NHK BS歴史館
”源氏物語”誕生の秘密~千年の物語はスキャンダルから始まった
今から千年前の平安時代半ば、世界文学史上屈指の傑作が生まれました…源氏物語、主人公・光源氏が華麗な平安王朝を舞台に繰り広げられる様々な女性たちとの恋物語、500人を超える登場人物の細かい人物描写や感情表現が読む者の心を揺さぶります。
全54巻、原稿用紙なら2500枚に達する大長編、千年輝きを失わない傑作です…作者は紫式部、これほど長大で深遠なラブストーリーをなぜ一人の女性が描けたのか…近年、源氏物語誕生の背景に当時のリアルな恋愛スキャンダルや権力闘争が隠されている事がわかって来ました。
源氏物語のスポンサーは、最高権力者、藤原道長…作家魂に火を付けた最強のライバル・清少納言、そして物語発想の核とは…日本にとって一番重い罪!
「日本にとって一番重い罪」…とは?
日本史上最大の問題作、源氏物語…その謎に迫ります。
日本文学最高傑作
『源氏物語』
国際日本文化研究センター 倉本一宏 教授
「一般的には恋愛小説だと思われていますが、読み込むと歴史小説であり政治小説でもある…最後まで読むと宗教小説でもあります。ぜひ皆さんには口語訳、漫画でもいいですから最後まで読みとおして欲しいです。…最後まで読んで初めて魅力がわかると思います。」
源氏物語の54帖を一つにまとめたのは、鎌倉時代の藤原定家(1162-1241)です…定家はそれぞれにバラバラだった写本を主人公の年齢や登場人物に応じて順番に並べ、青い表紙を付けて整理しました。
印刷の無い時代、書き写す事で読み継がれていった源氏物語、最初の帖は、『桐壷』主人公光源氏誕生にまつわるスキャンダルで始まります。
第一帖 桐壷
「いつの御代のことでしたか、女御や更衣が賑々しくお仕えしておりました帝の後宮に、それほど高貴な家柄ではないのに、誰よりも愛され、優遇されていらっしゃる更衣がありました」(『源氏物語』瀬戸内寂聴訳)
帝に仕える女たちで身分の低い女、桐壷更衣、彼女は帝の寵愛を独占した事によって周囲の女たちから激しい嫉妬と憎しみを買い様々な嫌がらせをされます。
帝と桐壷の一途な純愛、その二人から生まれた男子が光る君、後の光源氏でした…しかし母・桐壷は病に倒れ、亡くなります…帝は残された息子に皇位を譲る事を諦めるのです。
帝と桐壷の純愛は、何故うとまれ、光は皇位を継げないのか…
京都学園大学 山本淳子 教授
「天皇は後継ぎを残さないといけない…しかしどのような妃から生まれた子どもでも良いというわけではありません。…後ろ盾がいる妃から出なければなりません」
後ろ盾とは、妻方の高い身分と豊富な財力の事、天皇も例外ではありませんでした…そして帝の純愛や光源氏の境遇は、当時の宮廷に重なる部分があります。
当時は、藤原摂関政治による一条天皇の時代…摂関政治とは、藤原氏の一族が摂政や関白として天皇を補佐する統治機構です。
一条天皇が即位していた時、実権を握っていたのが関白・藤原道隆、その娘・定子は最初の妃として寵愛を受けますが父の死や兄の失脚で後ろ盾を失い一旦出家します。
しかし帝は、定子を宮中に呼び戻し、寵愛し続けたのです…そして一条天皇と定子の間に最初の皇子・敦康親王が誕生、しかし定子は25歳の若さで亡くなり、一条天皇は敦康親王に皇位を継がせる事を断念したのです。
これは、はからずも源氏物語と現実が同じ事になったのです。
宮廷スキャンダルで始まる
『源氏物語』
更に物語は、とんでもないタブーに踏み込んで行きます。
桐壷更衣の死後、帝は、美しく高貴な藤壺女御を妃に迎えます…亡き桐壷更衣に生きうつしでした。藤壺は義理の息子・光るを我が子のように育てます。…光の情愛は、いつしかせつない恋心へと変わって行くのです。
第五帖 『若紫』
で物語は急展開…義理の母との不義密通
光の思いを拒み続けた藤壺ですが、二人はついに関係を持ってしまったのです。
「源氏の君は夢の中まで恋焦がれていたお方を目の前に、身を寄せながらも、これが現実のこととも思われず、無理な短い逢瀬がひたすら切なく、悲しいばかりです。…藤壺の宮も、たまらなく情けなくて、耐えがたいほど、やるせなさそうにしてらっしゃるのでした。」(『源氏物語』瀬戸内寂聴訳)
更なる問題は、藤壺と光るの間に子どもが生まれた事、帝の子と偽り、事実を隠し続けるのです。
源氏物語こそ日本史最大のタブーを描いた物語だと倉本氏は言います。
国際日本文化研究センター 倉本一宏 教授
「万世一系というならば、そこに違うところからの血が入ってくるのはものすごい罪だと思います。…日本にとって一番あってはならない事、と考えられている事から始まっているというのがすごいことだと思います。」
同時代の宮廷を踏まえ、そこに豊かな想像力を加えた紫式部、源氏物語は日本文学史上、最大の問題作でもあったのです。
『源氏物語』の魅力
リアルな恋人たち…
源氏物語の魅力は、主人公・光源氏の恋愛遍歴とその恋人たちのリアルなキャラクターや感情描写です。
例えば、いくつになっても恋の現役・源典侍(げんのないしのすけ)…家柄も良く教養も高い彼女ですが60歳近くの歳で性に奔放なところが光を引きつけます。
更に美女とは言い難い末摘花(すえつぐはな)…暗がりで事に至った翌朝みた女は、異常に高い座高、象のように長い鼻、なぜ見てしまったのだろうと後悔する光源氏。
そして極めて平凡で光をひたすら待ち続けるだけの女・花散里(はなちるさと)…実は、花散里は意外に人気があると語るのは、源氏物語の現代語訳をした瀬戸内寂聴さん。
作家・僧侶 瀬戸内寂聴さん
「普通の主婦が誰が好きというと花散里なのよ…静粛で良いというんだけど変よね…光源氏が来ても寝床の用意もしない致さないわけ、そういの見て現代の人は喜ぶのよね…今の男ってしないじゃないですか…これ見て主婦が喜ぶのよ」
鎌倉時代の文芸批評書(『無名草子』日本最古の物語批評)でも当時の女性がどのキャラクターが好きでどの恋愛にぐっと来たか話し合っています。
「紫の上好きだな!」、「夕顔ってかわいそう」、「花散里って感じいいよね」(『無名草子』日本最古の物語批評)
そんな女たちの恋愛遍歴が始まるのは、第二帖 帚木(ははきぎ)…その冒頭は、雨世の品定めと呼ばれ、男たちが女性の品定めをします。
第二帖 『帚木(ははきぎ)』
「女のこれこそ非の打ちどころが無い、理想的なものなんかは滅多にいない。…なりふり構わぬ世話女房が家事にかまけきっているのも困りものです。」
光源氏が興味を引いたのが ”中の品” と呼ばれる中流階級の女性たち…
「寂しい荒れ果てた草深い家に、可憐な女がひっそりと閉じこもっているのなど、妖しく心が捕らえられてしまいます。」(『源氏物語』瀬戸内寂聴訳)
それが夕顔、…京の外れの粗末な家、そこから流れてくる下手な琴と密やかな女性のたたずまいに光は心を奪われます。
「そこに咲いているのは何の花?」
「夕顔と申します。ささやかで哀れな家の垣根に咲くものでございます。」
リアルな中流階級の女たち…そこには紫式部自身の人生が重なるといいます。…父・為時は藤原氏の本流から外れた下級貴族ながら漢学に秀でた学者でした。
紫式部は幼い時から父のそばで自然と漢学の素養を身につけます。…その後、父は越前国の受領となり、彼女も一緒に都を離れるのです。
この中央政界から外れ、地方勤務を余儀なくされる受領という身分が中の品と呼ばれた中流階級でした…そんな中の品の女、紫式部自身に最も重なるというのが空蝉と呼ばれる女です。
第三帖 『空蝉(うつせみ)』
ある夜、光源氏はたまたま受領階級の者の家に泊まり、その家の後妻に目を付けます…夜が深けてその家の後妻の部屋に強引に入ります。
「お人違いでございましょう」
「人違いなどするものですか…わざと分からない振りをなさるとは…。」
強引に契りを結びます…
「これほど見さげつくした扱いを受けましては、どうして深いお心などど思えましょう…しがない身分の者にも、それなりの身分に応じた生き方がございます。」
その後、光は何度も手紙で愛を訴えますが返事は来ません…たまらず彼女の家を訪れますが…残されていたのは薄衣一枚と彼女の歌…
「空蝉の羽におく露の木がくれて、しのびしのびに濡るる袖かな」…空蝉の羽根のようにちっぽけな私は、一人しのんで涙で袖を濡らします。
作家・僧侶 瀬戸内寂聴さん
「空蝉は非常にプライドが高いから、私は身分が低いから貴方はこういう事をするんでしょと怒ってその後はさせないの…源氏物語の女たちはプライドが高いの、それは紫式部が非常にプライドが高い人だったからだと思うの…源氏物語には、そういう人の心が書いてあるの…心が描いてあるから読んだ後、心に残るんです。」
高貴な妃から遊女まで様々な女を書き分けた紫式部、源氏物語は女性読者の共感を得てその噂は、次第に宮中に広まって行ったのです。
『源氏物語』誕生
貴重品”紙”の裏話
当時紙は非常に貴重だったわけです…1枚の紙から8ページ作れます。…源氏物語全体で文字数94万3135字、必要な紙の枚数590枚(清書のみで考えて)。
他に膨大な数の筆と墨も必要です…つまり、誰かが彼女にそれを与えないと書き続けられないのです…紫式部にとってのスポンサーがいた。
当時貴重だった紙を手に入れる事が出来て、彼女に源氏物語を書き続けさせる事に何か狙いがあって紙をふんだんに与えた人物がいないとあれだけの長編は誕生しないのです。
寛弘2(1005)年、紫式部は宮中に召し出されます…彼女を呼んだのは藤原道長、摂関政治を代表する権力者です。
「この世をば、我が世とぞ思ふ望月の欠けたることも無しと思へば」…この歌に現された道長の栄華と源氏物語にはどんな関係があったのでしょうか。
作家・僧侶 瀬戸内寂聴さん
「紫式部は、道長がいなかったら書けませんよ…だいいち紙が高かった…それに書くには資料がいる…史料だってお金がかかる…そんなものを全部、道長が買って与えたんです。世界中のあらゆる芸術作品にはスポンサーがついて世に出てるのです」
『源氏物語』誕生
権力者・藤原道長のねらい
長保元(999)年、道長は権力を盤石にする為、12歳の娘・彰子を強引に一条天皇の妃にします。…それによって史上初めて定子と彰子、二人の妃が並立、一条天皇の寵愛を争う事になりました。
しかし帝は、定子の元に入り浸り、彰子を訪れる気配はありませんでした…
作家・僧侶 瀬戸内寂聴さん
「彰子は12歳だった…まだネンネでしょ、だから定子が非常に魅力があって天皇より年上で美しくって、だから定子のところへばっかり一条天皇はいらっしゃるんです…彰子のところへ来てくれないの」
しかし、長保2(1000)年、定子は25歳で亡くなります…そして一条天皇の寵愛が彰子に向き男子が生まれ、皇太子となれば、道長の権力は盤石となるはずでした。
しかし、一条天皇はその後も彰子に心を向ける様子はありません。
源氏物語によって一条天皇の寵愛を彰子に向けさせること…それが紫式部に託された使命だったのです。
『源氏物語』誕生
運命のライバル清少納言
そこに最強のライバルが立ちはだかります…名随筆『枕草子』を書いた清少納言、…清少納言は定子に仕えていた女御の一人、枕草子に現れる教養の高さやセンスの良さは定子の後宮で磨かれたものでした。
京都学園大学 山本淳子 教授
「枕草子の中には、定子が生きて輝かしく宮廷生活を送ってきたときの思い出、優しかった定子、華やかだった定子、それが本当に活き活きと描かれています。…枕草子は他のどこにもない文化の最先端を担っていった定子後宮の文化遺産といえます」
若くして亡くなった定子、彼女を賛美する為に書かれたのが枕草子だったのです。
清少納言は、枕草子の作者として、まだまだ存在感を発揮していて紫式部にとっては、「大変面倒な事をしてくれり人だわ」という困った存在だったのです。
紫式部は日記でこんな事を書いています。
「清少納言ときたら得意顔でとんでもない人であったようでございます。…彼女のように風流を気取ってしまった人は、自然と中身のないことになるのでしょう…そうなってしまった人のなれの果てが、良いわけがありません」(『紫式部日記』より)
当時の定子・清少納言が主催する現代のサロンは、非常に人気があった最新の文化と性先端のセンスを発信する定子の元へ、貴族たちの通ったのです。
そして定子・清少納言に近づく事が出世にもつながる…定子が一条天皇に取り次いでくれるからです…そして更に定子・清少納言のサロンは盛んになって行ったのです。
道長から託された使命、紫式部が果たすためには、源氏物語が枕草子を超える作品になる事を求められたのです。
『源氏物語』
最大の読者・一条天皇
滋賀県大津市、石山寺…ここに伝わる絵巻物に紫式部に関するものがあります…そこには、こう記されています。
「彰子が新作の物語を書かせようとした。その為、紫式部は石山寺に籠った」(『石山寺縁起絵巻』より)
この記述から彰子も源氏物語の執筆に深くかかわっていた事がわかります。…そして源氏物語は、最大の読者を獲得します。…一条天皇です。
一条天皇は、源氏物語を読み、こう評したといいます…「この人は漢学の素養があるのだろう、歴史書をよく読み込んでいるようだ」(『紫式部日記』より)
第五帖、若紫は、一条天皇が自らの境遇を重ね合わせたのではないかとも言われています。
第五帖『若紫』
お忍びで都の外れに来た光源氏は、そこで10歳ばかりの幼女を見つけます。
「雀の子を逃がしてしまったの…籠の中にしっかり入れていたのに」
と嘆く幼女の姿は、あの藤壺に生きうつし…実は姪にあたる子どもでした。…そんな幼女を光は、我がものにしたいと思うのです。
そしてある朝、まだ眠る姫を連れ去りました…こうして少女は光の屋敷に迎えられ、理想の女性に育て上げられるのです…彼女は、若紫と呼ばれるようになりました。
清水先生は、光源氏と若紫の関係が一条天皇と彰子に重なるといいます。
帝塚山大学 清水婦久子 教授
「光源氏が18ぐらいですと若紫とは8つ違い、それが一条天皇と彰子の年齢差と合うのです。定子とのかなわぬ恋を諦めて幼い彰子を自分の思うような理想の女性に育てればいいのだと、そういうメッセージになるのです。…一条天皇にとっても活路というか生きる道が出来たと思います」
源氏物語を仲立ちに二人は、徐々に近づいた後、寛弘5(1008)年9月、彰子と一条天皇との間に念願の男子を出産したのです。
紫式部の使命は、ここに終了…彰子が無事出産した日の事をこう書いています。
「午の刻に空が晴れ、朝日がぱあっと差したような気がした。…ご出産は安産でおらっしゃった。その嬉しさの比類なさ、加えて男子でいらっしゃった歓喜ときたら、とても並み一通などであるものか」(『紫式部日記』より)
国際日本文化研究センター 教授 倉本一宏
「私は、宗教物語、政治物語といいながら、根底に ”しょせん男なんかこの程度のもんなんだ” というのが紫式部の根底にあって、千年受け継がれたのも人生に疲れた女性たちが読むたびに、 ”しょせん男なんかこの程度のもんなんだ” って事を証明したんだと思いますね。出てくる男は、最低な男ばっかりですし、女性は欠点ばかりですよね。」
作家 島田雅彦
「千年に渡ってベストセラー的な位置づけにあったという事は、まず一つはエロ本だった…やはり一番人間が興味を持つポイントだったということです。
元々日本には求愛のテクニックとしての言語芸術を磨き上げた…平安時代にですよ…早いですよね…日本文化、そこが自慢ですね。」