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”至宝”の外交史 「パンダ 中国最強の外交カード」 

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NHK BS歴史館
”至宝”の外交史 「パンダ 中国最強の外交カード

2011年2月21日、成田空港に2頭のパンダがやってきました・・上野動物園でリーリー(力力)、シンシン(真真)と名付けられたそのパンダが公開されると1ヶ月で60万人もの入園者が押し寄せました。

初めて日本にパンダがやってきてから40年、社会現象となったあの時のパンダブームがまた訪れようとしています。

300万年も前から人知れず中国で棲息していたパンダ・・ところが20世紀に入るとパンダの運命は激変します。

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1941年12月、日本軍による真珠湾攻撃によって日米が開戦、太平洋戦争に突入しました・・真珠湾攻撃の数日後、1隻のアメリカ輸送船がハワイからアメリカへ向かっていました。

輸送船が運んだのは、真珠湾攻撃で負傷したアメリカ兵たち・・そして2頭のパンダでした・・2頭のパンダは戦火をくぐって無事、アメリカに到着、市民の大歓迎を受ける事になるのです。

実は、このパンダ贈呈を計画したのは中華民国の指導者、蒋介石の妻・宋美齢でした・・話は真珠湾攻撃の4年前に遡ります。

1937年、日本軍が中国へ全面的に侵攻した事で日中戦争が始まります・・日本軍はまたたくまに主要都市を占領、中国は国家存亡の危機に直面します。

追い詰められた蔣介石は、外国に支援を求めようと国際宣伝に力を注ぎました・・最も重視したのは大国アメリカの支援です・・しかし大統領ルーズベルトは動きませんでした・・他国の戦争には関与しないというモンロー主義の伝統があったからです。

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宋美齢は大富豪、宋家の3女として生まれ、10歳でアメリカに留学、アメリカ人のこのみや文化をよく理解していました。

その後、30歳で中華民国の指導者、蔣介石と結婚・・中国のファーストレディーとして外交の舞台で大きな力を発揮するようになります。

宋美齢は、夫の蔣介石とかわり、アメリカの軍人や財界人と接触を図り、日中戦争での窮状を訴えました・・その宋美齢が注目したのがパンダでした・・「可愛らしいパンダでアメリカ国民の心を引き付けよう」と考えたのです。

1936年、日中戦争が始まる前年、一人のアメリカ人が赤ちゃんパンダを捕獲してアメリカへ持ち帰っていたのです・・このパンダはスーリンと名付けられシカゴの動物園で公開され年間200万人もの観客が押し寄せたのです。

アメリカ中でパンダブームが巻き起こったのです・・しかしスーリンは病気のため、僅か1年で死んでしまったのです。

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”もう一度、生きたパンダが見たい” パンダへの期待がアメリカ全へ広がっていたのです・・アメリカのパンダ熱を察知した宋美齢は、中国政府からの正式な贈り物として2頭のパンダを送り出したのです。

1941年、こうしてパンダは真珠湾攻撃のさ中に太平洋を渡る事になります・・中国を出発して2カ月、ようやくアメリカ本土に到着、真珠湾攻撃を受けてアメリカに反日感情が湧きあがる中、中国からやってきたパンダ・・かくして宋美齢の意向を受けて初めてパンダが外交の舞台に登場する事になったのです。

1941年12月、アメリカに到着した2頭のパンダはニューヨークの動物園で一般公開されました・・2頭のパンダは一般公募でパンダーとパンディーと名付けられました・・その愛くるしい姿が戦時下のアメリカ市民の心を和ませ大人気となって行きます。

しかし宋美齢のパンダ作戦はこれでは終わりませんでした・・宋美齢が中心になって13項目にわたるパンダ宣伝計画が立案されました。

新聞・ラジオ・週刊誌、アメリカのメディアを使って一大キャンペーンを展開する事でした・・この計画実現のため宋美齢が頼りにしたのが”メディア王” ヘンリー・ルースでした。

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ルースが発行していた写真週刊誌LIFE・・パンダの写真とともに中国の苦境を伝える記事が次々と載せられました・・パンダの祖国を苦しめる日本軍の存在と中国への支援を強く訴えたのです。

世論の支持を得たルーズベルト大統領は、中国に対し大規模な支援を決定、共同して日本軍へ立ち向かいます・・戦闘機をはじめ最新の兵器や弾薬が大量に中国へ運び込まれたのです。

蔣介石率いる中国はアメリカの強力な支援の元、抗日戦争を戦い抜きました・・国家存亡の危機を救うべく展開された宋美齢の対米宣伝工作・・その切り札とされたパンダは中国に大きな成果をもたらしたのです。

パンダ宣伝 13の計画
1.全米児童によるパンダ命名大会の開催
2.雑誌『NEA』に記事掲載
3.雑誌『ニューズウィーク』、『タイム』などに掲載
4.パンダ護送の過程をAP通信が発表
5.動物学会によるパンダの食料探しを報道
6.パンダの写真をなるべく多く提供
7.雑誌『ライフ』に記事掲載
8.新聞社によるパンダ報道
9.パンダのおもちゃを製造し、クリスマス商戦で宣伝
10.雑誌『サンデー・イブニング・ポスト』に掲載
11.重慶の米国人記者によるパンダ・ニュースの配信
12.米国在住の華僑によるパンダ歓迎会の開催
13.パンダ米国到着の特別番組放送

日中戦争で大きな役割を果たしたパンダ・・再び中国外交の切り札となるのは、30年後の1970年代の事です・・戦後パンダが暮らす中国の情勢は大きく変わります・・パンダ外交を展開した蔣介石は台湾に逃れ、代わって毛沢東共産党が台頭したのです。

1949年10月、共産党による新中国が誕生、今度は共産党がパンダを利用します・・中国各地の動物園でパンダを公開するとともに国家1級保護動物に指定、国を上げてパンダの保護に乗り出します。

1950年2月、建国まもない中国は、同じ社会主義国ソビエトと友好条約を締結・・その直後(1950~1953)朝鮮戦争が勃発します・・中国は100万人もの義勇兵朝鮮半島に派遣してアメリカ軍と戦火を交えます。

以来、アメリカと敵対する関係に陥ります・・ところが1960年代に入ると同盟国であったソビエトイデオロギー対立が深刻化し両国の関係は緊迫化して行きます。

毛沢東の中国はこの頃、アメリカとソビエト、世界を2分する超大国と対立し孤立して行きます・・この時期、危機を打開する試みが密かに検討されていました。

それを示す文書が北京の外交部資料館に残されています・・その内容は、パンダをアメリカに送り込もうというものでした…
「パンダのような希少動物は、必ずアメリカ人の目を引き付けるに違いない」
「それは両国人民の理解と友好を深める手段として意義がある」

かつて国民党が展開したパンダ外交の手法は、そのまま共産党に引き継がれていたのです。

1971年7月、東西冷戦さなか世界に衝撃が走ります・・アメリカの大統領補佐官キッシンジャーが秘密裏に北京を訪れ米中の関係改善に乗り出したのです。

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キッシンジャーを向かいいれたのは、先頭に立って中国の外交戦略を担っていた周恩来首相、後に新たなパンダ外交を展開する事になるキーマンです。

この頃、戦前に欧米に渡っていた13頭のパンダは全て病気や寿命で死んでいました・・パンダが送られていたのは新中国と国交のあったソビエト北朝鮮だけでした。

1972年2月、ニクソン大統領が訪中します・・世界中の人々は驚きを持ってこのニュースを見つめました・・20年以上にわたって激しい対立を繰り広げてきたアメリカと中国がこれを契機に国交を回復したのです。

この時、周恩来アメリカ国民の根強い反中国感情を和らげるため密かにある計画を練っていました・・ターゲットはパンダ好きを公言していたパトリシア・ニクソン大統領夫人です。

パトリシア夫人の予定に北京動物園のパンダ見学を組み込みました・・そして向かえた最後の晩餐会、周恩来はパトリシア夫人に重大な約束をします。

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晩餐会のテーブルの上に置かれたパンダ図柄のタバコがキッカケでした・・周恩来にパトリシア夫人が話しかけました・・パトリシア夫人の娘の証言が残っています。

パトリシア夫人の娘 ジュリー・ニクソン
「母はテーブルにあったたばこケース取ってこう言いました『パンダって本当にかわいいですね』とすると周恩来が『では差し上げましょう』と言い母が『たなこを?』と聞くと周恩来は、『パンダをです』と答えたそうです」

周恩来はパトリシア夫人に対しスマートにパンダの贈呈を告げました・・押しつけがましくならないようにスマートに相手の心を掴んだのです。

1972年4月、ニクソン訪中から2カ月後、ワシントン動物園にパンダが到着するとアメリカ中が湧きたちました・・パンダは米中の冷え切った関係を温める友好のシンボルとなりアメリカの人々も中国に対する感情を和らげて行きました。

1972年10月、アメリカにパンダが贈呈された同じ年、東京・上野動物園にパンダがやって来たのです・・日中国交正常化を記念してパンダが贈呈されたのです。

カンカン(康康)、ランラン(蘭蘭)です・・パンダを一目見ようと人々が押し寄せパンダ人気は社会現象となりました。

■中国にとって世界で一番友好関係を持ちたかったアメリカ・・アジアで一番友好関係を築きたかった日本へパンダは送られたのでした。

■まあ・・確かに・・パンダをくれるなら何でも許してしまいそうです・・パンダは間違いなく中国最強の外交・交渉カードですね。