 

 

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