旅cafe

旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。

大麦工房ロア

f:id:tabicafe:20200405090010j:plain

今回は、栃木県足利市の大麦工房ロアについて語ります。

皆さん、あしかがフラワーパークはご存知ですよね。
あしかがフラワーパークから車で15分の距離にあるのが大麦工房ロアです。
あしかがフラワーパークへの準備、イルミネーションなど日没を待つ為の時間調整、お帰り前の休憩などで立ち寄ることをお奨めします。(お手洗いも広くてお洒落でとってもキレイ)

工場直売の大麦を使ったお菓子、スィーツが販売されています。
大規模な休憩スペースも整っていまして一服するにはもってこいの場所です。
コーヒー、お茶、麦茶など無料で提供してくれています。(当然お奨めは麦茶ですね…笑)

 f:id:tabicafe:20200405090140j:plain

 

それでは改めまして…
栃木県と言いますと…日光東照宮関ケ原の勝利を決定づけた小山評定など徳川家ゆかりの地でもあります。…そこで次の訪問先、大麦工房ロアです…徳川家康の麦に関する逸話をご紹介いたします。
次は、大麦工房ロアのホームページからの抜粋です。

 

徳川家康も食べていた麦ごはん

米が多くとれなかった時代、白米を食すのは裕福な人だけで、庶民は麦ご飯でした…しかし徳川家康は好んで麦ご飯を食べていました。ある日家来が少しの麦を乗せたご飯を出したところ、家康は「考えもなしに麦を食べているのではない」と言って怒ったそうです。このころ、原因不明の「脚気(かっけ)」がはやっていましたが、実はこれはビタミンB1不足が原因だったのです。家康は毎日ビタミンB1が豊富な麦ご飯を食べ、平均寿命が50歳だったこの時代に、75歳まで長生きしました。

 

今回は大麦工房ロアの紹介です…この機に麦に関して見直すきっかけにしていただければと思います。欧米諸国の取り組みについても紹介します…次も、大麦工房ロアのホームページからの抜粋です…https://oomugi.co.jp/

アメリ
アメリカでは、FDA(食品医薬品局)が、大麦食品に対し「血中コレステロールを下げる」、「食生活の改善に利用することにより心臓病・糖尿病の予防ができる」という表示(健康強調表示※)を許可しました。
スウェーデン
2008年包括的健康強調表示において、オート麦、大麦のβ-グルカンに血清コレステロール低下作用を認めました。
EU
EPSA(ヨーロッパ食品安全機関)では、1日3,000mg以上の大麦β-グルカンを摂ることで「コレステロールの低下による心臓疾患のリスクを下げる」という健康強調表示を許可しています。
フィンランド
大麦が血清コレステロールの低下、体重管理や血清のコントロールに有用との表示を可能にしました。

…というように特に欧米を中心とした先進国では、大麦の健康に及ぼす好影響に注目が集まっています。…せっかくですから、この機会に麦について見直してみましょう。

お奨めを1点…銘菓「大麦ダクワーズ」…日本で古くから親しまれてきた統の健康食品「麦こがし」ってご存知ですかね…ご存知の方、知っている方、食べたことのある方…あまり良い印象ではないかもしれません。

f:id:tabicafe:20200405091951j:plain

その麦こがしから生まれた新銘菓が「大麦ダクワーズ」です。
地場産大麦100%で焼き上げたフランスの伝統菓子…サクッとした食感と、大麦ならではの香ばしさが自慢。長い間健康食として親しまれてきた大麦が、おいしい洋菓子に生まれ変わりました。…是非、ご賞味ください…お奨めいたします。

 

管理人の小ネタ

足利は栃木県、栃木と言ったら「小山評定…チョット…いや…かなり強引でした。
時は慶長5年7月25日、下野国小山において徳川家康会津征伐に従軍していた諸大名によって開かれたとされる軍議のことです。この小山で引き返して家康を大将とした東軍は関ヶ原の合戦に向かうのです。

特に男子には、一番好きな戦国時代の場面の一つではないでしょうか。…その評定の場で福島正則が進んで家康の味方を表明し、山内一豊が徳川軍への居城明け渡しを申し出たことなどによって諸大名は家康のもとに団結し、会津征伐中断と石田三成討伐の為の上洛が決定したのです。このシーンは映画、大河ドラマ司馬遼太郎の小説「功名が辻」の名場面です。

私なんかも何度も何度も「功名が辻」で小山評定のくだりを読み返しました。男子にとっては、この小山評定の場面だけで一晩語り明かすことができるほどです。…でも実は諸説ありましてこの小山評定を歴史的事実だと言い切れるまでの資料は残っていません。

軍議における家康や諸大名の言動は「慶長記」・「関原始末記」などに書かれていますが…この歴史書が書かれたのは関ケ原の合戦から20年~30年後…時代でいえば寛永・慶安期以降に作成されました。この書籍は二次史料というカテゴリーに分類されます。

残念なことに事実を確定させる一次史料は存在していません。でも一次資料の分析からは、無かったとは言い切れません…ドラマ通りに歴史は進んでいます…つまり、あってもおかしくないのです。

私としては「慶長記」それと「関原始末記」を信じて小山評定は歴史的事実であると確信しています。

まあ歴史家でもない管理人が確信してもどうなるものでもないのですけど…自分の信じる解釈で語り合うのも歴史を楽しむ一つの方法だと思います。