NHK クローズアップ現代
アンパンマンに託した夢 ~人間・やなせたかし~
遅咲きの漫画家
やなせたかしの生涯
今月13日(2013.10.13)、94歳で亡くなったアンパンマンの作者、やなせたかしさん…全国から悲しみの声が寄せられました。
アンパンマンで知られる、やなせたかしさんは、作品の中で2000を超えるキャラクターを生み出し、絵本の累積発行部数は、6800万分を超えました。
34歳で漫画家としてデビューし、94年の生涯の中で漫画や絵本だけでなく、作詞作曲、脚本、更には詩人として50冊もの詩集を残すなど実に多彩で幅広い創作活動を行ったのです。
国民的漫画アンパンマンの生みの親として知られる、やなせさんですがヒット作には長い間恵まれず、アンパンマンがアニメとしてテレビで放送され、ヒットしたのは69歳の時でした。
遅咲きの漫画家が作品を通して常に自らに問いかけていたのは、 ”何のために生きるのか” という哲学的な問いかけです。
幼い頃に両親と別れ、弟を戦争で失い、自分だけが生き残ったという思いが、やなせさんを生きる意味という重い問いかけに向き合わせていたと見られています。
諦める事無く、生きる意味を問い続け、作品を描き続けた、やなせさん…困難に向き合う人を励ます作風はどのようにして生まれたのか、代表作のアンパンマン誕生の秘密を通して作品に込められた、やなせさん、の思いに迫ります。
特異なヒーロー
アンパンマン
小さな子供向けのキャラクターとして大人気のアンパンマン、しかし、やなせさん自ら作詞したテーマソングには、子供向けとは思えない、深く哲学的なメッセージがちりばめられています。
『アンパンマンのマーチ』
そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも
何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだ微笑んで。
そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも。
嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為
何が君の幸せ 何をして喜ぶ
解らないまま終わる そんなのは嫌だ!
忘れないで夢を 零さないで涙
だから君は飛ぶんだ何処までも
そうだ!恐れないでみんなの為に
愛と勇気だけが友達さ
嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為
時は早く過ぎる 光る星は消える
だから君は行くんだ微笑んで
そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえどんな敵が相手でも
嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為
…やなささんは、アンパンマンを大人にも通じる普遍的な物語として描いて来たのです。
やなせたかしさん
「幼児の作品は、幼児用だというんでグレードを落とそうと考えるんです。文章も短くする…僕もそれを要求されましたが違う!…全く違うんですよ…不思議な事に幼児というのは、お話の本当の部分が何故か分かってしまうんです。」
物語の中でアンパンマンは、弱った人に顔の一部を食べさせます。この特異なヒーローが生まれた背景には、やなせさんの人生の歩みが色濃く投影されています。
34歳で漫画家としてデビューした、やなせさん…じかし同世代の手塚治虫たちが活躍する一方、ヒット作に恵まれず、求められるまま、舞台美術、ラジオの脚本、商業デザイナー、ルポライター、TV番組の司会など様々な仕事を引き受けるようになります。
ついたあだ名が ”困った時のやなせさん” …。
寂しいって感じがしましたね
漫画家っていうのはね
何かしら自分の代表作がないと
認められないんですよ。
いろんな漫画をかいている
というだけじゃ駄目なんです。
(『100年インタビュー』より)
そんな不遇な時代、やなせさんが大人向けにと描いた奇妙な作品が最初にアンパンマンと題された物語です。
主人公はお腹をすかせた子供にアンパンを配って回る小太りの男、…この不格好な姿には当時流行し始めていた正義のヒーローへの疑問と反発が込められていたのです。
京都国際マンがミュージアム 学芸室員 倉持佳代子
「… 一般的なヒーローは、マンと一つ汚さずに飛び去ってゆく、壊した街もどうなったかわからない。そういうヒーローって本当の正義なんだろうか…本当にお腹がすいて困って一人ぼっちで寂しくてっていう人の所には、そういうヒーローは何故か現れない。
”誰をいったい助けているんだろう” …そういう疑問があってそれでアンパンマンを思いつかれたのだと思います。…」
何のために生きる
アンパンマンの原点
飢えた子どもにアンパンを配る物語が生まれた原点は、やなせさん自身の戦争体験にあります。
24歳で中国に出征した、やなせさんは、飢えに苦しみながらも ”戦争の正義” を信じて戦いました。ところが敗戦を境に自分たちの信じた正義は一転、悪魔の軍隊と呼ばれるようになったのです。
正義の為の戦いなんて
どこにもないのだ
正義はある日
突然反転する
逆転しない正義は
献身と愛だ
目の前で餓死しそうな人が
いるとすれば
その人に
一片のパンをあたえること
(『アンパンマンの遺言』より)
更に戦争は、やなせさんに生きる意味を問いかけます…自分より、器量も能力も格段に優れていた弟が特攻隊に志願し戦死したのです。
”何故自分は生き残ったのか” … ”何のために生きるのか” …残された重い問いでした。
やなせさんがその問いにもがいていた姿が、もう一つのアンパンマンの中に残されています。
『飛べ!アンパンマン』(1973年)…全く売れず、その存在すら長らく忘れられていた幻の作品です。
主人公は、やなせさん自身を投影した、ヤルセナカスという売れない青年漫画家、青年はアンパンマンという漫画の企画を編集者に持ち込むものの 「こんなみっともない主人公ではうけませんよ。エロも欲しいし、怪獣も出ないんじゃね。売れないのは悪です」 …とまで言われます。
それは、やなせさん自身の嘆きそのものでした。…そのアンパンマンとは、主人公がお腹がすいて倒れそうになっている時に現れた不格好なヒーロー…アンパンでできた顔を青年に差しだします。
さあ、…
オレのほっぺたを少しかじれよ
遠慮するな
ガブリといけ
顔が欠けてしまったアンパンマンは、ヨタヨタと飛び去ります。
自分を犠牲にしてまで誰かを救うヒーロー。やなせさんの考える正義が初めて作品となって描かれました。
京都国際マンがミュージアム 学芸室員 倉持佳代子
「… お腹が空いた人にパンを…自分が食べたいけどそれをあげる。これは誰でもできる事なんだけど、自分が本当にお腹がすいて死にそうな時に果たしてそれが出来るのか…傷つかずして人を助ける事は出来ない…そういう事を言いたかったんです。…」
大人向けの暗い物語は、話題にもなりません…しかし作品は想像もしなかった方向へと歩み始めます。
出版社からアンパンマンを子供向けの絵本にする企画が持ち込まれます。やなせさんは、迷いながらも要素をそぎ落とし、作品をシンプルに生まれ変わらせました。
こうしてストーリーの基本的骨格が完成しました。
当初、大人たちからはグロテスクだと評判の悪かった ”絵本アンパンマン” …しかし子供たちの反応は違いました。
フレーベル館 専務 鈴木晴夫さん
「こんな風に爆発的に売れるなんて全然思っていませんけど、子供の幼稚園に行ってみたらアンパンマンの絵本があって、ボロボロになっているのを見て。それでテレビ化の企画を立てました」
絵本の出版から15年後、やなせさん60歳の時にスタートしたアニメは大ヒットとなりました。
最晩年の やなせたかし
「まだやることがある」
やなせさんは晩年、癌や糖尿病など様々な病と闘いながら創作活動を続けていきました…老いと葛藤しながらそれでも創作を続けようとする…限界を感じながらも現役を続けたのは、言葉の力を再確認する出来事に背中を押されたからでした。
2011年3月11日、東日本大震災です。
”友人の娘がまだ4歳なので少しでも安心できるように、アンパンマンの歌をリクエストします” …震災直後からラジオ局には、やなせさんが作詞した 『アンパンマンのマーチ』 へのリクエストが殺到し始めます。
You Tube
https://www.youtube.com/watch?v=hEsbUsfjLLc
何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだ微笑んで…
困難に直面した多くの人たちが、生きる事を讃えた詩の一言一言に励ましを求めたのです。
そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも。
嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為
ラジオ局には、やなせさんの詩に対する反響が大人からも寄せられました。
”アンパンマンマーチ 泣ける!”
”歌詞がやばい”
”こんな歌詞だったんだ…元気が出る”
”…ありがとう”
TOKYO FM 編成制作部 平岡俊一
「みんなが予想していなかった…待ち構えていなかったところに降って来た言葉だったと思います。それがよけいに大人たちには何かの作用をもたらしたと思います。」
やなせさんの詩は被災者の心にどう届いたのか…
福島県白河市 網藤智子さん…震災直後、網藤さんと3人の娘たちは原発事故と余震の恐怖に震えながら自宅退避を余儀なくされました。
網藤智子さん
「… 子供たちは地震の恐怖でとにかくお母さんから離れない。でも自分自身がどうしていいかわからなかったんですけど…偶然ラジオを付けたらアンパンマンの歌が流れて来たんです。
子供たちは歌いだします。 ”忘れないで夢を、こぼさないで涙、だから君は飛ぶんだどこまでも” …その言葉で、そうだよ子供たちはこれから未来があるんだよ…だからやっぱり、自分は頑張らなきゃいけないんだ…子供を守っていかなきゃならないんだ。 …という励ましの言葉に聞こえました。…」
その後、やなせさんは病に冒された身体を押して被災者の支援に乗り出します。
直筆の色紙やポスターの傍らには、…
「きっと君を助けるから」
…と詩を必ず書き添えていました。
2013年10月 やなせたかし 死去(享年94)