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旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。

花魁(おいらん)の真実 ~江戸・吉原遊郭の光と影~

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NHK 歴史秘話ヒストリア
花魁(おいらん)の真実
~江戸・吉原遊郭の光と影~

吉原は江戸時代の始め、幕府公認の遊郭として作られました…初めは江戸城に近い市街地にありましたが、江戸の急速な発展に伴い、17世紀半ばに町の外れに移転します。そのため、新吉原とも呼ばれました。

広さは2万坪、全国にあった遊郭の中でその規模は最大、周囲に水を巡らせ侵入者を防ぐその姿は、城郭のよう…入口は吉原大門のみ、ここを通れば身分も地位も関係無し、だから遊郭の中では籠の使用は禁止、武士も刀を預けなければいけませんでした。

吉原は遊女の町、中でも格の高い花魁が君臨する場所でした…そのスーパーウーマンぶりを解説します。


episode1
花魁は江戸のスーパーウーマン

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(吉原 大門)

どうしたら花魁と深い中になれるかご存知? …”お金を払えばいいだろう” って…とんでもない…とっても長いプロセスが必要でした。

1.初会
引手茶屋で花魁を紹介してもらいます…ここで財布を預けます。吉原は夢の場所、お金という現実的なものを忘れさせます。

そして茶屋は客の人となりを見極めて客に似合う花魁を紹介するのです…決まると茶屋の裏手にある遊女屋を訪ねる事になります。花魁のいるような一流の店は大きく、100人近い人が働いています。

客は2階に通され、引付部屋と呼ばれる宴会場で花魁を待ちます。花魁と初めて会うこの時を ”初会” といいます。

花魁を迎えるため客は、太鼓持ちや芸者を呼び、宴を催さなければなりません…そして客であるにも関わらず、下座に座り、上座を空けて花魁を待つのです。

やがて花魁がお付きの者を従えて登場します…初めての客との出会い、しかし花魁は威風堂々、客に対する態度ではありません。

実は花魁には客を選ぶ権利がありました…動かず話しかけもしません…初会とは花魁が自分にふさわしい客かどうか見定めるものでした。

2.裏を返す
数日を経て再び花魁を訪ねます…2度目を ”裏を返す” といいます…初会と同じく宴を開き花魁を待ちます。花魁が気に入れば上座に座れます。花魁が酌をしてくれてもまだお付き合いが始まった程度、客は未だ名前も呼んでもらえません。

3.馴染み
そしてまた数日後、客は初めて花魁の部屋に通される…花魁は態度を一変、恋人としてうやうやしく客を迎えます。

ついに ”馴染み” となったのです。この時、特別なものが用意されています…それは客の名前の入った箸袋、馴染みになれば夫婦のように振舞う事が許されるのです。そして夜も更けて床入り、ついに男女の仲になるのです。

それはとても贅沢な遊び、馴染みになるまでの費用は、…
・花魁の上代
・茶屋への仲介料
・宴会費
・お付きの者へのチップ
…など200万円ほどかかりました。

法政大学教授 田中優子
「吉原に一旦入りますと恋があります。恋の中でも理想的な恋が演出されています。吉原の中の決まりごとや様式は、そのためにあるので、別に権威付けでやっているわけではないのです」


江戸・吉原
花魁の条件とは…

江戸・吉原には、3000人の遊女がいたと言われます…その中で太夫や花魁と呼ばれた格の高い遊女はごく僅か、数百人に一人という存在でした。

花魁に求められたのは、まずは美貌…更に高い品格と教養も必要でした…
・茶道、華道、・香道
・三味線、琴、歌
囲碁、将棋
・和歌、文芸
・美しい文章で手紙を書く事
…こうして絶えず自分を磨きあげていたのです。

まさに男たちのあこがれ、才色兼備で武家のお姫様にも劣らぬ女性、花魁は江戸の理想の恋人だったのです。


吉原は、
ファッションリーダー

遊女が虜にしたのは、遊郭の客だけではありません…その魅力は吉原の外にも伝わり、大きな影響を与えました。

江戸時代は髪の文化が豊かに花開いた時代、300もの髪型が生まれました。

基本となったのは…
・兵庫髷
・勝山髷
・元禄島田髷
…これらは皆、遊女が流行らせたものだといいます。

その一つ、17世紀半ばに吉原の遊女、勝山が編み出した髷があります。

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(勝山髷)

勝山がこの髷で花魁道中をしたところ大評判となり、江戸中の女性がまねしたといわれます。

ポーラ文化研究所 村田孝子
「遊女は、自分自身を美しくして自分を売るという商売柄、常に美しさには敏感であった。遊女は時代のファッションリーダーだったんです」

勝山髷から100年後に爆発的に人気を呼んだ燈籠鬢、島田髷、…島田髷は今でも花嫁の髪型として見る事が出来ます。

髪が整ったら白粉で仕上げ、首が長く、襟足が際立って見えるよう燕の尾のように引く事が理想とされています。

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島田髷

もはやアート、複雑化する遊女の髪型は、女髪結いという専門職を生むことになります…女髪結いたちはやがて江戸の町に進出、遊女の最新の装いを庶民に伝えます。こうして更に流行が広がって行ったのです。

美しさ、教養、品格、自らを徹底的に磨き上げた花魁は、男性だけでなく女性をも虜にしたまさに江戸のスーパーウーマンだったのです。


チームで活動
理想の上司、花魁

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(浮世絵『新造出しの図』)

上記の4枚の絵は、一人の花魁が率いるチームを描いた絵です…
1枚目:デビュー前の『振袖新造』
2枚目:花魁を補佐するベテラン遊女、『番頭新造』
3枚目:新造から花魁へと昇格し、デビューした遊女
4枚目:殿の一番格が高い花魁 『七里』

…注目したのは名前、皆『七里』と同じ 『七』 が付いています
・『振袖新造』 七舟、七橋
・『番頭新造』 七政、七濱
・デビューしたのは、七人

…次の注目は、花魁 『七里』 の着物の ”桔梗紋” …よく見ると全員がどこかに桔梗紋をあしらっているのです。

つまり描かれていたのはチーム『七里』 …『七』の一文字と桔梗紋というシンボルマークを受け継いだ妹女郎たち、集団をまとめ、後継者を育てるのが花魁の役目だったのです。

この絵は、『七里』 が育てた妹花魁デビューを記念する絵だったのです。


episode2
浮世絵師・喜多川歌麿

歌麿美人画で一世を風靡しました…現存する浮世絵は2000点、その多くは遊女を描いたものです。

歌麿は初め吉原で 『狂歌絵本』 という狂歌とその題材を一冊にまとめた豪華本に取り組みます。虫や花が歌麿の鋭い観察眼で活き活きと描きだされています。(※狂歌とは、町人、武士の区別なく同席した吉原で催された歌会)

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狂歌絵本)

その技と完成度の高さは、後に世界一美しい絵本と讃えられます…歌麿の才能は吉原で大きく花開きました。

しかし間もなく事態は一変、幕府老中・松平定信による寛政の改革が始まったのです…定信は贅沢に傾く人々を弾圧、徹底した倹約で武士と町人の区別を厳しくし、身分秩序を再び強固なものにしようとしました。

江戸の町は沈滞、狂歌ブームは一気に下火になり、吉原も寂れていきました。


吉原が生んだ
天才絵師・歌麿

江戸に覆った閉塞感を打破したのが歌麿の美人浮世絵でした…寛政の改革にあらがうように華麗な美人画を描いて大評判をとって見せたのです。

中でも改革で打撃を受けた吉原の遊女を描く時、歌麿の筆は冴えわたりました…当時の最も美しい花魁を描いたシリーズ、 『当時全盛美人揃』 は寂れつつもなお吉原に息づく極上の美を描いて見せたのです。

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(兵庫屋内花妻)


江戸吉原は
現代のテーマパーク

メインストリート仲之町の桜は、老若男女が花見を楽しむ江戸の名物、実は桜の木が元々そこにあるのではなく、何と春になると咲いた桜を持ってきて一斉に植えるのです。

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(吉原 仲之町)

そして散ってしまう前にまた一斉に引っこ抜く、なんとも驚くべき演出がなされていました。

その他、一年中いつ客が訪れても楽しめるようにと、様々な仕掛けが用意されていました…江戸吉原は、今でいうテーマパークだったのです。

 

episode3
大江戸遊女事件簿

一見きらびやかな世界にいる遊女たち、しかしその多くは借金のカタとして吉原に身を置く事となった女性たちです。

だから夢は見受けされる事、つまり馴染みの客に借金を肩代わりしてもらって、その妻や愛人となって一日も早く遊郭を出る事でした。

実は江戸吉原の遊女たち、個々の確かな記録は残っていません…吉原は度重なる火事に見舞われ、江戸時代だけでも19回全焼したことも一因とされています。

ですから吉原の確かな記録は、裁判の記録です…

例1.「ふくの場合」貞享元(1684)年
母・はるは11年前、2歳の娘・ふくを養子に出したが、よく実家のはるに顔を見せに来ていた…しかし3年前から姿を見せない。…養父に聞くも ”屋敷奉公に出している” などらちがあかない。

ついにはるは町奉行所に訴え出た…役人が調べてみるとふくは、吉原にいたのだ…養父が4両、15年の年季契約で遊女屋に売っていたのだ。

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養父は牢に入れられ、ふくは実母はるに引き取られた…
・養子を勝手に遊女にする
・10年以上の年季奉公に出す事
…幕府はこれらを禁止している。


例2.「松の井の場合」文化5(1808)年
若い遊女・松の井は、無職の若者鉄五郎と馴染みになった…二人は吉原からの逃亡を企てた。松の井が2階から台所の廂に火を投げ、煙にまぎれて逃げようとしたのだ。

しかしあっけなく捕らえられた…奇妙な事に松の井は、 ”鉄五郎は熟睡していて知らなかった” と庇うのだ。

結局、松五郎は逃亡計画を立てた事だけが罪に問われ、手鎖50日、松の井は島流しの刑となった。


例3.「薫の場合」安政2(1855)年
14歳の遊女・薫は、幼くして両親と別れたが、無事なら是非会いたいと平素から念じていた…江戸が安政の大地震に襲われた時、薫は助かったばかりか大切にしていた鼈甲の櫛やカンザシも持ちだす事が出来た。

薫はこの櫛や簪を用いて被災者に施しをすれば、この功徳によって両親に会えるかもしれないと考えた。そして櫛・簪を売って30両分の瀬戸焼の鍋1160個を購入、被災者に贈呈したとのことである。

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いずれも華やかな花魁と異なる境遇にあった遊女たち、しかし必死に生きる姿が僅かな資料の中に書き留められていました。

江戸の人々は遊女をどう思っていたのか…最も江戸っ子らしい江戸っ子と言われ作家・山東京伝は生涯に2度結婚しましたが、いずれも見受けした遊女を妻に迎えています。

花魁クラスではない普通の遊女です…京伝はある時、後輩の作家、曲亭馬琴に語っています…

遊女にも賢いものや
才能ある者がいる
妻となれば、操ただしく
誠実なものが多い

遊郭に身売りするのも
親のため、兄弟のためであり
そうでないものは稀である

家族を思えばこそ
その身を多くの客に任せる遊女を
どうして哀れに思わずにいられようか
曲亭馬琴『伊波伝毛乃記』より)


花魁
世界へ、未来へ…

近代化を急ぐ明治の世、江戸文化の多くが忘れ去られようとする中、ヨーロッパでは熱狂的な江戸ブームが起きていた。

その中心であったフランスで19世紀末、一冊の研究書は出版された…最も権威ある批評家、ゴンクールは書いた 『歌麿』 世界で初めて日本の芸術家を単独で取り上げた本です…副題は ”青楼の画家” 青楼とは遊郭の事。

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エドモン・ゴンクール著『歌麿』)

遊女を天女のように描いた歌麿が日本の画家の最高峰とされたのです。

同じ頃、ゴッホは花魁の浮世絵を油絵で模写しました…西洋では一般に汚らわしいとされる娼婦、しかし日本の花魁は気高い…その驚きがゴッホの筆を走らせたのです。

そして今、日本…

花魁の気高い姿は、落語の人情話の中でも語り継がれています。

落語 『紺屋高尾』 は吉原の花魁高尾と染物職人・久蔵の純愛話、…高尾に一目ぼれしてしまった久蔵は、3年間がむしゃらに働き、10両の金をためて吉原に行きます。

その久蔵に軌跡が起きます…
高尾:(3年の間、汗水たらして貯めたお金を一晩で私のために費やそうとなさる…なんて情のあるお方なんだろう…) 「私のような者でも、ぬし、おかみさんに迎えてくんなますか」

久蔵:「くんなます…くんなます…花魁が俺の女房になってくれるんだったら、一生懸命働いて苦労かけないように一生懸命幸せにするよ…(泣き)」

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(三浦屋高尾)

落語家 三遊亭金馬
「吉原って 『紺屋高尾』 のお話の中にもちょびっと出てきますけどね…まるで夢のようなきらびやかで美しくて願いがかなうところが 『紺屋高尾』 の面白いところ…学校の教科書に残したいね…ハハハハ」