旅cafe

旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。

知覧特攻平和会館

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一番右の写真の隊員はまだ10代だろう

知覧特攻平和会館

鹿児島市内からクルマで1時間程の知覧特攻平和会館をご案内します。

まず皆さんを迎えてくれるのが石燈籠です。知覧町商店街を過ぎた辺りから道沿いに多くの石灯籠が建っています。湊橋から知覧平和特攻観音堂までの1700メートルに特攻勇士の数1036名分の慰霊灯籠を立てる計画で、昭和62年に始まりました。現在では1290基建立しています。

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特攻作戦には、知覧基地を始め、宮崎県の都城など九州の各地、統治していた台湾など多くの基地から出撃していました。にもかかわらず、なぜ知覧に知覧平和会館があるのかというと、知覧基地が本土最南端で、最も多くの特攻が出撃したからです。全特攻戦死者1036名のうち、439名、全員の半数近くが知覧基地から出撃したため、ここで祀られています。

陸軍一式戦闘機「隼」(キ43-Ⅲ甲)

陸軍の主力戦闘機であった「隼」は5750機生産され、海軍のゼロ戦に次いで2番目の多さでした。展示している機体は平成19年に公開された映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」の撮影のために原寸大で精巧に制作されたものです。
「隼」は特攻機として166機が使われ、内120機が知覧基地から出撃しました。

そのフロアには、陸軍沖縄特攻作戦で亡くなられた1036名の遺影が出撃した月日の順に掲示されています。

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遺書(手紙)

一番注目していただきたいのが特攻隊員が家族、知人、大切な人に送った膨大な手紙が展示されている。

機密漏洩に気を配りながら書いた手紙だが、彼らは日本が負ける事を薄々感じていたようだ。負けるとわかっていながら、故郷に残した父、母、姉たち、妹たち、弟たち、妻、大切な人のために沖縄に飛び立った。

手紙を読んでいると「まだ幼い弟たち妹たちの為に自分は逝く、決して無駄死にではない。次の日本を託す」という感情が伝わってくる。

目元を押さえながら読んでいる人もいる。静かな館内のあちこちで鼻をすする音がする。涙なしに見る事は出来ない。

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零戦展示室

このゼロ戦は鹿児島県甑島の手打港沖500m、水深35mに水没していたものを昭和55年に引き上げたものです。

機体は35年間海中にあり、無残な姿ですが往時をしのぶ姿をとどめています。機体は旧海軍、零式艦上戦闘機52丙型で、20ミリ機関砲2門、13ミリ機銃3挺を装備しています。

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三角兵舎、おびたたしい数の石燈籠

屋外には、特攻隊員たちが出撃するまでの僅かな間、寝起きしていた半地下式の三角兵舎が再現されています。ここで彼らは、故郷に送る遺書や手紙を書いたりしていました。

それと夥しい数の石燈籠、いったい何機あるのか…特攻隊員達の魂を癒すための燈籠なんでしょう。

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管理人の独り言

知覧特攻平和会館。政治信条、主義主張、様々な人がいると思いますけど、日本人であるならば一度は行くべき、行って何かを感じて帰ってくるべきだと思います。

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