旅cafe

旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 『最後の晩餐』…キリスト3つの名画の謎~その誕生に隠された真実~

f:id:tabicafe:20200401173555j:plain

BBC地球伝説
キリスト3つの名画の謎 ~その誕生に隠された真実~

レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』
今から500年前、ミラノの修道院である壁画の制作が始まりました…絵の題材となったのは聖書の中の有名なワンシーン、キリストと弟子たちによる最後の晩餐です。

3年かけて完成したその絵は、西洋美術の歴史に革命を起こす作品となりました。…最後の晩餐は完成直後から称賛を浴びました。やがてその絵はキリストと同じように神聖な存在となって行きます。

世界で最も有名な宗教画となった最後の晩餐、この最高傑作は第二次世界大戦で危うく灰になるところでした。

この絵は、常に人々の論争の的でした…それは現在も続いています。


私たちはいろんなところで『最後の晩餐』を目にします…どこにいても見る事が出来るほど偉大な作品です…誰もが知っているこの作品は、信仰のために複製が作られていました。…最近では商品の宣伝にも利用されています。

例えばジーンズの広告…

f:id:tabicafe:20200401173604j:plain

それでも毎年たくさんの人がオリジナルを見る為にたくさんの人がミラノを訪れます…サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会のドメニコ会修道院、最後の晩餐のオリジナルはここにあります。

f:id:tabicafe:20200401173547j:plain

聖なる壁画を見る為に許される時間は、たった15分です…ここはかつて修道院の食堂でした。この壁に世界で最も有名な宗教画が描かれているのです。


『最後の晩餐』とは…
壁画の大きさは、縦4.2m・横9.1m、北側の壁一面を覆っています。

最後の晩餐は、聖書の中の有名な1シーンを描いたものです…キリストが弟子たちの中に裏切り者がいることを告げている場面です。

12人の弟子たちの中でキリストの死と復活に大きく関わる人物は、キリストの近くに描かれています…十字架の元で嘆き悲しんだヨハネ、キリストを捕まえに来た人物の耳を切り落としたペテロ、キリストを裏切りその報酬を手にしたユダ、キリスト自身は謎めいた表情で座っています。

一枚の絵の中にストーリーがあるわけです…キリストの物語を感じる事が出来ます。

一同が席に着き食事をしている時、イエスが言われた…「私と食事をしている貴方がたの中の一人が私を裏切ろうとしている」…弟子たちは心配してまさかまさか私ではないでしょうといい出した。

エスは言われた「この12人の中の一人で私と一緒に同じ鉢にパンを浸している者がそれである」…イエスは祝福してパンを裂き弟子たちに与えて言われた「これは私の体である」…と。

15世紀の終わり、ミラノ皇国を治めていたルドビコは、レオナルド・ダ・ヴィンチを招聘します…ルドビコが治めていたミラノは、イタリアでもっとも繁栄した商業都市国家でした。…そして3年の歳月をようしてダビンチは、最後の晩餐を完成させるのです。

しかし、最後の晩餐の完成から1年後、フランスがミラノを侵略したのです…スドビコはルイ12世に捕らえられ捕虜としてフランスに連れて行かれ、1508年フランスの獄中でルドビコはこの世を去ったのです。

ミラノは、ルイ12世の統治下におかれました…ドメニコ会修道院を訪れたルイ12世は、最後の晩餐に心を奪われ、この壁画を壁ごとフランスに持ちう帰ろうとしましたが…壁からはがせず断念したのです。

フランス行きを免れた最後の晩餐ですがこの後、壁から引き離す事が出来ないゆえ激しく損傷する事なるのです。

f:id:tabicafe:20200401173652j:plain


『最後の晩餐』
受難の歴史…
最後の晩餐は、最悪の環境にありました…壁の裏側には湿気や熱を出す修道院の台所があり、下には地下水が流れていました。

1.熱と湿気
湿気は壁の中を伝わって絵を損傷させます…やがて絵の具は少しづつ剥がれて行きます。…完成から20年足らずで腐り始め、間もなく巨大なシミの塊と呼ばれるのです。…ダビンチは自ら修復を始めますが食い止める事は出来ませんでした。

壁画がダメになったと思った修道士たちは、下のドアを広げる為に大胆にも絵の一部を剥がしました…こうしてキリストの足は永遠に失われたのです。

2.ナポレオン侵攻
次の危機は、18世紀の終わりに訪れます…ナポレオンがミラノを占領します…フランス軍修道院の食堂を食糧貯蔵庫として使いました。…彼らは壁画をひどく傷つけます…中には石を投げたり、剣を突きたてたり、…ナポレオンが絵を保存するように命令すると食堂はレンガで覆われ、最後の晩餐は長い間、人の目から消え失せたのです。

その後、ここを訪れた観光客がこの修道院を訪れた時、そこで驚くほどの魅力を保っている壁画を発見したのです。

「最後の晩餐には、損傷の歴史があってこその風格が感じられます…例えば傷が多い古いレコードを聴いているようなものです…完成直後の作新は、確かにもっと生き生きしていて美しかったでしょう…しかし私たちは、この古ぼけて壊れた姿が好きでそこに物語を感じるのです。」

3.ずさんな修復作業
観光客が発見した最後の晩餐は、壁の下の部分を触るだけで絵の具が剥がれ落ちる状態でした…この絵は、何度となく修復が繰り返されました。

20世紀に入り、専門家たちは最後の晩餐を修復する為に詳しく調べたのです…そしてこの絵が11回も修復されていた事がわかったのです。

当時の修復はこの絵に芸術的な損傷を与えました…剥がれた絵の具を付ける為に動物性の分厚いのりが使われ、絵の表面には熱く熱したローラーがあてられました。

不器用な修復によって弟子たちの顔は台無しにされました…顔や手が描きかえられていたのです。

4.第二次世界大戦
およそ4世紀半もの間、危機に晒されながらも無事に過ごしてきた最後の晩餐は、第2次世界大戦で更なる危機に見舞われました。

修道院は爆撃を受けて破壊され、この絵は天井の無い場所に3年間も放置されたのです…戦争中、防水シートの下で空気や風に晒されながらも生きのびたのです。

戦争が終わり、修道院は再建され、絵の修復が行われたのです。


時代が変わり
宗教観も変わった
時代は変わり、1960年代までに人々の宗教に対する尊敬の念は薄れてゆきました…ダヴィンチ博物館の館長は、ダヴィンチの作品が世間にどう扱われるか見てきました。

レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館 アレッサンドロ・ヴェッツォージ館長
ダヴィンチの最後の晩餐は、ずっと神聖なものだと考えられてきました…宗教的だけでなく、ダヴィンチ自身にも神聖さを感じていたのです。…それにもかかわらずこの作品は、商品の広告などに使われます」

f:id:tabicafe:20200401173536j:plain

そしてついに最後の晩餐を使いながらも品位を落とさない芸術家が現れました…コマーシャリズムの達人、アンディ・ウォーホルが最も壊れやすいこの偉大な壁画を題材にしたのです。

f:id:tabicafe:20200401173612j:plain

f:id:tabicafe:20200401173659j:plain

アンディ・ウォーホル博物館(ピッツバーグ)トム・ソコロフスキ氏
アンディ・ウォーホルは、亡くなる6か月前に最後の晩餐を題材にして一連の作品を作りました…ウォーホルはこの作品を記念碑的なものとして取り上げました。…アンディ・ウォーホルが題材として取り上げたことで最後の晩餐は再び蘇ったのです。…彼が命を吹き込んだのです。」

ウォーホルは、最後の晩餐を題材に100近くの作品を作りました…それは、会社のロゴや新聞の見出しとして使われたのです。


推理小説
ダヴィンチ・コード』が与えた影響
人々に様々な影響を与えてきた最後の晩餐、この絵についてアメリカの小説家が投げかけた疑問は、大きな論争を呼びました。

ダン・ブラウン推理小説ダヴィンチ・コード』です…ミラノにある最後の晩餐を実施に見た人より、この本を読んだ人の方が多いでしょう。

この小説の中で主人公は、キリストの右隣にいる人物が実はヨハネではなく、マグダラのマリアだと言っているのです。

f:id:tabicafe:20200401173621j:plain

大学講師
「学生たちにこの本を読んだかと尋ねると全員が読んだと答えます…彼らはこれが小説だとわかっていますがダヴィンチや最後の晩餐に関する記述は真実だと思っているのです。それが歴史に関する彼らの考えを歪めるのではないかと非常に心配しています。」

専門家たちは揃ってダン・ブラウンの意見に反対しています…しかし最後の晩餐で描かれたヨハネは、確かに女性のようです。

ダヴィンチが一人のモデルのスケッチを基にいろいろの人物を描く事は知られています…ヨハネの頭と岩窟の聖母のマリアの頭を重ね合わせると一致するのです。

f:id:tabicafe:20200401173629j:plain

この事から最後の晩餐のヨハネと岩窟の聖母のマリアのモデルが同じ人物だった事がわかります。


『最後の晩餐』
ついにオリジナルの姿に
ダヴィンチの最後の晩餐は、たび重なる修復で絵の具が塗り重ねられ、オリジナルの絵は長いこと人の目に触れていませんでした。

20世紀になってある人物によって最後の晩餐は、ようやくオリジナルの姿を取り戻す事になるのです。…彼女は人生のほぼ4分の1を最後の晩餐の修復に捧げていました。

修復家 ピニン・ブランビッラ
ダヴィンチの最後の晩餐は、過去の修復で完全に画きかえられていました…例えばトマスの手は塗り替えられ丸いパンにされていました。」

修復作業は20年以上もかかりました…ダヴィンチが筆を置いた状態に戻すため、何層にも塗り固められた絵の具を一かけら一かけら落とすとういう気の遠くなるような作業です。

修復が進むにつれ弟子たちの顔が大きく変えられていた事がわかりました…そして20年の歳月を要して真実の最後の晩餐が現れたのです。

天才、レオナルド・ダ・ヴィンチが生みだした最高傑作を見る為に毎年たくさんの観光客がミラノの修道院を訪れます。

最後の晩餐の前にいられるのは、たった15分です…しかしオリジナルの絵が持つ圧倒的な魅力は人々の心に深く刻まれるでしょう。

再び日常へと戻った後もこの絵の偉大さは、いつまでも人々の心に残るのです。

f:id:tabicafe:20200401173639j:plain